第5話 決着、そして

「その勝負、待ったぁっ!」


 大音声の主はタリアではない。

 彼女も耳を両手で押さえて片目を閉じつつ、周囲を見回していた。

 そんな彼女を視界の隅に置きながら、サトルは大音声の主を探す。数秒経過したいまでも腹の底には大音声が重しとなって居座っているような感覚がある。

 いまだ二刀に首を挟まれているサョリも、視線だけで周囲を見回す。

 ふたりの視線が交わった先に、ひとつの巨躯が佇んでいた。


「ナリヤ・サトル。此度の勝負、見事である」


 ゆっくりと。

 誇示するわけでも威嚇するでもないその歩様は、誰もが敬服してしまう威風をまとわせていた。


「サングィスさま……」


 呆然とサングィスを見つめるサトルも一瞬、二刀を戻して平伏しそうになったが、眼下に誰を押さえつけているのかを思い出し、不敬に感じつつも動くことはしなかった。


「旦那様、ここはわたくしに一任なされたはずです。お下がりください」


 サングィスは、ふふ、と笑って、


「その状態であってなおそう言えるサョリに免じてサトル、一度刀をひいてはくれまいか」

「でも!」

「なに、勝負までは預からぬ。血の約定をないがしろにするほど、我は無粋ではない」


 す、といつの間にか正面に立っていたサングィスに首根っこを掴まれ、子猫のようにサョリの上から持ち上げられ、そっと横に下ろされてしまう。


「だが、我も愛する妻の危機を黙って見ていられなくなったことも事実。サトル、許すがよい」

「い、いえそんな。ぼくも、どうしていいか分からなくなっていたので、その、えっと」


 しどろもどろになりつつサトルは二刀を鞘に戻し、サョリに手を差し伸べる。が、


「追い詰めた相手に手を差し伸べるなど、あなたはそれでも剣士ですか」


 叱られた。


「首に刃を当てられていた者がなにを言っても説得力はないぞ」

「だ、旦那様は黙っててください!」


 ええと、と困惑するサトルの頭をぽん、と優しく撫でて、サングィスは言う。


「そこに隠れているシルウェスのメイド、ふたりの傷を癒やしてやってほしい」


 しかしスズカが応じる気配はない。

 森に静寂が訪れ、タリアが「いいぞ」と声をかけるまでそれは続いた。

 サトルとサングィスの間に影が降り立ち、ずい、とサングィスに詰め寄る。


「私の主はウィスタリアさまだけだ。例えサヴロスの王であろうと、それは変わらない」


 うむ、とうなずくサングィス。


「すまぬ。王という立場はついぞ他者を容易く扱えると勘違いさせてしまう」


 今度はタリアがサングィスに詰め寄り、挑発的に言う。


「で、約定の決闘を中断させてまでお前はなにをしに来た? まさか嫁を助けるためだけに来たんじゃないだろうな?」


 サングィスは不思議そうにタリアを見つめ、当たり前のようにこう返した。


「それ以外になにがある」


 一同が、サトルの治療を行っていたスズカでさえ、絶句した。


「サョリは我の伴侶。伴侶とは生涯をかけて守るもの。サトルを屠るのは容易いが、幼い命を散らすことも忍びなかった故、このような手段をとった。不服か?」


 不服か、と問われてもタリアの胸中にあるのは呆れの感情のみ。笑い出さなかっただけ褒めてやってほしい。


「い、いや。思った以上に、莫迦なんだなと呆れただけだ」


 無礼な、と治癒を受け始めていたサョリが眉をつり上げるが、当のサングィスは豪快に笑う。


「確かに我は大莫迦だ。職務も捨て置いて、愛する嫁を救いに来たのだからな」


 まだ治療を受けているサョリの肩を引き寄せ、熱い視線を送る。

 サョリは恥ずかしそうに顔を反対側に逸らす。その途中でサトルと視線が交わった直後に翼髪がぶわっと広がる。それに当たったサングィスはくすぐったそうに、スズカは迷惑そうに目を細めた。

