第13話 精霊ティーパーティ(3)
カマキリの形をした、実体を持った影。怪物。
「こんなバケモノ、見たことない……!」
「嘘、デス!? オーディンさまでも見たことないナンテ……!?」
それはどういうことなのだろう。
オーディンに目配せすると、彼女はわずかにため息を吐く。
「……私の能力は『|全知の神(オーディン)』。この世に起きたことすべてを知っている。過去から現在まで、起きたことすべてを知っている。観測している。その私が初めて見ることなんて――」
ないはずだった。
それが意味することは、この生物は現在まで存在していなかったことを意味する。
理解した。この状況がどれほど異常であるかを。目の前のおおよそ生物とは言えない何かがいかに特殊であるかを。
「なんなのこれは……」
ニョルズの口にした言葉。僕はただ首を振るしかなくて。
アキちゃんが僕のスカートの裾を引っ張った。
「……戦いましょう。このままじゃみんな――」
あえて言わなかったのだろう。僕は深呼吸して。
「――スクルド」
光が爆ぜ――瞬間、巨大な出刃包丁を生成。
飛翔。狙うは鎌。攻撃を封じるッ!
振り上げ、体重を乗せて袈裟懸けに振り下ろした刃。それは一直線にカマキリの腕関節と思しき場所を狙い。
果たして、一撃で断ち切る。
「やったか!?」
ウルの叫びに、フレイがツッコむ。
「わかりやすいフラグを立てるのはやめようよ~。……ほら、やっぱり」
やっぱり、なんだ。
嫌な予感。着地して振り返る。
――断ち切ったはずの鎌が瞬時に復活し、一瞬の無防備の隙をついて僕に殺意を向けていた。
突き刺す軌道の先、そこは僕の胸部。心臓。
回避不能、必殺の一撃。
その時、体は何者かに動かされた。
わずかに、左に。
結果、軌道上には心臓の代わりに腕。すなわち。
「うああああああっ」
悲鳴。その声が僕のものだと気付いたのは、一拍遅れてのことだった。
左の肩。痛みの元を目視すると、そこにあるべきものがなくなっていた。
左腕が、ない。代わりに血と骨が飛び出していた。
痛い。熱い。断ち切られた神経が脳に死の危険を伝える。狂いそうなほど――
『落ち着いてください!』
その声と同時に、痛みが治まった。
「ッ……落ち着けるかこんな状況……」
言葉とは裏腹に、僕の呼吸はわずかに整い。
脳内に響く声――アキちゃんは言葉を続ける。
『ひとまず落ち着いてくださいよ。……こんなの、かすり傷でもなんでもないんですから』
「どういうことだ?」
腕がもげるなんて、かすり傷どころじゃすまないだろ。普通なら、病院に言って適切な処理をしなくては――普通なら?
『そうです。人間の普通は精霊には通用しません。――コアが傷つかない限りまず死ぬことはあり得ません。それこそ腕や足がもげようと、首が外れようと、腸が飛び出ようと――』
「わかったわかった。もういいから」
僕はわずかに笑う。もう完全に呼吸は整っていた。
深呼吸して、軽く目をつぶり、左腕を動かすイメージ。
そして目を開けると、腕がもぎれたことなどまるで嘘のように、元に戻っていた。
「ありがと」
『どういたしまして、です』
これで戦える!
僕はまたも飛び出した。
*
腕を生やして飛び立った少女を見て、敵対者は葛藤する。
あの未熟な精霊一人ではきっと勝てないだろう。あのカマキリは的確にコアを狙って攻撃している。精霊への殺意が迸っている。
いままで彼女がしていたように。
『そう、お前はあのバケモノと同じ』
「やめろ! 黙れ……っ」
内面から押し寄せる自分への侮蔑。
己が、憎くて憎くてたまらない。「世界のため」を口実に、命を奪う自分が。命を奪うことしかできない駄目な自分が。
いまもこうして、必死に、目の前の命を見殺しにしようとしている。
それが、世界のためだから。
精霊がいたら世界は壊れるのだから。
精霊は、滅ぼさないといけないのだから。
『こうして、お前は過ちを繰り返す』
「やめろっ! わしは正しい!」
――あなたの言う世界ってなに?
オーディンの戯言が何故か反芻され。
「世界は世界! ほかの何物でもない!」
『本当に守るべきものは?』
「世界! そのために、どんな犠牲もいとわない! 決意した、はず、なのに――」
――この胸の痛みは何なんだろう。
幼すぎる女王。その目から零れ落ちた少し大きな雫。
「あれ、おかしいな……涙なんて」
とっくに、捨てたはずなのに。
「どうして溢れてくるのかなぁ」
本当はわかっていた。
『お前は、ずっと嘘をついていた』
「そう。……使命のために、自分を偽ってた」
『使命という言い訳で、冷酷な女王の仮面を被って』
「騙していた。強がっていた。正義の味方になるために」
少女は、幼い精霊は、わずかに俯き。
もう一人の自分が微笑んだ、ような気がした。
『本当はどうしたいのじゃ』
そして、ようやく本心を吐露した。
「わたし……誰も、傷つけたくない」
それは、懺悔かもしれない。
「ヒトゴロシが言うのは都合がいいかもしれないけど」
それは、成しえぬ夢かもしれない。
「幼すぎるが故の、現実無視の夢物語かもしれないけど」
それでも。
「わたしは、全部傷つけないで救いたい。精霊も、人間も、世界も……みんな、みんな、救いたい」
そんな、わがままで欲張りな願い。それが、彼女の本心だった。
『ならば、どうすべきかは――』
「言われなくても……わかってる」
彼女は微笑み、手を突き出した。
狙うは、あのバケモノの胸部。集中し、魔力を練り上げ――。
*
爆発音。後方から飛んできた火球に、カマキリの形をした黒い影の態勢がよろめく。
何回体を修復したかわからないほどの激しい戦闘。それでも膠着状態だった戦闘に、乱入者。
オーディンたちは戦わない。というか、彼女の能力を聞く限り戦えそうもなかったので仕方ないのかもしれない。
ならば、何者だ。
僕は振り向く。
そこにいたのは、藤色の瞳を輝かせ、屹然と立つ少女。差し出したその手に浮かぶのは、魔法陣と言われるようなもの。
「……ふふ、あまりにも見苦しかったのでな。助太刀することにした。……感謝せよ、精霊たちよ」
そう言って、もう一度火球を撃ち出す少女――魚介人類の、女王。
爆裂。煙。口角を上げた少女。
僕は火炎の渦中に飛び込む。
ダメージは瞬時に修復される。ならば、修復される前に――。
振り上げた包丁。その一太刀を爆発で抉れた箇所に浴びせ。
同時に、新たな包丁を作り出し、投げる。同じ部分に。
もうなんでもいい。様々な武器を大量に想像し、創造し、突き刺して、斬って、爆破し、抉り出す。
「壊れろッ!」
破壊と回復のぶつかり合い。
どちらが先にくたばるか。
歪む視界と鉄の味。唇を嚙んで痛みで無理やり目を覚まし。
「く、たば、れぇぇぇぇっ!」
叫び。吹き出す鼻血。
守る。守り切る。自分を壊してでも――。
「氷結の世界――ヨトゥンヘイム!」
そのとき、大気は凍てついた。
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