第36話 喧嘩

 食堂は賑やかだったが、三人のいるテーブルは葬式のように静かだった。


 カイル教師の答えはショックだったが、彼にはお世話になっているし、変に誤魔化すような事もしなかった。一介の生徒であるリーゼには、文句を言えるわけもない。だからと言って納得できるわけでもなく、裏切られたような気持ちで落ち込んでいる。


 アイリスは慰めたかったが、難しい問題なので、どうやって声をかけたらいいのか分からず、必死に言葉を探していた。


 フィストも同じような物だった。アイリス程深刻には考えていないが、適当な気持ちで、気にすんなよ! とか言えるような場面でない事くらいは分かっていた。こんな時は無理に声をかけても仕方がない気がするので、せめて自分くらいは明るくしていようと、気にしない振りをして食事を楽しんでいる。


「……ねぇリーゼ。怒らないで聞いて欲しいんだけど。おじ様のしている事は、そんなに悪い事じゃないと思うのよ」


 出し抜けに、アイリスが言った。沢山考えて、どうにかリーゼを納得させられそうな言葉を見つけたのである。


「……別に私は、怒ってるわけじゃないんです。ただ、ショックで……」


 虚ろな目をしてリーゼは言った。言葉通りだった。色々な想いが込み上げていたが、今向き合ったらどうにかなってしまう気がして、考えないようにしている。


 そんなリーゼを見て、アイリスは胸を痛めた。吸魔症って大変なんだ。リーゼと親友になって、分かったつもりになっていたけれど、全然分かっていなかった。そんな自分を反省する。そして思うのだ。親友なんだから、あたしが支えてあげなくちゃ! っと。


「気持ちは分かるわ、なんて言えないけど。でも、考え方次第だと思うのよ。だってそうでしょ? 吸魔症の人だけがああいう扱いを受けてるんだったら、それは差別だとあたしも思うわ。でも、そうじゃないの。リーゼは知らないかもしれないけど、魔術士の凶悪犯罪者が研究材料にされる事は、結構ある事なのよ」


 喋っている内に、アイリスは不安になってきた。どうにか論理的に説明して、リーゼのもやもやを失くしてあげたいと思っていたのだが、かえって傷つけるだけかもしれない。こんな話をしたら、嫌われちゃうんじゃないだろうか? そう思うと、物凄く不安で怖くなった。けれど、話し始めてしまったので、やめるわけにはいかない。


 幸い、リーゼは前向きな反応を見せてくれた。


「そうなんですか?」


 純粋に、驚いた様子で聞き返した。


 少しホッとして、アイリスは話を続けた。勢いが大事だと思って、明るい雰囲気を出してみる。


「そうなのよ! 魔術士って不思議でしょ? 分からない事がいっぱいあるのよ! 魔術士しかかからない病気もあるし、魔術素養や適性は遺伝するけど、庶民の家系に急に強力な魔術士が生まれる事もあるんだもの! そういうのを研究するのは大事な事でしょ? 病気の人は救われるし、魔術素養や適性の仕組みが解明出来れば、もっとたくさんの人が魔術を使えるようになるかもしれない。そういうのを研究する為に、死刑になるような魔術士の凶悪犯罪者が利用されてるの。どうせ悪い人たちなんだから、刑務所に入れて税金で養ったり、ただ死刑にするより、よっぽど世の中の為になると思うわ。そうよ、これは悪い事をした罰なの。沢山殺したんだから、その分を命で償うのは、当然じゃないかしら?」


 だから、おじ様は悪くないんだ! 胸のもやもやを言語化出来て、アイリスはスッキリした。リーゼにも、その事を分かって欲しい。上辺だけ見れば残酷に思えるかもしれないが、別にカイルだけがやっている事じゃないし、世の中の為になる事なのである。だから、リーゼが気を病む事なんか、何一つないのである。


 そんな想いでアイリスは言った。ある程度はリーゼにも伝わったのだろう。幾分表情が柔らかくなるが、期待した程ではなかった。


「……そうかもしれませんね」


 どことなく、無理をしたような笑みを浮かべてリーゼは言った。


「まだなにか気になる?」


 咄嗟に否定しかけて、リーゼは嘘を飲み込んだ。アイリスは親友である。慰めようとしてくれている必死な気持ちは、リーゼにも痛い程に伝わっていた。だからこそ、ご機嫌伺いのような誤魔化しは、してはいけないと思った。


