Rosmarinus officinalis


§ § §


 




2週間前。

ゲオルギオ国、王城。

騎士団の鍛練場で、アーロは剣を振るうのをやめた。クスターが発した言葉は、それだけ彼にとって衝撃的だった。


「今、何て言った」

「ヴェテライネンが蜂起した。手伝ってもらうぞ、アーロ」


クスターは不機嫌そうに眉をつり上げた。

寝不足からくる苛立ちか、思うままにならない鬱憤か。


リュ-ディアの実家、ヴェテライネンは公爵家。

領地は広大で、資源は豊かだ。王族の血を引くことから私兵を多く抱えている。それなりの兵団を保持している上に、暗部と呼ばれる特殊部隊が脅威だ。

正攻法なら騎士団の方が実力は上だが、相手がどう動くのか読めない。

打つ手が遅いほど、こちらが不利に成りかねない。迅速な判断が必要だ。


「くそ、アマリアが文化祭、楽しみにしてたってのに」

「それどころではなくなった。今動かせるのは三個歩兵連隊と衛生大隊、二個騎馬連隊だ」


クスターの声は、固い。

それで事の深刻さを察したアーロは、舌打ちした。


「戦っても死んだ娘は帰らないだろうに」

「まだ生きてる」

「何だって!?」


汗をぬぐって訓練服から団服に着替えたアーロがクスターを振りかえる。

ばたりと、戸外で大きな音がした。


「アマリア、大丈夫ですか」


アレクシが倒れたアマリアを抱き起こしている。倒れたアマリアをアレクシに任せ、二人は執務室に向かった。

そこでアハトと待ち合わせ、城門に待機している連隊を伴って出陣する予定だ。


「どういうことだ…導術でも使ったか」

「わからん。あんな心が汚い女、竜が受け入れたとも思えない」


導術、この国で唯一の術師は、確かヴェテライネン家に仕えている。人心を惑わす術で、 そもそも竜にきくとは考えられないが、それでもその力を使ったのではないかとアーロは考えた。

それ以外にリュ-ディアが生き延びる可能性は考えられない。


回廊を早足で歩くクスターは、どこか焦りの色がある。アーロは苛立った。


「じゃあどうして生きてるんだ!」

「だから、わからんと言ってるだろうが。くそ、一個師団は欲しいところを、父が邪魔をするのだ」


蜂起を鎮圧出来るのかもあやしい。クスターは押さえている人質をどう使うか、頭を押さえた。頭痛がする。


「…どうにかして殺せないのか」


アーロの低い声が絞り出される。

それが誰のことを指すのか、クスターにはすぐわかった。気の強い瞳に赤毛の女が、脳裏でせせら笑った。


「俺たちが手を汚すのは不味い。アーロ。ヴェテライネンは手強い」


執務室の扉を開くと、そこにアハトがいた。

彼は既に団服を身に付けていた。外交官見習いということもあり、少しアーロのものとは作りが違う。鎮圧後の交渉を任せるために、同行する。

アハトは眼鏡をくいとあげて、クスターに礼をした。


「殿下。執事が脱獄したようです。この前隣国の使者が来たでしょう。確か外交官の娘と商人だったか。彼らと繋がっていたようで」


人質として使おうとしていた人材が使えない動揺を、クスターは必死で押さえ込んだ。

アーロは分かりやすく動揺している。ここでクスターが崩れるわけにはいかない。クスターは執務室の机から通信機を取り出す。次にクローゼットから勲章のついた軍服を羽織った。


隣国。イピロスの外交官の娘。四、五日前にゲオルギオに来国して、昨日帰国した小娘だ。記憶を呼び戻し、情報を再構築し直す。


「ルオスタリネン家の子女か。シルヴェン王国から逃げた娘だったか」


そう、本人が言っていた。数日前の晩餐でちらとみかけた。大人しそうに見えて、気の強そうな生意気な目をした女だ。

クスターの脳裏に、先ほど倒れたアマリアがちらついた。やはり女はああいうおとなしくて優しく、白くて小さくて守ってやりたいか弱い存在がいい。

愛しい存在に思いを馳せていると、アハトの嘆息が鼓膜を震わせた。


「黒髪の地味な女ですよ。しかし、油断しました」

「確か竜が見たいとユリハルシラ候に頼んでいたな」


ユリハルシラ候はミズベー塔の管理者。ユリハルシラ候は少し変わり者で、竜の研究に傾倒している。それもあってか、竜に関心をもった娘に嬉々として接していた姿が記憶に新しい。


