妄想が暴走


連休が終わり、また日常が戻ってしまった。

彼にはそれから会えていない。どういう口実で会えば良いのかわからなかったから。


「づっきー」


美術部の部室兼アトリエで、私はスケッチブックを前に物思いに耽っていた。


あの日、あの人の目に私はどう写っていたのだろう。

ただの年下の女の子?覗き見の変質者?でも素敵なお客様って言ってくれたし。連絡先の交換もしてくれたし。でも連絡する勇気無いし……


「づっきー」


彼の演奏が思い起こされる。あの流れるような指使い。プロの奏者のような狂おしい表情。


「づっきー?」


演奏が終われば人懐こい可愛い笑顔、明るい性格。そして丹精なマスクにスラリと細身の長身。


「もう!づっきー!」

「はっ!」


我に返ると、同じ美術部員で親友の大山 凛おおやまりんが私の横で腰に手を当ててなにやら怒っている様子。


「あ、どうしたの?凛」

「こっちのセリフなんだけど?なにぽーっとしてるの?」

「そうね……呆けちゃうよね……」

「ちょっと?それってどういう反応?まさか好きな人が出来たとか?」

「七瀬さん……」

「ナナセさん?」


そこで再び我に返る。いつの間にか会話の途中で意識がアチラへ飛んでいたようだ。


「あ、え?なに?凛」

「だからこっちのセリフと……」


ガックリ脱力する凛。


「ごめん、考え事してた」

「そうでしょうね、制作が全く!進んでないものね」

「はっ!ホントだ!なんで?」

「なんでだと思う?……」


また脱力する凛。


「あ、もうこんな時間か。帰ろうか?凛」

「アンタのスケブ真っ白だけど、そうね。帰ろう。伊蕗いぶき?」


一緒に制作していた同じ美術部員の奥村おくむら君に声を掛ける凛。

なんとこの二人、連休中のバーベキューで付き合う事になったそうだ。

その経緯についてはサッパリした性格の凛にしては珍しく、言葉を濁して詳しく教えてくれなかった。


「ん?帰るの?凛。キリの良いとこまでやっちゃうから先帰ってもいいよ?」


あー、奥村君。それは起爆スイッチを押したのと一緒だよ?

美術部の皆んなが一斉に二人を見る。


「伊蕗っ!」

「うえっ?!な、何?」

「彼女を一人で帰すとかどーいう事?!私はどうでもいいワケ?そういう所だからねっ!」


学ランの襟元を掴んでがくがく揺らされる奥村君。


「あうっ、ごめっ、凛、ごめーんっ!」

「大山先輩!落ち着いて!」

「始まったよ。仲いいな、お前ら」

「伊蕗先輩!大丈夫ですか!」

「こらーー!誰が伊蕗の名前呼びを許可したかーっ!」

「すすすいませーん!」


付き合った途端にこれはどういうワケなの?

付き合う前の方が仲睦まじく見えたのだけどね、凛がこんなに独占欲強めだとは思わなかったな。


最近の奥村君は女子に人気だったから、凛も焦ってたし。

この独占欲も彼女の防衛本能なのかな?


それにしても連休中に奥村君を射止めてしまうとは……

これで凛も彼氏持ち。奥村君の彼女……彼女…………彼女?


彼女?!!


