割烹着とキャミソール
また連絡しますと言って、七瀬さんと別れて駐車場で待つお母さんの車に乗る。
助手席に座るなり、お母さんにお願いした。
「お母さん、私に料理を教えて!」
勿論オッケーだよ〜と二つ返事で了承してもらった。簡単な料理くらい出来ないとお母さんが恥ずかしいからだそうだ。女の子の母親とはそういうものらしい。
途中、スーパーに寄って明日の食材を調達して帰宅した。
そして先ずはお風呂。事故で道路を転がったので、七瀬さん程では無いけど汚れた。髪はばさばさだし。
制服も汚れたり破けたりしていてもう着られそうもない。予備があって本当に良かった。
さっぱりしたところで夕飯なんだけど、ここからお母さんの指導の元、付け焼き刃の料理修行が始まった。
「もっと刃の方を持って親指を刃の上に添えるのよ。そう、添えた親指で刃を入れて行くの。無理に包丁を押しちゃダメよ」
輪切りにした人参の皮剥きで包丁の使い方を訓練する。ピーラーは、包丁が使えるようになるまで使用禁止になった。包丁に慣れろ、という事らしい。わかりました師匠。
今回のメニューはほぼ失敗することが無くて、大体誰でも大好きなカレーに決まった。これなら保存容器に入れて明日七瀬さん家に持って行ける。ただし、これは七瀬さんの夕飯用だ。朝食は七瀬さんの家で作る事になっている。
「お、今日は葉月が作るのか?カレーかぁ、父さんの大好物だよー、葉月も料理するようになったの……」
「お父さん、集中してるから黙ってて」
「あ、はい……」
気を抜いたら怪我しちゃうでしょ。可哀想だけどしょんぼりしているお父さんを余所に、慎重に包丁を扱う私に今度はお母さんが、
「ところで葉月」
「なに?」
視線は人参に固定したまま返事をする。
「この間の和泉君とはどういう関係なの?」
「?!」
人参を落としそうになった。包丁持ってる時になんて質問するの?!
「イズミ君?!イズミ君て誰だ、葉月!」
「お父さんうるさい」
「あ、はい……」
キッチンカウンターの向こう側、リビングに居るお父さんから隠れるように、シンクの前にしゃがんでお母さんの手を引いて屈ませた。ヒソヒソと抗議する。
「お母さんっ、お父さんの前でそういう事言わないでっ」
「あら、だって気になるでしょ〜、玲君といい、和泉君といい。イケメン二人も侍らして、葉月もやるわね」
にんまりと悪い笑顔で弄ってくるお母さん。
「侍らすとか言わないでっ、和泉君はただのクラスメイトだからっ」
告白されているけどねっ!
「どっちも良い男だけど二股とかダメよ?」
「しないからっ、そういうんじゃないから!」
「そういうのでしょ?怜君は勿論、和泉君も」
「……」
無言で立ち上がって皮剥きを再開する私にお母さんは、
「葉月が好きなのか好かれてるのか知らないけど、ちゃんとしなさいよ?」
「……うん」
どっちもです、お母さん。ごめんなさい。
「じゃあ鍋で炒めて行くからね」
「うんっ」
お肉、人参、玉葱と投入して炒める。ジャガイモは痛みやすいのでレンチンして後入れとした。七瀬家でも同じ様にする予定。
そして水を入れて煮込みに入る。
「あとは煮込んでルーを入れて終わりだから髪乾かしてきなさい」
「はーい」
ターバン頭で料理していた私は、ひと段落ついた所で洗面所へ向かった。
ドライヤーで髪を乾かしていると、洗濯機の上に置いてあるスマホに着信があった。
見てみると、画面保護のカバーにヒビが入った画面には大山凛の文字。
『あれからどうなったの?』
そう言えば和泉君がいきなり美術部に現れたのは今日だった。そこからの急展開でなんか何日も前の事のように感じてしまった。
『凛ごめん。色々あって明日早起きだからもう寝るね。明日話すからね』
『わかったー。おやすみー』
『おやすみなさい』
SNSでそんなやり取りをした後に夕食を摂った。夕飯後にすごい眠気に襲われて、カレーの準備はお母さんにお願いしてベッドに潜り込んだ。
「ほら葉月、七瀬さん家行くんでしょ。起きなさい」
「はっ!」
あれ?今さっき寝たような。
「もう朝なの?」
「もう朝よ。昨日大変だったからまだ疲れが取れないのかな?」
「大丈夫、起きるよ!」
言い出したのは私だ。次の日いきなり躓いていてはいけない。すぐにベッドから出て準備に掛かった。
いつもより一時間早く家を出た。時間調整が分からないので、取り敢えずたっぷり余裕を取ったつもりだ。
頭の中で朝食のメニューをおさらいする。食材は昨日のうちに七瀬さんに在庫を確認してあった。
あれからお風呂とか着替えとか大丈夫だったんだろうか。昨日はお母さんが居たから大丈夫だったろうけど、左腕が使えるようになるまではかなり不自由な筈だ。
私がほぼ無傷だったのは七瀬さんが、私を抱き抱えたままクッションになってくれたからだ。それ故に七瀬さん本人は受け身が取れずに、飛び込んだ勢いのまま、硬い地面に叩きつけられてしまった。
病院では本気でお風呂の世話までするつもりだった。の、だけど、一晩過ぎて冷静になるとそんな事できる訳がないと反省した。七瀬さんのお母さんが呆れるのも無理はない。思い出して顔が熱くなった。
なんて事考えながら歩いていたら、あっと言う間に七瀬家に着いた。こんなに近くにあったのに今まで七瀬さんに会った事が無いなんて。なんて不幸だったのだ!
