お母さんとお母さん


病院のロビー。私とお母さん、向かいのソファーには七瀬さんのお母さんが座っている。時間は既に午後八時近い。当然、外来の患者さんの姿は無く、照明も半分以上落とされていた。


「なんとお詫びしたら良いか……」


お母さんが何度も頭を下げる。当の私も七瀬さんには勿論の事、こんなに謝罪するお母さんに申し訳ない気持ちで一杯になる。


「そんなに頭を下げないで下さい、桜井さん。怜は人助けをしたわけですから。大事なお嬢さんに跡が残る様な怪我が無くて本当に良かったです」

「あの、ありがとうございます……でも、息子さんの怪我が治るまでは不自由な生活になってしまうのでは……」


そうだ、多分、暫くは左腕は動かせない……と思う。七瀬さんの家はご両親が忙しくて殆ど一人暮らしのようなものだ。家事、入浴、身支度、など片手のみでは大変な筈……


「そうですね、それは仕方がないので家政婦さんにお願いするか私が仕事の調節をします。お気になさらないで下さいね」

「では、その費用だけでもうちに出させてください」


あくまで柔らかい物腰の七瀬さんにお母さんが申し出るが、


「それはさせられません。あくまで怜が自発的に取った行動です。その結果が本人の不自由を生んだとしてもそれは怜自身の責任です。そして怜はまだ高校生の子供です。子供の責任は親である私の責任です。その責任を他人様に負担させる訳には行きません」


ピシャリと言われて、返す言葉を失ったお母さんは俯いて黙ってしまった。

オーケストラ公演の後の七瀬さんもそうだったけど、頑固そうな所は親子だなぁと思う。そして今度は私が提案する。


「じゃあ、私に七瀬さんの身の回りのお世話をさせて下さい!」

「えっ!」

「葉月?!」


どちらの母も目を丸くして驚いている。


「七瀬さんが庇ってくれなかったら私は車に撥ねられていたと事故を見ていた人に聞きました。ならば七瀬さんは私の命の恩人です!恩を返すのは当然だと思います!お願いします!」


立ち上がって頭を下げる。が、


「とんでもない。若い娘さんに身の回りの世話なんてさせられません。何をどう世話をするの?着替え?お風呂?お願い出来る訳ないでしょう?」


流石に呆れられているみたいだけど、私も何かしてあげたくて必死だ。無茶を言っているのはわかってる。


「じ、じゃあ、せめてお食事の用意とか洗い物とか掃除とか……何かやらせてください!」


思い切り深々と頭を下げる私の頭上で、はぁ〜……と溜め息が聞こえる。


「……桜井さん、きょうだいが多ければいいと言う訳ではありませんが、葉月さんは一人娘だと怜から聞かされています。大事な娘さんを若い男の家に出入りさせられますか?しかも、葉月さんは今年中学三年生の受験生ですよ?」


お母さんはしばし黙考すると、私の方を見る。私もお母さんの反応を待っている。


「お母さん、お願い」


母娘で視線を交わす。と、お母さんはおもむろに立ち上がり、私の隣で七瀬さんに頭を下げた。


「七瀬さん、誠に不躾なお願いですが、葉月に何かお手伝いさせては頂けないでしょうか」

「桜井さん?!」


私も驚いていた。お母さんがこんな事言うなんて。


「普通なら付き合ってもいない、いいえ、他人の男性の家に中学生の娘を出入りさせるなんて絶対に許しません。けど、私も一度だけ息子さんにお会いしました。夜道だからと娘をわざわざ家まで送って頂いた時です。その時の彼からは、とても優しくて真面目な印象を受けました」


黙ってお母さんの話を聞く七瀬さんに更に言い募る。


「葉月も息子さんには信頼を置いているようですし、本来こんな大胆な事を言う子ではありませんし言えないでしょう。そもそも、怪我の状態によっては生活に不自由が出る事を前提にした話です。そんな状態で間違いなど起こりにくいと思います。葉月もそのくらいの事は考えてのお願いだと思いますし、娘を、葉月を。私は信じています」

