第6話 襲撃

「……どこから、話したらいいのかしらね」


 サトルが通されたのはサョリの自室。

 こぢんまりとした部屋には複雑な文様が織り込まれた絨毯が敷き詰められ、家具は布製の柔らかそうなソファと小さな丸テーブルがひとつ。

 あとは三段ほどの小さなタンスと肩の高さまである本棚。龍種もその文明を発展させる中で紙の本で綴られる文学や物語は重要な位置を占め、専業作家も種族を問わず多数いる。

 サトルは二刀を壁に立て掛けてソファに座り、サョリはテーブルを挟んだ対面に横座りになってサトルを見つめた。

 一方のサトルは、異種族ではあるが、美人にまっすぐ見つめられて緊張気味に身を固まらせている。

 そのまましばし沈黙が流れ、サョリはゆっくりと語り始めた。


「五年前、あなたの母であるナリヤ・フウコはサングィスさまの手勢に連れ去られた、あなたはそう見聞きしていると思います」


 こくりと頷く。


「事実、あの日の彼女は暴れ、泣き、叫びました。『息子に手を出さないで』と」


 サトルの脳裏にあの日の情景が思い浮かぶ。

 突如として船に現れた、武装したサヴロスの集団。

 抵抗する間もなく母はサヴロスに抱えられ、連れ去られていった。

 ひとり残された自分は、あの日泣き叫びながら攫われた母を救うため、今日まで剣の道を走り続けてきたのだ。


「最初は、一通の手紙でした。『ナリヤ・フウコを娶りたい』とだけ書かれていたその手紙を、彼女はタチの悪い冗談だと相手にしませんでした。だって、彼女は嫁にするにはとうがたっていましたし、なにより異種族ですから。

 ですが彼らは現れ、彼女はサングィスさまの御前に立たされていました」


 サングィスが狼藉をはたらくような人物でないことは、いまのサトルならわかる。けれど、あんな風に女性を連れ去った連中の親玉がどんな性格なのかなんて、どうしたって悪い風にしか想像できない。

 頼る者も、武器すら無い境遇で、自分より遙かに屈強なサヴロスの王の前に立たされた母の恐怖をサトルは想像し、悔しそうに奥歯を強く噛んだ。


「そしてフウコは恐怖に震えながらもサングィスさまと約定を交わしました。『あなたの嫁にでもなんでもなってやるから、わたしの子供には一切手を出さないで』と。ですがこれが間違いだったのです」


