そこにはただ、創作衝動だけがあった

Fatmn

そこにはただ、創作衝動だけがあった

【こんなこともあろうかと、事前に用意していたアカウントの数は十や二十ではありません。あなたが非を認め身を引くまで、私は徹底的にあなたを追い詰めます。二度と小説を書く気も読む気も起こらないようにしてあげます】


 あの女から送られてきた脅迫の文言が空恐ろしくて、結局私は小説サイトのアカウントを消してしまった。長年愛用したペンネームにもこれで別れを告げることになる。しばらくは作品を書く気には到底なれそうになかった。むろん、人の作品を読む気にもだ。

 どうしてこんなことになってしまったのだろう、と考える。私の何がそこまで彼女を怒らせたのか。

 私はただ、創作の楽しさを皆と分かち合いたかっただけなのに――。



「えーっ!?」

「マジで?」

「うわぁ……」

私が事情を話すと、友人たちは一様に顔をしかめたり引きつらせたりした。

「それってさ、『ざまぁ』系でも特にひどいヤツじゃん! なんでそんなしょうもないことで!」

「っていうかさぁ、普通そこまでやるぅ? 『お前の作品なんか誰も読んでねーよバーカ!』みたいな言い方してる相手に対してさぁ」

「しかもその人、自分でも面白いと思って書いてたわけじゃないんでしょ?」

「だから余計にムカツクんだよなー」

「いやまあそれはそうなんだけど……」

彼女たちの意見はごもっともだった。

私自身、今になってみればよくあんなことを言えたものだと呆れているし、あれでは相手の怒りを買うのも当然だと思う。

ただ、当時の私は本気で自分の言葉を信じていたのだ。自分が他人より優れているなんて思い上がったことは一度もないけれど、少なくとも自分以外の人間にとっては、私の書いたものこそが至上のものであるはずだと信じ込んでいた。だからこそ、誰にも読まれていないという事実に耐えられなかった。

そしてまた、あの頃の私は、誰かに認めてもらうことに異常なまでの執着を持っていた。承認欲求というやつなのかもしれない。とにかく、何かしらの方法で、自分の作品が多くの人に評価されていないことを認めたくない気持ちがあった。

「ホント、なんでそんなことでここまでできるんだろうねぇ……あたしなら絶対無理だよぉ」

友人の一人がぽつりと言った。

私は思わず苦笑する。彼女だって、子供の頃はもっと純粋で素直だったと思うのだが……まあ、人は変わるものだ。

「それで結局どうなったの? その人とは?」

「んー、一応和解? はしたかな。向こうも反省してくれてたみたいだし」

もちろん、簡単に水に流せるような問題ではない。しかし、いつまでも根に持つほどお互い子供でもない。それに、お互いに時間が経ち、いい大人になった今はもう、昔のような関係に戻ることはないだろうと思っていた。

ところが――。



「えっ!?」

ある夜遅く、帰宅すると自宅マンションの前に見覚えのある女性が立っていた。彼女はこちらの姿を認めると、つかつかと歩み寄ってくる。

「ちょっとお話があるんですけど」

その口調はひどく事務的で冷淡なものだったが、間違いなく彼女のものだった。私は動揺を隠しつつ、「場所を変えようか」と言って歩き出した。

近くの公園まで来ると、彼女は開口一番こう言った。

「今日は何時頃帰るのか、ちゃんと連絡入れてくださいって言いましたよね? 何度も電話しましたよ」

「ああ……悪い、仕事に集中しすぎてすっかり忘れてた」

「まったく、小説家なんだからそれくらいちゃんとしてくださいよ」

彼女は小さくため息をつくと、ベンチに座って足を組んだ。

「で、一体何の話だい?」

「まず、例の小説サイトのことですけど」

いきなり本題を切り出されてどきっとしたが、平静を装ったまま続きを促す。

「あなた、最近全然更新してませんよね? アカウントも削除されちゃいましたし」

「そうだね……」

「なぜですか?」

「なぜって言われても……」

「『お前の作品なんか誰も読んでねーよバーカ!』みたいなこと言われたらムカつきますもんね? だから書く気になれなかったんですよね?」

「いや、そういうわけじゃなくて――」

「やっぱりそうなんじゃないですか!なんでそんなことわざわざ言うんですか! バカにしてるんですか!」

「ちょ、ちょっと待ってくれ!」

突然激昂し始めた彼女に、慌てて制止の声をかける。

「落ち着いてくれ! 別に君の小説を読んでいないとかいうつもりはない! むしろ、他の人よりもたくさん読んでいると思う!」

「嘘ばっかり! 読んでないじゃないですか!」

「読んでるって!毎日全部読んでるよ!」

「だったらなんで書かないんですか!」

「いや、だからそれは――」

「私、あなたの小説、好きですよ! 面白いと思ってます! でも、読んでるのは私だけじゃない! 他にも読んでる人がいます! それなのになんで書いてくれないんですか!」

