第20話 この状況は利用できる

 キスされるのかと思って、アイリスはヒィァッ!? っと息を飲んだ。リーゼも、ほわぁあああ!? っと驚いている。


 そんな気は、フィストには全然なかったが。


「俺の前でリーゼの事ヴァンパイアって呼ぶな。吸魔症っつって、俺達と同じ普通の人間なんだ。じゃなきゃ、お前だって殴るぞ」


 知らない奴が遠くで言ってる分には見逃してやる。リーゼも、騒ぎにはしたくないと言っていた。だが、目の前でとなれば、フィストも黙ってはいられない。


 隣のリーゼはそれを聞いて、胸をキュンキュンさせていた。フィストさん……好き、と。彼女にとっては、フィストは絵本に出て来る、呪われたお姫様を救ってくれる勇者様のような存在だった。勿論、フィストが純粋な正義感から言っている事は理解していたが。だからこそ、胸がキュンキュンするのである。


 アイリスとしては、特別強い偏見があるわけでもなく、ただみんなそう呼んでいるから、自分もそう呼んでいるだけなのだった。普段なら、そんな事を言われたら、一瞬でキレて魔術でぶっ飛ばしている所だが、謎の胸のトキメキと顔の近さとフィストの剣幕に圧されて、今回ばかりは素直になっていた。


「わ、わかったわよ……」

「おう! わかればいいんだ!」


 あっさり笑顔になって、フィストはニカッと笑う。


「で、お前はどうしたいんだよ。俺達と組みたいのか、組みたくないのか」


 改めて、フィストは聞いた。よくわからないが、面倒な事情があるようだし、アイリスが嫌だというのなら、諦めるしかない。


「あたしは、その……」


 アイリスは迷った。迷う必要なんか、全然ないはずなのに。強いと言っても相手はアンダーである。バカで野蛮な山猿だ。もう一方は、陰気なヴァンパイア女である。どう考えても、偉大なるマギオンで、ウィングスの中のウィングスである自分には相応しくない。友達など論外で、一緒に課外実習をするのだって大問題だ。


 それなのに、アイリスは即答出来なかった。めちゃくちゃな奴なのに、なんだか物凄く気になってしまう。こいつなら、自分の退屈で窮屈な日常を変えてくれるのではないだろうか。そんな風に思ってしまう。そんな事は、許されるはずがないのに。


「……ぁ、あんたは、どうなのよ……」


 聞く意味もないのに、アイリスはそんな事を尋ねた。


「いや、誘ってんだから、組みたいに決まってんだろ」

「……そうじゃなくて。なんであたしなのかって事」


 言ってから、我ながらバカだなとアイリスは思う。なにを期待しているんだろう。自分の人生で何かを期待して、思い通りになった事なんか一つもないのに。


「なんでって言われたら、俺達なんかウィングスの奴らに嫌われてるし、お前に勝って一緒に組めば、そいつらも大人しくなるって聞いたからだけど――」


 ほらやっぱり。答えを聞いて、あんなに熱かった胸の気持ちが氷のように凍てついた。やっぱり同じだ。こいつも、あたしの事なんかどうでもいいんだ。マギオンの娘って事しか見てないんだ。最低、最悪、期待して損した。あたしって、本当馬鹿……。


 なんだか無性に泣きたくなって、アイリスは必死に唇を噛んで堪えた。こんな奴の前でこれ以上弱みを見せたくない。


「――今は、普通にお前と友達になりたいって感じだな。お前強いし、ちょっと怒りん坊だけど、面白れぇからさ。一緒にいたら楽しそうだろ?」


 ニカッと笑って言ってくる。

 不意打ちでそんな事を言われて、アイリスはやられてしまった。これは絶対恋なんかじゃないけれど、そんな事はあり得ないのだけど、嬉しくて、嬉しくて、涙が溢れた。堪える間もなく、ぶわっ! っと。


「うぉ!? なんで泣いてんだよ!?」

「ないでらい……」

「泣いてんじゃん!」

「ないでらいっていってるれしょ!?」


 ボロボロ泣きながら、アイリスは叫んだ。嬉しくて、悲しかった。確かめた所で、彼らと一緒に組めない事には変わりがないのに。こんな気持ちになるのなら、確かめない方がよかった。手に入らない宝物なら、見せて欲しくなかった。世の中は残酷だ。


「で、どうなんだよ」


 少年が、残酷な問いを投げかけた。


「組みたいわよ! でも、無理なの! あたしは、マギオンだから! あんた達とは組めないの! どんなにあたしが望んだって、本当に欲しい物は一つだって手に入らないんだから!」


