願望ノート
竹善 輪
第1話
「今日からあなたのお兄ちゃんになる薫君よ」
「仲良くしてね、小春ちゃん」
そうして差し出された手は冷たかった。冷たい手の人は心が温かいなんて誰かが言っていたけれど、そんなの嘘だと思う。この時、私の一つ上の兄となった薫は外面だけは良い優等生の中身は横暴な奴だったのだから。
***
「おい、小春、弁当まだかよ。卵焼き入ってんだろうな」
「うるさいなぁ。もう、なんで私がこんなに早起きして薫の弁当作んなきゃならないのよ。薫が一声いえば作ってくれる女子がわんさかいるんでしょうが」
「仕方ないだろ、誰かに頼めばどっかで争いごとが起きるの。母さんの弁当だって言ったら文句言われないだろ?
「……はあ」
「それとも、働いてる母さんをこんな朝早く起こして作らせる気かよ」
「そんなことは思ってないけど」
「だったら黙って作れよ。『頑張ってね、お兄ちゃん』くらいのこと言って送り出しても罰当たんねーだろ」
「……ガンバッテネ、オニイチャン」
薫は中性的な容姿に反して剣道部の主将をしている。しかもそこそこ強い――嘘です。全国大会に出るほどです。少し茶色に見えるサラサラの髪に茶色の色素の薄い瞳。中性的に美しい顔なのに意志の強さが眉の上り具合でうかがえる。当然、学校でもファンが沢山いるし、義理の妹の私にもその余波が来ることもある。
学校では王子様とかあだ名がつくほどの薫だが、私の前ではいつも理不尽。小さい頃から好物を横から攫われたり、お気に入りのぬいぐるみにいたずらされたり、はたまたお友達に難癖付けたりとやりたい放題だ。けれど学校では猫被って人当たりのいい優等生なものだからやたら人気が高い。
学校では血がつながっていないことは内緒だ。
私が薫と家族になったのは十二年前、薫が六歳。私が五歳の頃だ。お互い親同士が連れ子の再婚で、再婚後は引っ越したので、その事実を知る人はいない。私も自分の立場が危うくなるのに敢えて言うつもりもない。ただでさえ似ていないので、それだけで気に入らない連中に悪口を言われたりやっかまれるのに、血が繋がってないとか知れたらどんな目にあうか分からない。そもそも、薫が恋人を作ってくれたら皆の目がそっちに行くのに、彼は今まで彼女がいたことがない。性格悪いのがバレるのが嫌なのかな。
母は薫の実母。父は私の実父だったが、それが三年前に父が他界してしまった。母の知恵さんは私に、もう実の娘なんだから。と言ってくれて、そのままこの家で三人で生活している。薫が言うように私たちの為に知恵さんが働いてくれているわけだし、お弁当を作るのはいいのだけど、毎回さも当たり前のように私に作らせる薫に腹が立つ。しかも試合の場所が遠い時は四時起きになる時もあるし。もう少し感謝の気持ちがあってもいいと思う。
「じゃ、行ってくるわ」
「……」
「おいっ」
「……ガンバッテネ、オニイチャン」
チッと舌打ちするくらいなら強要しなければいいのに。ふうあああ。眠い。もうひと眠りしようっと。
***
「もう、なんだよ。」
日曜日もまたお弁当を作って朝からまた薫を送り出し、二度寝から起きれば洗濯機には山盛りの洗濯物。
くそう。誰のおかげで綺麗な道着着て試合が出来てると思ってるんだ。毎回、毎回、当たり前みたいに出して!
