黒の戦慄
土曜日、ウチに凛と奥村君がやってきた。
これから七瀬さんの家に向かうのだ。
また七瀬さんの演奏が観賞出来る。楽しみ。
「あの、僕も行っていいのかな?今更だけど」
心配そうに奥村君が私に訊くけど、
「大丈夫だよ。七瀬さんも観客が増えて嬉しいって言ってたよ?」
「そう?なら楽しみだなぁ」
「だね〜」
安心してくれたようだ。凛は始めからそんな心配はしてない。するわけが無い。三人でお邪魔する事になった主犯だから。
二人きりの演奏会再びは、今回凛によって阻止された。まあいいけど。
今日の私は特におしゃれに気を遣った服は着ていなくて、白い長袖Tシャツにロングのフレアスカート、ショートブーツという格好。でも髪はポニテにはせずにブラウンの幅広カチューシャで耳を出して留めた。
奥村君にいつもそうしてればいいのに、と言われてからはヘアスタイルは意識していた。男子の意見大事だよね。
その奥村君は明るいブルーのゆったりしたパーカーにスウェットパンツ、白のスニーカーというラフな格好で、凛はショート丈の、袖にボリュームがあるグレーのトレーナーに、ハイウエストのデニムパンツ、厚底のスニーカーというかわいいコーデ。ミディアムボブの髪を今日はツインテールにしていた。以上、ファッションチェック終了。
私も行きたーい、と言うお母さんをなんとか宥めて家を出た。凛と奥村君の前でそういうのやめて?恥ずかしいからね?
家を出て三人で歩く。住宅地を抜けてクルマの往来が多い通りを渡る。チャムがついて来て、渡るのを
そしてまた住宅地に入る。
私の家のこんなに近い場所に七瀬さんの家があったなんて、幸せ。出来れば毎日通いたい。
「うっわ、近い。づっきーん
ネイビーブルーの家を前に、凛が声を上げる。
「うん、すごく近くて……あっ」
「や、いらっしゃい。皆んな」
「七瀬さん」
七瀬さんが出て来てくれた。真っ白なシャツの袖を捲って、黒のスキニーパンツ。シャツの裾はパンツにインしていなくて、胸元はボタンを二つ開けてなんかセクシーな感じでドキドキする。髪は割と無造作に遊ばせたままだから尚更だ。
「すいません七瀬さん。お邪魔します!」
凛が元気に挨拶する。隣で奥村君もぺこと頭を下げた。
「いやあ、全然お邪魔なんかじゃないよ?さ、先ずはお昼ご飯にしよう。どうぞ」
私も初めてこの家に上がらせてもらう。
ダイニングに案内されてテーブルに着いた。とても綺麗なキッチンも見える。七瀬さん以外の家族の人は不在のようだ。
「両親はいつも帰りが遅くてね。自分の食事は自炊なんだよ」
「スゴイ!料理も出来るんですね」
凛が目を丸くして感心している。ピアノだけじゃない女子力高め男子、七瀬さん。素敵です。
「簡単なものばかりだけどね。すぐ出来るからちょっと待ってね」
エプロンを着けながらそう言う七瀬さん。エプロンの胸の所にはかわいいヒヨコのプリントがある。七瀬さんの今日の雰囲気とのギャップに思わず頬が緩む。
「七瀬さん、私手伝います」
私はなんとか女子力をアピールしたくて咄嗟に申し出る。そうだ、のんびり座っていてはダメだ。私だってお母さんの手伝いはしている。ほとんど配膳ばかりで包丁とか使えないけど。
だから正直言ってカレーすら多分、満足に作れないと思う。野菜剥けないもん、じゃがいもとか。
「ありがとう葉月ちゃん、順次出来上がるから配膳頼んでいい?」
「はいっ」
良かった、野菜刻んで?とか言われなくて。
対面キッチンのカウンターの上には、既に綺麗に盛り付けてあったサラダやドレッシング、カゴに入ったカトラリーが並んでいた。
それをテーブルに運んで並べてゆく。
今回、七瀬さんが作ってくれたメニューはキノコとツナのクリームソースパスタとシーザーサラダ、あとオニオンスープ。
「ファミレスメニューみたいになっちゃうのは許してね?僕もバイトでたまに厨房入ってるからさ」
「ぜんぜん!美味しそうです」
手際良くパスタを盛り付けていく七瀬さんを、カウンター越しに眺める私。
もしも、この人とお付き合い出来る事になったら、週末はこうして、このキッチンでお昼ご飯を二人で作って、お話しながら食事して、七瀬さんがピアノを弾いて、私はそれを聴きながら勉強したりして、
「 ……ゃん」
解らない所を教えてもらったりして、一緒にお散歩に出掛けたりして、疲れた七瀬さんがソファーで寝ちゃったりしたら私がひ……膝、枕とかしちゃったり……うにゃにゃにゃ……
「葉月ちゃん?」
「うにゃ?!」
我に返ると、七瀬さんが不思議なものを見る目で私を見ていた。
「どうしたの?顔、赤いけど気分悪い?」
「いっ、いえっ!ぜんぜんそんな事ないですっ!あっあーおいしそうですねっ、これっ!」
「うん?それ水だけど。喉乾いてた?飲んでいいよ?」
カウンターに置いてあったコップの水をぐびぐび飲み干す。うう……何やってるんだろ、私。
「「頂きます」」
「はい、どうぞ召し上がれ」
全員分の配膳が終わり、食事が始まった。
「おいっしーい。七瀬さん!美味しいです!すごい、完璧超人ですね!」
「ありがとう、大山さん。でも褒め過ぎだよ」
苦笑する七瀬さんだけど、本当に美味しい。あのレストランメニューのコピーなんだろうか?
