そっか

昇降口で靴を履き替えていると、既に聞き慣れた声が私を呼んだ。


「遅かったね、桜井。部活、休みでしょ?」

「あ、和泉君。わざわざ待ってたの?」


テスト期間中で全部の部活動は休みだ。他の生徒達は既に学校を出て、校内はがらんとしている。

今頃どうしているのか考えたくない美術部の二人と、その他数人の生徒しか残っていない筈だ。

多分、終業直後からここで待っていたんだろう。長い時間待たせて悪い事をした気分になる。


「うん、桜井を待ってた」


そう言って、ニカッと人懐こい笑顔の和泉君。私は考える。この後、私は七瀬さんの家に行かなくてはならない。でも、これ以上和泉君への返事を引き伸ばすのは和泉君に申し訳ないし、学校中の騒ぎが収まらない。


「……和泉君、お話があります」


告白の返事である事は彼も察しがついていると思うけど、穏やかな微笑みを崩す事無く、頷いた。


「わかった。ちょっと場所を変えようか」

「うん」


学校の中庭。二棟ある建物に挟まれた、設置されたベンチと花壇と背の低い樹木が植えられた憩いの場。

そのベンチの一つに二人で並んで腰を下ろした。


今、この中庭には私と和泉君の二人きりだ。ここは所謂告白スポットとは程遠い。大体その手のやり取りは北側の校舎裏とか、体育館と学校の敷地と外を隔てる垣根の間とかだ。そう聞いた事がある。対して中庭は社交の場だ。普通の休み時間とかに、ここに私達二人で居たら大騒ぎになるだろう。前後の校舎の窓という窓から丸見えだし、中庭に出てお喋りする生徒も多い。

職員室があるのは南側の校舎で、中庭は廊下に出ないと見る事が出来ない。つまり、今は先生も生徒も私達がここにいるのは知らない筈だ。廊下に出てきた先生に見つかって、早く帰れと言われる可能性はあるけど。


「……」

「……」


私も彼も無言。私はすぐに話を切り出す事が出来ずに、前方の花壇を見つめたままどう話そうと考えていた。

すぐ隣の彼は、私の言葉を待っているのか口を開かないで、両膝に腕をついて地面に目を落としている。


静かだ。ほとんどの生徒が居なくなった学校は、こんなに静かなんだ。

時折吹く柔らかい風が、中庭の木の葉を揺らす。そのサラサラという音だけが耳に届いていた。


黙っていても仕方がない。話す内容は変わらないのだ。意を決して口を開こうとして大きく息を吸った。が、


「桜井」

「は!はいっ?」


タイミングを見計らったように和泉君が私に話し掛けた。驚いて思わず声が上ずってしまった。

彼は地面を見つめたまま続ける。


「あのさ……俺……」

「……うん、何?」


彼は何を言おうとしているのか。下を見ている整った横顔は、少し寂しそうにも見えた。


「俺……振られる、のかな」

「……」


その言葉に一瞬驚いたけど、すぐにそれもそうだなと思った。

最初に声を掛けられた時から、私は彼に対して逃げ腰だった。私と彼、彼のグループとは性格が違い過ぎたからだ。

ただただ、私は勢いに呑まれていただけ。

返事は後でもいいの言葉に甘えて、ズルズルとここまできてしまったけど、彼はとっくに察していたのであろう。事故の件もある。


「そっか、そっか……そっか〜」


私の無言を肯定と取ったのか、和泉君は目を瞑って天を仰いだ。しばしそうして、ゆっくりとこちらに顔を向けた。その表情は、口元は微笑んでいるけど、眉尻が下がった目元は悲しさを訴えかけてくる。


「そうか、俺じゃ……ダメなんだ」

「ごめんなさい、私は、その」

「事故の時の、あの人?」


私は頷く。そっか、と彼はまた前を向いた。私に好きな人がいる事も察していたらしい。それはそうだろう、あの場面を目の当たりにして私と七瀬さんが無関係とはとても思えないだろうし、ただならぬ感情が潜んでいる事も感じ取れたに違いない。それくらい、あの時の私は取り乱していたのだ。


「情けねぇな、俺。あの時、桜井の剣幕に呆気に取られて動けなかったし、咄嗟に追いかけたあの人はすげーよ」

「ごっ、ごめんなさい、取り乱しちゃって」

「その時思ったんだ。あ、俺振られるかもってさ」

「……」


私は膝に置いた両手をぎゅっと握りしめて、俯き加減に地面を見ていた。いや、目は開いているけど何も見ていない。意識はただ、和泉君に悲しい思いをさせている罪悪感にのみ向いている。


