第42話 亡霊
「バカな喧嘩か……山猿が、言ってくれるじゃないか」
「バカだからな。けど、あんたもバカだぜ。俺は先生の事、立派な奴だって結構尊敬してたんだ。こんな事しなくたってさ、先生は先生だろ!」
カイルの放った不可視の砲弾を、フィストは気配で捉え、ツバメ返しで投げ返した。疑似的な質量を伴った重力弾を、カイルは再度制御して霧散させる。
「何も知らないくせに、知ったような口を利くなよ。マギオンの僕がアカデミーなんかで教師をやっている事自体が屈辱なんだ!」
僅かだか、フィストは背後にカイルの魔力が現れたのを感じた。常人では気付く事の出来ない、ゴマ粒のように小さな点である。その意味を本能的に察知して、フィストは横に飛んだ。
直後、カイルの指先から稲妻が迸り、その点を貫いた。フィストが察知したのは、雷撃を誘導する為のマーカーだったのだ。
「踊れよ」
カイルが呟いた。直後、無数のマーカーが周囲に散らばる。フィストは即座に射線を見切って安全圏に移動した――はずだったが、背後から雷撃を受けた。魔力の鎧で弾いたが、衝撃で足が止まった。そこに、四方から雷撃が襲い掛かる。
「――ッ!」
フィストは冷静に、鎧として纏っている魔力の一部を解放した。パンパンに膨らんだ風船の口を開いたみたいに、そこから魔力が噴出し、反動を使って無理やり回避する。
「兄さんの代わりなんだ。それくらいやって貰わないと困るね」
歪んで笑みを浮かべてカイルが言った。直後、広い工場内に数千のマーカーが出現する。カイルの放った雷撃がマーカーの間を跳ねまわり、あらゆる方向からフィストを襲った。そしてその数は、どんどん増えていく。
フィストは魔力の解放に空歩を織り交ぜ、自身も稲妻のように空中を跳ねまわった。同時に、回避の反動を利用して手足を振るい、襲い掛かる雷撃を魔拳で相殺していく。
このままでは防戦一方である。フィストの使う魔拳術は派手に魔力を撒き散らす技が多いので、燃費が悪い。魔力量が多いのでそう簡単には魔力欠乏を起こしたりはしないが、こんな勢いで放出していたら、使用する為の魔力の練成が追いつかなくなる。事実、フィストが纏う魔力の鎧は徐々に厚みを失い、希薄になっていた。攻めるにしろ守るにしろ、どうにか一息ついて魔力を練り直したい所である。
そう思っていると、不意に雷撃が止んだ。カイルの放った無数の雷撃は、突然迷子になったみたいにあらぬ場所を彷徨っていた。すぐにフィストは、アイリスが余計なマーカーを生み出して雷撃に干渉しているのだと気づいた。
「あたしだっているんだからね!」
チェスでもするように、目まぐるしく変化するカイルのマーカーの位置を計算し、妨害マーカーを発生させながらアイリスは叫んだ。同時に、困惑する。アイリスは最初、カイルのマーカーに干渉して、自分の雷撃で自滅させようとした。だが、出来なかった。カイルの干渉力の方が上回っているという事だった。天才のアイリスの実力をもってしても、妨害するのがやっとである。カイルは落ちこぼれのはずなのに!