「バイト先の先輩に教わった
「本当に美味しいです。七瀬さん。定番に推してみたらいいじゃないてすか?」
奥村君が提案する。そうだよね、美味しいならそうするべきだよね。
「まあ、全国的にウケるかとかコスト的にどうかとか色々ね、チェーン店としてはそこそこを狙わなくちゃとかあるんだよ、残念ながらね」
「成る程……難しいですね」
「まあ、バイトの僕が口を出して良い話じゃないよ。ところで葉月ちゃん」
「はいっ?!」
急に話を振られて慌てる。声、裏返ってないよね?
「美味しい?」
ニコッと笑顔を向けられた。
「はい、はいっ!とても美味しいですっ」
「良かった、ありがとう」
微笑む七瀬さん。びっくりした。ホントに美味しかったですよ?そんな笑顔向けられると恥ずかしいんですけど……
食事が終わった。
ちょっと洗い物するね。と言う七瀬さんに私は勇気を出した。
「あ、あのっ私洗いますからっ。七瀬さんは座ってて下さい!」
「え、あ、いいの?でも」
「いいからっ」
恥ずかしくて七瀬さんの顔が見られないまま、手探りで彼の背中をぐいぐい押してキッチンから追い出した。
「あ、うん。ありがとう。ごめん、お願いね?」
「はいっ」
洗い物ならいつもお母さんにやらされていた。絶対役に立つ時がくるからね!と言われて。
そりゃ結婚でもしたら必ず洗い物くらいするでしょ、って言うと、洗い物をバカにする者は洗い物に泣くのよ!と、おかしな持論を展開された。まあ、手際とかあるのだろう。兎に角、その洗い物スキルが役に立つ時が来た。ありがとう、お母さん。
「え、音楽関係には行かないんですか?」
洗い物をしながらダイニングでお喋り中の三人の話に耳を傾けていると、七瀬さんのピアノの話題になった。
「全くの趣味でね、実はピアノ教室なんて通った事も無いんだよ」
「それで弾けるなんてすごいですね!」
「まあ、なんとかなったね。なってるのかな?弾くだけなら誰でも出来るし、ネットで上手い人の動画も観られるからね。それっぽくは弾けてるかな」
てっきりこのまま音大へ進むかと思っていたけど、なんか違うようだ。
泡まみれの手元を見ながらもお喋りに意識を向ける。
「独学だからしっかり勉強している人から見たら多分、アラだらけだろうね」
「趣味でピアノ持ってるのもすごいですね。バイトで買ったとかですか?」
奥村君がそう訊くと七瀬さんは苦笑しながら、
「いやぁ、バイト代くらいじゃとても無理だよ。そこは親に頼らせて貰ったんだ。ピアノも含めて結構な額が掛かったからね」
「含めて?ピアノの他に何かあるんですか?」
洗い物が終わり、最後に水切りカゴに入った食器に布巾を掛けてダイニングに戻ってきた。
「ありがとう葉月ちゃん」
「いえ、ご馳走様でした」
七瀬さんの隣に座ると、彼が紅茶を淹れてくれた。
お礼を言う私にニコリと笑顔を返した七瀬さんが話を元に戻す。
「実はピアノの為に防音室を増築して貰ったんだ」
「「ええっ!部屋?!」」
驚いた。あの部屋はピアノ専用に新たに作った部屋だったのだ。
凛が目を丸くして、
「すごい愛されてますね〜、ご両親に」
「ははは、僕一人っ子だから甘やかされてるんだよ」
自分で言うくらいだから我儘放題では無いと思うけど、それにしても一人息子の為にピアノ専用部屋をプレゼントする親御さんてすごい。
「さすがにただピアノ買って。で、買って貰えるような額じゃない。そこで僕は策を講じた」
テーブルに身を乗り出して小声になる七瀬さん。釣られて皆んな顔を寄せる。
「僕の両親は芸術系に進むのを反対しているんだ。堅実な仕事に就いて欲しくてね。僕もそのつもりなんだ。けど」
「まさか……」
奥村君が既に気付いたように洩らす。七瀬さんはニヤッと口の端を上げて、
「芸大に行きたいって言ったんだ。当然親は反対する。でもピアノは勉強したいって我儘を言ってね」
「でもピアノを弾くだけなら音楽教室でもいいのでは?」
凛が疑問を口にする。私もそう思うのだけど、
「以前は電子ピアノを弾いていたんだけど、あんまり熱心にやってるから親も危機感を感じたんだろうね。音楽教室なんかに通わせて先生に勧められたりしてそっちの道へ意識が行ってしまってはマズい、ってね」
「なら芸大と音楽教室の代わりにマイピアノを与えて家に囲ってしまえ、って事ですか?」
「そう言う事。いや〜上手く行って良かったよ。芸大行くつもり無かったからさ。晴れてマイピアノゲットだよ、防音室付きでね」
そう言って笑う七瀬さん。私も凛達もドン引きなんだけど。やっぱり相当な我儘さんなのでは?
「なんて狡猾な……」
「策士と言って欲しいな。奥村君」
七瀬さんの悪そうな笑顔に戦慄する私達。でもね、と続けて、
「罪悪感が無いわけじゃないよ?だからバイトして少しずつ貯金して親に返すつもりだよ。あと、調律と言って専門の技術を持った人に、ピアノのメンテナンスを定期的にお願いしてるんだ。その費用くらいは稼がないとね」
良かった。ただ我儘なだけじゃなかった。ピアノの為に手段を選ばない所はちょっとコワイけど。
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