色物とジャージの練習用は分ける。試合用の道着は手洗い。はあ。大変。残りは普段着と学校のカッターシャツは襟と袖口をこすってから洗濯機に入れる。晴れてて良かったよ。
もう、土曜日の朝から日曜日は毎週大抵これなんだから勘弁してほしい。せめて土曜日に負けていたら日曜はいかなくていいだろうに。
「おはよ~。小春ちゃん。」
「あ、知恵さん、おはよう」
「ごめんねぇ。家事任せちゃって。薫、ちゃんと行った?」
「うん、行ったよ」
「最後の大会だから気合入ってるんだよねぇ」
「きっと、勝つだろうけど」
「まあ、ねぇ。うふふ。小春ちゃんに優勝のメダルをあげるために頑張ってるようなもんだからねぇ」
「それ、手入れがメンドクサイだけだから!」
薫は毎回優勝すると私に盾とかメダルを渡してくる。自分の部屋に飾ればいいのに、管理がめんどくさいとかなんとか。もらえなかった人が可哀想! って思うから管理はするけど、もう、いい加減にして欲しい。
「薫も難儀な性格だなぁ」
「ほんと、私に横暴すぎる」
「まあまあ、小春ちゃんに甘えてるのよ。ごめんね」
「あ、知恵さん、洗濯物は私が干すから朝ごはん、食べちゃってて」
「うう。私も相当小春ちゃんに甘えてるなぁ。大好きよ」
「私も知恵さん、大好き。いつも働いてくれてありがと」
「あー。娘がいて良かったわぁ」
昨日も土曜出勤で知恵さんは遅かったのだ。今までの頑張りが認められて課長さんになるらしい。きっと知恵さんも子供が二人もいなければもっと楽に暮らせるに違いない。少しでも知恵さんの役に立てればいいんだけど。
「はあ」
かといって私一人が家事を請け負うのも腹が立つ。しかも、薫は手伝うどころか増やす一方だし。洗濯物を干し終わって自分の部屋に入る。
過去一回だけ試合を見に行ったことが有る。いつもの薫とは違って真剣な顔をしていた。あれは、誰でもカッコいいって素直に思うと思う。あの時、たしか何かあってそれから私は試合を見に行かなくなって……薫がメダルを持ち帰るようになった。
何だったかな。嫌な思いしたのは確かなんだけど。
まあ、いっか。どのみち薫に腹が立つのには変わりない。
この鬱憤どう晴らしてくれようか。
机の上にはこないだ購入したピンクのノートが乗っていた。
***
「おはよー」
朝食に目玉焼きを焼いていると知恵さんと薫がダイニングに入ってきた。いつもならただ座って朝食を食べるだけの薫が今日は違っていた。
「母さん、はい」
「あら。ありがと」
薫は新聞を取ってきて、朝食のコーヒーを皆の分コーヒーメーカーからコップに注ぎ、トーストを三枚分セットしてくれていた。
「……」
あり得ない。いつも私が頼んでもしないのに。
「なに? 俺の顔になんかついてる?」
「いや、何も……」
なんだか釈然としないが手伝ってくれたことは確かだ。薫は改心したのだろうか。ちょっと心に引っかかりを感じながらもその日は一日を過ごした。
次の日。
やっぱり薫は家事を手伝ってくれた。朝、先に起きて洗濯ものを干してくれていたのだ。
急に……どうしちゃったんだ。
うーんと考えながらふと、机の上に乗ったピンクのノートを開いた。そういえば、薫への愚痴を書いた。
「ん?」
……最初のページにはどうせ起きているのだから新聞を取ってきてコーヒーやトーストの準備をしろ、と書いていたのだった。
あれ?
次の日は予約しておいた洗濯物を干せと。
あれれ?
これ、私が書いた日に薫がちゃんと手伝いしてくれてる??
私の部屋には鍵がかかっているから薫は部屋には入れないし、ノートも見れない。
まさか。このノート……魔法のノート??
いやいや、そんなはずは。
そう思って私はノートに続きを書いてみた。
***
「俺はいいよ。小春にやる」
「え。」
「なんか、急に腹いっぱいになった」
そう言ってくれたのは薫の分のシュークリームだった。
――在り得ない。ありえない!!
薫は無類のシュークリーム好きなのだ。しかも薫の大のお気に入りのケーキ屋さんで知恵さんに頼まれてわざわざ買ってきていた。それを奪うことが有っても私に譲るなんて、信じられない……。
やっぱり、あのノートは書いたことが起こるんだ……。凄い。
「食べないのかよ?」
「う、ううん」
急いで薫の前でシュークリームを頬張った。薫は私を不思議そうに見ていた。
***
部屋に戻った私は部屋の中をウロウロした。これは、すごいものを手に入れてしまったのではないか? いやいや、待て待て。偶然だってこともあり得る。
そう思った私は今度は薫以外の人の名前を書いた。
「小春ちゃん、このバッグ私は使わないんだけど、使う?」
そう言って知恵さんが差し出したのは私がこっそりいいなぁって思っていた知恵さんの持っていたブランドのノベルティのエコバッグ。そのブランドのお店でキャンペーンのときに購入しないともらえないものだ。
「え……いいの?」
「おまけだし、小春ちゃんが使ってくれた方が嬉しいよ」
「う、嬉しい! ありがとう! 知恵さん!」
「ふふ。こんなもので喜んでもらって嬉しいよ」
ニコニコ笑う知恵さんからエコバッグを受け取る。
――昨日私がノートに書いたのは知恵さんにこのバッグを貰うってことだった。
やっぱり、このピンクのノートは私の願望を叶えてくれるらしい。凄い!!