「……アイリスさんの言う通りなんだと思います。私も、頭では分かってるはずなんです……」

「でも、納得出来ない?」


 少し迷って、リーゼは小さく頷いた。


「バロウズさんは、悪い人だと思います。こういう目にあって、当然の事をしたんだと思います。でも、考えちゃうんです。もしあの人が、吸魔症じゃなかったら、こんな事にはならなかったんじゃないかって」

「それは……」


 リーゼの反論には、一通り答える準備をしたつもりになっていた。けれど、それについては、アイリスは全く考えもしなかった。


「私は運よく良い人達に巡り合えて、こうして楽しく暮らせてますけど、きっとあの人はそうじゃなかった。私なんか想像も出来ないくらい辛い思いをして、他の人達の事を、同じ人間だなんて思えないくらい歪んでしまったんじゃないかって。あの人は、身も心もヴァンパイアになってしまったんです。だから、人間なんか喋るお菓子くらいにしか見えなかったんだと思います。自分の事を否定して、イジメて、差別した人間の魔力を吸って殺すのは、気持ちのいい事だったんだと思います。ざまぁみろって。仕返しのつもりでやってたんじゃないかって。でも、あの人だって最初からそんだったんじゃなくて、周りの人がよってたかってあの人をバケモノに変えちゃったんじゃないかって……」


 物凄く深刻な話になってしまい、アイリスは焦った。さっきまでは、自分が頭を使えば、リーゼを納得させる事なんか簡単だと思っていたのに、そんな事は全然なかった。アイリスは己の浅はかさを呪った。このままでは、こちらが言いくるめられてしまう。そんなわけにはいかない!


「考え過ぎよ!」


 上手い言葉が見つからず、取り合えずアイリスは大きな声を出してみた。


「私には、そうは思えません。あの人を他人だなんて、思えないんです。だって、私にはあの人の気持ちが分かるんですから。あの人程じゃないですけど、私だって辛い思いはしてきました。だから私の中にも、醜いヴァンパイアの心があるんです。立場が違ってたら、私もきっと、あの人のようになってたと思うんです」

「馬鹿言わないで! そんな事、絶対ないんだから!」


 聞いていられず、アイリスはバァン! とテーブルを叩いて立ち上がった。

 何事かと、大勢の注目を集めるが、そんなのは知った事ではない。


「そんな事、ありますよ。実際、私は以前、アイリスさんに嫉妬して、意地悪をした事があるんですから」

「黙りなさい! そんな下らない話、これ以上聞きたくないわ! なによ! 意地悪なんか、あたしはいっつもやってるわ! それに、あたしは可愛くて凄くて偉いマギオンの娘なんだから、嫉妬するのは当たり前じゃない! そんなの全然理由にならないわ! これ以上あたしの親友の事を悪く言うんだったら、リーゼだって許さないわよ!」


 アイリスはすっかり頭にきて、わけもわからず怒鳴り散らした。だって、リーゼは物凄く良い子なのだ。自分なんかの千倍良い子だ。あんなに意地悪をして馬鹿にしたのに、全部許して、仲良くしてくれる。自分だったらそんな事、絶対に出来ない。他にも沢山、数え切れないくらいいい所がある。そんなリーゼが悪いヴァンパイアだったら、世の中の人間はみんな極悪人になってしまう! なんだっていいが、もうとにかく、これ以上は一ミリだって、リーゼを悪く言うような言葉は聞きたくないのだった。


 リーゼはポカンとした。ウルフにちょっと説教をされたくらいで性格が変わるわけもないので、リーゼは今でも自尊心に乏しい根暗なネガティブだった。だから、どうしてアイリスがそんな風に怒るのか、理解出来ないのである。


「あ、アイリスさん? お、落ち着いて下さい……」


 とりあえず、周りの目が恥ずかしいので、リーゼはアイリスを宥めた。


「うっさいバカァ! リーゼが悪いのよ! 変な事言ってあたしを心配させて! リーゼは悪くないの! あんたが悪いって思うのは、全部勘違いなの! そうよ! きっと、精神支配の影響がまだ残ってて、おかしくなっちゃってるんだわ! 食べ終わったら、あたしと一緒に医療棟に行って見て貰いましょう! それで、ちょっとお薬でも飲めば、いつものリーゼに戻るんだから!」