「実はさ、桜井達が救急車で病院に向かった後、あの人と一緒に居たお姉さんとちょっと話したんだ」

「え……南雲さんと?」

「ああ、南雲さんて言うんだ、あの人。綺麗な人だね」

「う、うん……」


誰から見ても綺麗な女性。だから私は心配で仕方がないのだ。そんな人が七瀬さんの側に居るのが。


「結構グイグイ聞かれたよ、桜井との関係をさ。初対面なのに、桜井が好きなのか、付き合ってるのかってスッゲー訊いてくるワケ。で、なんだか訳分からんうちに全部吐かされてて後で笑っちゃったよ」

「そう……」


苦笑いの和泉君の話に私は一言返すだけだった。何故そんな事を和泉君に訊くのだろうか。ただの興味だろうか、事故の直後に?


「警察の人に色々訊かれて、最後にその南雲さんとの別れ際にさ、言われちゃったんだ」


『危ない目に会えとは言わないけどさ、あの場面で動けなかったキミと、即座に彼女を追った怜君では想いの差を感じるなぁ』


「そんな事……」

「ちょっとショックだったかな。確かに俺は動けなかったけどさ、……まあ、動けなかったよ。悔しいけど」


本当に悔しそうにギリ、と歯噛みする彼に私は何も言えない。だって何を言えるのか、無謀な行動を取った張本人が。


「あの彼とは……付き合ってるの?桜井」

「あ、いえ、まだ……と言うか付き合えて、ない」

「そうか……好きなんだ、彼が」


私は黙って首肯した。


「あのさ、今更なんだけどもし、二年の時に告白していたら……どうなっていたかな」


二年生。その時の私は恋愛とか考えていなかった。周りではそんな話はよく出ていたのだろうけど、私と私の友達には無縁の事のように思っていた。例外は、凛が奥村君を意識している事に気付いたくらいだ。


「それは、その、男の子と……恋、とか付き合うとか、全然考えていなかったから……でも」


少し考えて、続ける。


「多分だけど、今とは違う事になっていた、と思う」

「俺と付き合っていたかも?」

「そうかも知れないし、恋愛が怖くて逃げ出していたかもしれない」


一年で変わったんだな、と思った。それまでは、たとえ凛に好きな人がいても私自身は男子を意識する事は無かったのに。

私が変わったのは、変えたのは、あの人だ。七瀬さんに出会った瞬間に、私は恋をしていたんだ。


「少なくとも今より、俺にとってはマシな状況だったな……ホント、今更だな。ごめん、変なこと聞いて」


私の方を見て、更に言い募る。


「でもさ、まだ付き合えてないって事は俺にもチャンスはあるかも、だよね」

「そっ、……そんな事、言わないでよ……」


それはつまり、私の恋が実らないという事。


「あ、ああ、ごめん。そうだよな、なんか、自分の事ばかりで……マジごめん」

「……うん」

「お詫びと言うか、もう一つ南雲さんが言っていた事がある」

「え?」


『え?怜君?彼氏じゃないよ。まさかたまたま怜君に絡んでる所を見られるなんてねぇ……私のせいだなぁ、あはは』


「ってさ。恋人っぽく現れた二人を見て急に走り出したんだろ?桜井」

「う……うん」

「良かったな。誤解だった事が判って」


薄く笑って良かったと言ってくれた。こんな事、彼は話さなくてもよかった筈だ。むしろ私の恋を応援する事になるのに、良い人なんだね、和泉君て男の子は。


「ありがとう、わざわざ教えてくれて」

「いや、なんか黙ってるのは違うと思ったからさ」


そして彼は両膝に腕を突いて項垂れる。


「俺はもう少しここに居るよ。先に帰ってくれ」

「……うん、それじゃあ……」


そう言って立ちあがろうと、ベンチに突いた手が掴まれた。


「え、和泉君?」


彼は項垂れたまま。でも、彼の左手は私の右手をしっかり握っていた。


「……本当に、好きだったんだ」

「……」


何かに耐えるように瞼を固く閉じて、下を向いたまま呻くように、絞り出すように、彼は言った。


「本当に……」

「ありがとう、和泉君みたいな男の子に好きだと言われて本当に嬉しかった。……でも、ごめんなさい」


彼はこちらを見ていないけど、私は精一杯の笑顔を作ってそう返した。

やがてするり、と彼の手が離れた。


「また、明日学校でね。和泉君」

「……」


返事は無かったけど、私は踵を返して歩き出す。途中、何度か振り返ってみたけど、彼は下を向いたままの姿でベンチに居た。それは校舎の角を曲がって、彼が見えなくなるまで同じだった。















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