Thymus vulgaris
§ § §
1週間前。
ゲオルギオ国、離宮。
「求婚?」
クスター声がアマリアの鼓膜を震わせる。恐ろしい足音が忍び寄る感覚に、アマリアは唾を飲んだ。
暑いのか寒いのか。かいた汗は冷えて肌着を貼り付かせる。気持ち悪さに頭痛が追加され、目の奥が傷んだ。
ヴェテライネン家の反逆は、隣国へのヴェテライネン領および人材の流出という形で決着がついた。
相手ははじめからそのつもりだったのだろう。
クスター達は手も足もでなかった。
ヴェテライネン公爵は蜂起したというのに、クスターとの話し合いに応じる構えを見せた。第二王子が攻撃するまで手を出さなかったのだ。クスターは腹を立て、話し合いに訪れた使者を傷つけた。
そこからヴェテライネン家は容赦がなかった。
国唯一の導師を抱えるヴェテライネン家。導師とは、不思議な力を使う存在だ。人の心を操り、惑わすという。
そして、公爵の抱える私兵。遥か異国の武術を極めた、暗部という特殊部隊。それに、騎士団に匹敵するほどの実力ある兵士で構成された鉄面団。
導師は、不思議な力を遺憾なく発揮した。トラウマを植え付けられた騎士団はたて直す暇もなく、そこへ暗部と鉄面団の攻撃。騎士団は壊滅的打撃により、たった3日でやむ無く撤退した。
シルヴェン王国からの援軍が来るまで持たなかったのだ。
騎士団撤退後、王は王令便をだした。はじめからこうするべきだったと溢しながら。
王はそうして、ヴェテライネン家の独立を認め、独立後隣国への流入も、ただ黙って見逃した。
反抗の意思のない使者を傷つけたことで、王族の信用は地に落ちていたのだから、これ以上は避けたいということだろう。
いいように誘導されたとクスターは云うが、アマリアは知らせを聞いて青ざめた。
ヴェテライネン家に手をだせなくなった。治外法権。彼らはその領域を出た。この国の圧力がきかない、いつでもリュ-ディアを救えるかもしれないのだ。
彼女はきっとアマリアを恨んでいる。
それ以上に。
アマリア達は離宮に押し込められていた。
ヴェテライネン家との失態で、王子の王位継承権の見直しが議会で議案に上がったためだ。
同行したアーロとアハトも責を問われた。特にアーロは先の叛乱で撤退する機会を見誤り、壊滅的被害の原因となったと、時期騎士団長についても見送られた。つい昨日のことだ。
唯一、アレクシは謹慎を受けなかった。その彼からの
離宮への連絡が、ただ一つの情報源となっている。彼らはその便りを受け取ったばかりだった。
アハトは手紙を読み上げて、嘆息した。
「レオ・レイノ・ユリハルシラ侯爵ですね。どうやら隣国の令嬢が彼らを引き合わせてしまったらしい」
アハトいわく、イピロスの外交官の娘がミズベーの塔に行った時に事件が起こったらしい。
竜同士のいさかいが起こり、外交官の娘とユリハルシラ侯が巻き込まれた。それをリュ-ディアが助けたという。
ユリハルシラ侯は恩義を感じ、気取らずせっせと竜の世話をするリュ-ディアを見て惚れてしまったのだという。
「相変わらずか。アバズレはこれだから。つけ込む隙を狙っているというのに。侯爵は気付いていないのか。それにしても、なぜ竜はあいつを受け入れたんだ?」
ことの顛末を聞いて、クスターは眉を寄せる。
「竜の弱みでも握っているのでは。竜は知性溢れる存在ですから、メリットなしには動きません」
淡々と、アハトが応える。彼のいうことには一理ある。
竜の知性は人間に匹敵するという。弱みを握られているならば、竜がリュ-ディアに従う理由になるだろう。
成る程、とクスターは首肯する。
「本当に節操のない。貞操観念のない女性は低俗で醜い。それしか考えられないのかと思うと吐き気がする」
アーロは嫌悪感を剥き出しにして、床を蹴った。アハトは違いないと、アーロに同意した。
「女性に必要なのは貞節と深慮、節制ですよ」
「どうせ竜をけしかけたのもリュ-ディアだろう」
アーロは苛立ちから髪をかきあげる。
「引き合わせた女も、どうせろくでもない。婚約破棄されてシルヴェン王国から追い出された女だろ。なんでこんな変な女ばっかりがうろついてるんだ?関わりたくないな」
「そうはいっても問題を起こしてるんだから。僕たちが正してやらないと。リクハルド王子は彼女に執着していると聞いています。確か求婚して断られたことで追放したものの、未練があるようですね」
アハトはアーロを諌め、情報を整理する。
アハトは机の上に手紙を置いて、代わりにハーブティーをとった。スパイシーで刺激的な香りが口内に広がる。先ほど迄喉につっかえていたものがタイムのほろ苦さと共に消え、さっぱりした心地になる。
