第24話 罪

 ポータルによる移動は一瞬だった。ドアを通り抜けるのと大差ない。ただ、鏡面を越える瞬間、世界がぐにゃりと捩じれて、天地が逆さになり、そのまま四回転したような気分になった。


「うへぇ……」


 なので、フィストは向こう側に出た瞬間、気持ち悪くなってその場にへたり込んだ。危うく昼飯を戻しそうになる。


「これは……結構強烈ですね」


 一緒に出てきたリーゼも、口元を押さえて顔をしかめている。


 一個のポータルならそこまで酷くないのだが、連続して経由ポータルを通ったので、ポータル酔いも倍になっていた。


「情けないわね。あたしが初めての時は全然平気だったわ」


 ポータルなんか慣れっこのアイリスは得意げな顔で言った。が、それは真っ赤な嘘だった。アイリスが初めての時は、思いっきりポータル酔いして、向こう側に出た瞬間盛大に嘔吐していた。二回目も三回目も吐いて、結構長い事苦手意識を持っていた。でも、ずっと子供の頃だったから仕方ないじゃない! と、本人は思っている。


「流石はアイリスさんですね……」


 リーゼは素直だったので、素直に信じた。


「本当かよ」


 フィストも素直だったが、アイリスの性格を理解しつつあったので、なんか嘘っぽいなと感じていた。野生児の勘である。


「ほ、本当よ! このあたしが、そんな嘘つくはずないでしょ!」


 ドキッとして、アイリスが否定する。その様子に、リーゼも、あー……っと察した。察するだけで、余計な事は言わなかったが。


 そこは大きな森の前に広がるだだっ広い草原だった。実習票には地名も書いてあったが、関係なさそうなので覚えていない。


 ポータルのそばには、アイリスの言っていたポータルアンカーなのだろう、青黒い石材で出来た六角形の太い杭が地面に刺さっている。杭にはちょっとした看板がくっついていて、『勇者同盟所有、触れるべからず』と注意書きがしてあった。


「それより、課外実習よ! Eランクなんて簡単な仕事、ちゃちゃっと片付けて帰るわよ」


 フンッ! とツインテールをかき上げて、アイリスは言った。これ以上突っ込まれてボロが出る前に誤魔化したのである。二人は大体察していたが。


「けど、帰る時間決まってんだろ?」


 フィストは言った。だから、フィストも慣れない腕時計なんか左手に巻いている。時計の見方はリーゼに教わったが、まだ自信がない。でも、いざとなったらリーゼが教えてくれるだろうと安心している。


「言ったでしょ。あたしは自力でポータルを開けるの。ポータル室の職員にも言ってあるから、終わったら、こっちから開いて帰るだけよ」

「そっか」


 それがどれだけ凄い事なのかわからないので、フィストはあっさり納得した。

 アイリスとしては、もっと驚きなさいよね! と物足りない気分である。だが、山猿だから仕方ないか、とちょっと慣れてもいた。


 リーゼは凄いなと思っていたが、一々驚くのも面倒なので黙っていた。それに、他に言うべき事もある。


「大きな森ですし、ここにいる魔物を全部倒すとなると、すぐには終わらないんじゃないでしょうか。実習票にも、期日は一週間とあったので、数日はかかるんじゃないかと」


 Eランクは最低難易度である。危険度は低く、緊急性もない。だが、だからと言って面倒ではないという事にはならない。一週間丸まる必要という事はないだろうが、それだけの期日を設けているという事は、一日二日では終わらない程度の大変さなのだろう。


「まぁ、あんたみたいな三流じゃそうでしょうね」


 力を誇示するチャンスと見て、アイリスは偉そうに言った。

 そんなアイリスを、フィストはジロリと睨む。


「意地悪ばっか言ってるとまた殴るぞ」


 はーっと、拳に息を吹きかけて言う。


「ひぃ!?」


 拳骨のショックを思い出し、思わずアイリスは頭を押さえた。痛くはないが、びっくりするし、屈辱である。あと、あんな風に叩かれて背が縮んだら困る。


「まぁ、あれよ。森って言っても、全部が魔力禍の影響を受けてるわけじゃないでしょうし。あたしはものすご~~~~く優秀で強い頼りになる戦闘術士だから、大丈夫なのよ。あと、フィストも少しは出来るみたいだし。ていうか、そうよ! あたし達の凄さを分からせるなら、Eランクぐらいすぐに終わらせなきゃ駄目じゃない! むしろ、こんなのに何日も使ってたら、大した事ない奴らだって馬鹿にされるわ!」


 コホンと咳払いをして、言い直している途中でその事に気付く。Aランクならクリアするだけで尊敬されるが、Eランクではそうもいかない。出来るなんて当たり前で、ちょっとやそっと早く終わらせた所で、驚かれないだろう。力を示すには、それこそちゃちゃっと片付けなければ。


「こうしちゃいられないわ! さっさと行ってサクッと終わらせましょう。そうね、それで、一日に何個もEランクの実習を終わらせちゃうのよ! そうすれば、あたし達の凄さも少しは伝わるでしょ!」


