二章

第9話 間接キッス

「うはー! うめぇ! 超うめぇ! こんな美味い飯がタダで食い放題とか、ガッコー最高! 俺一生ここいるわ!」


 ガツガツと、トレーに山盛りになった料理を頬張りながらフィストが叫ぶ。


 だだっ広いアカデミーの食堂である。


 長テーブルが畑のように綺麗に並び、奥のカウンターには様々な国の料理が盛られた大皿がずらりと列を作っている。向こう側は厨房で、白い制服を着た料理人達が忙しく働いている。


 食堂の片隅で、フィストはリーゼと向かい合って昼食を食べていた。


 昼時という事もあり、食堂は混み合っている。大勢の生徒達が、噂の新入生二人に、好奇、軽蔑、嫌悪の視線を向けて、笑ったり、馬鹿にしたり、指をさして噂話をしたりしていたが、食べる事に夢中のフィストは、全く気にもしなかった。

 隣のリーゼは、赤くなったり青くなったりしながら震えていた。


「フィストさん! 声、大きいです!」


 涙目の顔になって、リーゼがシーッ! っと人差し指を立てる。

 フィストがアカデミーに入学して一週間程経っていた。


 その間に、色々と波乱があった。敬語や礼儀という概念を知らないせいで、同級生は勿論、上級生や先生からも睨まれ、疎まれ、喧嘩に発展しそうになったり。


 アカデミーでは生徒が目的に合わせて自分で時間割を組まなければいけないのに、フィストはその事を知らず、興味もなく、組む気もなかったり。


 とりあえずリーゼと同じ授業を受けてみれば、座学は爆睡、各種魔術の実技は全く適性がなく、やる事ねぇやと遊びだしと、絵に描いたような問題児っぷりを発揮していた。


 それでもリーゼにとって、フィストはアカデミーでたった一人の友達である。ダメだこの人! 私がなんとかしないと! と、母性を燃やし、保護者気分であれやこれやと足りない常識を必死に叩きこもうと努力している。


 子供のように純粋無垢なフィストなので、そういうもんかと素直に聞き入れているが、子供のように忘れっぽいので、この通り、言われた事をすぐに忘れてしまうのだった。


「だってよリーゼ! これ、すげぇうめぇんだって! お前も食ってみろよ!」


 タレのかかった食べかけの大きなミートボールをフォークに刺して、フィストが身を乗り出す。

 いわゆるあーんの形である。


 フィストとしては、何一つ他意はない。美味しい物を食べた感動を共有したい、ただそれだけである。


 リーゼは年頃の乙女である。運命的な出会いを果たし、こんな自分に懐いてくれるフィストは、色々足りない所は多いけれど、正直憎からず思っている。


 だからこそ、公衆の面前であーんなんて恥ずかしい。みんな見てるし。私、ヴァンパイアだし。男の子にモテた事なんか一度もないし。いつもブスとかキモいとかバケモノ女とか言われて馬鹿にされてばかりだったし。正直、恋愛とかそういうの諦めてたし。いや、フィストさんにそういう下心がないのは分かっているけど、だけどだけど!


 と、そんな気持ちでドギマギしてしまう。


 目立ちたくはないと思う。吸魔症のせいで何もしなくても目立つリーゼである。フィストはフィストで、家柄もないくせに、拳聖の異名を持つ一級勇者の弟子で、並の魔術は蠅でも払うかのように素手で弾いてしまう規格外の力を持ち、戦闘教員のウルフ=ブラックに実力を認められ、魔術士の超一流名家、マギオン家のカイル=ミスティス=マギオンに目を掛けられているとなれば、アカデミー中の注目を一身に浴びていると言っても過言ではない。


