第43話 あの日の誓い
「……なんだい、そりゃ」
呆れるようなカイルの呟きが静寂を壊した。
本当は、もっとじっくり楽しむつもりだった。カイルが苦しんだ理由を理解させ、苦しめて辱め、自分の受けた挫折と絶望の千分の一でも味合わせて、一本一本虫の足を千切るようにして縊り殺してやらなければと、そう思っていた。
そのはずが、激情に駆られてついうっかり、やり過ぎてしまった。
殴る事しか能のない山猿では、今の一撃は避けられないし防げない。
そう思ってがっかりしていたのだが。
フィストは無傷で立っていた。
穏やかに遠い目をして、軽く腰を落とし、両手を広げて、ゆっくりと奇妙な舞いを踊っている。上を向いた掌の上には、バチバチと呻る二つの雷球が浮かんでいた。
「師匠が言ってたぜ。弱い相手に勝てるのなんか当たり前だって。弱い奴なんか、普通にぶん殴ればそれで終わりだもんな。大事なのは、自分より強い相手に勝つ事だ。その為に、技があるんだとよ」
ぼんやりと、空気に溶けるような澄んだ魔力を纏いながら呟くと、フィストはそっと導くように二つの雷球を頭上で重ねた。
「チョー無敵流魔拳術、
師匠に習った技である。流転掌の名の通り、相手の攻撃を受け流し、回転に巻き込んで我がものとする。相手の放った魔術に宿る魔力と同調する繊細な魔力操作を求められる高度な柔拳術である。
カイルも一目見て、その技の本質を見抜いていた。魔力の同調と回転。円の軌道は無限に続く。だから、一度そこに乗せてしまえば、無限に受け流せると言うわけだ。理論上はそうだろうが、身体一つで実践するにはあまりに高度な技である。失敗した際のリスクを考えれば、とてもではないが実用的な技とは言えない。まったくもって非合理的な、馬鹿げた技と言う他ない。
そんな所も、フィストは兄に似ていた。マギオンの次期当主の癖に、わざわざ庶民の娘と結婚した馬鹿な兄。茨の道だと知っていてプロポーズを受けたフィオナもそうだ。自分なら、絶対に彼女を幸せに出来たのに。そう思うと、カイルの頭は黒い炎で燃えさかった。
「それで? 安定化させた雷撃の均衡を崩して、僕に撃ち返すつもりかい? 面白い、やってみなよ? あれだけの威力の雷撃を束ねたんだ。もしかしたら、僕を殺せるかもしれないね?」
空間魔術の用意をしながらカイルは言った。吸魔化したカイルなら、単身でポータルを開く事も容易い。ポータルを移動の為の術と考える者は多いが、自由に開ける者にとっては、最強の盾にして矛になり得る。フィストが回転の力を利用して雷撃を撃ち返すなら、カイルはポータルを利用して撃ち返された雷撃をさらに撃ち返すつもりだった。防御壁のようにポータルを展開し、フィストの真横に出口を設定する。それだけでフィストは塵も残らず消し飛ぶだろう。
「いいや。二人の命がかかってるからな。今回はもうちょっと安全に行くぜ」
ニヤリと笑うと、フィストは真上に浮かべた雷球を魔拳で叩いた。
回転の均衡が破れ、真上に向かって滝のように雷撃が解き放たれる。
一対一ならカイルの喧嘩に付き合ってやってもよかったが、二人の命がかかっているならフィストも遊ぶ気にはなれない。リーゼは無実なわけだし、ド派手に騒ぎを起こして助けを呼ぶつもりだった。いくらスラムだって、こんなバカでかい雷が飛び出したら大騒ぎになってアカデミーの連中が調べに来るだろう。
そう思ったのだが。
解き放たれた雷撃は天井にぶち当たって弾け飛び、無数の小さな雷撃となって部屋中に降り注いだ。
「どわぁ!? マジかよ!?」
慌てて床を跳び回りながら、飛んでくる雷撃を魔力の鎧で防ぐ。
「なるほど。花火を上げて助けを呼ぶつもりだったか。意外にセコイ手を考えるじゃないか。けど、そうはいかないよ。僕だって犯罪者にはなりたくないからね。その辺は抜かりない。君達が入ってきた段階で、この部屋にも位相変位をかけてある。この術がかかっている限り、この部屋は空間的に隔絶されている。建物の壁や天井は見えてはいるけど、実際には空間の壁で隔てられているわけだ」
「よくわかんねぇけど、先生をぶちのめさなきゃ出れねぇって事か」
「そういう事だ」
カイル教師の顔で男は笑った。
「バッカじゃないの!」
叫んだのは強烈な吸魔の余韻から復活したアイリスだった。カイルには大した脅威と思われていないのだろう。起き上がって距離を取っていたが、特に気にされず放置されていた。
「こんな事して、あんたはもうおしまいよ! あたし達を殺した所で、すぐにバレて捕まるに決まってるわ!」
気丈な振りをしていたが、アイリスはすっかりカイルの実力にビビっていた。マギオンで、天才で、超一流のアイリスである。魔術の腕で自分より秀でた相手なんか滅多にいない。だからこそ、自分よりも凄い相手には簡単にビビってしまうのだった。
