五章

第28話 贖罪

「……屈辱だわ」


 わなわなと、怒りに震えるアイリスの声が薄暗いトンネルに反響した。


 翌日の事だった。課外実習で問題を起こしたペナルティーで、三人はアカデミー市の地下に張り巡らされた、下水道での魔物の討伐を命じられていた。


 戦う事以外にも、魔術は広く利用されている。魔術的な力を持った薬品等を調合する錬金術や、機械的に魔術を再現する魔導装置、家畜や植物の品種改良に、魔術を用いた高等医術等々。そういった諸々を研究、開発、製造、運用する過程で生じた排水は、強い魔力を帯びて下水道を魔力汚染する。


 人為的に魔力禍を発生させているようなものなので、当然魔物が生まれる事になる。放置すれば強大化して被害が出るので、そうなる前に、定期的に人を送って始末している。


 普通の街では専門の業者を雇うような立派な仕事なのだが、アカデミーでは問題を起こした生徒に対する罰として利用され、下水掃除などと呼ばれて馬鹿にされていた。


 だから、アイリスはものすご~~~~くご立腹だった。


「どうしてこのあたしが! 下水掃除なんかやらないといけないのよ!」


 いけないのよ! ……ないのよ! ……のよ。

 甲高い絶叫が木霊する。

 煩くて、フィストを耳を塞いだ。


「仕方ねぇだろ。罰なんだからさ」


 フィストは涼しい顔である。魔物退治なんか、罰の内にも入らない。それより、飯抜きとかの方が余程嫌だ。


「もとはと言えば、あんたが勝負とか言い出すから悪いんでしょ! お陰であたしは大恥よ! おじ様も呆れてたわ! アカデミーの連中にも舐められて、馬鹿にされて、あんた達みたいにいじめられちゃうのよ! 背中に悪口書いた紙張られたり、上履きを隠されたり、トイレの最中に上から水をかけられたりしちゃうんだわ! あたしはもうおしまいよ!」


 アイリスが叫んだ。そんな事を言うつもりはなかったのに、言ってしまった。本当は自分が悪いという事は分かっていた。昨日も、あの後物凄く反省して、一晩中泣いていた。

 フィストは馬鹿だけど、悪い奴じゃなさそうだし、おじ様にも色々言われてるし、意地悪言わないで、もうちょっと仲良くして、みんなと上手くやらないと!

 と、さっきまでは思っていたのだ。


 だが、実際にこの狭くて暗くてくっせぇ下水道にやってきたら、物凄く惨めな気持ちになって、イライラしてしまった。それでつい、フィストに八つ当たりしてしまったのだった。あぁもう! あたしってどうしていつもこうなの!? と、自分で呆れてしまう。今までまともな交友関係というものを築いて来なかったアイリスは、よくしゃべるタイプのコミュ障なのだった。


「それは俺が悪かったけどさ。お前ってすげぇ魔術使うから、つい遊びたくなっちまうんだよな。怒られたけど、昨日のアレは結構楽しかったし、またやりてぇな」


 にししと、フィストは悪びれもなく笑った。バカなので、アイリスの感じる不安なんかこれっぽっちも分からないのである。


 無邪気な笑みを向けられて、アイリスはドキッとしてしまった。だって普通は、俺のせいじゃねぇだろ! と怒る所である。それなのにフィストは、アイリスの八つ当たりを嫌な顔もせずに受け入れて、逆にすげぇ魔術とか、楽しかったとか褒めてきた。


 そんな事を言われたら、嬉しくなってしまう。でもそれは、凄く恥ずかしくて悔しい事のような気がする。よくわからないけど、負けたような気がしてしまうのだ。


 アイリスは戸惑った。とにかくなにか言わなければいけないのだが、彼女のちっぽけな引き出しには、怒るとか威張るとか馬鹿にするという反応くらいしか入っていないのだった。

