三章

第15話 たった一つの取り柄

「てな事があったんだわ! ……リーゼ? どうした? お~い?」


 フィストの報告を聞いたリーゼは、顔を両手で覆って、ふるふると肩を震わせていた。


 放課後の食堂である。最近そうしているように、リーゼの授業が終わった後で合流し、一緒に夕食を食べている。今日は色々頑張ったので、いつも以上に飯が美味いと、フィストはニコニコである。


「ははん。あれか? 女友達が出来ると聞いて、嬉しくて泣いてんだろ?」


 本当泣き虫だなコイツは、とか想いながら、無邪気なフィストはそんな事を言う。


 ずずずずず、っとリーゼの顔を覆う手が下がった。案の定、赤い瞳は涙でうるうるしている。その割に嬉しそうではなく、怒ったような、呆れるような、悲しむような、複雑な表情をしていたが。

 くすん、と鼻を鳴らして。リーゼが叫んだ。


「フィストさんの、バァカアアアア!」

「えぇ……」


 リーゼに馬鹿と言われるのは初めてだった。他の奴らには言われ慣れているが、彼女に言われるとちょっと悲しい。でも、良い奴のリーゼである。理由もなくフィストを馬鹿呼ばわりしたりはしない。


「俺、なんかまずい事したか?」


 不安になって尋ねると、リーゼはキッ! とフィストを睨み、ウゥ~~! と歯を食いしばって呻った。椅子に座ったまま地団駄を踏み、大きな胸を揺らしながら、握った拳をパタパタと振る。


 それで怒りに耐えたらしい。ぷはぁ! と息を吐くと、ジロリとフィストを見返す。白いほっぺは、怒ったようにちょっと膨れていた。


「すみません。フィストさんは良かれと思って頑張ってくれたのに……でも、でもですよ! これはあまりにも、あんまりですよ!?」

「ごめんなさい」


 とりあえず、フィストは謝った。なんで怒られているのかは分からないが。


「……私が何で怒ってるのか、分かってますか?」

「全然」

「ウゥ~~~~~ッ!」

「……ごめんな。俺、馬鹿だからさ……」


 あの優しいリーゼをこんなに怒らせてしまうなんて。俺って本当馬鹿なんだな、とフィストは悲しくなった。学校なんかやめて魔境に帰りたくなる。


「違うんです! 違うくないけど……もぅ、そんな顔するなんて、フィストさんはズルいですよ!」


 物凄く複雑そうな顔をして、リーゼが叫ぶ。なにが違うくてなにがズルいのかも、フィストには分からない。世の中は、分からない事が多すぎる。

 とりあえず、リーゼの怒りも多少は収まったらしい。


「なんて言ったらいいんでしょうか。多分その、フィストさんはハメられたんだと思います」

「ハメられた? 誰に?」

「その、マーロンっていうウィングスの男の子にです」

「マジか。ぶっ飛ばしてくるわ!」

「待ってください!」


 立ち上がるフィストを慌ててリーゼが止める。


「そんな事しても、意味ないですよ。むしろ、余計に拗れるだけだと思います」

「そうなのか?」

「そうなんです」


 じゃあそうなのだろう。よくわからないが、面倒な事だ。


「でさ、結局何がマズかったんだ?」


 分からないので尋ねる。


「もうなにもかもがって感じですが……」


 はぁ、っと額に手をついて、リーゼが説明する。


「第一に、ウィングスの人達に喧嘩を売るっていうのが良くないんです。あの人たちは、偉くて、意地悪で、関わるとろくな事がないんですから」

「そういや、そんな事言ってる奴がいたな」


 なんか地味な感じの奴が。地味なので、もう顔も思い出せない。


「あの人たちは、私達みたいなアンダーを見下して、毛嫌いして、馬鹿にしてるんです。だから、目立つ事をすると意地悪されちゃうんです」

「そのアンダーとかウィングスってのがよくわかんねぇんだよな。みんな同じ人間だろ?」


 そんなの、どうやって見分けりゃいいんだよ。と思うのだが、リーゼにジロリと睨まれたので、大人しくしておく。


「……同じじゃないですよ。世の中は、不公平なんです。生まれつき恵まれてる人もいれば、そうでない人もいます。私達は、そうでない側なんです」


 なんだか、フィストはもやもやしてきた。


「なんかやだな、そーいうの」

「私だって嫌ですよ。でもそういう世の中なんです。仕方ない事なんです」


 そうだろうかとフィストは思った。あいつらと自分達は違うが、フィストとリーゼも違う。あいつらだってみんな違う。フィストはフィストなりに毎日楽しいし、幸せだ。そんなもんだと思うのだが。


「……それで、フィストさんは色々アレですし、私も色々アレなので、目の敵にされちゃうんです。それは仕方ない事なので、大人しく、目立たないようにしておかないとダメなんです」


 注意というよりは、懇願するような口調だった。頼むから、大人しくしてくれと。直接は言わないが、言っているのと同じだった。それもやっぱり、もやもやした。


「……ハメられたって話ですけど。マーロンって人は、フィストさんを助ける気なんか全然なかったんだと思います。アイリスさんは、マギオン家っていう、物凄く偉くて強い大魔術士の一族なんです。その中でも、大天才と呼ばれたお父さんの才能を受け継いでいて、同い年くらいですけど、そりゃもう、物凄く強い戦闘術士なんです。先生だって、敵わないと思います。勉強する事も特になくて、図書館に籠って、難しい魔導書の研究をしてるそうですし。ウィングスの中でも、特別な存在なんです」