本当は怖くて怖くて、パンツだってちょっと濡らしている。でも、アイリスだって死にたくないし、フィストやリーゼの事も助けたいので、必死に打開する方法を考えていた。無鉄砲なフィストとは違い、こんな頭のイカれたバケモノに勝てるなんて欠片も思っていなかった。だからどうにか、言葉でやり込められないかと思って話している。
「いくらあんたが強くたって、同盟にはもっと強い勇者がわんさかいるし、あたしを殺したって知ったらお父様だってきっと怒って帰ってくるわ! だから、バカな事はやめなさいよ! そうよ! 今ならまだ間に合うわ! おじ様はきっと、研究のしすぎで疲れてるのよ! それで、ちょっと頭がどうにかしちゃったんだわ! 今ならまだ誰も死んでないし、後戻り出来るじゃない! そうでしょう? 今日の事は、全部なかった事にしましょう! 二人にも、誰にも言わないように言っておくから!」
「……確かに。僕が間違ってたよ」
そう言うと、カイルはアイリスに向けて爆発弾を放った。
「ひぃっ!?」
アイリスは力場の壁で防いだが、受け止めきれずに吹き飛んで尻餅を着いた。本来の実力なら受け止められる威力だったが、アイリスは完全にビビって、いつもの制御力を発揮する事が出来ないのだった。攻撃されたショックと恐怖で、じゅわりと下着が濡れた。
そんなアイリスを、カイルは酷く軽蔑した表情で見つめていた。アイリスの心の中には、まだ優しかった叔父の想い出が残っているので、そんな表情で見られる事自体耐えがたい苦痛だった。それはずっと、アイリスが内心で恐れていた表情なのだった。こいつは敵なのに、悪い奴なのに、嘘つきの卑怯者なのに、そう思いたいのに、アイリスは物凄く悲しくて怖くなってしまうのだった。ガチガチと、小さな歯が鳴っていた。
「アイリスちゃん。本当に君はどうしようもない子だよ。この期に及んでなにを眠たい事を言ってるんだい? 君達と違って、僕にはちゃんと考える頭がある。捕まらないような筋書きを用意してあるに決まってるじゃないか」
そう言って、カイルは虚空に浮かぶリーゼを振り返った。リーゼはずっと、必死に何かを叫んでいる様子だったが、余計な口を挟まれると鬱陶しいので、位相変位を利用して声が届かないようにしてあった。
「元々の筋書き通り、罪は全部彼女に被って貰う。このシナリオは、アイリスちゃんがそこの山猿に負けた時から考えてあったんだ。これは利用出来るってね。で、いいタイミングになったから実行した。ただそれだけの話だよ。彼女はヴァンパイアだ。同じヴァンパイアのバロウズと接触して、悪い影響を受けた。君はそこのヴァンパイアに懐いているから、感化されて一緒にバロウズの脱走を手伝った。僕と山猿でそれを追いかけてここまで来た。君達は戦って共倒れになり、バロウズは逃げて、落ちこぼれの僕だけが生き残った。誰もこの僕が君達を殺せるなんて思わないし、反対派やマギオンを邪魔だと思っている連中は喜んで僕の描いた筋書きに飛び付くだろう。全ては僕の計画通りだ」
悔しいが、その通りだとアイリスは思った。カイルは今の今まで完璧に猫を被っていた。こんな馬鹿げた凶行に走るなんて、誰も考えもしないだろう。リーゼはいい子だけど、今回はそれが仇になった。バロウズの件で彼女が悩んでいた事は、大勢の人間が知っている。
だが、諦めるわけにはいかなかった。諦めたら、全てが終わってしまう。なにより、大好きなリーゼをそんな風に利用させるわけにはいかない。リーゼは吸魔症に対する偏見をなくす為に必死に頑張っているのに、あんまりじゃないか。リーゼが黒幕にされて、魔族を嫌っている連中のダシに使われるなんて、こんな酷い話はない!
だからアイリスは必死に考えた。カイルを思い直させる方法なんか全然思いつかないが、とにかくなにかしなくては! それに、自分は一人ではないのだ。フィストがいる。あの、めちゃくちゃな山猿が! だから、少しでも時間を稼げれば、フィストがどうにかしてくれるかもしれない! そんな淡い期待もあった。
「……そんな事をしたら、おじ様の評価だって地に落ちるわ! マギオンの名声だって! お父様の代わりに当主になりたいんじゃないの!?」
「別に、元から僕の評価なんてないようなものだ。マギオンの当主にも興味はない。アイリスちゃんの言う通り、僕の計画でマギオンの名は地に落ちる。君が死ねば、また醜い後継者争いが始まるだろうね。僕は適当に横槍を入れて、マギオンが没落していく様を愉しだけさ。マギオンなんか滅んでしまえばいい。その点に関してだけは、僕と兄さんの意見は一致していた……そうだろう兄さん……あんたが逃げたから、代わりに僕がやってやるんだ……あんたはいつもそうだ……嫌な役回りは、いつも僕に押し付ける……」
うわ言のように呟いて、赤い瞳が涙を流した。
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