出会い

 私の名は藤堂愛里栖とうどうありす。二十五歳の私は、藤堂物産で父でもある社長の秘書をしている。自分で言うのも恥ずかしいが、そこそこの美形だと思っている。

 困ったことに父は最近になって、さかんに男性を近づけようとする。娘を最高の男と結婚させることこそ、親の愛情だと思っているのだった。

 ついこの間も、社内で大規模なパーティーが開催された。社員たちの福利厚生が表向きの名目だが、私の相手を捜すのが本当の目的だった。社外から将来有望な御曹司や若手官僚、はたまた医師などの男性が集められていた。それもイケメンばかり。

 しかし、私は全く興味が持てず、すべて撃退した。その結果、優秀なイケメンたちはすべて肉食系女子社員の餌食になってしまった。

 これは私の責任ではない。それどころか迷惑以外の何物でもなかった。

 私は、小学校から大学まで一貫教育の超お嬢様学校に入れられ、送り迎えは運転手付きの車だった。つまり小学校に入学した時から「男」というものを感じる機会が皆無だったのだ。私には「男」がどのような生き物なのかさっぱりわからない。

 大学生の時、女友達に誘われてアダルトビデオを観たことがある。半分だまされて一緒に観る羽目になったのだが、


 は?


 という感じであった。男と女が裸になって抱き合い、生々しい声を上げている。隣の友達は大興奮のようだったが、私には、なにが面白いの? としか思えなかった。


「愛里栖」

 ある日帰宅すると、父に呼ばれた。

「はい」

「よく聞きなさい。お前も二十五歳、立派なレディだ」


 来た。政略結婚の話だ。


「あ、で、でも……」

「いつまでも実家で親と住んでいては、彼氏も出来んだろう。一人暮らししなさい」


 は? これまでとは真逆の展開に唖然とする。


「セキュリティ万全のマンションを用意しておいた。なるべく早く引っ越しなさい」

「ちょ、ちょっと待って……」

「愛里栖、いい恋をするのよ」

 お母さんまで……。


 真相はこうだった。

 兄の光一が結婚することになった。お相手の絵美さんはとてもいい人で、両親と一緒に住んでくれることになっていた。

 つまり、私が邪魔になったのだ。

 マンションは、私が結婚した時のために用意しておいたものらしい。

 

 でもまあ、そう言うのなら仕方ない。引っ越してみると、タワーマンション三十階のハイクオリティな物件で、部屋が四つもある。いくらなんでも一人暮らしには広すぎる。

 しかも寝室にはキングサイズのベッド。一人で寝てみると妙に寂しい。

 夜、テラスに出ると眼下に広がる光の海。孤独の波が押し寄せてくる。


 いったい、どうしろと言うの?


 家の中のことは、すべて家政婦さんがやってくれる。料理も掃除も洗濯も。

 帰宅すると、用意してある夕食を一人で食べる。

 私はなぜこの家にいるのだろう。


 秘書室。目の前の電話が鳴っている。

「はい、社長室です」

「受け付けです。十時にお約束の、伏木野ふしぎの法律事務所の方がお見えです」

「ありがとうございます。お通しください」

「かしこまりました」


 五分ほどして社長室の受付に、一人の男性が現れた。

「いらっしゃいませ」

「お世話になります。弁護士の伏木野邦夫です」

 それが私と伏木野弁護士との出会いだった。

 高級感あふれるスーツ。真っ白なワイシャツ。趣味の良いネクタイ。磨き込まれた革靴。歳は四十を少し過ぎただろうか。健康的で端正な顔立ちは、まるで俳優のようだ。

「今回、こちらの顧問弁護士に任命されました。今後、よろしくお願いいたします」

「は、はい、こちらこそ。どうぞこちらへ」


 その日の勤務時間終了後、社長に呼ばれた。

「藤堂君、お疲れさま」

「はい、社長」

 私たちは会社ではあくまで社長と秘書だ。

「折り入って相談がある」

「何でしょう」

「弁護士の伏木野先生なんだが……」

 伏木野弁護士はもともと札幌に事務所があり、何人かの若手弁護士を抱えている。奥様は病気で亡くなって、今は独り身と言うことだ。藤堂物産の顧問弁護士就任にあたって、札幌と都内の二重生活となる。

「こちらで仕事をする時はホテル暮らしになるそうだ」

「はあ」

「そこでだ、先生がこちらにいる時は、食事のお世話をしてほしいんだ」

「お世話と言うと?」

「藤堂君の家で、一緒に夕飯を食べてくれればよい。食事は二人分頼めるだろう?」

「問題ありません」

 あのだだっ広い家でポツンと一人食事するよりはマシかもしれない。

 イケオジだし。


 社長から話があったらしい。しばらくして、伏木野弁護士は恐縮しながら私の家にやってきた。

「これは、お礼と言うか、お口に合うかわかりませんが……」

「わあ……」

 シェ・マルイのフィナンシェだった。人気ナンバーワンのパティスリーである。

「ありがとうございます」

 言葉が弾む。

「でも先生、これからはお気遣いなく」

「いえ、お世話になるので。なんだか申し訳なくて」

「家政婦さんが作ってくれますので、一人分でも二人分でも変わりません。さ、こちらにどうぞ。いまお味噌汁を温めますね」

 ご飯をよそい、味噌汁を並べる。

「どうぞ」

「いただきます」

 おかずは鰆の西京焼き、野菜の煮物、酢の物という和食のフルセットだった。

「お口に合いますか?」

「はい、とても優しい味ですね。東京に出てくると、どうしても外食が多くて。味が濃いんですよね」

「家政婦さん、料理が上手なので。あ、でもすみません。明日から三日間、家政婦さんが休みなので、私が作ることになります。味が落ちるかもしれませんが……」

「ああ、お仕事もあるのに申し訳ありません」

「社長から、これも大事な仕事だと言われておりますので」

 伏木野弁護士は、ふっと遠くを見るような目をした。

「妻が生きている頃、こんなふうに食事を作って迎えてくれたんです。そんな家庭的なことを、もう忘れかけていました」

 なぜだろう、胸がチリっとした。

「奥様は、料理がお上手だったんですか?」

「上手と言うより、一所懸命に作ってくれることがうれしくて」

 ああ、この人は本当に奥様を愛していたんだ。

「奥様が亡くなられて、寂しいですね」

「ええ。ただ、妻の母親つまり姑になりますが、いまだに世話を焼きに来るんですよ。娘が早く亡くなって、私が一人になったことが申し訳ないと。そんなこと考える必要は全くないんですがね。とにかく、私に再婚相手が見つかるまでは健康管理は責任を持つとか……」

 それもまた大げさな話だが、それだけ良い夫だったということだろう。

「実はこちらの社長と姑は古くからの知り合いなんです。その縁で今回の仕事もお引き受けしたのですが、姑がある条件を出しました」

「もしかして」

「そう、私が東京にいる間は外食ではなく、手作りの夕食を提供しろと。全く厄介な話です」

 なるほど、そういうことか。

「先生、私は奥様の代わりにはなれませんが、少しでもくつろいで頂けるなら、これからもおいでください」

 なぜだか、そうしたい私がいた。


 


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