「そうだよ。わざわざ僕が二人同時に相手をしている意味を考えてくれ。山猿一人じゃ、兄さんにはとても及ばない。そんな相手を倒したって、兄さんを越えた事にならないじゃないか。だからアイリスちゃんも、死ぬ気で頑張ってくれないと」
「なんなのよ!? あんた、全然落ちこぼれじゃないじゃない!? それだけの力があるんだったら、普通にお父様と張り合えるじゃない!?」
本当にもう、アイリスはカイルという男の事が分からなくなってしまった。落ちこぼれで悔しくて捻くれたとか言ってる癖に、天才の自分よりも力があるのだ。言ってる事とやってる事がちぐはぐである。
「そりゃそうさ。何の為に僕が学者なんかやってると思ってるんだい? 世の為人の為? 馬鹿馬鹿しい! そんなわけないだろ! 力を得る為だ! 僕に足りないのは、魔術素養だけなんだ。魔術適正なら、兄さんにだって負けてない! だから僕は必死で勉強したんだ。天が与えてくれないのなら、自分で掴み取るしかないからね。その為に、大勢殺して、バラして開いて刻んで潰して、ようやく見つけたのさ。僕に足りない力を補う方法をね!」
魔力が弾けた。そう思った瞬間、カイルの姿が消えていた。だからフィストは、カイルは本当に消えたのだと思った。単純な高速移動なら、師匠で慣れている。カイルが師匠より早く動けるとは思えないので、フィストが目で追えないのなら、姿を消す術でも使ったのだろう。
悪くない推理だが、外れていた。
フィストはすぐに、カイルがアイリスの後ろに立っている事に気付いた。
アイリスも気づいたらしい。
「空間跳躍!?」
驚いて振り返る。空間魔術の代名詞のような術だが、人体に負荷をかけずに跳躍させるのは物凄く高度な術だった。アイリスだって、気軽には試す気に慣れない大技だ。
それをカイルは、難なくやってのけたのである。
振り向いたアイリスの首をカイルが掴んだ。
途端に、栓が抜けたみたいにアイリスの身体から魔力が漏れ出した。
陶酔的な快感には覚えがある。リーゼに魔力を吸われた時と同じ感覚だった。こちらの方がより強力で、暴力的だったが。
「あ、あああああああああああああああああ!?」
身体の内側を粘ついた触手でかき回されるような感覚に、アイリスは甘い悲鳴をあげた。それは苦痛であり、快感でもあった。恥ずかしいのに、抗えない。そんな感情すら魔力ごと吸い上げられる。
「アイリス!? カイル、おまえ! 吸魔症だったのか!?」
フィストが叫んだ。
いつの間にか、カイルの姿が変貌していた。髪と肌は雪のように白く、目は血を飲んだように赤い。完全に吸魔症の、ヴァンパイアのそれである。
「だとしたら、僕は君みたいに捨てられていたよ。この力は、後天的に身に着けたんだ。僕が、僕だけの力でね! そういう研究をしていたんだよ。魔族や強力な魔術士から、その力のエッセンスと呼べるような物を抽出する研究さ。あるいはあれは、魂と呼べるようなものだったのかもしれないね。一人から、ほんの少ししか絞れないんだ。だから、大勢殺したよ。それを取り込んで、少しずつ、僕の身体に定着させていったんだ。ははは、これが中々苦しくてね! 焼けた鉄を飲み込むような感覚だよ! それとも、活きの良いハリネズミかな? 酸性のスライムかもしれないなぁ。なんにせよ、僕は耐えたよ。だって、一つ取り込むごとに、僕は本当の自分になっていくんだから。落ちこぼれのカイルが死んで、本来あるべき僕に変っていく。だったら、どんな苦痛にだって耐えられるってもんじゃないか! あはははははははははははは!」
子供みたいに笑うと、急にカイルは不安そうな顔になって頭を掻きむしった。次の瞬間には、妙に老けた顔になって、呆けたような表情になる。まるで、彼の中に別の人間がぎっしり詰まっているみたいだった。最後に戻ったのが本当のカイルだったのか、フィストには分からなかった。そんなものは、とっくの昔に消えてしまったのかもしれない。
「いひひひ、はははは、う~ん。素晴らしぃい! 流石はアイリスちゃんだ。マギオンの魔力は実によく馴染む! 世界一のワインだって敵わない芳醇な香りを感じるよ。ふふふ、そうだね。こう考えると納得だ。君は、こうやって僕に飲まれる為に生まれてきたんだ。マギオンを超えるマギオンたるこの僕、カイル=ミスティス=マギオンの為にね! フィスト君、君もそう思わないか?」
「思わねぇな」
ぎりぎりと、固く拳を握りしめてフィストは言った。
「俺が思うのは一つだけだ。今すぐ、その手を、アイリスから離せ。さもないと、ぶっ殺すぞ」
「いははははははは!? いいねぇいいねぇ! 君も中々余裕がなくなってきたじゃないか! その顔が見たかったんだ! 最初から君の事はムカついてたんだ! だってそうだろ? 兄さんみたいな鼻をして、フィオナさんみたいな目をしてるんだからね。口は兄さんなのに、髪の色はフィオナさんだ! 惚けた所なんか、フィオナさんそっくりだよ! その癖、兄さんみたいに我が強い。僕の事を馬鹿にしてるとしか思えないじゃないか! 君は、この世に存在しちゃいけない子供なんだ。悪夢だ。亡霊だ。死ねよ、死んでしまえ!」
アイリスをゴミみたいに放り投げ、カイルが叫んだ。直後、目を焼くような閃光が弾け、数百の雷撃が全方向からフィストに向かって襲い掛かった。
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