第25話 罰

 とん、とん、とん、とん、とん。


 カイル教師が指で机を叩く音が、苛立たし気に響いていた。


 そこは、アカデミーの教師に用意された仕事用の個室だった。

 まぁまぁ広いはずの部屋は、沢山の本棚で本屋のようになっていた。

 机の前には椅子に座ったカイルがいて、フィスト達は三人並んでその前に立たされている。


 はぁ、と。カイルが深く溜息をつき、アイリスの肩がビクリと震えた。


「――アイリスちゃん。君が焼いてしまった森はね、あの辺りを治めている領主の狩猟場だったんだ」

「……ごめんなさい」


 しょんぼりして、アイリスは言った。俯いていたのは、カイルの顔を見るのが怖かったからだ。怒ってはいないだろう。彼はアイリスがどんな失敗をしても、怒った事がない。ただ、悲しそうな顔で呆れるのである。そんな顔をされるくらいなら、怒られた方がマシである。でも、もしかしたら、今度こそ怒っているかもしれない。呆れられて、見放されたかもしれない。そしたら自分はおしまいだ。マギオンに、味方が一人もいなくなってしまう。そう思うと悲しくて、泣きたくないのボロボロと涙が零れた。


 実習の後である。アイリスの開いたポータルでアカデミーに戻り、実習担当に報告して、暫くしたら、カイルに呼び出された。そして、お説教タイムである。


 呼び出される前から、フィスト以外は怒られるだろうなと思っていた。

 理由はカイルが言った通り、アイリスが森を焼いてしまったからだ。

 全部ではないが、魔力禍の影響を受けた部分をほとんど焼き払ってしまった。フィストとの魔物退治勝負で、負けそうになったからである。


 フィストは物凄く足が速く、暗闇でも目が利いて、隠れている魔物を簡単に見つけて、すれ違いざまに叩き潰し、どんどんスコアを稼いでしまう。


 対するアイリスは暗闇にビビって、リーゼの手を握りしめながらちょこちょこ歩いていたから、フィストの叩き潰した死骸しか見つけられない。


 あんなに大口を叩いたのに、これじゃあ一匹も倒せないで負けてしまう。そう思うと、アイリスは物凄く焦った。隣にはアンダーでヴァンパイアでおっぱいオバケのリーゼもいるから、かっこ悪い所は見せられない。なんかすでに、この女にもちょっと舐められているような気がするし。


 そんな風に焦っていたら、リーゼが余計に焦らせるような事を言ってきた。このままじゃ勝てませんねとか、本気を出さないんですかとか。それでつい、簡単すぎるからハンデをあげてるのよ! とか言ってしまった。リーゼは単純だから、そーなんですか! 凄いですね! でも、こんなに差がついてるのに、どーやって逆転するんですか? とか言ってきた。それで引っ込みがつかなくなってしまい、リーゼを連れて、重力操作で上空に飛び上がり、空から火の雨を降らして森を焼いてしまったのだ。


 リーゼには止められたが、無視した。だって舐めてるっぽいし。なんかちっちゃい子供みたいに扱ってくるし。あたしが凄いって所見せなくちゃ! と思ったのだ。実際、森を焼いている時のリーゼの焦った顔は見ものだった。そうそうこれよ! あたしはこんな風に恐れられるべきなのよ! と気分を良くし、全部焼いてしまった。これなら文句なしで勝てるだろう。


 フィストだって、この程度の火の雨なんか全然平気な事は、直接戦ったアイリスには分かっていた。実際、焼き払われた森の中から無傷で出てきた。くそー! やっぱ魔術ってすげぇな! とか言って悔しがっていて、アイリスはもう有頂天だった。


 でも、すぐに後悔した。これは、同盟が要請を受けた仕事である。無価値な場所なら、魔物が湧いたって放置されているはずである。だからもしかすると、森を焼き払ったのは不味かったかもしれない。


 勿論、たいして価値のある場所ではないが、人里が近いので念の為に要請を出したという事もある。だから、アイリスはリーゼが心配していても、平気な振りをしていた。なによあんた、心配性ね! こんなんでビビってたら勇者になんかなれないわよ! と、笑ってやった。暗い森でビビっている所を見られた仕返しのつもりである。


 何もないかもしれないし、ヤバかったらその時はその時だ! と開き直ったのだ。

 それでこの通り、カイルに呼び出されて叱られている。

 カイルは、怒鳴ったり、ぐちぐちと長ったらしく怒ったりはしなかった。

 ただ、悲しそうに、そして呆れたような顔でアイリスを眺めている。

 黙って、じっと見つめている。だからと言って怖くないわけではなく、そんな風に無言で咎められるのは、それはそれで辛いものがあった。


 言い訳の余地なく、百パーセント自分が悪いので、アイリスは何も言えない。なんなら、二百パーセント悪い。マギオンの人間が、こんな簡単な実習をしくじったのだ。マギオンの名に泥を塗った。おじ様だって、怒られるかもしれない。二百パーセントじゃ全然足りない。千パーセントだ。あたしって、本当馬鹿。と、焦げ付いた鍋底みたいに反省する。


 隣では、リーゼが罪悪感で吐きそうになっていた。アイリスは気づいてないが、リーゼは全部分かっていてアイリスを追い詰めていた。リーゼとしては、ちょっとした意地悪のつもりだった。アイリスはすこ~~~~し性格に問題があるので、失敗とか挫折とか敗北を知って、もうちょっと謙虚になった方がいい。そんな理由をつけて、横からネチネチ言っていた。それがまさか、こんな事になってしまうとは。


