knight
§ § §
3週間前。
シボレス学園。
貴族学院があることで知られ、多くの優秀な人材を輩出している竜の国ゲオルギオの最高学府。
その生徒会室。
「申請書のチェックが終わったぞ」
茶髪でガタイのいい男が、黒髪の男の机上に紙束を置いた。
《ーーー。
そうすれば貴方はーーーー》
「合唱部か?」
「演劇部だろう。今年はミュージカルらしい」
窓のそとから聞こえる歌に、茶髪の男が反応する。
美しい二重の旋律が校舎の壁を反射し、残響する。いつまでも続きそうなその音に、二人は耳をそばだてた。
「ああ、確かそんなことも書いてあったな」
茶髪の男が、トントンと机の書類を叩いた。
「苦手なことをさせて済まないね、アーロ」
「いや。意外と楽しかったぞ、アハト。あの女がいなくなって、ちょっとのことでは苛立たなくなった。いくらでもできそうだ」
アーロは清々しく汗をぬぐう素振りをする。アハトは眼鏡を整えながら口角をあげた。
「違いないね」
「悪をさばくというのはこんなに清しいものなのだな」
「あの女、人の邪魔にしかならなかったからね。能力がないくせに偉そうにして」
「能がないものほど、身の程を知らんと言うことだな」
「そうそう」
二人は声をあげて笑う。
「そうもいってられない」
「あ、殿下。公務お疲れさまです」
笑う二人に苦言を呈したのは、第二王子クスター。その後ろには、アマリアが控えている。
クスターはつかつかと二人の横も通りすぎると、部屋の一番奥へ。皮張りの椅子に腰かけた。それから深く息を吐く。
クスターは、疲れた顔をしていた。その原因も、大半はあの女だ。後片付けが大変だと、いつもぼやいているのを二人は見聞きしている。
アマリアはそんなクスターに近づけないでいる。
クスターは兎も角、アマリアの顔は、どこか浮かない。その事に二人は焦る。
問題の邪魔な女、リュ-ディアだったか、は排除できた。気が強くて高慢、人を踏みにじるとんでもない女。それに苛められていた彼女の顔が晴れやかなことを期待したのに、暗く沈んでいる。
「ヴェテライネン家がうるさい。あの執事を返せと、抗議が王に届いている」
クスターが頭を掻く。今日は、あの女の家に苦労しているようだ。
執事はあの女を逃がした容疑で牢で拷問を受けていた。大罪人扱いで問題ないだろうが、御年七十の老人にする拷問にしては、度を越えていると言われ、評判が悪いのは確かだ。
「もうボロ切れだろ。返してやったらどうだ」
「その甘さは身を滅ぼすぞアーロ。奴らは毒の件も証拠不十分だなどと異議を唱えて、全面的に非を認めない。危険を増やす必要がない」
体育会系のアーロが、言葉に詰まる。クスターは馬鹿ではない。返した先にある厄介事が見えているのだろう。クスターの為政者としての資質を評価しているアーロは、それ以上無駄口は叩かなかった。それは賢い選択でもあり、愚行でもある。
「ヴェテライネンは王家の古い血脈を持つもの。何も起こらないことを願います」
「だからこそ、力を削ぐのだ。アハトも甘いか」
「いえ。僕はただ、急激な改革は反発を招きやすいので、やり方は考えた方がいいかと助言したまでです」
「具体的には?」
クスターが眼光を鋭くさせる。アハトはたじろいだ。
「それは、これから。いまは動くときではないと思うだけのこと」
「腰抜けが。実現可能なものを提案することが未来のお前の仕事だぞ」
クスターの嘆息に、アハトは腰を折って詫びる。
「肝に命じます」
「それと、書記官長アレクシ・ヴァリスから報告だ。キヴィラハティ家の子女が、一人乱心した」
びくりと、アマリアの肩が跳ねた。もしかしたら彼女の顔が浮かないのはそのせいか、アハトは可能性を探ろうとしたが、アーロが前に出てきた。
「最後にあいつに会ったんだろ。何かされたんだ。平気で人を傷つける。ろくなことしない女だぜ」
