肉食女子


およそ二時間の公演が終わり、夢心地の私に七瀬さんが会場から出るなり、


「ごめん!これからすぐ帰らなきゃなんだ」

「え……?」


突然七瀬さんが拝むポーズでそう言う。時刻は午後六時。これからレストランで夕食かと思っていた。夕飯ご馳走するから帰りは遅くなるよ。と、言われていたからだ。


「あの、急用なんですか?」

「い、いやその、予定されていたと言うか、この後バイトが入ってて」

「……そうですか、それなら仕方がないですね……じゃあ

帰りましょうか」


素晴らしい演奏会の後にこんな事を聞かされるとは思いもよらなかった。がっかりしたけど仕方がない。でも予定されていたと言う事は私は騙されたの?そんな人じゃないと思っていたのに。


私の様子にそんな内心を感じたのか、本人の罪悪感からなのか。とても慌てた様子で、


「ちょっと待って。そうじゃなくて、あー、えと、取り敢えず電車乗ろう」

「……はい」


走り出した車内でさっきからちらちらとこちらの様子を伺っている七瀬さん。そういう視線はわかりますよ?他の女の子ひとにはやらないでね?


そして、彼はタイミングを計るように息を吸って、話を切り出した。


「あの、葉月ちゃん。本当にごめん。昨日急にシフトの変更を頼まれてさ。二時間程なんだけど人がいなくて」

「そうなんですか」

「それでお詫びって言うか、全然お詫びにもならないんだけど、ウチのお店来てくれる?」

「え?お店って」


そう言えば何のアルバイトなんだろう?


「普通のファミレスだよ。ほら、駅前の」

「あー……はい」


うちの最寄駅のすぐ近くに、全国展開しているファミリーレストランチェーンの店舗がある。家族でたまに行くお店だ。

でも何で私もアルバイトに同伴するの?一緒に働こう!とか?私中学生なんだけど。


「何でもご馳走するから食べて行ってよ。バイト明けたら家まで送るからさ」

「いえ、でもそれじゃアルバイトする意味がなくなっちゃうし」

「いいのいいの、今日のバイト代なんか。本当は二人で食事にしたかったのに、こんな事になって申し訳ない」


うーんどうしよう。駅から二十分程歩けば自宅だしこのまま帰ってからお母さんに簡単なものを作ってもらってもいいのだけど……


「あの、ウチ、駅からそんなに遠くないし、一人で帰れますから……」

「だめだよっ!」

「っ?!」


急に大きな声で怒られた。車内の乗客が驚いた表情で一斉にこちらを見る。


「あ、……ごめん、大きな声出して。……葉月ちゃん、もう外は暗いから君一人で帰すわけには行かない。僕の都合に付き合わせる事になって悪いけど、その、一緒に来て貰いたい」

「は、はい」

「ありがとう」


そう言って微笑む七瀬さん。お母さんに連絡してクルマで迎えに来て貰えば手っ取り早いのだけど、なんか強引に押し切られてしまった。



「おはようございまーす」


レストランのお客さん用入り口から二人で入店する。

業界はいつでもおはよう、が挨拶だよね。私には違和感があるけどな。そんな感覚も大人との違いなのだろうか。


「ああ、七瀬君。悪いな、急な変更で」

「いえ、仕方ないですよ。フロア少ないんじゃ」


レジに居た男性店員さんと話す七瀬さん。その店員さんが後ろの私に気づいて、


「あ、いらっしゃいませ!お一人様でしょうか?」

「あ、いえ、私は……」

「店長、彼女は僕の連れです。僕が上がるまでここで待って貰っていいですか?」


一瞬、キョトンとした店長さん。


「もしかして、今日デートだった?」

「そんな所です。外せない予定があったので」


顔を寄せ合ってヒソヒソ話す二人。私には丸聞こえだけど。


「うわー、ごめん!どうしようもないけどごめん!彼女さんもごめんなさい!折角のデートぶち壊して」


頭を抱えて謝る店長さん。デートを邪魔された怒りより、仕事って大変だなぁと同情してしまった。彼女さんて言ってくれたから?


「いえ、私にはわからないですけど、仕事なら仕方がない、かと、思います……」


取り敢えずその場を取り繕った意見を述べた。やけに店長さんが大袈裟な謝罪を口にするからだ。


「じゃあ店長、着替えて入りますから彼女の案内お願いします。それと、会計は僕にツケてください」

「了解した、さあこちらへ。お席へご案内いたします」

「はい」


店長さんに案内されて、壁際の小さなテーブルへ着いた。ファミリーがワイワイしている席からは離れていて、落ち着いて食事が出来そう。

と、思った途端にお腹が空いてきた。


「お決まりになりましたらお呼びくださいね?彼女さん」

「はい、えと、彼女じゃないんですけど」

「そうなの?そんなに可愛いのに?ホント?」

「あのあの、はい、違うんです……」


大人って普通に褒めて来る。ドギマギしてしまう。


「そうかー、告白されていないって事だね、君は彼の事どう思う?」

「ええっ?!」

「彼、モテるよ?ホントに。狙ってるなら急いでね?」


そう言ってニコッと笑顔を作って店長さんはレジへと戻って行った。


嫌な事を言って去って行った。わかってる。七瀬さんはカッコいい。モテない訳がない。今、彼女が居ないのが不思議なくらいだ。ホントに彼女居ないの?そんな思いが沸々と湧いてくる。


