第37話 シャーリー=スー
「そうね~。本当に少しだけだけど、精神支配の影響が残ってるかしら」
体内魔力を簡易的に調べる為の特別な聴診器をリーゼの胸から離すと、医術教員のシャーリー=スーが間延びした声で告げた。
紺色の長髪にナイスバディの、眠たげな目をした美人である。着ている物は胸元を開いたラフなシャツとタイトスカートで、上から白衣を羽織っている。
夕食を食べ終わった後、アイリスがどうしてもと心配するので、リーゼを診て貰う為に三人で医療棟にやって来ていた。
医療棟はアカデミー内での病院のような場所で、医術科の生徒の校舎にもなっている。
アカデミーでは同盟公認の戦闘術士を育成する勇者科の他にも、医術科や錬金科、魔導科といった別の学科も併設してあった。勇者科の生徒はなにかと怪我が多いので、実習材料の確保が難しい医術科で利用している。錬金科や魔導科も似たような利点があり、加えて、同盟加盟国内での技術水準の均等化といった目的もある。勤勉な生徒の中には、複数の学科に席を置く生徒もいた。
そういうわけなので、本来なら、医術科の生徒が対応するのが普通だった。しかし、その場にいた医術生は、ヴァンパイアのリーゼを怖がって、誰が対応するかで揉めていた。付き添いには、噂の山猿とマギオン家のアイリスまでいる。三人は良くも悪くも有名で、対応を間違ったら面倒な事になるかもしれないという不安もあった。
教員のシャーリーはちょっとマッドな所があったので、珍しいヴァンパイアの身体を診られるチャンスだと思い、だったら私が貰っちゃうわよと引き受けたのである。
面倒な学内政治には関わりたくないので、シャーリーは中立派に身を置ているのだが、そうなると珍しい患者は勢力の多い融和派や反対派に取られてしまうので、願ってもない機会だった。
「そんな、本当ですか!?」
「ほら! だから言ったじゃない! リーゼの不安は、全部精神支配のせいだったのよ!」
驚くリーゼに、ほら見た事かとアイリスが言った。
「でも、自分じゃ全然そんな気はしなくて……自分の気持ちだと思っていた物が違うのなら……私は何を信じたらいいんでしょうか……」
愕然としてリーゼは言った。なんだか、物凄く大事なものを穢されて、踏みにじられた気分である。
「リーゼ……」
自分の意見を通して余裕が出たアイリスは、今更になってリーゼの気持ちを考えた。確かに、心を弄られるって凄く嫌な事だ。可哀想なリーゼ。慰める言葉を見つけられず、アイリスはいつもリーゼにして貰っているように、リーゼをギュッと抱きしめた。先生に診てもらう為にリーゼは椅子に座っているので、今ならチビのアイリスが抱きついても、滑稽な事にならずに済むのである。あたしのぺらっぺらなおっぱいじゃ全然安心しないと思うけど、元気出してね……と、心から同情する。
そんな二人の姿を見て、シャーリーは思った。
「エッロ」
「あん?」
駄々洩れた心の声をフィストが聞き咎めた。
シャーリーは普通に変態だった。男でも女でもいいが、同性がイチャイチャしているのを見るのが好きなのだった。特に、リーゼとアイリスのような、身分や性格や体格が著しく異なる組み合わせが大好物である。それとは別に、ちょいちょい生徒にも手を出していた。女の子でも男の子でもオッケーである。なんなら教師にも手を出している。最近はウルフを狙っている。リーゼもアイリスも余裕でストライクゾーンで、勿論フィストにも興味を持っていた。熟練の医術士にして三級勇者の資格を持つシャーリーの目から見ても、フィストはものすご~~~~くイイ身体をしているのである。正直、かなりそそられる。
「ん~。なんでもないわ。それよりこの子、なにがあったのか聞いてもいいかしら?」
シャーリーは節度を弁えた変態である。粘ついた欲望は胸の奥に一旦しまって、医術教員の務めを果たした。
フィストはバカだが野生児なので、この女なんか肉食獣みたいな雰囲気があるな、と思いつつ答えた。
「実はさ――」
「な~るほどね」
一通り聞いて、シャーリーは頷いた。
「リーゼちゃんの不安は間違ってはいないけど、正解でもないわね。医術士として、一つ授業をしてあげましょうか」
眠たげな微笑を浮かべてシャーリーが言った。
「精神魔術に関する授業よ。あなた達、受けた事ないんでしょう?」
リーゼとフィストは頷いた。
「あたしはマギオンだから、精神魔術くらい使えるわ」
ふふんと、アイリスは得意気にツインテールを揺らす。