「……」

「そんなのずるいじゃないですか!私だけ仲間外れにするなんてひどいじゃないですか! どうしてそんな酷いことするんですか!」……参ったな。

どうも完全に冷静さを失っているようだ。このままでは話が進まない。仕方がない、少し落ち着かせてから話をするか……。

「分かったよ、君の気持ちはよく理解できた」

「えっ?」

「確かに、僕の対応は間違っていたと思う。ごめん」

私が頭を下げると、彼女は驚いたように目を丸くした。

「えっ……あ、いえ、私も取り乱しすぎました……」

「でも、僕にも言い分はあるんだ。聞いてくれるかい?」

「え、ええ……」

「僕はただ、自分の好きなものを皆に知ってもらいたかった。そして、面白いと思ったものはどんどん広めていきたいと思ってた。だから、自分の書いたものを読みたいという人に読んでもらって、少しでも楽しんでもらえるならそれでいいと考えていた」

「……」

「でもそれは独りよがりな考えだった。君は、自分の作品が好きだという人としか関わりたくないんだろう? それ以外の人間には興味もないんだろう? それが、自分の書きたいものと相容れないとしても」

「違う……私はそんなこと……」

「違わない。少なくとも当時の君はそうだった。だからあんなことを言ってしまったし、今でもそれを後悔している」

「……」

「でも、今なら分かる。あの頃の君は本当に無知で幼稚だった。自分が正しいと信じていることが、他人にとってもそうであるとは限らないということを知らなかった。自分の思い通りにならないことが、自分にとってどれほど苦痛であるかということも分かっていなかった」

「君だって、大人になって変わったはずだ。今はもう、他人の意見を聞き入れるだけの余裕を持っているんじゃないか? だから、今の自分に合ったやり方を見つけてほしい」

「……私は」

「うん」

「私は、それでも、やっぱり誰かに認めてもらいたい。私の書いたものが素晴らしいものだと証明したい。その価値を認めさせたい。だから、どうしても自分では納得できない部分があると、つい意地を張ってしまうんです」

「そうか」

「はい」

「じゃあ、まずはそこから変えていこう」

「えっ?」

「君の欠点は二つある。一つはプライドが高いことだ」

「うぐっ」

彼女は胸を押さえて顔を歪めた。自覚があるらしい。

「それから、もう一つ。君は自尊心が強いせいか、物事を何でもかんでも白黒はっきりさせなければ気が済まなくなっている。でも、世の中の大抵の問題はグレーゾーンなんだ。灰色の部分もある。そういう部分に目を向けるべきだ」

「……」

「君はまだ若い。これから色々な経験を積んで、成長していくだろう。その時、今までの経験が全てだと思っていたら必ず行き詰まる。もっと広い視野を持ってほしい」「……」

「大丈夫、きっとできるよ」

「……」

「さて、話は以上かな? もう遅いからそろそろ帰らないと」

「……はい」

「ん? 何か言った?」

「……いえ」

「そうか」

「……」

「じゃあ、お休み」

そう言って立ち去ろうとした時、「待ってください」と呼び止められた。振り返ると、彼女が真剣な眼差しでこちらを見つめていた。

「お願いします」

「何だい?」

「もう一度チャンスを下さい。次は絶対に失敗しません」

「そうか」

「はい」

「じゃあ、頑張ってくれ」

「ありがとうございます!」

そうして、彼女は深々と頭を下げた。

「よし、それじゃ行こうか」

「え?どこへですか?」

「もちろん帰るんだよ。君の家にね」

「どうしてですか!?」

「さっきも言ったじゃないか。送っていくって」

「いやいやいや!そんなの悪いですよ!」

「遠慮することはないよ」

「いやいやいや!ほんとにいいですから!」「僕が心配なんだ。夜道の一人歩きは危ない。それに、女の子一人で男の家に来るのはまずいと思う」

「いやいやいやいや!それこそ大丈夫ですよ!」

「とにかく、行くぞ」

「いやいやいやいや!待って!」

「待たない」

「ちょっ!力強い!離してください!」

彼女の腕が私を突き飛ばしてくる。よろめいて態勢を立て直したとき、彼女の手の中に何か光るものが見えた。あれは……刃物か?

「それ以上近付いたら、刺しますよ」彼女は腰だめにナイフを構えながらじりじりと後退していた。私は黙ったまま彼女に歩み寄る。

「来るなって言ってるでしょう!」

彼女は叫び声を上げながら突進してきた。だが、所詮素人の動作だ。見切ることなど造作もない。彼女を抱き留めるようにしながら鳩尾に肘打ちを叩き込むと、そのまま意識を失って地面に崩れ落ちた。

