第34話 セックスよりも気持ち良い事
「フィストさん!?」
「ちょ! あんた、なにやってんのよ!?」
驚いて二人が叫ぶが、フィストはそれどころではなかった。
朽ちかけた死体はフィストの一撃を受けてバラバラに吹き飛んだ。手応えとしては、自ら砕けたと言った方が正しいだろう。散り散りになった破片は蒸発して集まり、白い霧の塊になった。
「バロウズだ! こいつ、死体に化けてやがった!」
二人に警告する。そうしている間にも、霧は風に流れるように、離れた木の枝の下あたりに移動した。
「気を付けてください! 吸魔症は、肉体を変化させる術に適性があります!」
リーゼが叫んだ。リーゼから、事前に吸魔症の人間が持つ魔術適正について講義を受けていたので知ってはいた。それでも、こんな風に身体を霧にされると驚く。
霧は急激に晴れ、中からバロウズが姿を現した。リーゼと同じ、白い髪と肌に赤い目を持つ、長髪の若い女だった。それが、重力を無視して、逆さまになって枝に立っている。練気術の応用で、足の上に集めた魔力で木にくっついているのだろう。
「バロウズって、女だったの!?」
驚いて、アイリスが叫んだ。てっきり男だと思っていたのだった。
「ひゃぁっ!?」
リーゼは悲鳴をあげて顔を赤くした。バロウズが全裸だったからである。背は高く、すらりとして、胸が大きい。目は切れ長で、妖艶な色気を放っている。
当たり前のように師匠と一緒に水浴びをしていたフィストは、女の裸なんか特に気にもしなかった。
逆さに立ったまま、バロウズは面白がるようにフィストを眺めている。身体変化術の応用だろう。肌の奥から浮き上がるように黒革のボンテージが現われ、バロウズの裸体を隠した。露出度で言えば、裸と大差ない。
「魔力は消してたし、結構上手く化けてたつもりなんだけど。どうして分かったのかしら?」
挑発するように唇を舐めて、バロウズが聞いてくる。
「俺が背中見せた時、襲おうとしただろう。殺気が漏れてたぜ」
「……それが分かるって事は、ただの学生勇者ってわけじゃなさそうね」
警戒するように、バロウズが目を細める。
「当たり前でしょ! そいつは拳聖の弟子で、あたしはマギオン家のアイリスよ! リーゼは……あんたと違って正義の吸魔症なんだから!」
慎重に言葉を選びつつ、アイリスはビシッと指をさした。
バロウズが舌打ちを慣らす。
「拳聖の弟子に、マギオンの娘? 冗談でしょ!? ていうか、なんでヴァンパイアが一緒にいるのよ!?」
「そりゃ、お前と違ってリーゼはいい奴だからだろ」
「手荒な事はしたくありません! 私達はあなたを捕まえに来たんです! 大人しく、捕まって下さい!」
説得しようと思い、リーゼは言った。出来れば無傷で捕まえたかった。自分と同じ吸魔症の人間を前にして動揺していたという事もあるが、そこは優しいリーゼである。仮に相手が吸魔症でなくとも、同じ事を思っただろう。
そんなリーゼの気持ちを、バロウズは鼻で笑った。
「はっ! 手荒な事はしたくないって? あんた、馬鹿なんじゃない? あたしは沢山殺してんの。捕まったら、死刑に決まってるじゃない!」
「で、でも、私達の目的は捕縛で――」
言われて、リーゼは激しく動揺した。そんな事は考えれば分かる事だったのに、自分と同じヴァンパイアを捕まえるという事で頭がいっぱいになっていて、それ以外の事は考える余裕がなかったのだ。こうして現実を突きつけられた今も、認める事が出来ないでいる。
「あんた、本当になにも知らないのね。同盟は、あたし達みたいな魔族を捕まえて、研究材料にしてんのよ! その辺のモルモットみたいに、バラバラに切り開いて、あっちこっち弄りまわして、魔族の力の秘密を解き明かそうとしてんのよ! あんたが通ってるアカデミーだって一枚噛んでるのよ? そんな事も知らないで勇者になろうとしてるなんて、ちゃんちゃらおかしいわね!」
「そんなの……う、嘘です! そんな話、信じません!」
