第22話 お子様パンツ

「このままじゃダメよ」


 いじけていたアイリスが、不意にそんな事を言ってきた。


 昼食を食べた後、課外実習を行う為に、一階の大きな掲示板の並んだ廊下に来ていた。掲示板には、アカデミーが勇者同盟から委託された課外実習の内容が書かれた実習票が沢山張り出されている。

 その中から、初めての課外実習となるものを選ぼうとしていた所だった。


「なにがダメなんだ?」


 フィストが聞いた。終わった事は引きずらないタイプなので、すっかり機嫌が直っている。


「さっきみたいなのよ。あんな風に喧嘩してたら、あたし達いい笑い者だわ。ウィングスにもアンダーにも舐められる。それじゃ意味ないじゃない」


 怒ってはいたが、一応周りは見えていたアイリスである。以前なら、例えばアイリスが何もない所で転んだとしても、笑うような奴はいなかった。恐れられていたからである。ところが今は、フィストに負けて、アンダーと一緒に行動しているせいで、笑われている。舐められているという事だ。これはよくない。


「笑うってのは楽しいって事だろ? いい事じゃねぇか」


 フィストは気楽である。あまり人と関わって来なかったので、そういう事に鈍感なのだった。


「全然よくないわよ! 馬鹿にされてるって事じゃない! 舐められたくないからあたしと組んだんじゃないの!?」

「そういやそうだった」


 フィストはすっかり忘れていた。


「けど、それなら効果あったぜ。アイリスと一緒だと、連中もリーゼに嫌がらせしてこねぇし」


 昨日までは、足を出して転ばせようとしたり、ゴミを投げようとしたり、しょうもない嫌がらせをしようとする奴らが沢山いた。フィストが先に気付いて、ギロリと睨んで止めさせて、リーゼの目を盗んでボコっていたのである。


 それが今日は全然なかった。陰口は相変わらずだったが、直接手を出してくる奴はいない。


「嫌がらせですか? 陰口を言われる事はありましたけど、直接なにかされた事はなかったですよね?」


 不思議そうにリーゼが言ってきた。

 フィストはしまったと思った。怒られると思ってリーゼにはナイショにしていたのである。


「あー……」


 誤魔化したいが、上手い言葉が浮かばない。

 そうしている間にアイリスが言った。


「こいつ、あんたに隠れてそういう奴らをボコって回ってたのよ」

「おいアイリス! 余計な事言うなよ!」

「本当の事でしょ」

「そうだけど……」


 そこでフィストはリーゼの強い視線を感じた。


「……なんで言ってくれなかったんですか」


 下唇を噛んで、涙を浮かべて、ジットリとリーゼが睨んでいる。


「……ごめんなさい」


 とりあえず、フィストは謝った。


「……なんで言ってくれなかったんですか?」


 ふるふると肩を震わせながらリーゼが繰り返す。


「……喧嘩はダメだって言われてたから、リーゼに怒られると思って」

「怒りませんよ! 私の為にやってくれたのに!」


 リーゼが叫んだ。怒っていた。自分自身に。なぜ今まで気づかなかったのだろう。孤児院に居た時だって、意地悪をする子はいたのだ。エリートばかりのアカデミーで、ヴァンパイアの自分が何もされないはずがない。ウルフだって、そんなような事を言っていたじゃないか。フィストは今まで、何も言わずに沢山の悪意から守ってくれていたのだ。それに気づかず、面倒を見てあげているような気になっていた自分は、大馬鹿者だ。恥ずかしくて、申し訳ない。泣きたい気分だ。


「怒ってるじゃん……」


 そんな気持ちとは知らず、フィストはオロオロしていた。いつも優しいリーゼだから、怒られると物凄く悲しくなる。こんな優しいリーゼを怒らせるなんて、俺って凄い馬鹿だなと惨めになるのだった。


「自分に怒ってるんです! フィストさんにじゃありません!」

「そ、そうなのか? ならいいんだけど……」

「よくないです! そーいうのは、今度から秘密にしないで下さい!」

「はい!」


 やっぱり怒ってるじゃん! と思って、フィストは元気よく返事をした。


「なんでもいいけど、あいつらが手を出してこないのは、あたしの事を恐れてるからよ。でも、こんな風に舐められてたら、その内そうじゃなくなるわ。それじゃ意味ないし、あたしだって嫌よ。だから、このままじゃダメだって言ってるの」