「ええ。どうやらその後でヴェテライネンを訪ねたようで。ヴェテライネンはその来訪で、リュ-ディアがまだ生きていると知ったようです」


アハトは眼鏡を調整する。クスターが全ての準備を整えたのを見て、アハトは扉を開いた。

クスターはアハトとアーロを引き連れ、廊下に出る。回廊で数名の兵士が頭を垂れる。三人はその前を慇懃に通り抜け、城門を目指す。


「それで調子づいているのか」

「さっさと黙らせるぞ。いい加減我慢の限界だ。しぶといゴキブリは、さっさと潰す」

「シルヴェン王国に使いを送りました。お探しの元婚約者がイピロス国に隠れていると。ヴェテライネンの鎮圧に援軍をくださるようですよ」


眼鏡をキラリと光らせ、アハト。その手腕にクスターは口角をあげた。


「でかした、アハト。未来の外交官、リンドロースの名に相応しい働きだ」

「もったいなきお言葉」

「全く。次から次へと問題が起こりすぎる」


昨日、王に頼んでヴェテライネンの当主を王命で呼び出しそうと画策したが、うまくいかなかった。

反逆罪に問えなかったことで、第二王子の孤立が浮き彫りにされた。王と第二王子の間にある軋轢。臣下は戸惑い、第一王子を掲げようとする輩が出てくる始末。


王は第二王子に手柄をたてさせるべく、この混乱を鎮めるように、僅かな兵を与えた。

王の目的は、鎮圧ではない。和睦だ。ヴェテライネンと上手く交渉してこいと、決して戦うなと言いふくめた。兵は、牽制。丸腰で行けば殺されると、王がつけた相手を刺激しない程度の、最低限の護衛。


