第29話 和解
「……さっきの事、誰かに言ったら、怒るんだからね」
たっぷりリーゼのおっぱいに甘えた後、落ち着いたアイリスは、真っ赤になって言った。
「言いませんよ。私、他に友達いませんし」
リーゼも赤くなっていた。魔力を通して、アイリスの色んな気持ちを受け止めて、恥ずかしくなっていた。あと、アイリスの魔力が物凄く美味しいというのもあった。舌で感じるわけではないが、美味しいと言う他ない。心の舌が感じる、最上級のデザートだった。正直、もっと吸いたいと思っている。
「俺もだ。俺達、友達少ねぇな!」
フィストは気楽に笑った。なにも分かっていなかったが、アイリスとリーゼがいい感じになった事だけは理解出来た。そうなって欲しいと、ずっと思っていたのだ。
「……ねぇ、リーゼ。さっきの話だけど」
「どの話ですか?」
「……あたし達が、その、友達だって奴。あれ……本当?」
「私はそのつもりだったんですけど。アイリスさんは嫌ですか?」
「……嫌じゃないけど。あたしって、意地悪だし、すぐ怒るし、威張ってばっかりだし……だから……その……」
「じれってーな。リーゼが良いって言ってんだから良いだろ? なにか文句あんのかよ」
見かねたフィストが口を挟んだ。今更なに言ってんだこいつは? という気分である。
「そーだけど! そうだけど……」
胸の不安を、アイリスは言葉にする事が出来なかった。
代わりにリーゼが言葉にした。
「私達、お友達ですね」
「……ぅん。意地悪言って、ごめんなさい」
小さく頷くと、もごもごとアイリスが謝った。
「なんだアイリス。ちゃんと素直になれるんじゃん!」
「う、うるさいわね! なんか文句あんの!?」
からかわれたと思って、アイリスはすぐにいつものアイリスに戻ってしまった。
「あるわけねぇだろ? 怒ってるより、そっちのアイリスの方がずっと好きだぜ」
「にゃぁ!?」
いきなり好きとか言われて、アイリスは変な声が出た。フィストがそういう意味で言っているわけがない事は分かっていたが。年頃の乙女なので、好きという言葉には敏感なのだった。
リーゼはそれを、ジトーっと湿った眼で見つめていた。すすすすっとフィストのそばに近寄って、コホンと咳払いをして尋ねる。
「わ、私の事は、どんな風に思ってるんでしょうか……」
「ん? そりゃ好きだけど。良い奴だし、頭いいし、優しいしな!」
「……はぁ。今はそれでいいです」
そういう好きが欲しいわけではなかったのだが。どうせ聞く前から分かっていた答えである。的外れの好きでも、聞けるだけで嬉しくはあった。
「というわけで、アイリスさんに改めて提案したいんですけど、今回も昨日みたいに二手に分かれた方がいいと思います。私とアイリスさんは二人で、フィストさんは一人で」
本当は三人別々にバラけた方が効率的だが、アイリスは暗い所が苦手なようなので、リーゼはやめておいた。
「……あたしは反対だけど。考えがあるんでしょう? ちゃんと理由を聞くわ」
アイリスは少しムッとしたが、リーゼを仲間で友達と認める事にしたので我慢した。
それを聞いて、リーゼはぱぁっと、花のように微笑んだ。そんなリーゼの無邪気さに、アイリスも素直に可愛いなと思う。こんな子に意地悪してたなんて、あたしってどうかしてたわ。
「はい! えっとですね、私達、もうどん底じゃないですか? 嫌われ者だし、馬鹿にされて、舐められてるわけじゃないですか?」
「……そんな台詞、よく笑いながら言えるわね」
アイリスは呆れた。その通りかもしれないが、認めたくない。リーゼには、プライドがないのだろうか?