「まだ油断できないってことでしょう。大丈夫だ、僕たちが守るよ。アマリア」
アハトは出遅れる。アマリアの手を取って安心させようとするアーロに、アハトは呆れた。
「ありがとう、あー君」
ぎゅうとアーロの手を握りしめて、アマリアが儚げに笑う。アーロとアハトは、自分こそがアマリアを守らねばと、心に固く誓う。
そこへ冷静なため息が吐き出される。
「心配せずともあの女は現れない。聖なる塔が邪悪を閉じ込めるだろう」
机上に肘をつき、組んだ両手で口元を隠したクスターが忌々しく吐き出す。
「あれの害悪な話を善良な彼女に聞かせずすむのだ。それに、鼻つまみ者のリューディアへの罰には似合いだろう」
聖なる塔、という単語を耳にしたアーロは戦慄する。
その塔は、伝説とも言われる塔。竜が棲みつき、国境に位置することから、他国への牽制にもなっている。ゲオルギオ防衛の基盤である。
そこは人を拒む聖域。
「あの女、ミズベーの塔にいるのか」
「脱出不能の、竜の聖域。気に入らないものは竜が食い殺すという噂の?」
「そうだ」
アーロに続いて、アハトが息を飲む。
明確にその塔の脅威を知っている二人に対して、アマリアはよく分からないといった顔をしている。
「ミズベーの塔は、とてつもなく高い尖塔。その先端は雲を突き抜けた高所で、空気が薄い。竜の世話をしなければ、生きてはいけない」
クスターの言葉に、アマリアが理解したのか、そうではないのか。アマリアの表情には余り変化がない。
「竜の赦しが無ければ、呼吸ができなくなっていく。竜は汚れた存在を赦さない。あれが汚れていれば、いずれ呼吸困難に陥って死ぬという場所ですよ」
アハトが、クスターの補足をする。
聖なるゲオルギウスが竜を封じた塔。その塔に集う竜たちにとって、ミズベーの塔は聖域。気に入らない人間がいれば容赦なく喰い殺す。興味がなければ全く相手にされない。塔の先端はどうなっているのか。漏れる情報は殆どない秘匿された場所。
それもその筈。立ち入る人間は限られているのだ。
権限のある人間は、ゲオルギウス直系の王族。それと。
「直系以外で塔に入れるのは、管理者くらいだろ。竜に赦されているのはユリハルシラ侯くらいだろ?あの人は潔癖だ。まずあの人に気に入られないとダメだろ」
「もって一週間。もうそろそろ限界ってことか。ヴェテライネン公がうるさいわけですね」
止めのように、アーロとアハトが続ける。
漸くアマリアが顔を手で覆った。彼女の世界は優しい。辛い環境にはなれていない、そしてやはり女性には酷な話だったかと、クスターは首を振った。話は終了という意味らしい。
それからクスターは席をたってアマリアを抱き締めた。彼女は震えながらクスターに身を預ける。
「しかし、王から苦言がくるとは思わなかった」
アマリアの背をさすりながら、クスターはもう一つの心配の種を吐き出す。
「まあ、王は見えていないですからね」
「クスターの方が、先が見えてる。俺はお前についていくつもりだ」
「頼んだぞ。アーロ、アハト。それよりこれは、文化祭か」
クスターは、アハトの机上にある書類に今気づいたらしい。うず高く積まれた紙束を、片手でペラペラ捲って吟味し、その一枚をアマリアの目の前に差し出した。
アマリアは出されたそれをじっと見つめる。
「ああ。模擬店の申請書と、調達関係の申請書だ。演劇部が今流行りのバラッドをミュージカルにしたらしい。アマリアも見たらどうだ?」
「ねえ、アマリア。君は何も心配しなくていい。文化祭、初めてだろう?楽しんだらいいんだよ。クスター様のいう演目は、確か騎士と乙女の話だよ。とてもロマンティックなんだ」
アーロとアハトは、クスターの腕にいるアマリアに笑いかける。
「そうだ、俺たちが何とかする」
クスターは決意を胸に秘め、アマリアを抱き締めた。
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