だが、第二王子の理解は違った。

三個歩兵連隊と衛生大隊、二個騎馬連隊。王はそれだけの兵でヴェテライネン和睦だと。冗談ではない。兵が少ないからと、弱腰でなめられては堪らない。



お互いを鼓舞しながら三人が城門に辿り着く。そこにはアレクシに支えられたアマリアが見送りに来ていた。


「アマリアは心配しなくていい。さっさと片付ける。文化祭までには必ず帰る」


凄んでいた顔を和らげ、クスターはまっすぐにアマリアに手を伸ばす。


「クスター様、昨日から寝てないじゃないですか」

「アマリア。君のためなら多少の無理、何ともない」


両手を絡み合わせ、二人は見つめあう。どれだけそうしていたのか。クスターはアマリアの肩を抱いて、後ろに控えている男に大切そうに渡す。


「アレクシ、頼んだぞ」

「お任せください、クスター様」


アレクシは首肯し、すがろうとするアマリアをクスターから遠ざけた。


「アマリアを守るぞ」

「ああ」


クスターはアマリアに背を向け、アーロ達と向き合う。仲間が、それに応えてくれる。頼れる仲間がいて、悪を処断する手伝いをしてくれる。

娘が反逆罪に問われている癖に、対抗する力をもっているからと、誤った正当性を主張するヴェテライネン。それを赦せば、王族が舐められていくだろう。


アマリアはその背を涙ぐんでみていた。

両手を胸の前で組み、祈りを捧げる清い乙女。聖なる乙女のようだと、クスターは幻視をみる。


目の前に掲げられたカンブリックの旗。

聖ゲオルギウスの紋章。それは盾と剣で構成されている。盾には竜が描かれており、それの手前に重ねられた十字剣。

それは王家の盾となるべく作られた騎士団の旗だ。

彼らは栄光の旗のもとに並んだ。


「俺たちは負けない」


歩兵部隊の前で、アーロは力強く剣を空に掲げる。

そして高らかに。兵を激励し、ヴェテライネン領へ出陣した。








私は、アマリア・フルメヴァーラ。フルメヴァ-ラ子爵の二番目の子女。


フルメヴァーラ領はそこそこ肥沃な土地だからか、農作物が主な財源。

辺境を任されている、そこそこいいポジション。このまま力をつければ辺境伯にもなれる筈。


母が綺麗だったから、私はしっかり母の華やかな顔を受け継いだ。

姉がいる。姉は欲のない人で、平凡な男爵に嫁いだけれど、私は違う。

私には愛嬌もある。

顔はそれなりにかわいいし、器量も悪くない。それに男の前ではどうすれば良いかわかる。


その男より愚かであること。

わかっていることでも、分からないわ、すごいのね、といえばイチコロだ。

その男の気分がよくなれば、あとは簡単。頼りない男でも頼ってやる。簡単な用事をさも難解そうに装い、男が解決してくれたら、うんと誉めてやる。

頼られていると分かった男は、何でもいってみろという。そうして愛されて欲望を満たす。弱そうに見せながら笑ってさえいれば、彼らは満足する。


そうやって、クスター、アーロ、アハト、アレクシと関係をもって、なんだか物語のヒロインみたいな気分。

特にクスターは私をお姫様にしてくれる。


やっぱり自分は磨かないとダメね。姉はそこそこいい顔なのに、自分を磨かなかったから平凡なのよ。

平凡な令嬢達から羨望の目で見られる。

悔しかったらもっと自分を磨けば良いのに。努力もせずに羨むなんて。

嫉妬して足を引っ張ったり、人の邪魔をしたり陰口を叩くくらいなら、もっと前向きに綺麗になったり、男の子の好みに合わせたらいいのに。ああ、でも素材が悪いから、私みたいにはなれないわね。

群れてしか、しかも陰でしか他人を攻撃できない集団は醜いわ。

攻撃するなら正面から向かえば良いのに。


リュ-ディア・キルシ・ヴェテライネンもその一人。集団でリンチとか、考えられない。

かわいそうな伯爵令嬢が死んだ事件は、彼女の悪評をさらに高めた。昔の友人まで追い詰めるとか、凄い悪役令嬢だわ。

そんな彼女が私をいじめていたといえば、皆のってきた。

自業自得だわ。死んだ友達の分も私が利用してあげる。敵討ちみたいなものかしら。良い供養になるでしょう。


リュ-ディアの取り巻きの一人、子爵夫人は、喜んでその噂話を真に受けたわ。アレクシに頼んで、子爵夫人を操るのは簡単だった。だって旦那様が持ってくる、確かな筋の情報ですもの。

すぐに男爵令嬢と盛り上がって、二人でリュ-ディアに絡んでいたのが笑えた。

自分のことを上位だと思っている人間の滑稽な姿。いったいその自信はどこからくるのかしら。


夫に愛されていない可哀想なヴァリス子爵夫人は、私が第二王子の婚約者になるのを間接的に手伝ったとも気づいていない。

彼女は面白い噂話を仕入れ、根も葉もない噂で人を陥れただけ。

リュ-ディアのあとに私がしゃしゃり出てきて生意気と吹聴しているけれど、そもそも私をその地位にあげたのが自分だって気づいてない可哀想なヒトなの。


婚約の話も決まって、リュ-ディアは塔に閉じ込められた。一生見ることもない。このまま上手くいくと思っていたのに。

天罰って意外と悪人に落ちないものなのね。

彼女は生きて、従姉妹は気が狂うとか、悪運の強さがあるのだわ。


アマリアは掲げられた旗と、その下に立つ三人の男を見つめる。


「でも、もうすぐ終わるわ」

「アマリア?」


アマリアの呟きを、隣ににいるアレクシが拾う。


「何でもないの。あー君達が帰ってきたら、とびきり美味しい紅茶とローズマリーのスコーンを焼くわ」


にっこりと、アマリアはアレクシにこぼれる笑顔を見せる。

少し前にクスターと見に行った演劇部の練習。何故だかその時に歌われた歌が反芻された。アマリアは無意識に口ずさむ。


「ふふ。アマリアには敵わないですね」


アレクシはアマリアの肩を支えた。





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