第40話 この時をずっと待っていた
アカデミー市は特別な街だった。エレオノール王国の領内にあるが、同盟管理の中立地帯という事になっている。大昔、この辺りには別の国が栄えていて、魔王戦争の際、その国は魔王軍に味方していた。
戦争に負けてその国は解体されたが、魔王戦争には沢山の国が関わったので、領地の分け方で揉める事になった。資源があったり、地理的に重要な土地はみんな欲しがる。喧嘩になるので、そういった土地は同盟が間に入って一旦預かることになった。
誰かの物になると喧嘩になりそうな土地は、長い間保留にされ、その間に同盟の手が入って復興した街もある。アカデミー市もそんな街の一つだった。長い年月が経って、結局この辺りはエレオノール王国に併合されたが、その時の名残でアカデミー市のある一帯は今も同盟管理の中立地帯なのだった。
アカデミーには世界中から色んな国の若者が集まる。アカデミーと共同研究を行う為に、色んな企業も集まって来る。そういうわけで、アカデミーはエレオノール王国の領内にありながら、世界の縮図のようにちぐはぐな街になっていた。
中には開発に失敗したり、同盟を敵視する危険団体の大規模なテロ攻撃を受けたりして、荒廃した地区もある。世界中からいろんな人間が集まって来るので、中には悪い奴らもいて、そういった連中が住み着いて、スラムとして固定化されてしまっている。
そういった地区は、犯罪者が身を隠すにはうってつけの場所である。
そこは、ずいぶん昔に倒産して、そのままになっている缶詰工場のようだった。錆びついた看板には、かすかにそのような名残が見受けられる。上空をぐるぐる回って確認したが、狩人の印を追いかけるコンパスの針は、確かにこの建物を示していた。
「リーゼがスラムに逃げたのは不幸中の幸いね。ここなら、ちょっとやそっと騒いでも問題にならないわ」
「そうなのか?」
ホッとするアイリスに、物知らずのフィストが聞いた。
「この辺りはほとんど無法地帯なのよ。犯罪者が住み着いてて、事件があるのなんて当たり前なの。だから、もしバロウズと戦う事になっても、警察を呼ばれる心配はないって事」
「あんな奴、拳骨一発で終わりだよ」
「そうだけど、なにがあるかわからないでしょ……」
曖昧に、アイリスは言葉を濁した。
「リーゼがバロウズの味方するかもって心配してるなら、平気だよ。俺は素手だからな。怪我させないで捕まえる方法なんか幾らでもあるぜ」
アイリスの心配を見抜いてフィストは言った。リーゼの実力は分かっている。気絶のツボを一突きで終わりだ。
「そうだけど……一々言わなくていいの! もう!」
アイリスが頬を膨らませる。
「なんで怒るんだよ」
「デリカシーがないからよ!」
「またそれか。難しいんだよな、そのデリカシーっての」
フィストとしては、アイリスの不安を解消したくて言ったのだが。上手くいかない物である。
「まぁいいや。リーゼに会いに行こうぜ。こんなに心配かけやがって。拳骨だぜ」
ちょっとEランクの実習に出かけるような気軽さでフィストは言った。もしバロウズが一緒にいなければ、アイリスとは今生の別れになるかもしれないのに。
そう思うと、アイリスは悲しくなった。同時に、フィストを頼もしく思う。彼が付いていれば、最悪の事態になってもリーゼは大丈夫だろう。その事に、暗い嫉妬を覚えなくはないが、それ以上にリーゼの事が大好きなアイリスだった。
「ぐすん……そうね!」
これが最後の涙だと決意して、力強く答える。
そうして二人は、薄暗い工場の中に入って行った。
看板には缶詰工場と書いてあったが、中の設備はほとんど取り払われて、錆びついたガラクタと誰かが持ち込んだ粗大ごみが転がっているだけの寂しい場所になっていた。
最初の部屋には何もなかったので、奥の部屋に進む。と言っても、大きな工場を薄っぺらい壁で区切っただけのような部屋だったが。
「……ぇ?」
その部屋に入って、アイリスは驚いた。
コンパスの示す通り、リーゼはいた。
暗闇の遠く向こうで、見えない十字架に磔にされたよう両手を広げて空中に浮かんでいる。
「だめ! 逃げて! これは、二人をおびき出す為の罠なんです!」
必死の形相でリーゼが叫んだ。
「バロウズの仕業ね! 安心してリーゼ! あんな奴すぐにやっつけて助けてあげるわ!」
アイリスはホッとした。バロウズがいるのなら、全部解決だ!
「そうじゃない」
くんくんと、空気の臭いを嗅ぎながらフィストは言った。
「そうじゃないって、どういう事よ?」
「バロウズはここにはいないって事だ。臭いがしねぇ。なんだかわからねぇけど、物凄く嫌な感じがするぜ……」
周囲に満ちる黒い感情を帯びた魔力の気配に、フィストの背中が粟立った。
「バロウズがいないって……だったら誰がリーゼを……」
「カイル先生です! あの人は二人を! フィストさん達を殺すつもりなんです!」
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