 咄嗟にアイリスは、その中の一つを適当に選び取った。


「なによそれ! あんた、あんなに怒られたのに全然反省してないじゃない! 遊びじゃないのよ! こっちは人生かかってんの! ちゃんとしてくれないと困るんだから!」


 ああもう! 誰かあたしの口を塞いでよ! と思いながら叫ぶのである。


「へへへ。悪かったって。今日は勝負とか言わねぇよ。で、どうすんだ?」


 ざっと辺りを見回してフィストは言った。


 半円形の大きなトンネルである。左右にはギリギリ二人並べるくらいの通路があり、中央には幅の広い水路を汚水が流れている。壁面には青白く光る苔が疎らに生えていて、ぼんやりとだが明るかった。フィストは知らないが、照明代わりに植えられた、周囲の魔力を吸って光る品種改良された特殊な苔なのだった。


「これ以上は失敗出来ないから、今日はみんなで一緒に行動するわよ。アカデミーの下水道の魔物は他の所のよりも強いって聞くし。あたしは全然平気だけど、念の為よ。とにかく、無事に終わらせなくっちゃ」


 三人の実力なら、下水掃除なんか面倒なだけで、危ない事など何一つないのだが、昨日怒られたせいで、アイリスはかなり慎重になっていた。これで万が一失敗なんかして、下水道のトンネルや設備を破壊なんかした日には、退学させられるかもしれない。そんな事になったら、マギオン家始まって以来の恥である。お前なんかマギオンじゃないと、母親共々離縁されるかもしれない。そんな事になったら生きていけない。アイリスは小さい頃から母親に脅されて育ったので、すぐにそんな風に考えるのだった。


「いえ。昨日失敗したからこそ、下水掃除なんかすぐに片付けて、空いた時間で課外実習をするべきだと思います」


 弱気なアイリスを見て、リーゼは言った。本当は凄く怖くて不安だったが、ウルフから貰った勇気を思い出して頑張った。カイルの言う通り、失った信頼と尊敬を取り戻すのは大変である。


 アカデミーには、自分達をよく思わない人たちが沢山いる。アイリスはフィストに負けて自分達と組まされる事になったのだから、本当は昨日の課外実習で成果を出して帳尻を合わせなければいけなかったのだ。それが失敗した今、色んな人達に付け入る隙を与えてしまった。


 ただなんとなく自分達を気に入らないと思っている人達から、本気で偏見を持って、アンダーやかつて魔族と呼ばれた存在を忌み嫌い、排除しようと思っている人達まで。カイルの言葉からもそれは察せられたし、ウルフがあんな強引な説得を行ったのも、自分達が思っている以上に状況がよくないからなのだろう。そうよ! 二人は凄い戦闘術士だけど、それ以外は全然頼りないんだから、私がしっかりしないと!

 そんな闘志で、リーゼはメラメラと燃えていた。


 アイリスとしては面白くない。なによ、口答えしちゃって、生意気な奴! とお怒りである。


「あんたの意見なんか聞いてないわ! このグループのリーダーはあたしなんだから、黙って言う事を聞いてればいいのよ!」


 ただでさえ負けたり泣いたり叱られたりで情けない所ばかり見せているアイリスである。もうこれ以上は一ミリだって誰かに舐められたくない。それこそ、アンダーでヴァンパイアのおっぱいオバケなんかに舐められた日には、ウィングスとしての自分はおしまいだ。そう思って必死である。


「おいアイリス。そんな言い方はないだろ。別に誰がリーダーとか決めてねぇし。リーゼは俺と違って頭いいんだから、ちゃんと話聞けよ」


 ムッとして、フィストは言った。フィストとしては、アイリスもリーゼも同じ友達だ。どっちが大事とかはないが、だからこそ、リーゼに対して威張るアイリスは見過せない。


 昨日までのリーゼなら、フィストに庇って貰って良い気分になるだけだったが、今日は違った。嬉しいけど、それはいったん置いておいて、冷静に考える。アイリスの性格を考えれば、古株のリーゼを大事にしているようで面白くないに違いない。だから、余計にカッカして、リーゼの言葉を聞かなくなる。これでは悪循環である。どうにかして、悪い流れを断ち切らないと。