「キーラ嬢だったか。ずいぶんお転婆なお嬢さんらしい」
クスターがそれを聞いて呆れる。
一介の令嬢ごときが、王家の求婚を断れるはずがない。それを断ったのだから、追放は当然の措置だ。
「クスター様は交流があるのでしたね」
クスターはアハトの言葉を否定しない。
未練がましく追いかけるリクハルドの顔が思い出せないクスターの柳眉が寄せられ、美しい顔が曇っている。
その顔を見て、彼が苦々しく思うほどリクハルドと交流をしていないと、誰が知っているだろう。
「見た目は清楚でしたよ。イピロスの奇跡、という噂ですけどね」
「奇跡?」
「有能な外交官である父と元中流階級でありながら商才に長けた夫、それをシルヴェン王国からイピロスにもたらしたといわれています。二人とも燻っていたんでしょうね。イピロスで成功したようです。まあ、外交官の方は元もと評判が良かったみたいですけれど」
シルヴェン王国は内陸部にある。閉鎖的で、外の動向に疎い。だからこそ国内での動向に過敏で、特に王家のゴシップが娯楽がわりだ。
一方イピロスは港があり、解放感と、活気がある。貿易も盛んだ。外交官に商人、どちらも腕の見せ所を得たということだろう。
アハトからそれを聞きながら、クスターの眉間の皺が深く刻まれていく。
「虎の威を借るなんとやら、だろう?結局自分ではなにもやっていない。それを傘にきて自慢とは、己の実力もないくせに、みっともない」
「彼女は人当たりが良いらしいですよ。もてなしがすごいとの噂です。ユリハルシラ侯もそれで塔につれていったとか。お節介で、家庭的な面があるようです」
「どちらにせよ、扱いにくそうだ」
「確かに。男を立てずにしゃしゃり出る女は身の程を知らないでしょうしね」
クスターとアハトの会話に、アーロは入り込めないでいる。元々アーロは政治動向には興味がないが、今は特に期限が悪い。敗戦が彼に陰を落としているのだ。
「しかし、困りましたね」
「ユリハルシラ侯か」
「ええ。リクハルド王子はイピロスの奇跡を追いかけるのが忙しそうで、援助も頼めませんし。この手紙によると明日にも求婚を迫りそうだと」
「それって、出てくるってことか、あいつが」
ずっと黙っていたアーロが声を荒げてアハトに詰め寄る。僕にいわれても、とアハトは身を乗り出して顔を近づけてくるアーロの肩を押した。
「出てこられては困る。どうしたものか」
クスターが腕を組んで項垂れる。
離宮にいて手を出せない、謹慎の身だ。クスターはそれがわからぬほど無能な男ではない。そうでなければ、第二王子でありながら王位継承一位にはなれない。
ヴェテライネン家に大敗した彼だが、それくらいしか彼には失態と呼べる失態がない。
仕事を押し付けているのも自分が甘えられる相手で、相手の限界を超えない範囲。気に入らない相手を追い落とすのも、彼が矢面に立つことはリュ-ディアの時ぐらいだった。
しかも、彼が責められれば国の中枢にいる貴族殆どが責めを負う。何故なら彼が荷担したのは、殆どの貴族がお願いした案件ばかりなのだ。
彼が責められれば、芋蔓式に皆が引きずり下ろされる。それだけの弱みを、クスターは握っている。良くも悪くも、彼は世相と人心を読むのに長けていた。
だからこそ、この離宮での謹慎もそう長くないとクスターにはわかっている。ここで動くのは得策ではない。
「あの。私考えたんですけど」
クスターの考えは、アマリアにはわかっていた。クスターはアマリアに何でも話すのだ。
昨日、クスターはしばらくは動かない方がいいとアマリアに伝えていた。昨日の今日でそう変わるものでもないだろう。その中でどう誘導したものか。
ヴェテライネン家がゲオルギオ国の王族オヴァスカイネン家の支配下ではなくなった。彼らは毒殺未遂事件を不審に思っている。
暗部は王城の古の防御システムのお陰で王城に入れないだけだ。離宮になってそのシステムが多少甘くなっている。
その上アマリアに恨みをもつリュ-ディアが侯爵に見初められたら。
リュ-ディアの減刑、更には解放もあり得る。
そうなられて困るのはアマリアだ。
クスターは身分もある。アーロとアハトも、次世代に必要だろう。
だが、アマリアは侯爵より力ない子爵であり、特筆する特技も血筋もない。
何より、毒殺未遂やリュ-ディアの噂を、ヴァリス夫人達を通して、或いは直接に広めている。元凶といってもいい。
アマリアにとって不都合ばかりだった。
クスター達の視線が集まり、アマリアは頭を捻って言葉を紡いだ。
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