第26話 ライカンスロープ

「神様……私は……罪を犯しました……」


 暗闇に、リーゼの懺悔が悲しく響いた。

 アカデミーの敷地にある、イーサー教の教会だった。


 運営しているのはアカデミーではなく、イーサー教団エレオノールアカデミー支部という名のサークルである。


 名前の通り、イーサー教徒の生徒が中心となって運営している。

 それ以外は、普通の教会と大差ない。

 村や町にある教会のように、迷える子羊の為に開かれている。


 イーサー教の運営する孤児院で育ったリーゼはイーサー教徒である。罪悪感に苛まれて眠れず、救いを求めて教会に祈りに来たのだった。


 苦しそうに跪くリーゼの前には、司祭が説法を行う際に立つ講壇があり、その向こうには、目隠しをした美しい女の姿をした、聖イーサー像が祀られている。


 救いを求めると言っても、リーゼは罪を赦してもらう為に来たのではなかった。救いとは与えられる物ではなく、自ら見出すものである。そして、犯した罪から救われたいのであれば、まずはその罪と向き合い、贖う方法を探すのである。お世話になったシスターから、リーゼはそのように教えられた。だからリーゼは、救いを求め、己の罪と向き合う為に教会にやってきたのである。


 今日の事を、リーゼは深く後悔していた。たった一度の些細な出来心で、アイリスを深く傷つけてしまった。そんなつもりはなかったと言い訳したい所だが、それは無理な話だった。そこまで酷い事になるとは思っていなかったが、リーゼには明確に、アイリスに意地悪をしてやろうという気持ちがあった。であれば、そんなつもりはなかったなどと、言い訳の出来るものではない。


 罪には、罰が伴う。一つは良心の呵責として、もう一つは、現実的な不利益として。冷静に考えれば、アイリスの存在はリーゼにとっても都合のいい物だった。彼女のような大物と組んで功績を上げる事が出来れば、リーゼが掲げている、吸魔症に対する偏見の解消や、吸魔症の自分が人並みの生活を送るという目標が、アカデミーの中だけでも叶えられるかもしれなかった。


 これは、神が与えてくれたとしか思えない、物凄い幸運だった。それをリーゼは、フィストに対する嫉妬という私欲で、台無しにしてしまった。


 このままアイリスに対する評判が下がっていけば、彼女の威光で守られているリーゼも、また意地悪をされるようになる。アイリスを庇う為に策を弄したカイル教師も、同じように影響力を落とすかもしれない。そうなれば、彼の権限で入学したフィストにも不利益が及ぶかもしれない。


 たった一度の出来心のせいで、夢も希望も友達もなにもかもがダメになってしまうかもしれない。それだけの事を自分はしてしまったんだ。


 そう思うと、リーゼは自分の愚かしさが憎かった。そんなんだから自分は、醜い嫌われ者のヴァンパイアなんだ。あぁ、可哀想なアイリスとフィスト、二人とも、自分と出会わなければこんな目には合わなかったのに。やっぱり私は呪われた血の人間なんだ。と、どんどん悪い方に考えてしまう。


 本当は、罪と向き合い、前向きに贖罪の方法を考えるはずだったのだが、リーゼはあっさりそれを忘れて、自己嫌悪の沼に沈んでいった。


 孤児院にいた頃は、そんなリーゼを見かねて、シスター達が相談に乗ってくれていたのである。だがここには、経験豊富な頼れるシスターはいない。こんな自分を嫌わず、差別せず、怖がらず、同じ人間として親身になってくれた神様のようなあの人たちはいないのだ。


 押し殺すように泣きながら、リーゼは自分がホームシックにかかっている事に気付いた。


「……帰りたいよぉ……助けてシスター……私は、どうしたらいいの……」

「――コホン」


 闇が咳ばらいをして、リーゼは「キャァッ!」っと悲鳴をあげた。


 教会の片隅に設置された懺悔の為の告解室から、ウルフ=ブラックが姿を現す。


「ウルフ先生?」


 びっくりして、リーゼは言った。


 ウルフは普段着ているラフな戦闘服ではなく、イーサー教の司祭が着る黒い法衣を着ていた。首からは、イーサー教の聖印まで下げている。


「俺は、ここのサークルのメンバーだ。告解の当番をしていたら、君が来た。こういうのを、神の導きと言うのだろう」


 殺し屋のような強面が、ニコリともせずに言ってきた。初対面であったなら、難解な殺し文句だと思ったかもしれない。彼が言えば、何だってそんな風に聞こえる。


 だが、なにかと助言を貰っているリーゼである。怖いのは顔だけで、とても優しい先生である事は、リーゼも分かっていた。自分と同じで、誤解されやすいタイプなのだろう。


「その気があるなら、話を聞こう。俺は教師であり、司祭でもある。司祭は真似事だが、恐らく俺は、君の力になれるだろう」

「う、うぅ、うるぶじぇんじぇぇ……うゎあああああああん!」


 不器用な優しさに、リーゼは泣いた。本当はずっと泣きたかったのだ。大声で、わんわんと。けれど、そんな資格はないと我慢していた。それを赦すのが、教会という場所なのである。


