視線
告白。
七瀬さんに、私の気持ちを伝える事。
それはもう、儀式のように神聖なものに感じられて躊躇してしまいそうになる。
実際、本人を目の前にして、しっかりと伝えられるだろうか。多分、無理。辿々しく、目線は彷徨って、両手足は震えて、絞り出す声も
それでも言わなければ、伝えなければ前に進めない。わかってもらえない。
でもいつ言おう?今日、これから七瀬さんの所へ行って、玄関が開いて彼が顔を出したらすぐ言うの?そんなの無理だ。彼の顔を見てすぐなんて。
そもそもそこで振られたりしたらどうするの?気持ちを切り替えてご飯作りに来られる?それも出来そうに無い。落ち込んでご飯も食べられない未来しか見えない。
いけない!なんか緊張してきた。
もうすぐ七瀬さんの家だ。夕飯の支度と片付け、そして勉強。私が望んで決めた事だ。尻込みしている場合じゃない。取り敢えずはやるべき事をやって……
……ん?
くるっと振り返った。街中なので人通りはあるし車も走っている。その中で誰かの視線を感じたのだけど、やっぱり見知った顔は見当たらなかった。何だろう、緊張していて神経過敏になってる?
学校で和泉君と会った後あたりから、ちょくちょくこんな感覚に襲われている。南雲さんと会ったり、買い物の最中には気にならなかったけど……まさかストーカー?だとしたら誰?
和泉君?いやそんな人じゃない、筈。南雲さん?なワケないか。あの人がそんな隠れてコソコソとか想像出来ないし、女性ストーカーとか怖すぎるし。と、そこであるものを思い出した。
学校裏サイト。
私は周りが見通せる路肩に身を寄せて、荷物を下ろしてスマホを取り出した。
凛から一応、サイトのURLとパスワードが送られては来ていたけど、怖くて一度も目を通してはいなかった。
恐る恐るURLをタップしてパスワードを打ち込んだ。某巨大掲示板のような体裁のタイトル群からそれっぽいタイトルを、タップしようとしてやめて、やっぱりタップした。
そうしたらいきなりこんな書き込みが。
『悠真振られたってよ。マジか』
『中庭にいる二人を見たって奴が言ってたわ』
『さすが姫だな、英断だ』
『和泉、姫に縋りついてたらしいぞw』
『あ?桜井が悠真に言い寄ってたんじゃないの?』
『良かった、ヤリチンの魔の手から逃れたのか』
『ついにオレの出番か?』
『和泉の後に桜井に近づこうとかバカなの?』
『桜井如きが悠真君を振るとか調子乗り過ぎ』
『これでビッチに目が眩んでいた悠真キュンも目が覚めただろう』
『やった!天使葉月がフリーになった!』
何これ!もう今日の事が知られているの?!誰も見ていないと思っていたのに……でもあんなオープンな場所だし全てを確認したわけじゃない。
この書き込みを見た誰かに尾行されているの?いや姿を見た訳じゃないし、気のせいであってほしい。
きょろきょろと周りを見渡す。道行く人達が、全員怪しく思えて恐怖を感じた。
気のせい。気のせい。そう自分に言い聞かせながら七瀬さんの所へ急いだ。
ネイビーブルーの家が見えてきた。途端に安堵の気持ちに胸を撫で下ろす。大丈夫、もう変な視線は感じない。やっぱり気のせいだったんだ、大丈夫。
七瀬家の門の所まで来て、何気無く来た道の方に顔を向けた時だ。数十メートル先の曲がり角に何かが一瞬見えて、すぐに引っ込んで塀に隠れた。
「え、なに……?」
何かが居た場所をじっと見つめる。距離が遠いのでよく見えないけど何か、曲がり角の塀のシルエットがなんとなく動いたような気がする。更に目を凝らすと、すっ、と塀の向こうにその影のようなものが消えた。
「ひ……」
怖くなって、七瀬家の敷地に逃げ込んでインターホンを何度も鳴らす。
「七瀬さん、七瀬さんっ、早く……!」
でも誰も応答する様子が無かった。私は恐怖と焦りで半ばパニック状態になってしまって、玄関の扉を叩いて大声で彼を呼んだ。
「七瀬さん!開けてっ!だ、誰かがっ!」
「葉月ちゃん!どうしたの!」
「きゃああっ?!」
突然、玄関と反対の背後から声が掛かって、悲鳴を上げながら扉を背に声の主を見た。
玄関から出てくる筈だった七瀬さんが、何故か後ろから現れるという事態に、私の思考は働かないでいた。
「……あ、な、なせ、さん」
「大丈夫?そんなに慌てて何があったの……」