 同じような話をマーロンも言っていた。ハメられたとか言われたから、なにか嘘をつかれたのかと思ったのだが。そういうわけではないらしい。それでふと、フィストは思った。


「もしかしてさ、リーゼが怒ってるのって、俺がアイリスに勝てないと思ってるからか?」


 そんな気がして聞いてみる。


「それだけじゃないですけど……まぁ、そうですね」

「なんだよ。俺はてっきり、間違った事やっちまったんじゃないかって心配してたぜ」


 ホッとして、フィストは胸を撫でおろした。


「いや、間違ってるって話をしてるんですけど……」


 リーゼは呆れるが。


「でもさ、勝てばいいんだろ?」


 気楽に言うと、リーゼは目をパチパチさせた。そして、真っ赤になって声を張り上げる。


「勝てませんよ! いくらフィストさんが強くても、彼女は無理です! それが分かってて、マーロンって人もけしかけたんですよ!?」

「それは置いといてさ。どうなんだよ? 俺が勝てば、全部丸く収まるのか?」


 気になるのはそれだけだった。他は問題ではない。


「それは……」


 リーゼは咄嗟に否定しようとしたようだったが、思い直して考え込んだ。


「……万が一勝てたとして、あのアイリスさんが素直に仲間になってくれるとは思えないですけど。そういう可能性も、あるかもしれません。でも、余計に目の敵にされるかもしれないし……そんなの、分かりませんよ……」


 意地悪でもされたみたいに困った顔をしてリーゼは言う。リーゼは後ろ向きだから、案外上手くいく目はあるんじゃないかとフィストは思った。

 だから言った。


「なら、やってみる価値はあるって事だな」


 それさえ分かれば一安心である。心も軽く、飯も美味い。


「ないですってば! 勝てないんですよ!?」

「わりぃけど、そればっかりは俺の得意分野だ。リーゼがどう思おうが勝手だけどさ、アイリスと向き合った感じ、確かに強そうだったけど、全然勝てないって気はしなかったぜ」


 相手がどんな手を使って来るのか分からないし、本気を見たわけでもないので確かな事は言えないが。


「それに、俺も退屈してたし。アイリスがすげぇ強いってんなら、遊んでみてぇな」


 ワクワクして、フィストは言った。

 戦う事しか能のない戦闘狂の師匠に育てられたフィストである。戦う事と遊ぶ事は同義だった。


「遊びたいって……分かってるんですか? 決闘って、物凄く危ないんですよ!? ネイキッドアーマーを着てるってだけで、本気の実戦と同じなんです! それで毎年何人も死んでるって、ウルフ先生が言ってたじゃないですか!」


 入学式の後のオリエンテーションでそんな話をしていた。新入生を脅かすのが目的のようだったが。フィストとしては、なにを当たり前の事をといった感じである。


「戦いってそういうもんだろ。本気でやり合えば、殺したり殺しちまう事だってあるだろうさ」


 そういう教育で育ってきたフィストである。そんな事は、今更言われるまでもない。師匠にボコられて、本気で死にかけた回数は数え切れない程ある。

 フィストの言葉に、リーゼはショックを受けたようだったが。


「……殺すのも、殺されるのも、私は嫌です。フィストさんは大事な友達ですから、そんな目には、あって欲しくないんです……」


 半泣きになりながら、リーゼは言ってくる。泣かれると、フィストも弱い。なんか、こっちが間違ってるのかな、という気になってくる。だが、こればかりは譲れない。


「平気だって。師匠にいわせりゃ、そういう心配は弱い奴のする事だって。本当に強い奴は殺されないし、殺さないように戦える。それが自由って事なんだと。よくわからんけど、俺は結構強いと思うし。だから大丈夫だって」


 どれだけ言っても、リーゼは納得してくれない。ポロポロ泣き出し、激しく首を横に振る。


「謝りましょう! 今ならまだ間に合いますよ! 私も一緒に謝りますから! 土下座でもなんでもすれば、アイリスさんだってきっと許してくれるはずです!」



 その言葉で、フィストのもやもやは限界に達した。


「いやだ。リーゼが反対しても、俺はやるぞ」

「どうして……危ないって言ってるじゃないですか!」


「リーゼはさ、この先ずっとそんな風にウィングスとかいう奴らの顔色伺って生きるつもりなのかよ」

「……それはだって、仕方ないじゃないですか……」


「俺はそうは思わねぇ。そんなの全然楽しくねぇし。そんな風にうだうだ言ってるリーゼも見たくねぇ。だから全部ぶっ飛ばす。それが出来ねぇんだったら、こんな所居たって意味ねぇよ」

「フィストさん……」


 見つめられて、フィストの胸は痛くなった。


 リーゼも、意地悪を言いたいわけではないのだ。彼女はただ、フィストの身を案じているだけなのである。そんな事はフィストにだって理解出来る。良い奴だ。最高の友達である。だからこそ、リーゼが意地悪されずにのびのびと学校生活を送れるようにしたい。


 手を伸ばし、さらさらの銀髪を乱暴に撫でる。


「心配すんな。喧嘩は得意なんだ。それだけが取り柄だからよ」

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