 半泣きになったアイリスがリーゼを空の上に連れて行き、凄まじい規模の術を展開しようとしているの気付いた時には後の祭りで、どれだけ説得しても止められず、こんな事になってしまった。自分がけしかけなければ、アイリスだってここまで暴走しなかったろう。そう考えると全部自分の責任なのだが、余計な事を言って退学になったら困るで、自首する勇気もない。そんな自分を軽蔑して、死にたい気分になっていた。


「な~カイル先生。アイリスも反省してるしさ。このくらいで許してやってよ。もとはと言えば、俺が勝負とか言い出したのが悪いんだし。罰があんなら、俺が受けからさ」


 フィストは気楽なものだった。

 説教にも飽きて、大きな欠伸をするとそう言った。


 事の重大さを、フィストは全く理解していなかった。領主の狩猟地を焼いたら、同盟に苦情が入って、色々面倒な事になるのである。


 フィスト的には、森なんかいくらでもあるし、普通にしてても山火事とか魔物の仕業でよく燃えるんだから、そんな気にする事じゃなくね? という感じである。


 アイリスを庇ったのも、なんかこいつ口だけは威勢がいいけど、リーゼ並みに泣き虫じゃん、と可哀そうになったからである。


 フィストはよく師匠に怒られていたから、怒られるのも罰を与えられるのも慣れっこなので平気だった。


 そんなフィストをアイリスはキッ! と睨み、思いきり足を踏みつけようとした。


「余計な事言わないで! ――ひぎぃ!?」


 フィストはさっと足を退かしたので、アイリスは硬い床を力いっぱい踏みつける羽目になり、足がビリビリして悲鳴をあげた。


「なにやってんだ?」

「――くぅっ……うっさい、バカァッ!」


 涙目になってアイリスが言い返す。もう本当、なんなのよこいつ!

 とんとん。机を叩いて、カイルが注目を促した。


「勘違いしないで欲しいのは、僕は怒っているんじゃなく、反省を願ってるって事だ。この手の間違いはよくある事ではある。向こうもそれは理解しているし、アカデミーにもこういった問題に対応する仕組みがある。今回のようなケースは、植物系の魔術の実習に組み込んで、生徒に森を再生させればいい。そんな風にして、アカデミーの授業は回ってるんだ。大事なのは、焼けた森は魔術で再生出来るけど、失った信頼や尊敬は、簡単には取り戻せないという事さ。アイリスちゃんなら、僕の言っている言葉の意味が分かるはずだよ」

「……はい」


 アイリスに向けて、カイルは言った。というか、彼にはアイリスしか見えていないようだった。フィストもリーゼも、あまり眼中にないという感じである。問題を起こしたのはアイリスだから、そんなものなのかもしれないが。


「特にアイリスちゃんは……落ちこぼれの僕が言えたことじゃないけど、正統なマギオンだからね。成功して当たり前、失敗すれば、人の百倍悪く言われる。僕としては、可愛い姪だ。出来る限り庇いたいけど、それにだって限度がある。一応君は、僕の依頼でフィスト君達と組んで、アカデミーの改革の為に動いている、と言う事になっている。僕の依頼と言っても、半公式的なものだから、これを承認させる為に、僕もそれなりにリスクを負ってる。教師の中にも、アンダーやリーゼさんのような子を良く思わない派閥は存在するからね。君が失敗すれば、その分僕の立場も危うくなる。兄さんが失踪して、ただでさえマギオンは微妙な立場に立たされているんだ。お互いに、後がないと思って欲しい」

「……はい。こんな失敗は、二度としません」


 ぽたぽたと涙を零しながら、ぐすぐすと鼻をすすってアイリスは言った。


「……まぁ、そこまで崖っぷちって程でもない。あと二つ三つなら、道楽貴族の森を焼いたって問題ないよ」


 流石に可哀想だと思ったのか、冗談めかしてカイルは言った。


「……はぃ」


 アイリスは震える声で頷くだけだった。

 気まずい沈黙が流れる。


「……アイリスちゃんは以上だ。先に戻っていいよ」

「……はぃ」


 よろよろと、ふらつく足取りでアイリスが出口に向かう。


「アイリス、大丈夫か?」


 心配したフィストの伸ばした手を、アイリスは力なく払った。


「……ほっといて」


 呟いて、教師室を出ていく。


 フィストとリーゼは、心配そうに小さな背中を見送った。

 コホンと、仕切り直すようにカイルが咳払いをする。


「あの通り、魔術の才能は素晴らしいが、色々と未熟な子でね。教師の僕がこんな事を頼むのは贔屓になってしまうかもしれないけど。大事な姪なんだ。出来れば、力になってあげて欲しい。ウィングスの生徒じゃ、色々としがらみがあるからね。君達のような生徒にしか頼めない事だ。状況を考えれば理解出来ると思うけど、彼女を助ける事は、結果的に君達自身を助ける事になる。悪い話じゃないはずだよ」


 回りくどい話だとフィストは思った。


「よくわかんねぇけど、俺達友達だからな。困ってるなら、そりゃ助けるさ。なぁリーゼ?」


 返事をしないので、フィストは不思議に思って隣を見た。

 リーゼは青い顔をして、苦しそうに胸を抑えていた。


「どーしたリーゼ? 具合悪いのか?」

「……ぇ、っと、はい。ちょっと、ポータル酔いで」

「マジか。背中摩ってやろうか?」

「……大丈夫です」


 全然そうは見えなかったが。


 カイルも言いたい事は言ったのだろう。リーゼもそんな様子なので、程なくして解放された。普段なら、この後は一緒に夕食を食べるはずである。


 だが、リーゼは食欲がないという事で、先に寮に戻ってしまった。

 アイリスもいないから、フィストはぼっちである。

 まぁ、たまにはそんな日もあるだろう。

 そう思って、久しぶりに一人で夕食を食べた。


 あんなに美味しかったアカデミーの料理が、その時は酷く味気なく感じられた。

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