第44話 チョー無敵流魔拳術

「っしゃあああ! 準備完了!」


 たっぷり魔力を練り上げて、フィストはパンと掌を叩いた。なんだかアイリスが時間を稼いでくれていたようなので、その間に魔力を練ったりカイルに勝つ方法を考えていた。


「先生! タイマンで勝負しようぜ! 俺が死ぬまで、二人に手を出すのはナシだ!」

「はぁ!? フィスト! あんた、なに言ってんのよ!?」


 ギョッとして、アイリスが叫ぶ。


「だってアイリス、先生と戦えねぇだろ?」

「戦えるわよ!」

「無理すんなよ。俺だって、師匠と殺し合いしろなんて言われたらいつも通りには動けねぇよ。だからお前はそこで見てろ。先生は俺が止めてやるから」


 悔しいが、フィストの言う通りだった。生まれてから今日まで、ずっと大好きで尊敬していた叔父である。悪い人なのに、憎まないといけないのに、戦わないといけないのに、いざ戦おうとすると上手く魔術を制御できないのだ。魔術は意思の力で制御する。こんなぐちゃぐちゃな気持ちでは、いつも通りの力をだすのなんて無理なのだった。だとしてもだ。


「一人じゃ無理よ!」

「足手まといだって言ってんだ! 先生はつぇえからな。お前ら守りながらじゃ勝てねぇよ!」


 フィストの心配はそれだけだった。カイルがその気になれば、いつだって二人を殺す事が出来る。そんな素振りを見せられるだけで、フィストは集中を乱されるし、守りに行かなければいけない。それでは絶対に勝ち目がない。


 フィストの言葉にアイリスはショックを受けた。足手まといなんて言われたのは、生まれて初めてだ。けれど、言い返せない。それはどうしようもなく事実なのだった。


「でも……」

「うるせぇ! 兄ちゃんを信じろ! 俺は勝つ。誰も死なせねぇ! 俺の魔拳はチョー無敵だ!」


 そんな事言われたら、アイリスはもう何も言えなかった。戦わないと、頑張らないと、そう思って張り詰めていた緊張が切れて、ただの無力な女の子になってしまった。

 ぺたんと座り込んで、アイリスは言った。


「……約束よ! 嘘ついたら、許さないんだから!」

「任せとけ。へへ、兄妹ってのはいいもんだな」


 捨てられて、この世界に一人ぼっちだと思っていた自分に、こんな可愛い妹が出来たのだ。俺にも家族がいたんだな。そう思うと、フィストは無限に勇気が湧いてくるのだった。


「勝手な事を言うじゃないか? ろくに魔術も使えない山猿が、一人で僕を倒すだって? 舐めるのも大概にしろよ!」

「いいじゃねぇか。どのみちアイリスは戦えねぇんだ。俺を殺せば、アイリスも本気になるかもな。そしたらきっと、俺より強いぜ?」


 ニヤリとしてフィストが言うと、カイルが鼻を鳴らした。


「……いいだろう。安い挑発に乗ってやるよ。お前を殺すまで、二人には手を出さない」

「嘘ついたらお前、本当に負け犬だからな」


 フィストが釘を刺した。そう言えば、カイルが絶対に約束を破れないと思ったからだ。その代わり、カイルはブチ切れるだろうが。


「――僕は! 負け犬なんかじゃない!」


 予想通り、カイルはキレた。直後、部屋中の重力が百倍になった。影響を受けていないのは、カイルとアイリス達だけである。

 フィストは練気術による身体強化で耐えたが、倒れないでいるのが精一杯だった。


「どうした! 僕を倒すんじゃないのかい? デカい口を叩いて、立っているのがやっとじゃないか! 空間内の重力を百倍にした。逃げ場なんかどこにもない! これが僕の力だ! 今の僕なら、兄さんにだって負けやしない! 兄さん以下のお前が、勝てるわけないんだよ!」