 え、とサトルが目を見開く。


「そして彼女はそれに気付くこともなく、サングィスさまに提案をします。自分をサヴロスへと変えてほしいと」


 じゃあ、と目を輝かせるサトル。

 いいえ、と首を振るサョリ。


「お義母さまの遺伝子を頂いて血肉を変え、『お義母さまの子として生まれ育った娘』として作られた記憶を法術で脳に上書きしてオゥマ・サョリは生まれました」

「なに……それ……」

「だからナリヤ・フウコはもういない、と言ったのです」


 がくりと肩を落とすサトル。

 サョリは唇をきつく結び、小さく息を吐いて、ゆっくりと立ち上がる。


「お茶を淹れましょうか。お菓子も、」


 ありますから、と言いかけたサョリを、サトルはうつむいたまま引き留める。


「サョリさんの記憶に、母さんの記憶はもう、ないの?」

「……あります。ですが、いまの私はもう、」


 ばっとサトルが飛び出し、抱きつく。サョリは伸ばした手を、どうしてもサトルの背中に回すことができない。


「だったら、なんで最初に言ってくれなかったの!」

「いまの私は、愛する息子を捨て、ユヱネスのからだも捨て、ただサングィスさまを愛し、傅くための存在。そんなおんながどうしてあなたとの再会を喜べましょうか」

「でもぼくは! ずっと会いたかったの!」

「そんな」


 そこから続けようとした言葉は、激しい揺れにより中断されてしまった。


 反射的にサトルの頭を抱きよせ、自身のからだで落下物からかばう。

 揺れは足下からではなく、横からきた。ならば地震ではないということ。

 揺れが収まるとサトルを離してサョリは立ち上がる。


「旦那様」


 当たり前のつぶやきだ。

 サョリはサングィスの妻。

 子を捨てたとさっき言ったばかり。

 なのに、サトルはサョリのつぶやきに、嫉妬していた。

 そんな思いを頭を振って追い払い、立ち上がって二刀を腰に差し、周囲を見回す。

 いまの揺れは人為的な、それも明確な悪意を感じた。


「王后陛下、こちらに避難してください!」


 いきなりドアを開け、入ってきたのは槍で武装したサヴロスが数人。全員が女性。目元から下を薄い布で覆い隠している。

 反射的にサトルが間に入り、柄に手をかける。


「私の近衞です。安心してください」


 背後から言われ、そっとさがるサトル。

 空いたスペースに一歩踏み出し、毅然とサョリは言う。


「ノックもせず無礼です」

「しかし、状況が状況です。処罰は後に受けます故、いまは避難を」

「私も剣士の端くれ。自分の身ぐらい守れます。それよりもなにが起こったのか、説明なさい」


 は、と短く答え、耳打ちする。


「本当なのですか、それは」

「はい。間違いありません」


 一度サトルに目をやり、もう一度近衛兵に視線を戻す。


「旦那様とタリア姫はいまどこに」

「わかりません。先ほどの爆発で行方が分からなくなっています」

「お二方とも、ですか?」


 はい、と頷く近衛兵。

 唇を引き結び、決然と言う。


「現場へ案内しなさい。捜索の指揮を執ります」

「いいえ。それは王太后陛下がなされています。同室していながら被害を防げずに申し訳ないと、これ以上の被害が出さないために王后陛下は逃げるよう、言伝を承っております」

「お義母さまが……? 先ほどお目通りしたときはずいぶん顔色が優れないご様子でしたが」


 幸い、義母アウィア・マーテルとの関係は良好だ。血と記憶を分けたこともあるのだろうが、それでも元ユヱネスのサョリを娘として受け入れている。


「わたくしたちもそれを危惧しておりましたが、いまはすっかりお元気でいらっしゃいます」


 アウィアは普段から気丈で、体調の悪化を表に出すことは滅多に無い。そんな義母の体調を悪くしている様子を見せられ、近衞までが不安に思っていた。


「……そう。お義母さまの様子、くれぐれも留意してください」


 は、と短く応え、


「王后陛下もそろそろ」

「ええ。ならばこの少年も一緒に」

「それはなりません。いまから使うのは王家秘伝のもの。他種族に知られることは避けるよう、アウィアさまの厳命です」


 王家の序列としては王后サョリよりも王太后アウィアの方が上。そのアウィアからの命令とあっては従わざるを得なかった。


「ならせめて、出口までの案内と船までの護衛を」


 視線を巡らせ、一番後方にいた焦げ茶色の鱗を艶めかせる衛兵に合わせる。


「トルア、あなたに命じます。お願い」


 は、とトルアが短くこたえるのを頷いて返し、サョリはサトルに向き直る。


「ごめんなさいサトルさん。私はもう行かなければなりません。城を出たらベスに迎えに来てもらえばいいから」


 そう早口に告げて、頭を撫でてやることもせず、サョリは足早に退出していった。


「ま、待ってよ、母さん!」


 慌てて追いすがるサトルを、トルアが立ち塞がって止める。


「お客人、これ以上は許可できません。下がってください」

「でも!」

「ならば少し眠ってもらいます」


 トルアの焦げ茶色の瞳が淡く光を放った、と思った次の瞬間、サトルは強烈な睡魔に襲われた。


「まっ……て……、かあ、さん……っ」


 これまでの疲労も睡魔に加勢し、サトルはずるずると崩れ落ち、そのまま気絶するように眠ってしまった。


「突然の法術、ご容赦を」


 言って衛兵はサトルをそっと抱き上げ、静かに背負う。

 ゆっくりとドアをくぐり、うっすらと足音の聞こえる方向へ顔を向ける。


「ご無事で」


 サョリたちが向かったのとは逆方向へ、トルアは駆け出した。

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