「えへへへ。アイリスさんと違って、私はずっとそんなだったので。慣れちゃってるんですよね」
そんな事を笑いながら言われると、アイリスは複雑な気持ちになった。他人の事なんか、今まで全然考えて来なかったアイリスである。そんな余裕なんか全然なかった。なぜなら、他人はみんな敵だからである。敵の気持ちなんか考えても仕方がない。それが今、リーゼと友達になって、初めて他人を想う余裕が出来た。アンダーで、ヴァンパイアで、孤児のリーゼである。アイリスには想像も出来ないような苦労が沢山あって、プライドなんか全部へし折られてしまったんだと思った。
実際はリーゼにだってプライドはあるが、アイリスと比べれば、リーゼのプライドなんか砂粒程である。
「……あたしは嫌よそんなの。リーゼがあたしの友達だって言うんなら、リーゼが嫌われたり、馬鹿にされたり、舐められたりなんか絶対許せないわ!」
メラメラと怒りを燃やしてアイリスは言った。そうよ! リーゼはあたしの友達になったんだから、あたしの物って事じゃない! リーゼを馬鹿にするって事は、あたしを馬鹿にするのと一緒って事よ! 一々考える事が極端なアイリスなのである。
そんなアイリスの頭を、フィストはガシガシと乱暴に撫でた。
「にゃぁ!? ななな、なにすんのよ!?」
びっくりして、アイリスが叫んだ。
「良い事言ったからな、褒めたんだ。俺も同じ気持ちだぜ」
やっとアイリスも分かったか。そう思うとフィストも嬉しくなり、グッと親指を立てる。
「だからってねぇ!」
頭撫でる事ないでしょ! と、アイリスは怒ろうと思ったが、なんか気持ちよかったのでやっぱりやめた。リーゼのおっぱいとは違う意味で、背中がぞくぞくして、また撫でられたいと思ったのだ。
「……やっぱなんでもない」
変なアイリス、とフィストは思った。
「私も同じ気持ちです」
そう言ってリーゼは話を戻した。
「私も、アイリスさんやフィストさんが馬鹿にされたらいやです。だから、昨日アイリスさんが言ってたように、こんな簡単な実習はさっさと片付けて、沢山数をこなした方がいいと思うんです。私達、もう後がないんですから、守りに入っちゃダメだと思うんです」
アイリスさんが言ったように、というフレーズを強調して、リーゼは言った。元々のアイリスの主張に戻るだけだと分かれば、アイリスも意地にならないはずだ。
が、リーゼの予想に反して、アイリスは浮かない顔をしていた。
「でも……また失敗したら……」
度重なる失敗で、アイリスはすっかり自信を失って、弱気になっていた。だからこそ、リーゼやフィストと友達になる事を認められたのだが。
そんなアイリスの弱気を見抜いて、リーゼはギュッと小さな手を握りしめた。
「しませんよ! アイリスさんは凄いんですから! 昨日は……私が変な事言っちゃったのが悪いんです! 昨日と違って、私達はもう、ちゃんとお友達になったんですから、あんな失敗は絶対しません!」
大粒のルビーみたいな瞳に見つめられて、アイリスはちょっと泣きたくなった。なぜか分からないが、無性に嬉しかったからだ。そして、さっきまでの弱気な心はどこかに行ってしまった。またリーゼが魔力と一緒に吸ってしまったのだろうか? いいや、リーゼは何もしなかった。ただ、思っている事を言っただけである。
「……そうね、そうよね、リーゼの言う通りだわ! こんな下水掃除なんかで失敗を怖がるなんて、あたし、どうかしてたわ! 失敗したからこそ、沢山頑張って、あたし達は本当は凄いって所を見せてやらなきゃよね!」
「そうですよ! 沢山頑張って、意地悪な人達を見返してやるんです!」
腕組みをして頷きながら、フィストは黙って見守っていた。やっぱリーゼはすげぇなと思ったし、アイリスも本当は良い奴じゃんと見直していた。
「そうと決まれば、早速手分けしてやるわよ! フィスト、もう一度勝負しましょう! 今日は負けないわよ!」
ビシッと指を向けて、アイリスが言った。
「勝負すんのか? 俺はいいけど……大丈夫か?」
フィストとしては、楽しいから望む所である。だが、それでまたアイリスが失敗しないか、心配だった。
「平気よ! もしあたしがおかしな事をしそうになったら、リーゼが止めてくれるわ。そうでしょう、リーゼ?」
今のは、アイリス流の親交の証だった。
リーゼにも、それは伝わった。アイリスさん、私の事認めてくれたんだ! そう思って嬉しくなり、笑顔になって頷いた。
「はい! 私はヴァンパイアですから。アイリスさんがわーってなったら、魔力と一緒に嫌な気持ち、全部吸い取っちゃいます」
「そういう事。だから全然心配ないわ。それに、どうせ勝つのはあたし達だもの。そうでしょ? リーゼ?」
「はい! フィストさん、負けませんよ!」
二人の挑むような視線を受けて、フィストはニヤリと笑った。
「おもしれぇ! 俺ぁワクワクしてきたぜ!」
そういうわけで、三人は手分けして、ほんの一時間程で下水掃除を終わらせ、その足で二件もEランクの課外実習を片付けてしまった。
下水掃除の勝負の結果については――
フィストが途中で倒した魔物の数を忘れてしまったので、無効試合で終わった。
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