「なによあんたまで! ひぐっ、あたしの事馬鹿にして! こんなヴァンパイアの、アンダーの、おっぱいオバケの言う事の方が大事だって言うの!?」


 案の定、アイリスは泣きそうになって怒り出した。どれだけ甘やかされて育ったんだと呆れる程の赤ちゃんメンタルである。


 フィストはフィストで、アイリスがヴァンパイアと言ったので、怒って拳骨を構えている。ここで鉄拳制裁が発動したら、なにもかもおしまいだ。


「おいアイリス! ヴァンパイアって言うなって言ってんだろ!」

「うっさいバカァ! バカバカバカァ! あたしに命令しないで! あたしはマギオンなの! 強くて、偉くて、立派なの! あんた達なんかに舐められる筋合いないんだから!」


 怒鳴られて、アイリスはついに癇癪を起した。泣きながら、地団駄を踏んで喚き散らす。フィストは気にせず、拳骨を握って前に出る。


 割り込んで、リーゼは大きな胸で包むようにアイリスを抱きしめた。


「大丈夫。怖くないですよ」


 暴れる子供をなだめるように、優しく背中をさすりながら、耳元で囁く。


 最初、アイリスは驚いて身を固めていた。そして次に、我に返って暴れようとした。


 その前に、リーゼが言葉を届ける。


「私は、アイリスさんの事好きですよ。ちっちゃくて、可愛くて、怖がりで、素直じゃなくて、見栄っ張りで、そんな風に思われたくなくて、精一杯背伸びしてる頑張り屋さんな所とか」


 アイリスの中で、恥ずかしさと怒りが膨れ上がった。本来なら、我を忘れて暴走するはずの感情だが、どういうわけか、湧き上がる端から、心地よい気怠さと共に身体の外へと抜けていくのだった。


「私は今、アイリスさんの魔力を吸ってます。少しだけですけど。魔力は感情を伝えるので、アイリスさんの気持ちが分かります。辛いのも、悲しいのも、怒りたいのも、恥ずかしいのも。本当はそんな風に思いたくない気持ちも。だからこれは、私が貰っちゃいます。ヴァンパイアなので」


 嫌だなと、アイリスは思った。必死で隠してたのに、この子には全部お見通しじゃない。それじゃああたしって、本当にただの馬鹿じゃない。強がってるだけで何も出来ない、弱虫の意気地なしだってバレちゃったじゃない。


 悲しくて、悔しくて、苦しくて、惨めで、けれどそんな気持ちは、湧き出る端からリーゼが魔力と一緒に吸い取った。


「大丈夫ですよ。大丈夫ですから。私達は味方です。フィストさんも、私も、お友達で、仲間じゃないですか」


 優しく背中を撫でながら、リーゼは言った。こんなに小さな身体に、こんなにも沢山の苦悩が詰まっていると知って、リーゼは驚いて、同情した。アイリスは恵まれていて、なんでも持っていると思ったのに、そのせいで、物凄く苦しんでいる事が分かった。


 アイリスは、なんかもう全部どーでもよくなった。マギオンとか、舐められたくないとか、そういう疲れるのには、もう疲れてしまった。それよりも今は、リーゼの柔らかくて暖かくて良い匂いのするおっぱいに甘えていたかった。嫌な事は全部忘れて、赤ちゃんのように泣きながら、甘い声で囁かれながら、優しく背中を撫でられながら、そんな物がある事すら忘れてしまっていた、安心とか幸福感に気持ちよく浸っていたかった。


 フィストはそれをぼけ~っと眺めていた。


 今日のリーゼは、なんかいつもよりいい感じだなと思いつつ。

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