第27話 本能
鬱蒼と生い茂る森林。深い木々に覆われた地には陽光すら届かず一日の大半が暗闇と供にある。
森には動物の声ひとつなく響くのは何処からともなく聞こえてくる女の笑い声のみ。クスクス、クスクスと姿の見えない何者かの笑い声に気の弱い彼は怯えながらも虚勢を張ってノシノシと大股で歩いた。そうゴブリンである彼には怯えて震える事すら許されないのだ。同族に弱味を見せるのは未だ外敵のいないこの世界で最も死に近付く行為なのだから。
「ギャガッ」
隊列を組んで歩いていたゴブリンの一人が足下で蠢いていたスライムを踏み付けて盛大に転んだ。
その様を傍で眺めたゴブリン達は一斉にヒヒヒヒッと笑い出しドジを踏んだ同族を嘲る。次の生贄は決まった。アイツだ。何かがあればアイツの責任として袋にされるのだ。ゴブリンのヒエラルキーは容易く下落し戻る事はない。その前に大抵の者は死体となっている。
「ガァッ!」
怒り狂った転んだゴブリンが手に持った木の棒で踏み付けたスライムを滅多矢鱈に殴打する。あっという間にスライムの亡骸はバラバラになり土の肥やしとなっていく。救いは最初に踏み付けられた時には既に死んでいた事だろうか。この軟体生物は余りにも脆く暴虐を振るっても面白くはない。やはり悲鳴を上げる肉袋の方が虐めがいがあるのだろうなと彼は同族の胸中を察した。
特に数が多くよく鳴く犬顔は同族の嗜虐心を満たしてくれる有り難い存在だ。同地帯には言葉を発する樹木もいるのだが、あちらは意外と身体が頑丈で危害を加えているとこちらの身体にも結構な反動が来る。小さいのはそこまででもないが、それに手を出すと狂女に恐ろしい目に遭わされる。一度、痛い目にあってから彼は言葉を発する樹木には近付かなくなった。
「グァッハ」
気が済んだ同族が振り回していた棒を満足して下ろすのと、近場にいた巨大な人影が同族の頭へと手を伸ばすのは同時だった。
「おう、満足したか?」
「ギィッ」
いっそ優しげに声を掛けた巨大な人影は笑いながら同族に声を掛け、片手で首を絞めたまま少しずつ持ち上げていく。
声にならない悲鳴を漏らしながら首を絞められた同族は口から泡を吹きながら暴れていたが、コキっと鈍い音を立てたのを最後に動かなくなった。
「止まるな」
周囲に一瞥をくべると、緑の肌を持った巨大なゴブリンはゴミでも捨てるかのように同族を放り投げ再び歩き出した。
無言で大ゴブリンに従って歩き始めた同族に続く彼は恐ろしさと不快さに顔を歪めた。大ゴブリンは第二世代。第一世代である彼より本来ならヒエラルキーは下であるべきなのだ。
だが、そんな事は言い出せない。不満を我慢できなかった第一世代の同族は皆、殺された。
生き残りたくば従うのが賢い選択肢なのだ。そう、彼はゴブリンらしくない理性のもと判断した。
◇◆◇◆
「それじゃ僕はバニラとチョコの試作をしてくるから。苗木トレントの世話はよろしくね」
「はい。女神様」
陽光の差す中、風の小精霊の笑い声と共にふわりと広がったスカートを押さえ、もうと頬を赤くした女性に何故か心臓が高鳴って思わず私は胸に手をやった。仄かな膨らみは女神様やアウルムさんと比べると悲しくなるほど小さい。何処か中性的な言葉遣いをする女神様だけど身体は誰よりも女性らしく魅力に溢れている。下半身の蛇体が人間の上半身を持ち上げていて背が女神様より二回りほど高いラミアのアウルムさんに抱きしめられてた時は可愛らしくて思わず目が惹き付けられてしまった。
サラッと宙に舞った緑髪を梳く手が白くきめ細やかで綺麗でうっとりする。女神様と初めて対面した時は衝撃で息が詰まったくらいだった。
