第13話 籠の鳥
「……………………暇だわ」
アカデミーが誇る大図書館、その四階の、難解な本がまとめられたひと気のないエリアにある読書コーナーで、アイリス=ミスティス=マギオンはぶらぶらと足を揺らしていた。
美しい金髪をツインテールにした、子供みたいに小さな美少女である。
古びたテーブルの上には、一階で借りた流行りの恋愛小説が一冊、ぽつんと返却されるのを待っている。
読み終わってから一時間程が経っていた。甘い余韻に浸れたのは三十分ほどで、その後は忌々しい退屈を持て余している。
恋愛小説は、暇を潰すにはもってこいだが、一冊読み終わると、しばらくはいいかなという気になる。
かといって、他にやる事もないので、翌日にはまた違う本を借りて、夢中になって、読み終わり――
アカデミーに入学してからずっと、アイリスはそんな事を繰り返していた。
虹の紡ぎ手の異名を持つ大魔術士、一級勇者のアルバート=ミスティス=マギオンの娘であるアイリスだ。
マギオンの名に恥じぬよう、幼少期から英才教育を施され、魔術の腕は既に超一流、今更アカデミーの教師に習うようなことはない。座学に関しても似たような物で、一年生が習うような事は大体理解していた。
それでも、授業に出る意味はあるのだろう。
ウィングスにとっては、アカデミーは人脈を広げる重要な場だ。
大人になり、親の地位を継ぐ者達にとっては、魔術の腕などより、ここで作った人脈の方がよほど大きな武器になる。
七大名家に数えられるマギオンでも、それは例外ではなく、むしろマギオンだからこそ、今の内に味方を増やしておいた方が良い事は、アイリスも頭では理解している。
特に次期当主である父親のアルバートが失踪し、弟のカイルが落ちこぼれとなれば、まだ幼いアイリスが当主に選ばれる日はそう遠くないかもしれない。
謀略渦巻く上流社会を生き抜くには、使える味方は多いに越したことはない。
そんな事は分かっている。
アイリスは勿論、他のウィングス達も。
だから、へらへらと媚びへつらい、甘い顔をして近寄って来る。どうせ裏では、七光りのアイリスとか言って馬鹿にしている癖にだ。
今でこそ正室として迎えられているが、アイリスの母親は元は側室だった。父親のアルバートは、マギオンにしては破天荒な男で、周りの反対を押し切って、庶民の女と大恋愛の末に結婚した。一応相手も、庶民にしては力のある魔術士だったらしい。
けれど、出産が上手くいかず、母子ともに亡くなってしまい、跡取り問題が発生した。当主の命令で何人か側室を作って、その中で一番力のある子供の親が正室になる事になったのだ。
だから、アイリスは幼いころから、拷問紛いの教育を受けて育った。ライバルに勝ち、マギオンの正室になる。家柄の劣っていた母親の頭にはそれしかなく、アイリスは母親の夢をかなえる為の道具のような存在だった。
それでもアイリスにとってはたった一人の母親だから、褒めて貰おうと一生懸命頑張った。努力の甲斐あり、無事正室に選ばれても、母親のスパルタっぷりはおさまらず、なにかの拍子に今の地位を失うのではと疑心暗鬼になっている。
周りは皆ライバルだ。マギオンの人間は常に一番でなければいけない。事あるごとにそのように言われて、アイリスもそのように育ってきた。
だから、アイリスには友達がいない。遊んでいる時間がないのだから、友達などいても仕方がない。出来た所で、母親に怒られるだけである。彼女には、娘以外の全てが敵に見えるのだ。
その癖、人脈は作れと無理な事を言ってくる。仲良くなるのではなく、力で支配し、従えるのだと。
はいはい、わかりましたよ。
ある程度大きくなって、アイリスも母親の扱い方が分かってきた。逆らわない事、これに尽きる。自分は人形なのだ。彼女の望む台本通りに動く、人形劇の人形だ。その役を演じていればいい。
楽な人生である。自由も、友達も、楽しい事も、何もないが。
で、アカデミーに入学した。
そしたらプッツリ、何かが切れてしまった。
母親の元から離れたというのが大きいのだろう。
ここに居れば、監視の目も届かない、という事もないのだろうが。
とりあえず、面と向かってうんざりするような小言は言われずに済む。
勇者資格だって、課外実習とやらをこなせば、授業に出なくても取れるのだ。
だったらわざわざ、うざったいウィングス達の社交界ごっこの駒になってやる理由はない。
こっちから声をかけなくても、向こうの方から尻尾を振ってやってくるのだ。
いずれは、ちゃんとやっているという姿を見せておかないといけないだろうが、暫くは、猶予があるだろう。
いままでこんなに必死に頑張ってきたんだから、ちょっとくらい休んだっていいじゃないか。そんな気持ちで、あたしより弱い奴とは組まないとか言って、寂れた図書館に閉じ籠り、日がな一日大好きな恋愛小説を読んで時間を潰している。
それにも飽きてきたが。
他に趣味もない。楽しい事なんか、全然知らないで育ってしまったアイリスである。
「……あ~あ。白馬の王子様でもやってきて、あたしの事どこか遠くに攫ってくれないかな」
ぽつりと呟く。恋愛小説を読んだ後なので、頭の中がまだ少し桃色になっているのだろう。こんなセリフを聞かれたら、恥ずかしくて大規模爆砕術物だが、滅多に人の来ないエリアである。聞いている者などいやしない。だからここが好きなのだ。
あり得ない事なのは分かっている。叶わない夢なのも。
それでも、時々夢に思う。
いや、いつもか。
マギオンになんか、生まれたくなかった。
普通の家に生まれて、普通の女の子として平凡に楽しく暮らしたい。
そんな夢が叶うなら、マギオンの才能なんか喜んで捨てるだろう。
アイリスにとってこれは、祝福などではなく、呪いだった。
忌々しい呪い、人生を縛る虹色の鎖だ。
「……それが無理なら、恐怖の大魔王でも復活して、なにもかも全部ぶち壊してくれないかしら」
現実がチラついて陰鬱になる。恋愛小説の世界は甘くて楽しい。だからこそ、読み終わると虚しくなる。自分には、一生無縁な世界だと気づかされるから。
独り言を聞いているのは、かび臭い古書だけだ。それでもちょっと、恥ずかしくなる。
「……なんてね。そんな事、あるわけないんだけど」
だからまぁ、誰にともなく、言い訳のような言葉を口にした。
と、不意に棚の本がカタカタと揺れる。
「ぇ、地震?」
大した揺れではない。一人ぼっちで、こんな静かな場所にいなければ気付く事もなかったろう。
それでも、アイリスは恐怖した。たとえ大地震で図書館が崩壊しても、アイリスの魔術なら無傷で生還できる。それでも、怖いものは怖い。隠しているが、アイリスはビビりだった。
「……ァィ……ス……アイ……ス! アイ……リス! アイリーーーース!」
声が近づいていた。
図書館の四階の奥まで響いてくる、馬鹿げた大声が。
「な、なんなのよ!」
たらりと汗を流しつつ、パタパタと窓の方に駆けていく。
ゴゴゴゴゴゴォ! と土煙をあげながら、見知らぬ少年があり得ない速度でやってきて、図書館の前で立ち止まった。すぅーっと、大きく息を吸う。
「アイリスなんたら! この俺と、勝負しやがれぇええええ!」
窓ガラスと一緒に、平らな胸がビリビリと振るえた。
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