第16話 たかが練気術

 手続きがあるとかで、決闘は翌日の放課後に行われる事になっていた。


 実際は決闘ではなく、無制限ルールの実戦訓練らしいが、そんな風に呼ぶものは多くない。


 場所は幾つかある小模擬戦場の一つで行われた。


 円形のステージを高い壁がぐるりと囲んで、その上に階段状の客席が並んでいる。客席は魔術防壁を発生させる魔導装置で守られている為、流れ弾を心配する必要ないらしい。


 客席は超満員で、立ち見まで出ていた。混み合った席の間を、ジュースやポップコーンを抱えた売り子の生徒がちょこまかと駆け回っている。アカデミーでは、決闘は人気の娯楽の一つだった。


 料理係のサークルが出店や売り子を出したり、非公式の賭博サークルが賭けを仕切っていたりする。


 拳聖の弟子であるという事以外は出自が謎にも関わらず、マギオン家の次男であるカイル教師の寵愛を受け、ヴァンパイアとつるんでウィングスに喧嘩を売って回る恐れ知らずの山猿ことフィストと、側室から成り上がったくせに偉そうにマギオン面をして威張り散らしている、高慢ちきの七光りことアイリスという二大カードの激突に、会場は始まる前から大盛り上がりだった。


 特にウィングスには、この二人を良く思わない人間が多かったので、どちらが負けても見物だし、なんなら二人とも大怪我をしてしまえというような意地悪な雰囲気が漂っていた。


 繊細なアイリスはそんな嫌な空気を敏感に感じてイライラしていたし、フィストはなんか盛り上がってて楽しいな~と、呑気に手など振っている。


 模擬戦の参加者は、応援者の為に好きな席を予約する事が出来たので、フィストはリーゼと話し合って、こちら側の真後ろの一番前を彼女とウルフに用意した。


 最初はリーゼの分だけのつもりだったのだが、彼女は一人で人が多い所にいるのが苦手なようだったので、ウルフに保護者役を頼んだのだった。


「フィストさん! 頑張って! 危ないと思ったら、棄権していいんですからね!」


 客席のリーゼが大声で叫んだ。


 直前のギリギリまで反対していたリーゼだが、いざ始まるとなって覚悟を決めたのだろう。いつの間に作ったのか、下手くそな拳の絵など描かれた小さな旗をパタパタと胸元で振っている。仏頂面のウルフも同じ物を持たされて、手首だけでパタパタ振っている姿は、ちょっと面白かった。


「心配すんな! サクッと勝って、アイリスと友達になってくるからよ!」


 拳を上げて答えると、フィストはアイリスに向き直った。

 模擬戦の開始を前にして、僅かな距離を空けて、向かい合うように中央に立っている。

 何故か知らないが、アイリスはやたらと不機嫌そうな顔をしてこちらを睨んでいた。


「このあたしを前にしてサクッと勝つとか、舐めた事言ってくれるじゃないのよ」


 ごごごごごっと、集中しなくても見える程濃厚な魔力が、怒気を宿してアイリスの身体から揺らめいていた。


「怒んなって。ちょっとかっこつけただけだろ」


 アイリスが怒る気持ちも分からないではない。賑やかで、ちょっと調子に乗ってしまったフィストだった。


 そんなフィストをギロリと睨んで、アイリスはいかにも鼻持ちならないと言いたげに鼻を鳴らした。


「馬鹿ねあんた。ほんっっっとうにバァカ。かっこなんかつけたって、あたしにボロクソに負かされて大恥かくだけだってのに。ボロボロのグシャグシャのコゲコゲになって、無様に泣きながらおしっこ漏らして失神すんのよ! 二度とデカい口叩けないように凹ましてやるんだから!」

「そいつは楽しみだ」


 ニカッと笑って、フィストは言った。


「なんだかんだ言って、俺も師匠の弟子だからよ、強えぇ奴と戦うのは好きなんだよな。お前、強いんだろ? ワクワクするぜ」


 ぶるりと、フィストは身震いをした。やっぱり自分は、机で勉強なんかするよりこっちの方が性に合っている。


 そんなフィストを、アイリスは軽蔑の目で見返していた。


「……あんたって、本当に山猿なのね。もういいわ。あんたと喋ってると、こっちまで馬鹿になりそう」

「ウキィー!」


 なんだか怒ってばかりのアイリスである。笑った顔を見てみたくて、フィストは猿の真似をしてみた。白けた顔で睨まれただけだったが。


 魔術仕掛けのスピーカーから指示が飛び、お互いに所定の位置に着く。

 ステージを半分に区切って、それぞれの真ん中あたりに立ち位置を知らせる印がある。


「それでは、これよりフィストと、アイリス=ミスティス=マギオンの、無制限ルールの実戦訓練を開始します。スタート!」


 甲高い笛の音がスピーカーから響く。


「さぁ来い!」


 じっくり楽しむつもりでフィストは先手を譲った。


「馬鹿ね。あんたはもう、おしまいよ」


 アイリスが気だるげに右手を振った。


 次の瞬間、フィストの身体を炎が包んだ。手元で術化させて射出するのではなく、直接指定した場所に炎を生み出す、高等テクニックである。フィスト側のステージの大半を、アイリスの生み出した炎が覆っていた。


「弾けるもんなら弾いてみなさいっての」


 独り言のつもりでアイリスは言った。十数秒程ならネイキッドアーマーの防御で耐えるだろうが、それでも熱くないわけではない。やりすぎると殺してしまうので、術を解くタイミングだけ注意した。


「その気になれば、あんたなんか簡単に消し炭に出来るんだから。優しいあたしに、感謝なさ――」

「はぁっ!」


 気合の声と同時に、馬鹿げた密度の魔力が炸裂し、炎を掻き消した。突風のような余波に、アイリスがよろける。


 フィストは無傷だった。火傷は勿論、髪の一本も焦げてはいない。超密度の魔力を鎧のように纏って炎を遮断したのだ。


 魔力とは、可能性の力である。魔術とは、その在り方を決める術だ。純粋な魔力は、純粋であるが故に変らない。何にでも成れるが故に、何ものにもならない不可侵性がある。


 なにもしなければ、魔力は魔術の影響を受けて変質するが、フィストは意志力で魔力を収束させ、縛っている。魔術の基本である魔力操作で、これに重点を置いた技術は、練気術などと呼ばれている。


 魔術の基本だから、魔術士なら誰だって出来る事である。アイリスは勿論、リーゼや、マーロンだって出来る。


 とは言え、魔力とは可能性の力である。本質的には自由な力なので、一点に集めれば、当然反発する。高密度で繋ぎ留めておくのは、簡単な事ではない。というか、普通に難しい。


 難しい癖に、効果と言えば不可侵性だとか、収束した媒体、この場合は肉体の強度を上げる程度なので、あまり重視はされていない。そんなのは、程々でいいのである。それより、他に適性のある術を訓練した方が、ずっと効率がいい。


 普通なら、だ。


 フィストには、これしかなかった。


 だから、生まれてから師匠の元を離れるまで、毎日毎日こればっかり鍛えてきた。  

 

 たかが練気術、されど練気術である。


 超密度に収束させた魔力を解き放てば、このくらいの事はわけないのだった。

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