「七瀬さんっ」
「うわわっ?!」
思わず七瀬さんの胸に飛び込んでいた。恥ずかしいなんて気持ちは微塵も無く、ただただ大好きな人の姿を見て、泣きたい程嬉しかった。
「ホントにどうしたの、葉月ちゃん?」
「誰か、何か、ついて来て……怖い」
「え!どこに!」
彼が周りを見渡している様子が、彼の胸に顔を
「葉月ちゃん、先に家に入って鍵を閉めて」
「えっ」
「様子を見て来る」
「え、でも、もし危険な相手だったら!」
考えてみれば学校の生徒が尾行してくるというのは考えにくい。そんな事をしなくても学校で会えるのにわざわざ尾行の必要はあるのか?自宅の特定でもしようというのか。特定してどうしようというのだ。だとすれば危険な相手となりうる。身の危険を感じるけど、今は一人でそれを確かめようとする七瀬さんが心配だ。なにしろ彼は怪我をしているのだ。
「大丈夫、危なそうな相手だったら写真を撮って警察に通報するから。すぐ戻るから」
「本当に気を付けてくださいね」
「わかった。そこの角だね?行ってくる。入って鍵閉めて」
言われた通り玄関に入って鍵を掛けた。扉に付いている丸い覗き窓で外を伺うと、七瀬さんが走って出て行く所だった。その姿が見えなくなった所で、私は扉を背にしてしゃがみ込んだ。気が抜けたような、いえ、七瀬さんが出て行った事で心がざわめくような。ここは七瀬さんの家なのに落ち着かない。彼が帰って来るまでは。
モヤモヤした気持ちで、しばらくその場でしゃがんでいるとインターフォンの音が鳴った。
すかさず立ち上がって覗き窓を見ると、七瀬さんが笑顔で軽く手を上げている。すぐに鍵を開けてドアを開いた。
「七瀬さんっ、大丈夫ですかっ!」
「ああ、なんともないよ。誰もいなかったしね」
苦笑して肩をすくめる七瀬さん。
「そうなんですか……でも良かった」
「周辺を歩いてみたけど、不審な人はいなかったかな」
「ごめんなさい、ちょっと色々あって神経質になってたみたいです」
色々の部分は話せないけど。
「大丈夫?疲れているみたいだけど。無理しなくていいんだよ?」
「いえっ、大丈夫です。疲れてませんから!」
怪我をした七瀬さんのサポートをしに来ているのに、逆に心配させてはいけない。今日は精神的に負担になる事が重なったけど、体は疲れてはいない。
日が長くなってきて外はまだ明るいけど、そろそろ夕飯の準備を始めていい時間だった。私はキッチンを借りて料理に取り掛かる。
「さっきはどこか出掛けていたんですか?」
「うん?ああ、ご近所にちょっと家の用事でね。ごめん、待たせちゃって」
「あ、いえっ、そういう意味じゃなくて七瀬さんが後ろから来たからびっくりしちゃって」
「僕も焦ったよ〜、葉月ちゃん凄く慌ててたからさ」
私はカレーに入れるじゃがいもの皮を剥きながら、
「だって怖かったんだもん」
「え、なに?」
ぼそっと、独り言で言ったつもりが七瀬さんの耳に届いてしまった。でも彼に聞いて欲しい気持ちもあった。
「怖かったんです、誰かに後を尾けられている気がして。ここに来れば七瀬さんがいると思っていたから。……でも七瀬さんいなくて」
何故尾行なんて考えになってしまったかの理由は話せないのに、逃げ込んだ場所に彼がいなかった時の気持ちを解ってもらいたいという我儘から、こんな責めるような事を言ってしまった。
すると、七瀬さんがキッチンカウンターの向こう側から私がいるシンクに回り込んで来て、怪我をしていない右手を私の手に重ねた。
「ごめん、葉月ちゃん。不審者のほうは予想外で驚いたけど、君が今日来てくれるのはわかっていたのに留守にしてしまった。怖い思いをさせてごめん」
「七瀬さん……」
しばし見つめ合う形になって、はっと我に返る。
「あ、あのあのっ、ごめんなさい。我儘言って」
いやいいんだよと言ってニコリと微笑む七瀬さん。
あー我儘を言ってしまった。子供っぽいと思われなかったかな、面倒な女の子だと思われなかったかな。
「う〜……」
「あのっ、葉月ちゃん?僕は何も気にしてないからね?って言うか今謝ってるのは僕だからね?」
「はい……」
気を取り直して手を動かそう。
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