一章
第2話 旅立ち
人里離れたその森は、淀んだ魔力で変質し、木々は黒々とした葉をつけていた。
近寄る者も特にいないが、知る者は黒の森と呼んで恐れている。
魔術士が魔力によって事象を操るように、濃い魔力は万物を変容させる。
土塊が立ち上がって歩き出し、植物は人を襲い、鳥獣は巨大化して時には魔術まで使いだす。魔物である。
こういった魔力の濃い場所は魔境と呼ばれ、魔物が生まれやすい。
だから、まともな人間は近づこうとはしない。
そんな黒の森を、一人の少年が歩いていた。
ぼさぼさの黒髪に力強い眼つきをした、筋肉質の少年である。ボロ雑巾のような衣服を肌に張り付け、口笛など吹きつつ気軽に歩いている。
後ろ手に、彼の十倍はありそうな大猪を引きずりつつ。
手は、下顎から伸びだした角のような大牙に引っかけてある。その牙も、彼に叩き折られて半ばから砕けていたが。
ずるずるずるずる引きずって、彼は住処へと戻ってきた。
邪魔な木を適当に引き抜いてちょっとした空き地を作り、石を組んで簡単な炊事場にしている。家は近くの木の上に適当な小屋を作って住んでいる。
大猪をその辺に転がすと、少年は炉の種火が消えている事に気付いて舌打ちを鳴らした。
「めんどくせぇな」
ぶっきら棒に呟くと、その辺の落ち葉を一掴みして、ぎゅっと握り込んだ。さほど水気も残っていなかったのだが、馬鹿げた握力で絞られて、雫が落ちる。手の中には、原型もなく押し固められた落ち葉の塊が残った。
それを何度か繰り返して塊を大きくすると、少年は落ち葉の塊を両手で挟んで擦りだした。
程なくして、落ち葉が燃え出す。
彼の手は手袋のように魔力を纏っており、火傷一つしていない。
そうやって作った種火を炉に放り込むと、適当に薪を足して大猪の元へ戻った。
ぐごごごごごご~!
凶悪な魔物の唸り声を思わせる音が低く響くが、少年は気にもしなかった。彼の腹の虫の音だからである。
「腹減ったな~」
呟いて、少年は両手で手刀を作った。魔力を纏わせて、転がした大猪の腹に突き入れる。魔物化した大猪の毛皮は硬く分厚く、並の刃物ではまるで歯が立ちそうになかったが、少年の手刀はあっさりと貫いて見せた。
水を切るようにすいすいと切り裂いて、あっと言う間に大猪を解体すると、彼が手刀で削って作った太い木の串を口から突き通して、炉の上に引っかける。
「早く焼けねぇかな~」
椅子にしている丸太に腰掛け、炉を眺めつつ手を揉んで待つ。
と、少年は不意に顔を上げた。
「師匠さぁ、帰って来たなら声くらいかけろよな」
少年が住処にしている小屋がのっている太い枝に、黒いドレスを着た小さな女の子が腰掛けていた。
ふわふわの金髪で、人形みたいに可愛い女の子である。見た目の年頃は十二歳くらいといった感じだが、少年が物心つく頃から、彼女はそんな容姿をしていた。
「フィストが気付くか試してたんだし~」
悪戯っぽく笑うと、師匠が身を投げる。空中でくるりと回って、音もなく着地した。
「で、お土産は?」
ペロリと唇を舐めて、期待するように少年、フィストが尋ねる。
「ないけど?」
「またまたぁ~。そんな事言って、本当はあるんだろ? チョコか? ケーキか? それとも、アイスとか!」
フィストがある程度大きくなってから、長期の外出が増えた師匠である。帰って来る時は、いつもなにかしら甘い物を買ってきてくれている。
「だからないってば」
証明するように、両手を軽く上げてひらひらと振って見せる。
「……なにしに帰ってきたんだよ」
がっかりして、フィストは言った。
「ひっどーい。それが育ての師匠に言う言葉?」
「顔を合わせる度に死ぬほどボコられたりクソつええ魔物のいる場所に置き去りにされるのを育てるって言うならな」
フンとフィストが鼻を鳴らす。物心がつく前から、フィストは師匠と一緒に居た。詳しい事情は知らないが、師匠は本当の親とやらに頼まれて、代わりにフィストを育てているらしい。
「あんたの親に強い子に育ててくれって頼まれたんだも~ん」
