第32話 猿真似

「……本当に、大丈夫?」


 木々の茂る緩い傾斜の山を登りながら、ふとアイリスは尋ねた。


 保安官の誤解を解き、挨拶がてら情報共有を行った後、早速三人は犯人を追いかけて、村の近くにある名もなき小山を登っていた。


 捕縛対象の名は、バロウズ=ギム。元々は同盟指定の危険団体である魔王論者の過激派組織、王国党バシレイアのメンバーだったが、彼らの掲げる魔王論の実現という目的とは無関係の快楽殺人を繰り返した為放逐され、逆に王国党からバロウズを処分するようにとの情報の提供があった。


 それで、同盟の斥候要員が確認に向かった所、この近辺に潜伏するバロウズと、対象が行ったと見られる凄惨な連続殺人事件を認めた為、追跡用の印魔術である狩人の印ハンターズマークがかけられ、Cランクの実習としてアカデミーに捕縛を委託したという経緯だった。


 カイルがあえてこの実習を試験に選んだのには、それなりの目論みがあった。アイリスがアンダーや旧魔族に対する差別と軋轢を解消する為にフィスト達と組んだというのは、アイリスが決闘に負けた事を誤魔化す為の方便だが、説得力を出すにはそれなりの成果を出す必要がある。


 かつて、魔族と呼ばれた者達の多くが魔王の手先となって戦った歴史があるせいで、どうしてもそういった人間は魔王論者の仲間のように見られやすい。そういった偏見を正すには、ヴァンパイアであるリーゼの手で、同じヴァンパイアである凶悪犯罪者を捕まえるのが効果的であるという判断だった。


 微妙な問題なので、カイルも無理強いはしなかった。


 アイリスは難しい問題なので、何も言えなかった。


 フィストはリーゼを信じていたから、彼女の答えに任せる事にした。


 リーゼは迷うことなく了承した。


 ヴァンパイアはただの魔術特性で、それ以上でも以下でもない。炎術に適性のある人間が炎術使いの犯罪者を捕まえるのに戸惑う理由があるだろうか? 悪いのは炎術ではなく、その使い手である。そんな想いでリーゼは受けた。むしろ、吸魔症に対する偏見をなくしたいと思っていたリーゼとして、望む所ですらある。


 そんなリーゼをカイルは賞賛し、こうして三人はポータルを使って、名もなき山の麓にある辺鄙な寒村にやってきたのである。


 リーゼの左腕には、腕時計のような物が二つ並んでいる。一つはそのまま腕時計で、もう一つは狩人の印をかけられた対象を指し示すコンパスだった。狩人の印の効果は数日で切れるそうなので、それまでに捕まえなければ失敗になってしまう。三人とも、そんなに長くかけるつもりはなかったが。


 アイリスもリーゼの決意は聞いていたが、いざ現地にやってくると、どことなくリーゼから緊張したような雰囲気を感じて、心配になって尋ねたのだった。


 魔境化しているわけでもない、どうという事のない野山である。落ち葉が積もり、藪があって、坂になっている。ただそれだけで、街育ちの二人はかなり歩きにくかった。フィストは平気だが、二人に歩幅を合わせつつ、少し先行して、周囲の気配や魔力の兆しを警戒している。


 尋ねられて、なにがとはリーゼも聞かなかった。額の汗を軽く拭うと、遠い目をして答える。


「……大丈夫だと思ってたんですけど。いざやってきたら、不安になってきました。吸魔症はただの魔術特性で、バロウズって人と私は何も関係ない。頭では分かってる筈なんです。でも、実際にその人を前にしたら、同じ事が言えるのかなって……」


 自分で聞いておいて、アイリスは言葉に困った。今更やっぱりやめたというわけにはいかない。


 困っているアイリスの気配を察して、フィストが口を挟んだ。


「心配すんなよ。そいつを捕まえるのは、俺がやるからさ」


 難しい事は分からないが、フィストに出来るのはそんな所だ。どの道危ないのでそうするつもりではあったのだが。


 慌ててアイリスも言い返す。


「なに言ってんのよ! バロウズを捕まえるのはこのあたしよ!」

「なら勝負すっか?」


 ニヤリとして、フィストが言った。アイリスと課外実習を受けると、二言目にはこれである。フィストが切り出さなければ、向こうから言ってくる。結構似た物同士なのだった。


 だが、今日のアイリスは乗ってこなかった。


「バカ! 魔物退治とはわけがちがうんだから! 人間相手は遊びじゃないのよ!」


 本当はアイリスも勝負をしたかったのだが、リーゼの前で遊ぶのは失礼な気がして我慢したのだった。フィストは全くそんな風には思わなかった。


「そうか? 同じだろ?」


 平気な顔で言うのである。アイリスはリーゼの顔色が気になって冷や冷やした。本当にこの山猿は、デリカシーってものがないんだから!


「違うわよ! 吸魔症と魔物は全然違うの!」

「んな事分かってるよ。そーいう事じゃなくてさ、相手が人間だろうが魔物だろうが、死ぬ時は死ぬだろ? だから、戦うのに違いなんかねぇって事。いやでも、人間相手の方が面白いから、やっぱ違うか?」


 アイリスを眺めながら、フィストは言った。彼女との決闘や、これまでの勝負を思い出していた。魔物と戦うよりもずっと楽しいので、やっぱ違うなと考えを改める。


「面白いって……本当にあんたって山猿なんだから……」

「ウキィー!」


 言われて、フィストは猿の真似をした。


「ぶふぅっ」


 アイリスには全くウケなかったが、リーゼは噴き出した。オナラみたいな声を出して、真っ赤になって口を押さえる。


「す、すみません。おかしくて、つい」

「ウキィー? ウキィー!」


 調子に乗って、フィストはもっと猿の真似をした。声だけでなく、動きも真似て、飛び跳ねる。


「ぶほぉっ! あは、あはははは、やめ、やめてください!」


 噴き出して笑うと、リーゼは助けを求めるようにアイリスに視線を送った。

 フィストも負けじと、お前もやれよとアイリスに目配せをする。

 困ったようなリーゼの顔を見て、アイリスはフィストの味方をする事にした。

 なんでもいいから、リーゼに笑って欲しかったのだ。


「ウキィ!」


 猿の真似をするフィストの真似をして、アイリスは中腰になり、頭やお尻を掻きながらリーゼの周りを飛び跳ねる。


「ぶはぁ!? あ、あははは、アイリスさんまで! やめ、あははははは! やめて、いひひひひ、ひぃーっ!? おかしくて、漏れちゃう! 出ちゃいます! あひゃ、あひゃひゃひゃひゃひゃ! 無理、無理ぃ!」


 息が尽きる程爆笑して、リーゼはくの字になって見悶えた。


「ウキィ! ウキウキ!」

「ウキキキィ!」


 笑い狂ったリーゼにガチギレされるまで、二人は猿の真似を続けた。

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