 大股の急ぎ足で森の方に歩きながらアイリスが言った。手も足も背も小さいので、それでも遅いくらいだったが。

 二人は普通に歩いて追いついた。


「え~。そんな何度もポールタってのに出たり入ったりしてたら気持ち悪くなっちまうよ」


 げっそりしてフィストは言った。


「すぐ慣れるわよ! あと、ポールタじゃなくてポータルよ!」


 アイリスは聞く気もない。


 リーゼはどうせ無理だろうなと思って黙っていた。出来たら出来たで、困る事でもない。というか、なんにしたってアンダーでヴァンパイアの自分にはアイリスに口答え出来るような権限はないのだ、と諦めている。最初は嫌だと思ったが、アイリスが意地悪を言う度にフィストが庇ってくれるので、これはこれでいいかな、とすら思い始めていた。あんまりお喋り出来ないのはちょっと嫌だったが。


 実を言えば、最初に見た時からちょっと変な森だとフィストは思っていた。近づいて、なにが変なのか理解する。全部ではないが、アンカーから見て正面の森が白っぽくなっているのだ。


「これ、全部蜘蛛の巣か?」


 森の前まで来て、フィストは言った。白い霧に包まれたように、木々の間をびっしりと細い糸が埋めている。


「――ダメです!」


 なんとなく手を伸ばすと、リーゼが叫んだ。

 フィストは驚いたが、叫んだリーゼも驚いた顔をしていた。


「す、すみません……でも、その、実習票には蜘蛛の魔物が大量に発生してるって書いてあったので。魔物の糸なら、毒とかあるかもしれませんし……」


 Eランクの実習なら、そこまで凶悪な魔物を相手にする事はないのだが、そんな事は知らないリーゼである。加えてリーゼは、心配性な所があった。

 どちらにせよ、フィストは気にしなかったが。


「大丈夫だよ。俺、毒とか慣れてるから」


 言ってから、フィストはおもむろに目の前の蜘蛛の巣に手を突っ込み、ぐるぐる回した。そうして集めた糸の塊を、ぱくりと頬張る。


「フィストさん!?」

「ちょ!? あんた、なにやってんのよ!?」


 二人の女子が悲鳴のような声をあげる。


「ん。いやさ、リーゼが毒がどうとか心配してっから、確かめようと思って。この感じは大丈夫だな。ただの糸だ」

「…………わ、わかるんですか?」


 グッと親指を立てるフィストを見て、茫然としながらリーゼが聞いた。


「なんとなくだけどな。ほら、俺ってあっちこっちの魔境に住んでたからさ、色々食った事あるんだよな。毒になるもんも山ほど食ったから、それで慣れた。だから、味見すれば毒かどうかなんとなくわかるんだ」

「そ、そうですか……」


 ひくひくと、頬を引き攣らせながらリーゼが言う。

 隣のアイリスは信じられないという顔でリーゼの腰を揺さぶった。


「なに納得してんのよ! おかしいでしょ! いくらなんでもめちゃくちゃすぎるわよ!?」


 この山猿がめちゃくちゃな事はアイリスも分かっているつもりだった。だが、今のはない。流石にない。毒は食べ慣れたから平気とか、だから毒の味が分かるとか、そんな馬鹿げた話があってたまるか! と、アイリスは思うのだが。


「だって、フィストさんですから……」


 諦めたような顔でリーゼは言った。実際、諦めている。フィストは常識を知らないだけでなく、常識が通じないのである。マギオンで大天才のアイリスにだって勝ったのだ。今更毒の味が分かるくらいなんだというのだ。いや、やっぱりおかしいなとは思いつつ。


 アイリスも、だってフィストだからと言われたら、まぁそうよねと思ってしまった。だってこのあたしにまぐれでも勝ったんだから。このくらいやるわよね。むしろ、これくらいやってくれないと困るわよ! だって、このあたしにまぐれでも勝ったんだもん! と、リーゼ以上に納得する。


「で、どうする? 糸は毒とかないみたいだけど、くっついたらうぜぇな。俺は平気だけど。嫌だったら、ここで待ってていいぜ。この辺の魔物全部見つけて殺してくればいんだろ?」


 事もなげにフィストは言った。実際、二人の手を借りるまでもないと思っている。

 と、不意にアイリスが恰好をつけて、パチンと指を鳴らした。

 すると、ビョォォオオオオオ! と奇妙に響く妙な大風が吹き荒れ、洪水のように蜘蛛の巣を押し流してしまった。

 得意気に、アイリスがフンと鼻を鳴らす。


「あんたこそ、ここで待ってなさいよ。これくらいの仕事、あたし一人で十分なんだから」


 ファサッっと、アイリスがツインテールをかき上げる。


「お、じゃあ勝負すっか? どっちが沢山魔物殺せるか」


 無邪気な気持ちでフィストは言った。アイリスは怒りん坊で意地悪だが、遊び相手にはもってこいだ。この前の結果に不満があるようだし、こういう勝負なら、お互いに本気を出せる。