 だからこそ、これ以上目立つような事はしたくない。


 魔術士は才能によるところが大きい。才能は、血によって受け継がれる。だから、優れた魔術士には由緒ある家柄の者が多い。貴族など、その最たるものだろう。

 優れた戦闘術士を育成するアカデミーだから、当然そのようなご立派な人間が多い。


 リーゼやフィストのような下賤な人間は、目の敵にされるに決まっている。

 なので、少しでも目立たないようにしたい。


 それが無理なら、出来るだけ彼らに付け入る隙を与えないようにしたい。

 ヴァンパイアとして長年謂れなき迫害を受けてきたリーゼの基本思考にして生存戦略である。


 だがしかし。

 だがしかしだ。


 こんな非モテの自分に、突然降って湧いたモテ期である。いや、モテではないかもしれないが、リーゼにとってはモテと言っても過言ではない。


 リーゼには分かっていた。いずれフィストも世俗の垢に塗れて、自分の元から去っていく。こんな薄気味悪い白髪のバケモノ女よりも、可愛くてお金持で家柄の良い女の子がアカデミーにはゴロゴロいる。彼ならば、すぐに人気者になってより取り見取りだろう。


 だから、あーんなんかして貰えるのは今だけなのだ。

 もしかしたら、一生に一度のチャンスかもしれない。

 いや、きっとそうだ。


 そんな風に思うと、リーゼは悲しくて泣きそうになった。

 同時に、決心がつく。

 だったら、楽しまないと損じゃないかと。


 リーゼはリーゼで、ちょっと思い込みの激しい所があるのだった。

 そんな感じの葛藤を内心で繰り広げて、リーゼはゴクリと唾を飲んだ。


「じゃ、じゃあ、おおお、お言葉に、甘えて……」


 振るえる顎を大きく開く。案の定、意地悪な声や冷やかすような口笛が聞こえてくるが、目を瞑って耐えた。


 恥ずかしいけど、フィストさんにあーんして貰えるなら……しかも、食べかけ!

 かかかか、間接キッス!

 口の中に転がったミートボールが、甘酸っぱいタレと一緒にほろほろと崩れていった。ファースト間接キッスは甘酢タレ味である。


「な! うめぇだろ!」

「……はひ」


 ぞわぞわと、幸福感に包まれながら、目をトロンとさせてリーゼが頷く。


「どうした? 風邪か?」


 そんなリーゼを不審に思ってフィストが尋ねる。


「……ひぇ……こんなに幸せでいいのかなって……」


 心の声が駄々洩れて、リーゼはハッとした。


「え、えっと! 今のは、違うくて!」

「わかるぜその気持ち。俺なんかずっと魔境の中で魔物ばっか食ってたからな。飯は美味い、魔物はいない、ベッドはふかふか、あったけぇ風呂も入り放題、こんな幸せでいいのかよって思うぜ」


 うんうんと、フィストが頷く。彼としては、夢でだって見た事のない生活である。


 そういう意味ではなかったのだが、誤魔化せたのならリーゼとしてはそれでいい。

 ご褒美は貰ったので、彼女は真面目な話をする事にした。


「それはそうと、色々考えないとですよ。これからの事とか。フィストさんにあった授業選びとか、敬語とか、常識のお勉強に、学費も返さないといけないんですから」


 結局、学費の問題は借金という形で落ち着いたらしい。リーゼは知人の勇者の推薦を受け、ある程度、補助金が出て、奨学金も借りている。それでも足りず、カンパして貰ったくらい、アカデミーの学費は高額なのである。


 アカデミーの生徒は、勇者の卵という事で、仮免を貰い、同盟が委託した仕事を課外実習という形でこなし、それによって貢献度やお金を得る事が出来る。だから、学費が高くても、借金があっても、頑張ればどうにかならない事もないのだが、そうは言っても心配だった。


「考えるの、苦手なんだよな~」


 フィストがこんな態度だからである。

 素直で可愛いなとリーゼは思うが。


「そういう時は、一つずつ片付けていきましょう」


 人差し指を立てて、リーゼは言った。


 シスターの教えである。山積みの問題を前にすると、誰だってうんざりする。けれど、どんな山も、一つずつ片付けていけば、いつかはなくなるものだ。

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