バロウズの言葉に、リーゼは激しくショックを受けた。そんな話は初耳だった。罪人が裁かれて死刑になるのは仕方がない。悲しい事だが、自業自得だ。けれど、魔族の犯罪者を捕まえて研究材料にしているというのは、物凄く冒涜的で、おぞましい行為に思える。自分はそれに加担するのか? それも、同族であるヴァンパイアに対して? 動揺して、リーゼはすっかり混乱してしまった。
「リーゼ!」
そんなリーゼをアイリスが一喝した。
「なに真に受けてんのよ! あいつは魔王論者で、人殺しの犯罪者なのよ!」
「でも、あたしは嘘は言ってないわよ。それに、あたしがこんな風になったのはあんた達が悪いのよ。あたしだって普通の人間でいたかったわ。それをあんた達がよってたかったバケモノにしたんじゃない。あたしはただ、あんた達の望む通りに演じてるだけよ。恐ろしくておぞましい、魔族のヴァンパイアをね。あはははははは!」
「黙りなさいよ!」
アイリスの魔術が炸裂し、バロウズの身体が燃え上がる。
「あぁぁあああああああ!?」
「いや、いやぁ!? やめて、アイリスさん!」
バロウズの苦しむ声を聞いて、リーゼはどうにかなってしまった。バロウズは他人なのに。吸魔症というだけの、おぞましい殺人鬼なのに。それなのに、彼女に自分を重ねてしまった。あれは、私なんだ。ちょっとしたボタンの掛け違いで、私だってああなっていたかもしれない。そうなる確立の方が、ずっと高いはずだったんだ。そう思うと、どうしても他人とは思えなくなり、アイリスに抱きついて魔力を吸ってしまった。
「リーゼ!? やめて! 正気に戻って!?」
栓が抜けるように魔力を奪われながら、アイリスは必死に呼び掛けた。哀しみと苦しみで狂ったリーゼの目を見て、アイリスはふと閃いた。
「バロウズ! あんた、リーゼに精神支配をかけたわね!」
「あはははははははははははははは!」
リーゼの横やりが入って、バロウズを覆う炎は消えていた。どのみち彼女は、全身を無数のコウモリに変えて逃げていたが。
別の木の枝にぶら下がると、人の姿に戻ったバロウズが哄笑する。
「折角授かった力だもの。利用しないと勿体ないでしょ? それに、三対一なんて卑怯じゃない?」
ニヤリとして、バロウズが言った。吸魔症の人間は、精神魔術の適性を持つ事も多いのだった。その他にも厄介な魔術の適性を持っている事が多いので、なにかと危険視されているのである。
加えて吸魔症は、他者の魔力を吸い取るという特殊な能力を持っているせいか、精神支配のような魔術の影響を受けやすい。バロウズの精神支配はそれほど強力ではなかったが、そういった術に対する抵抗訓練を受けていないリーゼは、簡単に心を乱されてしまっていた。
「ふざけないで! リーゼの心を弄んで! この子はあんたみたいなヴァンパイアが普通に暮らせるように頑張ってるのよ! それなのに! あんたは本当のバケモノになって、罪のない人を沢山殺して、リーゼまで傷つけて! 絶対に許さないわ! ねぇリーゼ! お願いだから正気に戻って!?」
アイリスが懇願する。リーゼは完全に我を忘れていて、半狂乱になってアイリスに抱きついて魔力を吸っている。マギオンの血を受け継いだアイリスの魔術素養は凄まじく、リーゼが本気で魔力を吸った所で簡単に枯渇したりはしないのだが、こんな状態では安定して魔術を制御する事は出来ないのだった。
「あははははは! 美しい友情じゃない! 正気に戻った後、その子がどんな顔をするか見物だわ! 今まで沢山の人間の魔力を吸い殺して来たけど、同族を吸い殺した事はまだないのよ。その子、あんたの魔力を吸ってるでしょう? 二人の魔力が合わさって、さぞ美味しいでしょうね、ふふふふ、あはははははは!」
バロウズの高笑いが響いた。アイリスは悔しかった。相手がリーゼでなければ、乱暴に振り払う方法など幾らでもあるのだが、大事な友達のリーゼには、そんな危ない真似は出来ないのだった。なにがマギオンよ! こんな大事な時に役に立たないんじゃ、意味ないじゃない!