 ウルフは何も言わず、墓石のように静かにリーゼが泣き止むのを待っていた。

 泣き止むと、リーゼは今日の出来事を全て話した。自分の中に芽生えた黒い気持ち、フィストに対する想いや、アイリスに感じる嫉妬も全て。


 その間、ウルフは何も言わずに聞いていた。

 あまりに長く黙っているので、夢中になって話し終えた後、ちゃんと聞いていたのか不安になるくらいだった。


「なるほど」


 そんな疑念を否定するように、ウルフは一言そう言った。


「考えすぎだな。リーゼ。君が悪くないとは言わないが、客観的に言って、そこまで思いつめる程の事とは思えない。はっきり言えば、アイリスの自業自得だろう」


 誰が聞いたってそう答えるような話だった。

 リーゼだって、他人から聞かされたらそう答えるだろう。

 だが、リーゼ自身にはそうは思えなかった。


「違うんです! 私は! 本当は、そうなるってわかってたんです……アイリスさんは見栄っ張りで負けず嫌いだから、煽るような事を言えば、焦ってなにかおかしな事をするだろうって! だからあれは、私がやらせたようなものなんです!」

「あるいは、こう考える事も出来る。君は自分を責めるあまり、悪い方向に記憶を改ざんしている。君のように自尊心の乏しい人間にはよくある話だ」

「だとしても、私が悪い事には変わりありません!」

「そう思いたのだろうが、それでは贖罪にはならない。君が罰を求めている以上、罰は罰になり得ない。第一、君が全ての罪を背負うなら、アイリスやフィストの罪はどうなる? アイリスは己を律するべきだったろうし、元々の原因を作ったのはフィストだ。他人の罪を背負う事は、贖罪の機会を奪う罪だと俺は思うが」


 整然と言われて、リーゼは反論に困った。

 確かに、ウルフの言う通りだった。リーゼは罰を欲していた。卑怯者と罵って、軽蔑して欲しかったのだ。望むものが与えられるなら、罰とは言えない。


「厳しい事を言うなら、君は悲劇のヒロインに浸っているだけだろうな」

「……本当に、厳しいですね」


 今の言葉はグサリと刺さった。そう言われれば、そうかもしれない。


「いや。思いついたから言ってみただけだ。本気で言ったわけじゃない。やはり君には、大した責任はないと思うが」


 あっさり翻して、ウルフは言った。ほとんど表情が変わらないので、冗談を見極めるのも難しい。


「それでリーゼ。君はどうしたいんだ」


 それこそが本題だというように、ウルフは聞いてきた。実際、そうなのだろう。大事なのは、うじうじと後悔する事ではなく、だから自分はどうしたいかだ。


「……最初は、アイリスさんに謝って、償いをしようと思っていました。でも、ウルフ先生と話していたら、わからなくなっちゃいました」

「俺のせいだと?」

「いえ、そういうわけでは……」


 ギロリと睨まれ、リーゼは息を飲んだ。


「そういう所だ。君は今、俺のせいだと言うべきだった。罪の話をするのなら、君の罪は、君自身が自分を過小評価している所だろう。自分には価値がない、何もないと縮こまって、その癖、なにか悪い事が起きれば自分のせいだと悔やむ。それは、君自身に対する背徳と言える。違うか?」

「……ち、違います!」


 勇気を出して、リーゼは叫んだ。確かに、ウルフの言う通りだ。黒い感情が芽生えたのも、意地悪をしてしまったのも、普段から言いたい事を言えず、不満を貯めてしまったからなのだろう。


「いや、今のは否定する所じゃない」

「そ、そうですね……あ、あはははは……」


 確かにそうだと、笑ってごまかす。


「でも、私が吸魔症のアンダーだという事を差し引いても、お二人は凄い方ですし、その通りだとは思うんですけど、やっぱり気後れしてしまうと言うか……戦闘術士としての能力でも、全く勝負にならないですし……」


「確かに、フィストは拳聖の弟子だし、アイリスはマギオンを絵に描いたような天才児だ。だが、それを言うなら君もだろう。君は、ヴァンパイアだ」


 ウルフにそちらの名前で呼ばれるとは思わず、リーゼの心臓はギクリとした。


「……ヴァンパイアじゃ……ありません。私は、吸魔症で……」

「同じ事だ」

「同じじゃありません! 全然同じなんかじゃ!」


 思わず叫ぶ。それだけは、ウルフ教師が相手でも見過せなかった。ヴァンパイアは人じゃない。恐れられ、忌み嫌われる、おぞましい血吸いの魔族だ。自分は違う。そんなバケモノじゃない。


 そんなリーゼを、ウルフは鼻で笑った。


「なにが……おかしいんですか……」


 苛立って、ウルフを睨む。優しい先生だと思っていたのに、この人も他と同じように、偏見を持っているのだ。そう思うと、途端に今までの言葉が虚ろに思える。


「昔の自分を見ているようだったからな」


 皮肉っぽく言うと、ウルフの身体が膨れ上がった。


 ゆったりとした法衣がはち切れんばかりに張り詰め、背も頭二つ分程大きくなる。血色の悪い肌は黒々とした獣毛に覆われ、笑わない口元は深く裂けて、狼の顔に変化する。


「俺はライカンスロープだ。今風に言えば、獣化症と言ったところか」


 黒毛の狼男が、ウルフ=ブラックの声で告げた。

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