「でも、仕組みは理解していないでしょう?」
「それは……そうだけど……」
あっさり言い返されて、アイリスはぷくっと頬を膨らませた。
そんなアイリスが可愛くて、シャーリーはたまらなくなった。流石にマギオンの娘は危険すぎて手を出せないが、そうでなかったら誘惑している所である。
「一口に精神魔術と言っても色々あるから、例外はあるし、ざっくりした説明になるんだけど。大前提として、万物は魔力を宿し、魔力は意思を伝える。意思には当然、感情とか想いが含まれるわよね? ここまではいい?」
「おう!」
「本当に?」
元気よく返事をするフィストを見て、アイリスが怪しんだ。だって何も知らない馬鹿な山猿だ。疑わしいじゃない。
「二人が頑張って教えてくれたからな! そんくらいは分かるようになったぜ!」
難しそうな話が理解出来た嬉しさと感謝の気持ちでフィストは笑った。勉強した甲斐があったぜ! と誇らしい気分である。
無邪気な笑みで言われたので、アイリスは胸がキュンとしてしまった。意地っ張りなのでその意味を理解出来ず、戸惑うばかりである。
「と、とーぜんでしょ!? あたしとリーゼが二人がかりで教えてるんだから! そのくらい、当たり前なの! 全然自慢にならないんだから!」
本当は褒めてあげたいのに、やっぱりアイリスは意地悪を言ってしまうのだった。
「だな! でも、二人にはめっちゃ感謝してるぜ!」
そんな事を言われて、アイリスとリーゼは二人して真っ赤になってキュンキュンするばかりである。気付いていないが、盛大に母性をくすぐられている。
そんな三人を見て、シャーリーもキュンキュンしていた。主食は同性物だが、たまには甘酸っぱい普通の異性愛もいいものね。性癖は特殊だが、基本的には雑食のシャーリーだった。
「話を続けるわよ。万物が魔力を宿し、魔力が意思を伝えるなら、魔力を介して自分の意思を相手に押し付ける事も出来る。ざっくりと言えば、それが精神支配の仕組みね。リーゼちゃんは、魔力を介して直接相手の意思を心に捻じ込まれたの。ただ、あまり強力な精神支配ではないようだから、支配と言うよりは、揺さぶりと言った方が正しいと思うけど」
「じゃあ……やっぱり私は、自分の意思でアイリスさんに襲い掛かっちゃったんですね……」
悲しいような、安心するような、自分でも分からない複雑な気持ちでリーゼは言った。
「そんな事ないわよ! 先生! いい加減な事言わないで!」
アイリスは怒った。折角丸く収まりそうだったのに、何で余計な事を言うのよ! と。
「気持ちは分かるけど、私は本職の医術士よ? いい加減なはずないじゃない」
「そうだけど!」
あーもう! 空気読んでよ! と思いながらアイリスが歯噛みする。
「ま~聞きなさいって。私が言いたいのは、あなた達二人は、どっちも正しいし間違ってるって事。リーゼちゃんは確かに精神支配の影響を受けたわ。でも、それは絶対的な支配と呼べる程の強度じゃない。でも、そこは大して重要じゃないわ。戦闘と同じで、上手く心の隙を突けば、弱い精神支配でも絶大な効果を与える事が出来るんだから。相手は同じ吸魔症の人だったんだし、リーゼちゃんはまだ若いんだから、心のバランスを崩されても仕方がないのよ?」
「でも……」
「でもはナシ。先生が仕方ないって言ったら仕方ない事なの」
リーゼの反論を許さずに、シャーリーが話を続ける。
「で~、もう一つの問題についてね。精神支配を受けた自分の心は本当の心なのか? 哲学的な問題に見えるけど、なんてことないわ。第一に、リーゼちゃんに残ってた精神支配は、精神支配がかけられてた痕跡を認められるってだけで、効力が残る程の強度じゃなかったもの。効果自体はすぐに消えてたはずよ。でも、それはそれとして、あなたが受け取った想いは残っているわ。例えるなら……そうね。絵の具のついた筆を想像してちょうだい。それが、あなたの心のカンバスに触れてるの。筆を退かさない限り、いくら拭っても絵の具は消えないでしょ? それに、筆を退かしても、一度ついた絵の具はカンバスに残り続けるわ。そして、元々あった絵具と混じり合うのよ」
「……それってやっぱり、私の心は書き換えられちゃったって事じゃないですか……」
泣きそうになってリーゼは言った。
