第38話 まだ助かる
「……嘘よ! どうしてリーゼがそんな事! 信じられない!?」
カイルの話を聞いて、ヒステリーを起こしたアイリスが叫んだ。
日付は変わり、時計の針は深夜二時を示していた。
フィストにしては珍しく、その日は早く寝つけなかった。二人と街に繰り出すのが楽しみで、目が冴えていたのである。なので、いつもやっているトレーニングをもう一セットこなして、ベッドに入った。
それでも暫く眠れず、ようやくうとうとしてきた頃、不意に気配を感じて起き上がった。何かが来る。そう思っていると、誰かが窓を叩いた。多くの生徒がそうであるように、フィストは寮暮らしである。部屋は六階だ。奇妙だが、その程度の事で慌てるフィストではない。
窓を見ると、一羽のカラスが手摺に止まって、くちばしで窓ガラスを叩いていた。やはり奇妙だが、街に住んでるカラスは野山のそれより悪賢いのだろうという事で納得した。なんにしろ邪魔くさいので、窓を開けて追い払おうとした。
「僕だ、カイルだ。このカラスは臨時の使い魔だ。緊急事態なんだ。大事な話があるから、出来るだけ人目につかないように、こっそり僕の教師室まで来て欲しい。詳しい事はそこで話そう」
カイルの声でカラスが言った。使い魔の術というのがある事は、アイリスに習って知っていた。色々と方法はあるらしいが、精神魔術で動物なんかを使役したり、五感を共有したりする術らしい。よくわからないと言ったら、その辺を飛んでいた小鳥を使い魔にして、上から糞を落してきた。フィストは避けたので大丈夫だったが。他の術を併用する事で、伝言を預けたり、喋らせる事も出来ると言っていた。それがこれなのだろう。
よくわからないが、緊急事態らしいので、フィストは素直に従った。こっそりと言われたので、そのまま窓から飛び降りた。適当に地面が近くなったら、師匠に習った壁歩きを応用して、手に集めた魔力で壁に吸い付き、減速して着地する。
そんな感じで、習った技を使い、誰にも見つからずにカイルの教師室までやってきた。
「も、もう来たのかい?」
「緊急事態だって言うから急いで来た。どうしたんだ?」
驚くカイルに尋ねると、詳しい話はアイリスが来てからすると言われたので、だったら急ぐことなかったなと思いつつ暇を持て余した。
それから暫くしてアイリスがやってきて、少し前にリーゼがカイルの研究室にやってきて、カイルを襲ってバロウズと逃げた事を知らされたのだった。
「しー! 静かに! 騒いじゃだめだ!」
押し殺した声で叱られて、アイリスはハッとして口を押さえた。
「……だって、そんな、おかしいもの……リーゼがそんな事するなんて……」
ショックで泣きそうになるアイリスの肩を、フィストはがっちり掴んで正面から見つめた。
「しっかりしろよ。とにかく今は泣いてる場合じゃねぇだろ」
言われてアイリスは、ぐしぐしと涙を拭って鼻をすすった。
「わ、わかってるわよ!」
そうとも。こんな時だからこそしっかりしないと!
「で、カイル先生。どういう事なんだよ。さっきの説明じゃよくわからねぇ。もっと詳しく教えてくれよ」
「正直、僕もなにがなんだかという感じだけど。心当たりはなくもないんだ。実は昨日、リーゼさんに、バロウズがどうなるのか聞かれたんだ。変に誤魔化すのも違うと思ってね、明日の実験で、命を落とす事になるだろうって伝えたんだ」
「そんな! どうしてそんな事リーゼに教えちゃったの!?」
責めるように、アイリスが言った。
「嘘をついてもすぐバレる事だよ。彼女の信頼に応える意味でも、本当の事を話すべきだと思ったんだ。それがまさか、こんな事になるとは……」
「……じゃあ、リーゼはバロウズを助ける為に先生を襲ったって事か?」
「そうなんだろうね。夜中に研究室を訪ねて来た時点で気付くべきだったんだ。最後にどうしても、バロウズと話したいって頼まれてね。バロウズには拘束具をつけていたし、少し話すくらいならと思って収容房の鍵を出したら、後ろから魔力を吸われたよ。生憎僕は、マギオンの癖に魔術素養には恵まれなかったから。魔力欠乏を起こして、気を失ってしまったんだ。気付いたらリーゼさんはいないし、収容房ももぬけの殻さ。それで急いで、君達を呼んだんだ」
「呼んだって言われても……あたしには無理よ! リーゼを捕まえるなんて、そんな残酷な事、とてもじゃないけど出来ないわ!」
また泣きそうになってアイリスが叫んだ。リーゼが親友である事はカイルだって分かっているはずなのに、そんな事をさせる為に呼びつけるなんて! アイリスは初めて、叔父を嫌いになりそうになった。