 ぷつりと何かが切れてしまって、アイリスはわーわー泣き出した。

 最悪だ。アンダーの前でこんな情けない姿を晒すなんて。

 だが、不思議と恥ずかしさはあまりなかった。

 大恥をかかされて、裸まで見られたのだ。

 泣き顔くらい、今更なんだと開き直った気分である。


「……それに関しては、僕が力になれると思う」


 壊れたドアから気まずそうに顔を覗かせたのは、カイル教師だった。


「お、おじ様?」


 慌てて涙を拭って、アイリスは言った。言葉通り、父親の弟であるカイルは、彼女にとっては叔父だった。


「すまないね。盗み聞きするつもりはなかったんだ。僕も模擬戦は見ていたから、アイリスちゃんが落ち着いた頃に声をかけようと思って待ってたんだけど」


 その間に、フィストたちがやってきて、なんやかんやとあったのだった。


「カイル先生! この前はサンキューな! あんたのお陰で入学できたし、色々楽しいぜ!」

「僕はただ、昔の借りを返しただけだよ。でもまぁ、楽しんでいるなら良い事だ」


 痩せた教師は頼りない笑みを浮かべて、アイリスに向き直る。


「マズい状況なのは理解している。けど、こうなってしまったものは仕方がない。泣いても笑っても、君の人生は続いていくんだ。前向きに考えて対処しようじゃないか」

「でもおじ様、あたし、どうしたらいいか……」


 アイリスにとっては、カイルは頼れる優しい叔父だった。多忙な父親に代わって、よく一緒に遊んでくれた。父親が失踪してからは特に、色々と良くしてくれている。


「アイリスちゃん。君は魔術に関しては天才だけど、それ以外の事についてはもうちょっと頑張った方がいいね。今回みたいに、世の中には魔術じゃなく頭を使わないと解決出来ない問題も沢山ある。マギオンの名を背負うなら、特にだ」

「……はい」


 大好きな叔父の前では、アイリスもしおらしく素直になった。


「どうにもならない状況なら、利用する事を考えよう。アイリスちゃんは僕に頼まれて、わざと負けた。アカデミー中のウィングスの反感を買うフィスト君とリーゼさんを助ける為にね。理由は三つ。一つ目は、僕は知人に借りがあるからフィスト君を助けないといけない。二つ目は、以前からアカデミーで問題視されているウィングスとアンダーという隔たりを解消する為。三つ目は、同じく問題視されている、吸魔症のような以前魔族と呼ばれていた力を持つ生徒に対する偏見を解消する為。一つ目だけだと理由は弱いけど、後の二つは同盟も危惧している問題だから、言い訳も立つ。君はマギオンの名を背負って立つ者として、自ら歪みを正す為に今回の密命を受けたという事にしておこう。あとはタイミングを見てこの情報をばら撒けば、君とマギオン両方の面目も立つ」


 すらすらとカイルが告げる。

 それを聞いて、アイリスの胸は花が咲いたように軽くなった。


「凄いわおじ様! それならあたしもママに怒られないで済むもの! 流石おじ様ね!」

「一応僕もマギオンの端くれだからね。魔術の素養がイマイチな分は、こっちで活躍しないと」


 軽く頭を振って、カイルが片目を瞑る。


 そんな叔父を、アイリスは羨望の目で見つめていた。彼は彼女が尊敬する数少ない人間の一人だった。天才のアイリスからすれば、魔術の腕などなんの自慢にもならない。だから、それ以外の才能に魅力を感じる。叔父の場合は、魔術の素養は今ひとつだけど、とても頭がいいのだった。マギオン家では肩身の狭い思いをしているが、アカデミーで教鞭を振るう傍ら、優れた学者として、魔術素養や魔力特性と人体の関係性などを研究している。


「問題は、フィスト君が納得してくれるかだけど」


 そんな事を言われても、フィストにはほとんど理解出来ない話だった。

 わかるのは、アイリスが喜んでいるという事くらいだ。


「よくわかんねぇけど、先生に任せとけば全部上手くいってアイリスと組めるって事だろ? なら俺は文句ねぇよ」


 わざと負けた事にするという話も、別にどうでもいい。勝った負けたなんてのはただの結果で、一々気にするような物でもない。


「リーゼはいいか?」

「私は……フィストさんがいいなら……」


 リーゼは少し不安そうだったが、大体いつも不安そうにしているから、大丈夫だろう。


「じゃあ、そういう事で手を打っておくよ。ただ、そういう事にしておくからには、今後は君達に、そういう感じで動いて貰う事になるけど、大丈夫かな?」

「どういうことだよ」

「アカデミーの為に、ウィングスとアンダーの仲が悪いのを取り持ったり、ヴァンパイア、じゃなくて、そこの吸魔症の子みたいなのがいじめられないように活動するかもって事」


 アイリスが説明する。


「いーじゃんそれ! むしろ望む所だぜ! なぁリーゼ!」

「なんだか大変そうですけど、先生やアイリスさんが後ろ盾になってくれるのなら……」


 ぶつぶつと呟く。リーゼとしては、なんだか大変な事になってしまったと不安だが、どのみち自分に発言権はないと思っているので、余計な事は言わなかった。


「それじゃあ、そういう事で。なにかあれば、また話をしに行くよ」

「おう! サンキュー先生!」

「ありがとうおじ様! 大好き!」

「あ、ありがとう、ございました……」


 そんな感じで、なんとか丸く収まったらしい。

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