そんな私の気持ちを掻き乱す人物がまた、現れた。


「いらっしゃいませ〜、彼女さん」

「……こんばんわ、えと、南雲なぐもさん」


レストランの制服姿の女性、昼間駅で会った美琴さんと呼ばれていた人だった。

胸のネームプレートには南雲の苗字がある。


南雲さんは何故か私の向かいの席に斜めに腰を下ろして、壁に背を預けて長い足を組むと、妖艶な笑みを浮かべて私をその瞳に捉える。


「デート、楽しかった?彼女さん」


昼間とは印象が違う彼女。彼女さん、の言い方に棘があるような気がするのは、さっきの店長さんの煽りとも取れる言葉に焦りを覚えているからだろうか。


「七瀬さんの彼女だと思ってもらえるのは嬉しいですけど、違います。デートはとても楽しかったです」


我ながら少し大胆な返しをしてしまった。

彼女は少し眉を上げてふふっと微笑むと、


「ねぇ、あなたのお名前教えて貰っていい?」

「桜井です」

「下の名前知りたいな〜」


人差し指を頬に当てて首を傾げながらお願いする南雲さん。教えると葉月ちゃ〜んとか呼ばれそうで何か嫌なんだけど。


「……葉月です」

「桜井葉月さんね、うん覚えた」


そう言って立てかけてあるメニューを手に取り、開いてこちらへ差し出す。


「怜君の奢りなんでしょ?一番高いやつ頼んじゃえ。あ、これなんかどう?超弩級牛サーロインステーキ五百グラムと大盛りライスとサラダのセット」

「そんなに食べられませんっ」


確かに美味しそうだしファミレスメニューにしてはすごく高い。


「そう?美味しいよ?」

「食べた事あるんですか?!」


うん、と何でもない風に頷く南雲さん。これが肉食女子……!


「私は……このキノコのクリームソースのハーフパスタとシーザーサラダのスープセットで。食後にホットティーをお願いします」

「はーい、食後に紅茶、と。小食ねぇ、ありがとうございまーす」


向いで座ったまま、端末を操作する南雲さん。なんともやる気がなさげな注文の取り方だ。


「で?怜君と付き合うの?」


ぐいっとテーブルに身を乗り出してそんな事を訊いて来る。お店の制服姿で、しかもお客さんが居る向いの席で横向きで座って、だ。私でもそれはまずいのでは?と思う。


「お水くらい持って来て貰えると話す気にもなれますけど?アルバイト中なんじゃないんですか?南雲さん」


こんなんで大丈夫なの?バイトクビにならないの?


「あらー痛いトコ突かれちゃったなー、もうちっと元カノとして話聞きたかったのに」

「!え?!」


今何て?!元、カノ?七瀬さんの?元彼女なの?この人!


「おかしいな、僕は誰とも付き合った記憶が無いんだけど?」


いつの間にか七瀬さんがお冷とおしぼりを持って側に居た。


「あれ?怜君、いつの間に?」

「今来たところです。それより美琴さん、お客様の席にだらしなく居座って何してるんですか?」


七瀬さんがいつになく厳しい表情で問い詰める。


「あう……そんなに怒らないで?怜君」

「いや普通怒るでしょ、僕が第一発見者で良かったですね。店長ならクビですよ?」

「大丈夫、店長私には甘いから」


へらへらっと悪怯れる様子が皆無な南雲さん。だけど、


「僕の元カノとはなかなか言い放ってくれますね。大学に何人も彼氏さんが居るだけはあります」

「あ、はははー怜君怖いな〜」


冷たい声音で話す七瀬さん。なんか違った魅力が垣間見える。クールな彼もいいな、と。


。ここはもういいです、仕事に戻ってください」

「はーい、私の方が先輩なのに怜君こわーい」

「すみませんね、センパイ。後は僕がやりますので」


仕事に戻って行く南雲さん。その姿を見送った七瀬さんがこちらを向いて、


「ごめん、大丈夫だった?あの人が同じシフトだと知らなくて」

「あ、いえ、大丈夫ですよ?変な人だけど」


注文も済ませてようやく落ち着いた。後は南雲さんが取った注文に間違いが無ければいい。

まさか五百グラムの肉が来る事は無い筈……だよね?



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る