泣きそうになりながら、アイリスは初めて他人を頼った。
「フィスト! あんたなにやってんのよ! 黙ってないで、助けなさいよ!」
アイリスが怒るのも当然だった。さっきからフィストは、何もしないでバロウズの話を聞いていたのである。
「そうなんだけどさ。リーゼ以外の吸魔症ってどんな奴なのか知りたくて」
呟くと、フィストは一瞬でアイリスの所まで駆け寄った。
「ごめんな、リーゼ」
呟くと、リーゼの左胸にズプンッと人差し指を突き入れた。
「ふぁぁ!? ああああああんたこのドサクサになにやってんのよこのスケベ!?」
仰天するアイリスを他所に、リーゼはくるんと白目を剥いて気絶した。
「ふぎゅっ!?」
抱きつかれていたアイリスは、そのままリーゼに潰されて地面に倒れた。
「気絶するツボを突いたんだ。わりぃけど、あいつは俺が貰うぞ」
師匠に習った技の一つだ。人体には経絡という魔力の通り道があり、それが交差する場所は
アイリスはギャーギャーと文句を言っていたが、フィストは無視してバロウズに向き直った。
「お前が誘拐した村の女の人はどうした」
「全部美味しく頂いたわ」
その味を思い出すように、バロウズが唇を舐める。
「死体はどこだ」
「食べカスの捨て場なんかいちいち覚えてると思う?」
「そうか。お前、どっちがいい? 俺にボコられて連れてかれるか、大人しく捕まってボコられるか」
「それって選ぶ意味ある?」
「大人しく捕まった方が優しいぜ」
「そうね。じゃあ、あんたを殺して魔力を吸う事にするわ。それとも、魔力を吸ってから殺そうかしら?」
それが答えだと判断して、フィストは歩き出した。
「選ぶ意味があるのかって。そっちも聞くのが礼儀だと思わない?」
フィストは無視して歩き続けた。
バロウズはつまらなそうに溜息をつく。
「生きてる人間から魔力を吸った方が美味しいのよ。どうしてだと思う?」
フィストは歩き続ける。
「魔力は意思を宿すのよ。つまり感情ね? 死んでる人間の魔力は砂みたいに味気ないわ。逆に、今まさにあたしの腕の中で死に行く人間の魔力は……はぁん。どんな薬やセックスも敵わない、最高の快感があるわ。文字通り、人生の味って奴かしら。あんなの、一度味わっちゃったら病みつきよ。ねぇ、聞いてる?」
バロウズがぶら下がっている木の真下についたので、フィストはジャンプした。練気術で強化した脚力で、ひとっ跳びでバロウズの前まで跳び上がる。
「黙ってろよ。舌噛むぞ」
拳を振り上げる。
「馬鹿ね、あたしは霧になれるのよ? 殴れるわけ――」
フィストが拳を振ったので、バロウズは身体を霧に変えた。
フィストの拳は問題なく霧を捉え、身体変化の術が解けたバロウズは殴られた勢いで地面に叩き落とされた。
スタッと、気絶したバロウズの横に着地する。
顔面をもろに殴られて、バロウズの美貌は台無しだった。鼻ごと顔面の骨を砕かれて、歯もほとんど吹き飛んでいる。
「霧がどうしたって? 俺の魔拳に、殴れねぇものはねぇんだよ!」
聞こえた訳もないだろうが。
そう言って、フィストはフンと鼻を鳴らした。
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