助けて頂いた御礼もろくに言えてないと気付いて後で謝罪したのだけど、私達の反応に苦笑した女神様はニンフ種族の性的魅力バフの影響っぽいから気にするなと肩を竦められていた。
ゲームをした事がない私達には本来なら通じない表現なんだけど、眷属となった際に幾つかの知識を刻み付けられているから女神様が言いたい事は分かる。今もプルンとした唇に無意識に視線が引き寄せられてしまうもの。うう……今までこんな気持ちになった事なんてないのに。ずっと女神様を見てるとモジモジしてきて堪らなくなる。
「ナフィーサ行こう?」
私の手を握って同じダークエルフとなった女の子アルマが笑顔でログハウス前の広場へ行こうと促してきた。幼いせいか私達ダークエルフの中で唯一アルマだけが女神様に魅了されてない。こうやってボウッとしてると彼女に正気に返される事が多かった。私の方が年上なのに情けない。
「うん」
キュッと手を握り返して一緒に走ると嬉しそうに笑ってアルマははしゃぐ。路上で意識が朦朧とする前は面識なんてなかったのだけど元気で可愛らしい娘だ。
従兄弟のアミールもアルマの元気さに釣られて朗らかに笑うようになったし良かった。ここに来るまでは張り詰めた余裕のない表情しか見なくなっていたもの。
「アルマ!」「ナフィ!」
「ご飯の時間?」
「こっちこっち、こっちに先に来て!」
「駄目! ボクたちの方が先!」
キャイキャイと喧嘩をしてる声が行き先から聞こえてくる。女神様が地に植えた枝から誕生した苗木トレント達。
ノーマルトレントと果樹トレントの子供達は自分達の方が先に住んでいたとか、自分達の方が重要なポジションだとか何時も喧嘩が絶えない。人間だった頃は植物がこんなに元気よく喋るだなんて想像できなかった。
「ほら喧嘩しないの!」
それにアルマがお姉さんっぽく注意をして、大人トレント達も微笑ましそうな笑顔を浮かべて今日も何時もの一日が始まる、はずだった。
◇◆◇◆
「やれ」
押し殺した大ゴブリンの声に従って同族が喋る樹木のある広場へと雪崩れ込んでいく。
遠目に見えるのは人型のメスが2匹と喋る樹木。ギヒヒと下卑た笑いを零す同族のゴブリンは暴力を振るうだけでは満足できないのか、欲望を下半身にみなぎらせている。この後、何が起こるかは明白だった。それは明らかにあの狂女が敷いたラインを超える行為だ。眷属となった事で性能が上がった頭脳が悪戯では済まないと彼の脳裏で悲鳴を上げた。
「そうだ。我らはゴブリン」
大ゴブリンは満足そうに笑みを浮かべている。このゴブリンが第一世代のゴブリンの殆どを殺したのはこの為だったかと彼は顔をしかめた。
悪戯で終わらせるつもりなどないのだ。この規格外の同族は。
彼は目標に近付きつつも少しずつ木々に紛れて群れから離れ始めた。
鬱蒼と生い茂った森がゴブリンの数の多さも相まって彼の姿を覆い隠してくれる。何時もは薄暗くて肌寒くて陰気くさい森だと悪態を吐いていたが今日だけは感謝しなくもなかった。
「悪逆なるもの」
逃走しながらもゴブリンとして正しいのはどちらか彼も分かっていた。
おそらくこの場にいる同族は全て死に絶える。だが、それと引き換えにあのメス2匹の殺害に成功すれば今まで以上にゴブリン種族は繁栄の道を突き進むのだ。
声が聞こえる。
暴虐を振るえと。獲物の隙を見逃すなと。全てを地獄に叩き落とせと。
そう言って来る本能の声と同族の雄叫びに耳を塞ぎ、彼は一人ただ走り続けた。
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