第31話 ありふれた偏見
「――はぁ!? ちょ、待って!」
手を伸ばせば届く距離に壁があり、驚いてアイリスは叫んだ。
「なんだ? うぉ!?」
「どうしたんですか? きゃぁ!?」
「――ふぎゅっ!?」
続いてポータルから出て来た二人に押し出されて、アイリスは壁に押し付けられた。
「なんだよここ。せめぇ部屋だな」
臍の辺りでアイリスを押しつぶしながら、呑気なフィストが言った。
背中には、ぴったりとリーゼが密着している。
「も、物置でしょうか?」
ドキドキしながらリーゼは言った。それ以外には見えない部屋だった。狭くて、薄暗くて、壊れた椅子や冬用のソリなんかが適当に放り込まれている。置き場所に困ってポータルアンカーをしまったのだろうが、迷惑な話である。
それよりもリーゼは、フィストとがっちり密着している事の方が重要だった。リーゼの大きな胸越しでも伝わる逞しい背中、暖かな体温、うなじから香る野性味のあるフィストの体臭。思わずリーゼはうっとりして、すんすんと匂いを嗅ぎながら、フィストの背中に体重を預けた。リーゼは臭いフェチなのだった。
「ぎゃあああああ! 潰れる! 潰れるぅううう! 下がって! 下がってってば!」
アイリスの悲鳴に我に返って、リーゼは一旦バックした。
†
実習票には、ポータルの出口は村の保安官事務所と書いてあった。なのでそこは、保安官事務所の物置なのだろう。
勇者同盟は各国の治安機構と連携を取っているので、同盟支部の職員がこの村にポータルアンカーを設置するにあたり、当局から任命された保安官の事務所が設置場に選ばれたのだろう。
それ自体はどうでもいい。保安官事務所だろうが、教会だろうが、村長の家だろうが、大した違いはない。大事なのは、こういった小規模の集落がポータルの出口に選ばれた場合、ポータルアンカーの設置してある建物の人物が、その実習における現地での窓口役であるという事だ。
つまり、挨拶をしておく必要があるのである。
散々騒いだので向こうも気づいたのだろう。物置の扉を開けると、カウボーイハットを被った太鼓腹の中年男が緊張した顔で立っていた。
同盟職員から勇者が派遣されると聞いて緊張していたのだろうが。先頭に立つアイリスの姿を見た途端、露骨に舐めた顔になった。なんだ、学生勇者を寄こしたのか。それも、こんなちびっ子を。そう顔に書いてある。
それを見て、アイリスは早速イラっとした。なによこのおっさん! あたしはあの有名なマギオンなのよ! こんなちんけな小屋、指パッチンで吹き飛ばせるんだから! ちょっと派手な魔術でも見せて一発かましとこうかしら!
実際、あと一歩でそうする所だった。
そうしなかったのは、フィストの影から顔を出したリーゼを見て、保安官がパニックを起こしたからである。
「のわぁ!? なんでヴァンパイアが一緒に居るんだ!」
叫ぶと同時に腰を抜かして、ドシンと盛大に尻餅を着く。
「ひぃ! ひぃ! だ、誰か、たたた、助けてくれぇい!」
悲鳴をあげながら、わたわたと不格好に這って逃げようとする。
それを見て、アイリスがキレた。
「ちょっとあんた! なによその態度! この子はヴァンパイアじゃなくて吸魔症よ! 失礼な事言ってると灰にするわよ!」
ボワァっと、掌の上に炎を浮かべてアイリスが凄む。
「ひぃいい! 勇者を呼んだつもりが、魔王論者がやってきた! この村はもうおしまいだぁ!?」
何を勘違いしたのか、保安官は頭を抱えて丸くなり、がたがたと震えだした。
「はぁ!? だれが魔王論者よ!」
ますます怒るアイリスに、二人が止めに入った。
「やめとけって。おっさん、怖がってるだろ」
「そ、そうですよ。私は気にしませんから」
「あたしが気にするのよ! こいつ、説教してやるわ! これだから田舎者は嫌なのよ! 吸魔症は魔族じゃなくて、あたし達と同じれっきとした人間なんだから!」
つい一か月ほど前まではアイリスもリーゼの事をヴァンパイアと呼んで見下していた癖に、そんな事はすっかり棚に上げて怒るのだった。
リーゼとしては、その気持ちだけで十分である。理解者などほとんどいなかったリーゼである。フィストと出会えただけでも十分だった。それが今は、アイリスもいる。自分の事を同じ人間だと認めて尊重してくれる友達が二人もいるのだから、知らないおじさんにヴァンパイアだと恐れられても、全然……は言い過ぎだが、そんなには傷つかないのである。
だからリーゼは、怒るアイリスの後頭部をおっぱいで挟み込むようにして、後ろからギュッと抱きしめた。そして、怒った気持ちと一緒に魔力を吸う。おっぱいとぎゅっと吸魔が大好きなアイリスなので、一発で大人しくなった。ぽへ~と、至福の表情で吸われている。
「その気持ちだけで私は十分ですから。それにほら、ヴァンパイアの犯罪者が暴れてるそうですから、保安官さんもきっと神経質になってるんですよ」
そのくらいの事は、冷静に考えれば分かる事である。すぐ冷静でなくなってしまうのは、アイリスのよくない所だった。
「……ぅん。そうね。リーゼがそう言うなら、許してあげるわ」
まだ少しおっぱいとぎゅっと吸魔の余韻でぽへ~っとしながら、アイリスは言った。
フィストは二人を信用しているので、余計な事は言わなかった。リーゼがアイリスを宥めている間に、保安官のおじさんが這って表に出ようとしていたので、赤ん坊でも抱くみたいに抱え上げて捕まえておく。
「おっさん捕まえといたぞ」
アイリスが落ち着いたようなので、震えるおじさんを差し出すようにしてフィストは言った。
言われて、アイリスはフン! と鼻息を荒げた。とりあえず誤解を解いて自分達がアカデミーから派遣された仮免勇者である事を説明しないといけないのだが、おっさんを見ていると、先ほどの事を思い出してムカムカしてしまうのだった。
「……ここは、私に任せてください」
それを察してリーゼは言った。
「リーゼ? でも、あなた、知らない人と喋るの、苦手でしょ?」
心配して、アイリスは言った。仲良くなればリーゼはお喋りな子なのだが、仲良くない相手や自分を怖がる相手には、無口になってしまうのである。だからアイリスは、リーゼの分も自分が喋ってあげないと、と思っていつも前に立つようにしていた。
「だからですよ。特に今回みたいな場合は、私が自分で話さないといけないと思うんです」
血のように赤いリーゼの瞳には、控え目だが力強い決意の光が漲っていた。
ヴァンパイアのリーゼが、同じヴァンパイアの犯罪者を捕まえる。
その行為が示す意味を、リーゼは誰よりも理解しているのだった。
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