「なるほどな。でも、どうすりゃいいんだ?」

「すごい事をやって見返してやるのよ。おじ様が言ってた事って、つまりそういう事でしょ?」

「なるほど。どういうことだ?」


 なんとなく頷いてみたが、フィストにはよくわからなかった。

 カクンと、アイリスが肩でコケる。


「あんたねぇ!?」

「仕方ねぇだろ。馬鹿なんだから」

「あれですよ。ウィングスとアンダーがいがみ合っているのをどうにかしたり、私みたいな人間に対する偏見をなくすっていう。私達はアンダーとウィングスと吸魔症の人間が一緒になってるグループですから、そんな私達が力を合わせて凄い事をすれば、周りの目も変わってくると、そういう事ですよね」

「そんな所ね。わかった?」

「なんとなくな」


 本当になんとなくだったが、とりあえずフィストは頷いた。


「けど、凄い事ってなにすりゃいいんだ?」

「あんたねぇ……あたし達は、なにしに来たわけ?」

「課外実習だろ?」

「そうよ! だから、課外実習で凄い事やるの! 新入生のあたし達が難しい課外実習をちゃちゃっとこなしちゃえば、みんな凄いって思うでしょ!」

「そんなもんか?」

「そーなのよ! このあたしが言うんだから間違いないに決まってるでしょ!」


 そんな事も分からないなんて、バッカじゃないの? と言いたげに、アイリスはフンと鼻を鳴らした。


「確か課外実習には、想定難易度に応じて五段階のランクがあったはずだから、一番難しいAランクの奴を受けとけば問題ないでしょ」


 そう言って、アイリスは一生懸命背伸びをしながら、掲示板に張られた実習票を見ようとした。


「抱っこしてやろうか?」

「いらないわよ! 馬鹿にしないで!」

「してねぇけど。その背じゃ見づらそうだからさ」

「そーいう態度が馬鹿にしてるって言ってんの!?」


 真っ赤になって怒ると、アイリスは重力制御の魔術を使い、フィストを見下ろせる高さまで上昇した。


「あたしは魔術でなんでも出来るんだから! あんたの手なんか借りる必要ないんだから!」


 得意気に鼻を鳴らして、アイリスがツインテールをかき上げた。

 そんな彼女を、フィストは魔術って便利だな~っと思いながら見上げていた。

 隣のリーゼが慌てた様子でアイリスに囁く。


「アイリスさん! おパンツが!」


 かなり高くまで上がったので、真っ白いお子様パンツが丸見えになっていた。


「へ? いやぁ!? 見ないで!?」


 ギョッとして、アイリスがスカートを抑える。集中が途切れて、アイリスは墜落した。


「きゃぁあああ!?」


 慌てて立て直そうとするが、間に合わない。

 床に叩きつけられると思って身を竦めるが、その前にフィストの腕がアイリスをキャッチした。


「なにやってんだ?」


 パンツなんかただの布だと思っているフィストである。アイリスがなんで真っ赤になって恥ずかしがって涙目になっているのか、全然わからないのだった。


「うっさいバカァ!?」


 アイリスとしては、フィストにファーストパンモロを奪われたショックと、彼の逞しい腕に抱かれた際の予想外の安心感に困惑して、うっかり手が出てしまった。

 フィストはあっさり頭をそらして平手を避けた。


「いや、今のはお前の方が馬鹿だったろ」


 変な奴、と思って床に降ろす。


「もういいわ! り……リーゼ! あんたはフィストよりは頭いいんでしょ! あたしの代わりに、適当にAランクの課外実習探しなさい!」


 リーゼとは微妙な距離を感じつつ、アンダーのヴァンパイアのおっぱいオバケになんかに舐められてたまるか! という気持ちでアイリスは命令した。


「えーっと、ですねぇ……」


 リーゼは曖昧な表情で苦笑いを浮かべた。


「なによ! あたしの命令が聞けないって言うの!」


 なによなによ! こいつまであたしを馬鹿にすんの! あたしが負けたのはフィストであってあんたじゃないし! フィストに負けたのだって、全然本気じゃないんだからね! という気持ちでアイリスが凄む。


「そうじゃなくてですね……その、新入生は当分の間、一番下のEクラスの課外実習しか受けられない事になってるんです……」


 ものすご~く気まずそうに、リーゼは言った。

 ちゃんと授業に出ていれば先生から聞いている事なのだが、サボり魔のアイリスは知らないのだった。


「ぇ、そうなの……」


 思わず、素の声で呟くアイリスだった。

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