「あーーーっ!!」


勢いよく立ち上がったせいで座っていた椅子が大きな音を立てて倒れるが、今の私はそれどころでは無い。


「か、彼女!彼女が居たらどうしよう!」


全く考えていなかった。あのルックスであの性格で……

学校の女子は果たして彼を放っておいてくれるのだろうか?否!ありえない!ど、どどどうしよう〜……


「わーーーっ!!どうしようーーっ!!」


「ちょっ!づっきー?!急にどうしたの?!」

「桜井先輩!落ち着いてください!」

「どうしたの?葉月」

「彼女がどうとか?」


「兎に角っ!づっきー、こっちおいで!」


部室の外へ連れ出された。廊下の端で凛と二人きり。

手を引かれて歩いている間も私は気が気じゃなかった。

今すぐ彼に、七瀬さんに会いたい。こんな気持ちになったのは初めてだ。彼女がいるかも知れないと思った途端、憧れにも似た気持ちは、急速にある形に変化した。


初めての、この感情。


……



「どうしたの?いきなり大声出して」

「凛も大声だったでしょ……」

「私の事はいいのっ!」


先程の騒ぎを棚に上げて凛が詰め寄る。


「さあ、言って。づっきー、彼女がなんだって?」


ぐいっと顔を近づけて迫る凛。壁際の私に逃げ場は無い。

仕方がないので彼女から目を逸らしつつ口を開く。


「えと、例えば奥村君と付き合う前に、奥村君に彼女がいるかも知れないって思った事……ない?」


「つまり、づっきーが好きになったひとに彼女がいたらどうしようって話ね?」


身も蓋も無かった。


「つまり……そう言う事、です……」


私の懸念をストレートに言葉にする凛。悪魔か、この娘は。


「誰?」

「え?」

「え?じゃないでしょ、アンタが好きな人は誰なの?この学校にいるの?いないの?」

「ちょっと、ちょっと待って、そんな勢いで訊かないでよぅ」


ぐいぐい来る凛。この勢いで奥村君を仕留めたのだろうか?だとしたらなんか気の毒になる。さっきの様子を見ると尚更。


「あんなに取り乱しておいて放っておける訳ないでしょ?いくらでも協力してあげるから話して。話すだけでも気持ちが軽くなるかも知れないでしょ?」


逆に取り返しがつかない未来がやってくる気がしないでもない。けど、この娘に知られたからには話さないと解放されないだろう。小学校からの付き合いでそれはよく解っていた。


「その、このあいだ偶然知り合った年上の人……」

「ほう、年上。高校生?まさか大学生とか社会人とか?」

「こ、高校生……の二年生」

「アンタらしいと言えばらしいかな、アンタなんか落ち着いてるし。年上が合ってるかもね、で?」

「なんか楽しんでない?凛」

「そんな事ないよ?づっきー」


だったらそのむにゅむにゅしてる口は何?口の端が吊り上がってくるのを抑えてない?


「それでどこで知り合ったの?」


無理に真顔を作ってる風な凛が本題に戻す。


「連休中にお使いに出かけた帰りにね、住宅街でピアノの音が聞こえて……」

「ピアノ?え、その人ピアノ弾けるの?」


話の先を読んで腰を折る凛。聞いて?


「う、うん。それでどんな人が弾いてるかと思って家を覗いたら見つかっちゃって」

「それで運命の出会いをしたんだねっ」


「楽しんでる?凛」

「ドラマみたいーうわー」


楽しんで頂けてるようだ。


私の気も知らずに、両手を頬に当ててきゃあきゃあ言ってる凛。

私だってドラマのようなハッピーでラッキーな成り行きを期待したいところだけど、これからどうしたら良いのかわからない。あの日から既に一週間経っているけど、お互い連絡は一度も無い。

せめてあの日帰ってからお礼のメッセージくらい送っておけば良かったと、今更ながら思う。でもその日は帰ってからも心がふわふわしてて、七瀬さんの事ばかり考えていて連絡のれの字すら思い浮かばなかった。


「あーーーっ!私のばかーーー!!」


「うわー?!づっきー!落ち着いて!」


思わず頭を抱えて叫んでしまった。まずい、私不安定だ。

授業中に叫んじゃったらどうしよう〜……七瀬さんの事を考えなければいい。無理。


そして、その後の二人だけの演奏会の話、お茶会の話を凛は目をキラキラさせながら聴いてくれた。


「うーわー、なにそれー話だけでカッコいい」

「うん……そうなの。格好良いの」


あの時を思い出してニヤけそうになる。


「連絡は取り合ってるの?てか連絡先知ってるの?」

「それは、うん。アプリのフレ登録はしたけど、どういう用事で連絡したらいいのかわからなくて……」

「ばかねー、用事なんか無くていいんだよ!近況報告とかで」

「例えば?」

「朝なら今起きました、とか」

「なにそれ〜」


起きたからどうだというの?と言う私に、


「おはようって返してもらえるでしょー、何真面目に用事とか言ってるの?いきなりデートに誘うつもり?できるの?」

「デート……」

「真っ赤だよ、顔。思考のリソースをその彼に全振りしてるから身動き取れないのね」


眉間を摘んで目を瞑ってふるふる首を振る凛。


「あのね、おはようからおやすみまで、何でもいいからその時起こった事とかやった事とか、思った事とか食べた物の感想とか、呟きアプリみたいな事をその人に送ればいいの」

「そうしたら返信してくれるかな?」

「脈が無ければそのうち無視されると思う」

「うう……」

「でも動かずに結果は出ないよ!づっきー!」


その通りなんだけど、返って来なかったらどうしよう?立ち直れそうにないよ。

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