「お母さん……」


話し終えて、またお願いしますと頭を下げるお母さんに、今度は七瀬さんが考え込む。

私も一緒に頭を下げた。


「……ふぅ……なら、本人に訊いてみましょうか」 

「え……」


顔を上げると、七瀬さんのお母さんは廊下の方へ視線を移していた。

見ると、七瀬さんが腕をホルダーで吊った姿でこちらへ歩いて来る所だった。


「母さん、心配かけてごめん」

「ホント心配したわ、こちらのお二人もね」

「七瀬さん、怪我は……」


七瀬さんは頭に包帯を巻き、顔には絆創膏。腕を吊って、ぼろぼろになったK高のブレザーを肩に掛けた痛々しい姿だ。だけど、


「全然大した事無いよ、葉月ちゃん。腕を何針か縫ったくらいで後は軽い打身と擦り傷くらいだから」

「そんなに……」


私を守って身体中傷を負わせてしまった。罪悪感からまた涙が溢れそうになる。


「あ、いやっ、ホント!本当に大丈夫だから!治療が大袈裟なだけだから!」

「はい……」


ダメだ、ここで泣いたらまた心配を掛ける。そんな弱い所を見せたらお世話の話が振り出しに戻ってしまうかもしれない。


「あ、えと、母さん。先生が治療について話したいそうなんだけど」


無理矢理話題を逸らすように母親に振る七瀬さん。


「そうね、話を聴いてくるわ。怜はここで待ってて頂戴」

「了解」


七瀬さんのお母さんは私達に向き直った。


「では、桜井さん。これで失礼します。わざわざ遅くまでありがとうございました」

「いえ、息子さんの怪我が大事無くて不幸中の幸いにホッとしました。お大事になさってください」

「ありがとうございます。……葉月さん」

「は、はいっ」


大人同士の挨拶を眺めていたら、急に呼ばれて慌てた。


「ちゃんと話し合って決めてね。なによりあなたは女の子で受験生なのよ?」

「はいっ、わかりました」


ニコッと息子とそっくりな笑顔で頷くと、彼女は失礼しますと言って廊下の先に歩き去った。


「え、葉月ちゃん、何の事?」

「えと……」


説明しようと口を開きかけるとお母さんが、


「葉月、お母さんは車で待ってるからね」

「あ、うん。終わったら行くね」

「あ、お母さん、ご心配をおかけしました。ありがとうございます」


ペコと挨拶する七瀬さんに、お母さんは頬に両手を当てて、


「あらぁ〜お母さんなんて、男の子に呼ばれると嬉しいわぁ〜」


くねくねしながら喜ぶお母さん。やめて?さっきまでのお母さんに戻って?


「あ、その、失礼しました。桜井さん……」

「いいのよ!怜君!お母さんで!」

「ああ、ありがとうございます?」

「お母さん!話出来ないから!」


がっちり七瀬さんの手を取って名前呼びするお母さんを引き剥がして、車に戻って貰った。


「ふぅ、ごめんなさい。七瀬さん」

「いや、楽しいお母さんだね」


取り敢えず二人でソファに腰を下ろして、私がさっきのやり取りを説明した。


「えっ!母さんが?僕に決めろって事?」

「はい。許可を頂きました」

「母さんがそんな事言うなんて信じられない……」


私の印象通り、厳しくて頑固なお母さんなんだな、と思った。


「勿論僕は嬉しいし有難いけど、それはちょっと」

「ダメなんですか?何でですか?」

「ああ、いや、その」


後は七瀬さん本人の了承を得るだけだ。私はいつに無くぐいぐい迫った。


「君は女の子だし受験生だし」

「家政婦さんだって女性です。勉強は七瀬さんが見てくれているじゃないですか」

「そうだけど、あ、おかあさ……お母さんは反対しなかったの?」


さっきの壊れたお母さんを見られているので、真剣な表情で七瀬さんのお母さんに頼んでくれた事は取り敢えず話していなかった。話しても信じて貰えないかもしれないからだ。でも、こうなったら仕方がない。


「お母さんは、私のお手伝いの事は味方をしてくれました」

「あ〜、そう」


絶対さっきのノリでオッケー、とか言ったのだろうって思っているんだろうな。もーお母さんはっ!


「七瀬さんは……私が居たら嫌ですか?」

「そんなっ、事、全然、無いよ、勿論」


頭をよぎる。南雲さんと仲睦まじく歩く七瀬さんの姿が。私は何がしたいのか?私を助けてくれた恩人のサポートがしたいだけなのか、それとも好きになった人を南雲あのひとから奪う為なのか。


勿論後者だ。


だからこうして私らしからぬ行動に出ている。もう、七瀬さん本人が迷惑に感じようとも私は止まるつもりは無い。


「うん、わかったよ。ありがとう心配してくれて」

「それじゃあ……」

「そうだね。葉月ちゃんに勉強以外で会えるのは嬉しいんだけど申し訳なくてね。でもそこまで言って貰えるなら甘えさせて貰うよ」


少しはにかみながらそう言ってくれた七瀬さん。良かった、迷惑そうには……見えない、と思う。


「ありがとうございます!」

「いや僕の方こそ……そうだな、食事作り、とか頼んでもいいのかな」

「勿論です!明日の朝から行きます!」


遠慮がちにお願いする七瀬さんに私は即答する。これから帰って、先ずは包丁の使い方から……





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