***
次は何を書いてみようかと頭を悩ませていると薫の噂が耳に入ってきた。
「小春ちゃん! ねえ、あの噂って本当なの?」
「噂?」
「今、学校中あの噂で持ち切りだよ! 栄沢先輩が入江先輩に告白したって!」
「え!? あの、美人で生徒会長の栄沢先輩がお兄ちゃんに!? 美男美女カップル誕生じゃん! すごーっ!」
黒髪の艶やかな美人でスタイルのいい栄沢先輩を思い浮かべる。あの人が薫の彼女に!?
「それが、誕生しなかったらしいよ」
「え? どうして?」
「入江先輩断ったらしいよ?」
「も、もったいない!」
「……ずっと好きな人がいるって言ってたらしいよ?」
「ずっと好きな人?」
「そーなのよ。それで皆、それが誰かって騒いでるんだよ。小春ちゃん、妹なんだから知らないの?」
「んー」
小さい頃からの薫を思い浮かべる。薫にそんな対象になるほど接触していた女の子がいるだろうか。うーん。いつも私が大事に抱っこして寝ていたぬいぐるみの顔に『薫』とマジックで名前を書いて意地悪してきた小学校時代の薫。親友になりたいと言ってきた桃子ちゃんが薫のファンだと知って意地悪して桃子ちゃんを遠ざけてしまった中学校時代の薫。大会で優勝するとドヤ顔で家に帰ってきてメダルを私の首にかけたがる迷惑な高校生真っ盛りな薫……。
――あ、ちょっと腹が立ってきた。
「で、そんな人思い当たる?」
「思い当たらない」
「そうなのかぁ……教えてもらったりしないの?」
「いてもお兄ちゃんが私に言うわけないよ。」
そう、断言できるね。あの薫が私に好きな人が誰かなんて秘密をしゃべる筈がない。
そんな会話を友達として帰ったその日、私はピンクのノートを見て考えた。
これは、いつも偉そうにしている薫の最大の弱みを掴むことになるのではないかと。それをネタにすればノートに毎日して欲しい事を書かなくても薫は家の事をしてくれるのではないだろうか。実際、このノートに書きこめばその通りに家事を手伝ってはくれるけれど、全然継続性がないのだ。ぶっちゃけ書いたときにしかその効果がない。
そして、私はノートにこう書きこんだ。
――薫が私に好きな人を教える
と。
***
「小春、いるのか?」
その日は仕事で遅くなると知恵さんからスマホに連絡が入ったので薫と二人で夕食を食べた。何故か『寝るときはちゃんと部屋の鍵をかけるように』と念を押す知恵さんに『はいはーい』と熊のスタンプで返しておいた。お風呂に入って寝ようかな、と思っていると薫が部屋に訪れた。
「何か用?」
そんな風に薫に聞いておいて心臓がバクバクしていた。だって、この流れからするときっと薫は私に好きな人を明かすのだ。
「あのさ、聞いて欲しいことがあるんだ」
その言葉で私は確信する。あの、薫が好きな人の名を私に告げようとしているのだと!
「う、うん……」
「俺には昔っから好きな女がいる」
「うん……?」
昔から? ジッと私を見つめる薫にたじろぐ。昔から薫の近くにいた女の子なんていただろうか。
「そいつに出会ったその日に俺は運命を感じた。そして、嫁にすると決めた」
「ふ、ふーん……」
「ちなみに母さんも知っている」
「知恵さんが?」
知恵さんも知っている女の子か。誰なんだろう。
「そして、その女はものすごく天然で鈍感だ。俺のアプローチをことごとく無視している」
「へー……」
「お前だ」
「……」
薫が突然、宇宙語を話し出した。
「俺はお前が好きだ。そして、嫁にするつもりだ」
薫が私に近づいてくる。混乱し、後ずさった私は勉強机の椅子に追い込まれて座ってしまった。
トントン、と薫が私のピンクのノートを人差し指で叩いた。
「??」
「開いて見ろ」
薫の勢いに負けておずおずとノートを開く……
「えっ!?」
――薫に告白されて恋人になり、将来結婚する
ノートにはそう、書いてあった。
そして、私はその日のうちにファーストキスを失った。
薫が私のノートを盗み見ていたことは間違いなく。ノートに書かれた事はやはり現実になるのであった。
願望ノート 竹善 輪 @macaronijunkie
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