 プライドが服を着たよなアイリスである。そんな事を言われたら、断るわけがない。


「望む所よ。この前あんたが勝ったのはただのまぐれだったって事を教えてあげるわ! あんたがとろとろ走ってる間に、Eランクの雑魚魔物なんかみんなあたしの魔術で――」

「――お先ぃ!」


 答えを聞くや、フィストは風のように森の中へと消えていった。

 その素早さに呆気に取られて、アイリスはハッとする。


「――ちょ! 待ちなさいよ! こういうのはよーいドンでしょ! ズルだわ! 卑怯よ! ねぇ! ちょっと!」


 ギャーギャー喚きながら、森に入ろうとして、ビクリと身をすくめる。森の暗さを確かめるように恐る恐る辺りを見回し、不安そうにリーゼを振り向いた。

 コホンと、咳ばらいを一つ。


「リーゼ。あんたは頼りないから、このあたしが守ってあげるわ。危ないから、あたしのそばを離れない事」


 人差し指など立てつつ、恩着せがましくアイリスは言った。本当は、暗い森が怖いのだった。だが、強くて可愛くて天才でマギオンのアイリス様がそんな事にビビっているなんて知られるわけにはいかないので、完璧な演技で誤魔化したのである。


「……もしかして、暗い所が怖いんですか?」


 誰が見てもバレバレだったので、リーゼは聞いた。


「怖くないわよ怖いわけないでしょなに言ってんのよバカじゃないのバカァ!」


 真っ赤になって、アイリスが言い返す。

 そんなビビりのちびっ子を見て、リーゼの中に眠っていた悪魔が目を覚ました。


「……そーですか。怖くないんですか。じゃあ一人でも平気ですよね。私なんかが一緒だと、アイリスさんの足手まといになってしまいますし。真剣勝負みたいなので、私みたいなお荷物は大人しくここで待ってますよ」


 ニッコリと、本物の完璧な笑顔でリーゼは言った。


 善良なリーゼである。こんな風に意地悪をしたのは、生まれて初めてだった。今までリーゼは、意地悪をする人の気持ちなんか全然分からなかった。分かりたくもないと思っていた。意地悪はよくない事だし、いつもされて悲しい気持ちになっているから、自分は絶対そんな事はしないと固く誓っていた。


 でも、リーゼは知ってしまった。意地悪をするのって、気持ちよくて楽しいんだと。自分よりも可愛くて強くてお金持で恵まれていてなにもかも持っているアイリスの弱みにつけこんで意地悪をするのは、背筋がゾクゾクするくらい気持ち良い。


 ほら見なさいよ、アイリスったら、本当は私についてきて欲しいのに、プライドが邪魔して言えなくて、でも一人で暗い森を歩く勇気もなくて、泣きそうになって震えてるじゃない。いい気味だわ。


 と、そんな事を思ってしまった。そんな自分を、アイリスは軽蔑したかった。よくない事だと戒めて、考えを改めたかった。でも、出来ないのだった。だって、こんなに気持ちがいいんだもの。それに、アイリスは私からフィストさんを奪ったじゃない。奪ってないけど、折角の二人っきりの世界に割り込んできたから、奪ったのと一緒じゃない。


 そんな風に、自分を正当化した。アイリスはわがままで怒りん坊で意地悪だから、少しくらい懲らしめてあげた方が、彼女の為なんだわ。一度正当化してしまえば、理由なんかいくらでも湧いて出た。


「へ、平気よ! ひぐっ、あたしは、ひぐっ、凄い戦闘術士なんだから! あ、あんたみたいなお荷物を守りながらだって、ふぃじゅとにがでるんだがらぁ!」


 もうほとんど泣いている癖に、この期に及んでアイリスは見栄を張ってきた。なんて馬鹿なんだろう。これで誤魔化せれると思っているのだろうか? 全部お見通しなのに。


 リーゼの胸は悪い心で一杯になってしまった。するとどうだろう。さっきまで、あんなに怖くて鬱陶しかったアイリスが、可愛く思えてきた。なんだ、この子って全然大した事じゃないじゃない。魔術は凄いけど、中身は見た目通り、オムツの取れないおこちゃまなんだわ。そう思うと、フィストとは違う意味で、リーゼの胸はキュンキュンしてしまった。あんまりイジメると可哀想だし、ここは私が大人になって、守ってあげなくちゃね、と。


 孤児院暮らしで、ずっと子供達の世話をして暮らしてきたリーゼである。手間のかかる子供程可愛く思えてしまうのだった。それにしたって、なにか違う扉が開いてしまった気はするが。


「そーですか? じゃあ、お言葉に甘えて。守って貰う事にしますね、アイリスさん」


 ニッコリと、なのにどこか薄暗い笑みを浮かべて、リーゼはアイリスの横に並んだ。試すように右手を近づけると、アイリスはちょっと迷った素振りを見せつつも、黙ってギュッと握ってきた。


 リーゼの大きな胸は、甘い嗜虐心で弾けてしまいそうだった。

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