なんて思ったけど、多分、何処かですれ違ってはいたのだろうと思う。知り合えたのはたまたま。本当に何か偶然が重なった奇跡。
あの時、チャムに出会えていなかったら。それ以前にチャムが家を脱走していなかったら。その後も七瀬さんがピアノを弾いていなかったら……
「おはようございます!七瀬さん」
七瀬家のインターフォンを鳴らして出てきた七瀬さんは、なんとパジャマ姿だった。
「おはよう。葉月ちゃん、ごめん、すぐに着替えられなくてさ」
「いっ、いえ、お邪魔します」
なんかプライベート過ぎる七瀬さんを見たような気がしてどきどきする。
いや、それどころじゃない。すぐに朝食の用意をしないと。
「あ、あのっ、七瀬さんは着替えてください。私は朝ごはんを作りますから」
「ああ、うん。悪いけど頼むよ。キッチンは好きなように使ってね」
「はいっ」
既に彼のご両親は仕事に出掛けていて不在だった。と言うか、帰って来ない事もよくあるそうだ。ほとんど一人暮らしだ。いや、一人と一匹だった。
キッチンに入ると、丁度チャムが食事中だった。かりかり音を立てて猫用フードをかじる。なるほど、だから猫用フードはカリカリと言うのか。
「チャムおはよう、ごはんおいしい?」
……無視。かりかりが止まらないチャム。今撫でたりしたら怒られそうなので放っておく。
そうだ、準備しなきゃだった。
スポーツバッグから、昨日の帰りに買ってもらった割烹着を取り出す。割烹着と言っても、真っ白な和装のおばあちゃんが着ているような物ではなくて、グレーのチェック柄の、保育士さんが着るような割烹着だ。お母さん曰く、
『エプロン?そんなあざといのはダメ!可愛く見せたければ割烹着だよ!幼稚園児の遊び着も可愛いでしょ?』
だ、そうだ。結局可愛く見せたいのね。て言うかお母さん、それスモックだよ?似てるし用途も同じだけど。
朝食は調理が簡単な物にする。トーストとお湯を入れるだけのオニオンスープ。スクランブルエッグとウインナーとベーコンを焼いて、シーザーサラダと盛り付ける。
平行して洗い物もやっつけながら朝食完成。
……なんだけど、七瀬さんが来ない。やっぱり着替えが大変なんだろうか。どうしよう、手伝いに行く?いやいや、着替えだよ?まずいよね?でも傷が痛んで苦労しているのかも知れない。えーと、えーと……
「あ、あのー七瀬さん?」
結局二階の彼の部屋まで来てしまった。ノックをして呼んでみると、
「あ、あーごめん。ちょっと手間取っちゃって」
「大丈夫ですか?何か手伝いましょうか?」
何かと言っても着替えだ。だんだん大胆になりつつある自分に驚いてしまう。
「え!えと……じ、じゃあシャツのボタン……を」
「はいっ!入ります!」
大胆さが出てきたからと言って羞恥心が消えたわけでは無い。ドアを開けて室内に入ると、スラックスは穿いているけど、前をはだけたシャツ姿の七瀬さんが立っていた。
「うきゃあっ、ごめんなさい!」
シャツの中って肌着着ないの?咄嗟に両手で目を覆うが、既に彼の胸からおへそ辺りまで目に焼き付いていた。
「いや、あの、その反応は僕も恥ずかしいからやめてくれない?」
「でっ、でもでも中にキ、キャミソールとか着ないんですかっ?!」
「キャミソールは着ないな〜男だし」
それはそうだ。この場合はTシャツだった。
「Tシャツとかかぶり物は腕がコレだから厳しくてね。取り敢えずボタン留めてもらえると有難いんだけど」
「はい……はい、そうですね。そうでした」
では失礼します。と言って目を開けてなるべく胸元を見ないで手を伸ばして……あれ?ボタンが無いよ?温かいよ?
「あの、葉月ちゃん?なんか朝からいやらしい感じになってるからちゃんと見て?」
「はっ?!」
思い切り七瀬さんの胸を
「わーーっ!ごめんなさいっ!」
急いでボタンを留める。顔が熱い。恥ずかし過ぎるよーっ!
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