「勘違いすんなよアイリス。先生は使い魔まで使って内緒で俺達を呼びだしたんだ。そんな手間のかかる方法を使うって事は、なにかリーゼを助ける方法があるって事だろ」
フィストは言った。フィストは物事を知らないだけで、考える頭がないわけではなかった。犯罪者を逃がしたリーゼを捕まえるだけなら、こんな手間をかける必要はないし、自分達を使う理由もない。むしろ、フィスト達は絶対にリーゼの味方をすると分かっているから、捕まえるまで話を隠しておくはずだ、とフィストは考えた。どうでもいいような時はぼんやりしているが、大事な時はちゃんと真面目に考える男なのである。
それを聞いて、アイリスは茫然とした。
「……本当なの、おじ様?」
縋るような気持ちでカイルに尋ねる。
「当たり前じゃないか。リーゼさんはアイリスちゃんの友達だし、僕にとっても大事な教え子なんだ。彼女が悪い子じゃない事は、僕だってよくわかってる。今回の事だって、正義感や善意でやったんだろう。難しい問題だからね、僕としても、リーゼさんを断罪するつもりはないんだ。その逆だよ。この事はまだ、僕達しか知らない。リーゼさんのやった事は犯罪だけど、そんなのはバレなければ罪じゃないからね。誰かに知られる前にリーゼさんを連れ戻して、バロウズを回収できれば、今回の件はなかった事に出来る。その為に君達を呼んだんだ」
話を聞いて、アイリスの胸に希望の花が咲いた。
「おじ様!」
嬉しくなって、アイリスはカイルに抱きついた。
「やっぱりおじ様だわ! あたしが困った時は、いつだって助けてくれる! 賢くて頼りになる、一番の味方よ! 少しでもおじ様の事を疑うなんて、あたしったらどうかしてたわ!」
「はしゃいでる場合じゃねぇだろ」
ぴしゃりと言うと、フィストはアイリスの首根っこを掴んでカイルから引き剥がした。
「話はわかったけどよ、カイル先生。二人を捕まえるのに、なにか手掛かりはあるのかよ」
問題はそこだった。バレる前に連れ戻さないといけないのだから、時間との勝負になる。何もなくてもフィストには一応手があったが、手掛かりがあるのならそれに越したことはない。
「なかったら、僕だってこんな危険な賭けには出ないさ。やられておいてこんな事を言うのもなんだけど、これでも一応はマギオンの人間だからね。気絶させられる前に、リーゼさんに狩人の印をつけたんだ。それを追えば、リーゼさんはどうにかなる」
そういって、カイルはアイリスに追跡用のコンパスを渡した。
「バロウズはどうなるの?」
「……一緒にいる事を願うしかないね。わざわざ別れて行動する理由もないから、一緒にいるとは思うけど……」
「バロウズを捕まえる時に使ったコンパスは使えないのかよ」
「時間が経ちすぎてる。あの時の狩人の印はもう消えてるよ」
「なら、バロウズが身につけてた物とかあるか?」
「ちょっとフィスト、匂いで探すとか言わないわよね!?」
「リーゼを助ける為なんだ。なんだって試す価値はあるだろ」
「それもそうね……」
本当にめちゃくちゃな奴! と思うが、役に立つのならこの際なんだっていい。
「そ、そうかい。一応研究室には、バロウズが着ていた肌着が残ってるけど……」
ちょっと引くような顔でカイルが言った。
「そんじゃ、そいつを取って来たらすぐに出発だ! ダッシュで行ってくるから、トイレに行きたかったら今の内に行っとけよアイリス!」
「へ、平気よ! いいから、早く行きなさいよ!」
真っ赤になってアイリスは言った。本当はちょっとおしっこに行きたかったのだが、恥ずかしいので平気な振りをした。フィストがいなくなったら、ダッシュでトイレに行くつもりである。それにしても、本当にデリカシーがないんだから!
「おう!」
言われて、フィストは教師室の窓から飛び出した。
「……本当に山猿なんだから……」
呆れると、アイリスはもじもじしながらカイルに言った。
「えっとね、おじ様……」
「うん、行っておいで」
アイリスのトイレが近い事はカイルも知っていたので、余計な事は言わなかった。
「カイル先生! 研究室ってどこにあるんだ!?」
「きゃぁっ!」
アイリスがトイレに行こうとした途端、逆さになったフィストが窓から顔を出した。
びっくりして、アイリスはちょっとチビってしまった。
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