「そうだけど、そんな事は誰の身にも日々起きてる事じゃない。意思を伝えるのは魔力だけじゃない。そうでしょう? 誰かとお話ししたり、本を読んだり、ただ目を合わせるだけでも、私達は誰かの意思を感じて、そこから影響を受ける。精神支配はそれを、物凄く直接的で暴力的に行っているってだけよ。だから答えとしては、気を強く持ちなさいって所ね。自分の気持ちってなんなんだろうなんて言い出したら、それこそ哲学の領分で、考え出したら鬱になるわ。リーゼちゃんは真面目な性格みたいだから、余計によくないわね。あなたはあなたよ。吸魔症の普通の女の子。あんな目にあったら、悩んじゃうのは当然じゃない。でしょう?」
シャーリーの言葉がしみ込んで、リーゼの胸を塞いでいた不安の霧が晴れだした。とにかくいけない事なんだと思っていたが、仕方がないと思えれば、随分と楽になれた。なにより、普通の女の子と言って貰えた事が、涙が出る程嬉しかった。
「う、う、うぅ、じぇんじぇぇえええ~!」
なので泣き出して、リーゼはシャーリーの胸の中に顔を埋めた。シャーリーもそのつもりで、招き入れるように両手を広げていた。シャーリーの大きな胸の間は、うっとりと甘い大人の香りがした。いつも抱く側に回っていたリーゼは、大きな胸の間がこんなにも心地良い事を初めて知った。そりゃアイリスも、事あるごとに潜り込んでくるわけである。勿論、アイリスの薄っぺらい胸も、小さな心臓が一生懸命脈動する音が聞こえて、頑張らなくちゃと勇気を貰えるのだが。
「よ~しよし。あなたはまだ子供なんだから、先生に甘えていいのよ」
眠たげな目でリーゼの背中を撫でながら、シャーリーは制服越しに柔肌の感触を味わっていた。はぁ~、役得。これだから教師はやめられないわ。ついでにこの子の信頼を得て、その内色々と吸魔症の研究を手伝って貰いましょう、などと腹黒い事を考えている。
甘えん坊のアイリスは本能的に、いーないーなと指を咥えてシャーリーのおっぱいに埋もれるリーゼを羨んでいた。
フィストは、この先生良い人なんだろうけど、なんか油断できねぇなと警戒している。
「アイリスちゃんも来る?」
アイリスの視線に気づいて、シャーリーは言った。
「あ、あたしは別に……」
「今だけよ?」
ぽよんと大きな胸を揺らして、シャーリーが流し目を送った。
今だけ。そんな事を言われたら、アイリスはこの機を逃すのが物凄く損な気がしてきた。
「……リーゼは泣き虫だから、あたしも一緒に慰めてあげるわ」
コホンと咳払いをして、アイリスはリーゼに抱きつくようにしてシャーリーの胸に潜り込んだ。まるでお母さん豚の乳に群がる子豚である。
まさか本当に来るとは思わず、シャーリーは有頂天だった。チョれ~! この子、マギオンなのにこんなチョロくて大丈夫なの!? と心配になる程である。
「フィスト君もどうかしら?」
調子に乗ってシャーリーは言った。
「いや、普通に考えておかしいだろ」
フィストは言った。物知らずの山猿だが、アカデミーで一ヵ月以上過ごせば、それくらいの常識は身についた。
あのフィストにそんな事を言われて、アイリスとリーゼも我に返った。私達、二人並んで先生のおっぱいに抱きついて、なにやってるんだろう……。
カァ~ッと真っ赤になり、物凄く気まずい気分でおっぱいから離れる。
ともあれ、シャーリーのお陰でリーゼの不安は解消された。
色々あったが、二人はすっかり仲直りして、もっと仲良くなれた気がした。
そんな二人を見て、フィストも色々安心した。
少しトラブルはあったが、Cランクの実習も解禁されたし、結果を見れば順調である。
Cランクの実習はEランクとは比べ物にならないくらい大変になるが、この三人なら問題ない。こんなに早くCランクが解禁されたグループはないだろうから、周りの目も今まで以上に変わるだろう。
だから、そろそろ少しくらい休んでもいいんじゃないだろうか?
アイリスの提案で、近い内にお休みを作って、三人で街で遊ぼうという話になった。
Eランクの実習を回しまくったので、結構お金が貯まっていた。
アイリスは普通の女の子みたいに友達と街で遊ぶ事をずっと夢見ていたし、リーゼも同じ夢を持っていた。山猿のフィストはそんな日が来るなんて夢にも思わなかったが、とてもいい考えだと思った。
そういうわけで、早速次の休日に街に繰り出す約束をした。
その約束は守られなかった。
当日になって、二人はリーゼがバロウズを脱走させ、一緒に行方をくらませた事を知らされた。
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