「兄さん兄さんうるせぇな……お前、兄ちゃんの事好きすぎだろ……」


 全身を圧し砕かれそうな重圧に耐えながら、フィストは笑った。


「逃げ場なんかないって? その通りだ。あんたは、ここから、逃げられねぇ。だから俺も、安心して全力を出せるぜ」


 グサリと、フィストは左胸に親指を突き立てた。

 心臓に位置するそれは、気絶のツボと同じである。全身に張り巡らされた経絡の集合する大点穴だいてんけつの一つであり、死穴しけつと呼ばれる人体の急所でもある。加減して突けば一時的に全身の経絡を遮断して気絶させる事が出来るし、破壊すれば経絡不全を引き起こして死に至らせる事も出来る。上手く刺激を与えれば、全身の経絡を過活性化オーバーロードさせて、暴走状態にする事も可能だった。フィストはそれをやったのだ。師匠からは、死の危険がある切り札として教えられている。


「うぉぉおおおおおおおおおおおお!」


 獣のようにフィストは叫んだ。

 経絡の安全装置が解放され、フィストの全身を狂った量の魔力が駆け巡っていた。経絡が過負荷を受けているせいで、全身の神経を焼かれるような痛みをフィストは感じていた。が、それは練気術を応用した痛覚遮断で抑え込んだ。そうしなければ、痛みでショック死していただろう。それでも泣きたくなる程の苦痛だったが、可愛い妹と大切な親友の為ならば耐えられた。


 フィストの全身から迸る魔力によって、カイルの重力操作は相殺されていた。それほどの魔力を撒き散らしているので、フィストの下半身を覆っていたネイキッドアーマーも過負荷を起こして弾け飛んだ。フィストは全裸になっていたが、山猿なので気にしなかった。


「ちょぉ!? ああああああんた、なにやってんのよ!?」


 アイリスだけが気にしていた。真っ赤になって手で顔を覆いつつ、大きく開いた指の間から、逞しいフィストの身体をしっかり見つめていた。こっそり大事な所も見ようとしたが、フィストの身体はすさまじい魔力を纏ってギラギラ輝いていたので、よく見えないのだった。


「だから、全力をだしたんだよ。それ以上か? だからまぁ、長くは持たねぇ」


 経絡に対する過負荷もそうだが、過活性状態は、抑えきれない魔力が凄まじい勢いで放出される。二人の天才魔術士の素養を受け継いだフィストでも、あっと言う間に魔力を使い果たしてしまうのである。強力な切り札だが、逃げて時間を稼がれたら自滅するだけである。逃げ場がないのなら、そんな心配もいらない。


「逃げ場があれば、僕が時間稼ぎで逃げ回ると? ふざけやがって! どれだけ馬鹿にすれば気が――」


 時間がもったいないので、フィストは容赦なく殴りに行った。一歩で距離を詰め、全力の魔拳を叩きこむ。

 が、手応えはなかった。


 間一髪で、カイルは空間跳躍を使ったのだった。白くなった彼の肌を、冷たい汗が流れていた。まともに食らえば、ただでは済まない。


「なんて速度だ――」


 苦々しくカイルは言った。その瞬間にもフィストは稲妻のような速度で距離を詰める。


「――が、手足を縛れば動けまい!」


 再び空間跳躍で距離を取ると、カイルはフィストが空振りした一瞬の隙を突き、手足の空間を固定ロックした。


「しゃらくせぇ!」


 あっさりと、フィストはカイルの空間固定を引き千切った。全身が超々密度の魔力体も同然となった今のフィストなら、空間ですらも物理的に干渉できるのだった。


 研究者であり学者でもあるカイルにとっては、悪夢のような光景だった。そんなのは、人間技ではない。笑い話にもならないようなめちゃくちゃだった。


 虚空を蹴ってフィストが跳んだ。全身から噴き出す魔力の向きを制御して、砲弾のように一直線にカイルへとかっ飛ぶ。


「――ッ!?」


 カイルは空間跳躍で逃げたが、フィストは位相変位で仕切られた空間の壁を蹴って跳ね、すぐにカイルへと飛び掛かった。過活性状態で、純粋な身体能力以外にも、反応や感覚、思考速度も跳ね上がっていた。今のフィストには、こんな部屋、目を瞑ってたってカイルがどこに逃げたかすぐに分かるのだった。