その話は何度も聞いた。なにかにつけて言ってくるのである。素手でバケモノを殴り殺すくらいしか能のない師匠に預けるくらいだから、ろくな親ではないのだろう。
「で、マジでなにしに帰ってきたんだよ。また引っ越しか?」
最初は普通の場所に住んでいた。森の中だが、魔物はおらず、少し歩けば村もあった。フィストが戦えるようになってからは、魔境を点々としている。そこの魔物に余裕で勝てるようになったら、もっと強い魔物のいる場所に移動する。師匠に言わせれば、フィストを鍛える為という事らしい。
それは別に構わないが、引っ越しの度に家を作り直したり、その場所で食べられる植物やら魔物を検証するのは地味に面倒臭い。
「引っ越しと言えば引っ越しだけど。むしろ卒業って感じ?」
頬に人差し指をめり込ませ、師匠が小首を傾げる。
「っていうか、入学みたいな?」
「なんの話だよ」
さっぱり話が見えてこない。
「フィストももう大きいし、大体教える事教えたし、そろそろひとり立ちする頃かなって」
「ひとり立ちって、好きに生きろって事か?」
フィストもいつまでも師匠が面倒を見てくれるとは思っていない。そろそろかなとは思っていた。
「その前にお勉強? あたし、フィストに戦い方しか教えてないし? 学校とか行っといた方がいいんじゃないかな~って」
「学校って、机に座って勉強する所だろ? いーよめんどくせぇ」
フィストは世間知らずだが、幼い頃は村の近くに住んでいたし、今だって人里が近くにある時は、毛皮の売り買いをしに行く事もある。その程度の知識はあった。
「ダメだってば。フィストはあたしと一緒で腕っぷししか取り柄がないんだから。そんなんじゃ将来、色々困るよ?」
「例えば?」
「仕事に~、友達に~、恋人に~、なんか色々」
適当に指を折りつつ言ってくる。
「師匠は困ってんの?」
「困ってないけど?」
「じゃあいーじゃん」
「だーかーらー。困ってないのは、学校行ったおかげなんだってば。あたし、こー見えて一級勇者なんだから」
「勇者?」
なんかそんな話を前に聞いたような気もするが、覚えていない。どうせしょうもない話だと思ってちゃんと聞いていなかったのだろう。
「そー。勇者学校に通えば友達沢山出来るし~、勇者資格があればどこに行っても食いっぱぐれないし~、あとめっちゃモテるし~? フィストの親ともそこで友達になったし~?」
人差し指と一緒に身体を揺らしながら言ってくる。
「よくわかんねぇけど、行くしかないんだろ?」
別にフィストも、無理に反抗するつもりはない。
「そゆこと~。絶対楽しいから。青春楽しんで来なね~」
別れの挨拶のつもりか、師匠はギュッとフィストを抱きしめると、くしゃくしゃの紙切れと手紙を一通差し出してきた。
「なにこれ?」
「学校までの地図と推薦状~。あたし卒業生だし、現役の勇者だから、多分顔利くと思うし?」
ピースを作ってゆらゆら揺れる。
この通り、適当な師匠である。本当かよと疑わしい。
「ほんじゃばいび~! 縁があったらまた会おうぜぃ!」
グッと親指を立てると、師匠はフッと風のように消えてしまった。超スピードで移動しただけなのだが。
「……育てて貰った礼ぐらい言わせろよな」
バツが悪くなって頬を掻く。うざったい師匠だったが、いなくなると寂しいものである。
「聞こえてるよ~ん」
「早く行けよ!?」
森の奥から聞こえてくる木霊に叫び返す。
「ったくよぉ!」
真っ赤になって照れつつも、受け取った地図とやらを広げる。
「……こんなんで、どこに行けってんだよ」
師匠の残した手書きの地図は、子供の落書きにしか見えない代物だった。
現在地、長い矢印、補足でめっちゃ遠いと書かれ、その先に、エレオノール盟立勇者学校とミミズののたくったような字で書いてある。
そもそもフィストは、自分が今どこにいるのかも分からないのだが。
「まぁ、名前さえわかればどうにかなるか」
気楽に考えて、フィストは歩き出した。
昼飯がまだだった事を思い出して、すぐに戻ってきたが。
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