「ふう……」

さて、どうしたものか。彼女をこのまま放置するわけにもいかないし……。とりあえず警察に連絡するか。

110番通報を終え、改めて彼女を見る。こうして見ると、中々可愛らしい顔立ちをしているな。年齢は私より少し下といったところだろうか。

そんなことを考えているうちにパトカーが到着し、彼女を連行していった。私は事情聴取のため警察署へと連れて行かれた。

「ご協力感謝いたします」「いえ」

「では、これで失礼致します。また後ほど、詳しい事情をお聞きするため署の方に来ていただきたいのですが……」

「分かりました。この後すぐに伺います」

「よろしくお願いします」

「はい」

そうして、私は解放された。

家に帰ってしばらくすると、インターホンのチャイムが鳴った。ドアを開けると、彼女が立っていた。

「こんにちは」

「ああ、いらっしゃい」

私は微笑みかける。彼女は俯き加減でモジモジしている。

「どうかしたかい?」

「あの、この前はすいませんでした」

「気にしないでくれ。怪我もなかったんだから」

「でも、結局最後まで送っていただけなかったし……」

「それも大したことじゃない。それより、君さえ良ければ上がっていくか?」

「えっ?」

「お茶くらい出すけど」

「えっと、じゃあ、ちょっとだけ」

「分かった」

彼女を部屋まで案内する。彼女は物珍しげにあたりを見回していたが、やがて居心地悪そうに身を縮こまらせた。

「まぁ、適当に座っててくれ」

「はい……」

「ところで君は、戦時中に日本が犯した罪についてどう思う」「えっ?」

「例えば、真珠湾攻撃とか」

「うーん、卑怯だと思います。奇襲なんて正々堂々と戦う気がない証拠だし」

「そうだよな。じゃあさ、もし、それが自分だったらどうする? 自分の国が他国から攻撃を受けたら」

「それは……」

「うん?」

「反撃します。だって、戦争だから……」「じゃあ、相手が何もしなければ?」

「攻撃はしなかったかもしれません」

「そうか。でも、相手は攻撃を仕掛けてきた。その結果、日本は多くの国を巻き込んでしまった。そして、今もその責任を追及されている。これは、許されることなのかな?」

「許されないことだとは思います」

「だよな。じゃあ、君ならどうすれば良かったと思う?」

「……」彼女は考え込んだ。

「答えはすぐ出さなくていいよ」

「いえ、大丈夫です。……多分、私も同じようなことをしてしまったんじゃないかなって思ってたんです」

「どういう意味だい?」

「真珠湾のことですよね? あれってアメリカが先に仕掛けてきて、それで仕方なくやったんですよね? それなのに、日本の方からも騙し討ちをしたみたいに言われてるし」

「確かにそういう見方もあるね」

「でも、当時の世界情勢を考えると仕方のない部分もあったのかなとも思っちゃって」

「というと?」

「アメリカがハワイを攻撃して占領したことで、アメリカの力が強まったのは事実だと思うんです。中国やイギリスが警戒して日本に圧力を掛けてたのも本当だろうし。でも、それって今の私たちの状況にも言えると思うんです」

「ほう?」

「ほら、私たちは経済大国になったけど、色々と問題も多いじゃないですか。原発の問題とか、温暖化対策とか」

「なるほど。つまり、君が言いたいのは、武力行使が必ずしも最善の手とは限らないということか」

「はい。それに、そもそも、戦争自体が良くないことですし」「そうかもしれない。だけど、君の言うことも一面的だと僕は思うよ」

「えっ?」

「人間は弱い生き物だ。特に権力を持つ者にとっては尚更だ。自分が生き残るために他者を犠牲にするのは当然の行為であり、また、時には積極的にそれを行うこともある。そういった意味では、人間は常に戦い続けていると言ってもいいのではないだろうか」

「……」

「もちろん、そんなことはしたくないし、してはいけない。しかし、それでも人は戦わなければならない時があるのではないかと思うんだ。そうでなければ、この世界に平和など訪れるはずもない。違うかい?」

「それは……」

「ただ、今の時代においては、少なくとも、誰かを傷付けるための戦いだけは避けなければならない。なぜなら、それをやってしまうと、そのツケを払うのは僕たちではなく他の人たちになるからだ。僕らが戦うべきなのは自分自身であって、決して他人じゃない」

「……」「だから、君は自分を大事にするべきだ。そのためには、自分の感情を殺すのではなく、しっかりと向き合うことが重要になってくる」「私の、感情に……」

「ああ。自分の心の声を聞くんだよ。そうしたらきっと見えてくるはずだ。本当の君が。そうやって初めて、君自身が本当にしたいことが見えてくるんじゃないだろうか」「私が、本当にしたいこと……」

「そうだ。君は一体何を望んでいるのかな?」

「私は……」彼女は再び黙り込んでしまう。だが、「私、もう帰ります」と言ったきり、それ以上は何も言わなかった。

それから一週間後。

私は彼女に呼び出されて公園に来ていた。彼女はベンチに座っている。

「何か用かい?」と声をかけるが返事はない。

そこでようやく私は気付いた。彼女はもうとっくに死んでいたんじゃないか。そう思った途端、彼女の体が透けていく。やがて、完全に消えてしまった。

その後、警察から連絡があり、彼女が自殺を図ったらしいことが分かった。

「お世話になりました」

そう言って、彼女は頭を下げた。

「ああ、こちらこそ」

そうして、彼女は去っていった。

ふと空を見上げる。今日は雲一つない快晴だった。また小説を書いてみるのもいいかもしれないと思った。

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