 カイルは連続して空間跳躍を使うが、少しずつ避ける余裕がなくなっている事に気付いた。この短い間に、フィストがカイルの戦闘思考を学習しつつあった。その上、タイミングをずらしたり、フェイントを織り交ぜ、跳躍先を誘導しようとしている。二人の間で、超高速の読み合いが行われていた。


「――こんな、山猿に!」


 余裕を失って、カイルは酷くプライドを傷つけられた。こんなはずはない。僕は、力を得たんだ! 大勢殺して、畜生に成り下がって、なにもかもを捨てる覚悟で、魔族にまで身を落して手に入れた力なのに! なぜ勝てない! こんな山猿一匹になぜ苦戦する!? 兄さんでもない、ただの薄汚いガキに!? あり得ない! そんな事があってたまるか!?


 苦し紛れに、カイルは幻術を放った。精神魔術による幻覚は無理だ。あんな馬鹿げた存在に効く精神魔術など存在しない。カイルが選んだのは、複数の魔術を併用した精巧な囮だった。光を屈折させて疑似映像を浮かべ、そこに本物らしい魔力を埋め込む。そうして、百体程の囮をばら撒いた。この中を空間跳躍で飛び回れば、流石に分かるまい。


 そう思ったカイルの土手っ腹をフィストが打ち抜いた。一見して、囮と本体に違いはないが、フィストからすれば、生きた人間と造られた虚像では、明らかに動きが違っていた。


 カイルは血を噴いて吹き飛んだ。内蔵が潰れ、肋骨も折れている。が、そんな事はどうでもよかった。その程度の傷は、ヴァンパイアの高度な変身魔術で再生できる。実際に、カイルはそれをやってのけた。そんな事をしたのは初めてなので色々歪だろうが、少なくとも急場は凌げる。そんな事よりも、カイルは怒っていた。目から血の涙を噴き出す程に、怒り狂っていた。


「貴様ぁああああ! 手加減をしたな!」


 あれだけの高出力状態なのだ。本気で殴れば、それだけでカイルの身体は消し飛んでいるはずである。


「言っただろうが。誰も死なせねぇって。先生殺しちまったら、アイリスが泣いちまうだろ」


 ニヤリと笑った口元に、カイルは兄の面影を見た。

 それで、完全にキレてしまった。


「僕を! バカにするなあああああああああ!?」


 もう、なにもかもがどうでもいい。こいつを殺す。この山猿を! 兄さんの子を、フィオナさんを殺した悪魔を! その為だったら、僕はもう死んだっていい!


 カイルが放ったのは、マギオン家に伝わる最奥だった。

 マギオンの中でも限られた天才しか扱う事の出来ない、超々難度の秘術。

 兄アルバートが得意とした、最強の切り札。


「滅びの虹よ!」


 言葉通りの虹が走った。七色に輝く流星の如き光弾が、一直線にフィストを襲う。それは魔術の究極系、現象操作の極地である、概念魔術だった。

 その効果は意味消失。

 触れた物の存在を問答無用で抹殺する、虹の魔弾である。


「おぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおお!」


 フィストは叫んだ。それがとんでもなくヤバい一撃である事は理解した上で、全身全霊で迎え撃つつもりでいた。その一撃は、カイル=ミスティス=マギオンという人間が放った魂の咆哮だった。

 報われず、愛されず、狂い落ちた男の必死の叫びだった。俺が受け止めてやらなけりゃ救われねぇ! そんな想いで、フィストは拳を握った。


「俺の魔拳はぁぁあああ! チョー無敵だぁあああああ!」


 師匠に叩きこまれたその技の名は崩拳ほうけん。ただ魔力を拳に集め、タイミングよく解き放つだけのシンプルな技だった。それ故に、極めれば最強の威力を持つ技でもある。


 その瞬間、フィストの全身から迸っていた魔力が消えた。荒れ狂う全ての魔力はただ一点、フィストの拳に集約される。虹の光を掻き消す程の眩い魔力の光を宿して、フィストの拳が虹の魔弾を打ち抜いた。

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