 アイリスが、物凄く心配してくれている事は理解出来た。その気持ちは、本当なら涙が出るくらい嬉しいはずなのに、なぜかリーゼはカチンときてしまった。


「なんでそんな事言うんですか? 私は、おかしくなんかありません! 私の気持ちを、アイリスさんが否定しないで下さい!」


 違う、違うの! そんな事を言いたいわけじゃないの! こんなのはただの八つ当たりじゃない! それはリーゼにも分かっていた。けれど、止まらないのだった。親友だからこそ、この気持ちを頭ごなしに否定されたのが許せなかった。


「なによそれ! リーゼの分からず屋!」

「それはアイリスさんです! 自分だけが正しいなんて思わないで下さい!」


 勢いで、二人はテーブルを挟んで取っ組み合いを始めた。


「リーゼが悪いのよ! リーゼの事悪く言うから!」

「私が私の事悪く言おうが私の勝手じゃないですか!」

「勝手じゃないわ! リーゼは私の親友だもの! 悪く言ったら許さないんだから!」

「知りませんよそんなの!」

「知りなさいよバカァ!」

「バカはそっちです! バカァ!」

「はぁ!? あたしの事、今バカって言ったわね!?」

「だってバカじゃないですか! バカバカバカバカバカ!」

「六回も言った! リーゼの癖に!」

「ほら! アイリスさんだってそうやって、心の底では私の事見下してるんでしょ!」

「なんでそんな意地悪ばっか言うのよ!」

「先に意地悪言ってきたのはアイリスさんじゃないですか!」


 二人が互いにほっぺたを引っ張り出したので、堪えきれなくなってフィストは笑い出した。

 それに気づいて、二人が叫ぶ。


「ちょっとフィスト!」

「なに笑ってるんですか!」

「ひひひ、わりぃ。二人とも、バカみてぇだからさ」

「な、はぁ!?」

「フィストさんに、バカって言われた……」


 アイリスはブチ切れ、リーゼは愕然とした。


「バカはあんたでしょ! 山猿のあんたにはわかんないでしょうけど、あたし達は今、とっても大事な話をしてたの!」

「そうですよ! 物凄く真剣だったんです! フィストさんにはわからないでしょうけど!」


 内心では二人とも、互いに喧嘩なんかしたくないと思っていたので、怒りの矛先は自然とフィストに向いた。


「わからねぇよ。俺はバカだからな。けど、お前らだってバカだぜ。こんなに仲良しなのに喧嘩なんかするんだからさ」


 言ってから、ふとフィストは思い出した。


「待てよ? そういや師匠が、喧嘩する程仲がいいとか言ってたな。ま、どっちにしろ仲良しって事だ。良い事じゃねぇか、なぁ?」


 ニカッと、フィストは笑った。バカみたいな笑顔を向けられて、二人もすっかり馬鹿馬鹿しくなってしまった。実際、フィストの言う通りだった。お互いに、相手の事は親友だと思っている。喧嘩する理由なんか、全然ないのである。


 だから、アイリスは謝ることにした。リーゼは沢山辛い事があったのだし、今まで沢山意地悪をしてきたのだから、ここは自分から謝るのが筋だと思ったのである。


「……ごめんね、リーゼ。あたしが悪かったわ」

「なに言ってるんですか! アイリスさんは私の事を心配してくれただけで! うじうじして八つ当たりしちゃった私が悪いんです!」


 ハッとして、リーゼは言った。今更になってウルフの言葉を思い出したのである。これでは悲劇のヒロインを演じる構ってちゃんだ。アイリスは全然悪くないし、だからこそ、謝ってほしくない。


「ううん。本当に、あたしが悪いの。リーゼの話をちゃんと聞くべきだったわ」

「違いますってば! 私があれこれ悩みすぎるのが悪いんです!」


 折角譲ってあげてるのに、変な意地張らないでよ! と、アイリスは段々イライラしてきた。リーゼもまた、なんでわかってくれないんですか? とイライラしてきた。


「あたしが悪いんだってば!」

「いいえ! 私が悪いんです!」


 気がつけば、また取っ組み合いが始まっていた。


「うはははは、また喧嘩してら!」


 腹を抱えて笑うフィストを、二人は同時にキッ! と睨んだ。


「「だから!」」

「笑うなってば!」

「笑わないで下さい!」


 そんな二人をゲラゲラと、野次馬達も笑うのだった。

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