 ともあれ、とサングィスが何か言いかけた瞬間、彼の後方から複数のサヴロスが姿を見せる。


「ああ、ようやく追いつきました」


 槍を携えた彼らはサングィスの近衞。それぞれにサングィスの、朱と青磁の混じった翼髪を使った飾りを誇らしげに付けている。


「む、もう時間か。すまぬがサトル。サョリは返してもらう。よいな」


 物腰は依然柔らかだが、言葉に込める圧力は数段増した。

 その圧力に心が折れそうになる。けれど、サョリに母のことを訊きたいという一念がそれを拒んだ。


「まだ、サョリさんから母の話しを訊いていません」

「それに、わたしにかけらている詮議はどうなったんだ?」


 脇からなぜか不満げに入ってきたタリアがサョリを睨み付ける。

 サングィスは視線でサョリをたしなめ、次いでタリアへ豪快に笑う。


「あの程度で罪に問わねばならぬのなら、我はサョリも処刑せねばならぬ。それでは不服か?」


 へぇ、と感心したようにサョリを見やると、


「や、やめてください。昔の話は」


 拗ねたように視線をふたりから外した。


「まあそういうわけだ。サョリはむしろ、サトルに用があったように見受けられたが、違うのか」


 う、とサョリは言葉に詰まる。


「約定は、どうするつもりなんですか。サョリさん」


 今度はサトルがサョリに詰め寄る。


「……あの勝負は、もう、私の負けです。仮に後日続きをやったとしても、サトル……さんへさきほど以上の殺意を向けられる自信は、とてもないですから」

「じゃあ、話してくれるんですね。ぼくの母がいまどこにいるのか」


 こくりと頷く。

 安堵してサトルは長く息を吐いた。いまのいままでずっと気を張り詰めていたのだ。無理もない。

 そんなサトルをゆっくりと見つめながらサングィスは静かに言う。


「では、その話しは我が城でも構わんか? いい加減戻らないと母上の雷が落ちてしまうからな」


 はい、とサトルは答え、こう続ける。


「できれば、サョリさんとふたりきりで話しをしたいのですが大丈夫ですか?」

「構わん。他者がいては話しづらいこともあるだろうし、我は仕事があるからな」


 ちらりとタリアに視線を向け、


「そなたはどうするのだ。シルウェスの姫よ」


 えっ、姫? と驚きつつサトルはタリアを見る。

 中性的な顔立ちではあるが、よくよく見れば確かに女の子だと分かる。


「なんだサトル。いまさらわたしの魅力に気付いたのか?」


 ふふん、と胸を反らす。こちらもよく見ると膨らみがある。彼女の隣にいるサョリのそれとは比べることも出来ないほどではあるが。

 が、当のサトルの反応は、驚きの方が勝ったのか、目を丸くして感嘆の吐息をもらすばかり。


「な、なんだその反応は。まさかわたしが女だと気付いて無かったのか?!」

「だ、だって、闘技場であんなにかっこよく闘ってたから、つい」


 しどろもどろになる視線の先に誰がいるのかを察し、タリアは大げさに悪態をつく。


「サトルも所詮オスか。ユヱネスは多様な趣向があると聞いていたが、結局でかい乳と尻が一番なのだな。つまらん」

「そ、そんなんじゃないよ。だいたい僕、そういうのよく分からないし、タリアのことは男の子だって思ってたから、驚いただけで」

「言い訳など見苦しいだけ、」

「違うってば! タリアが女の子で良かったって思ったもん!」


 絶句したのはサョリも同じ。だがすぐに両手を口元に当てて、あらあらと微笑んでいる。


「ふ、ふん。嘘やおためごかしのにおいはしないから、手打ちにはしてやる」

「してやる、ってなんだよ」

「サトルにはまだ頼みたいことがあるからな。禍根は残したくないんだ」


 そういえば、とつぶやいて。


「ぼくに用ってなに? 頼み事ならいま言ってよ。サョリさんと話し終わったらなんとかするからさ」


 まっすぐに言われ、喜び半分嫉妬半分に視線を逸らすタリア。


「いまはまだ言えない。いま言ってもおまえは笑うだろうからな」

 言葉尻に滲ませたさみしさに、サトルはまっすぐに言う。


「そういう風にするってことは大切なことなんでしょ? だったら笑わない」


 あまりに真摯に言うのでタリアは薄く苦笑し、


「愚直なのはお前の自由だが、わたしにも準備が必要だからな」


 最後に自慢げに言われて、サトルは口をへの字にして反論する。


「準備って結局船に居座るつもりなの?」

「言っただろ? しばらく世話になるって」


 またも自慢げに笑って、くるりと舞うようにサトルの手を取る。


「ほら行くぞ。わたしはサングィスにも用があるんだからな」


 ぐい、と手を引っ張られ、転びそうになりながらもサトルは歩きだす。


「え、ついてくるの?」

「構わんだろ? サングィス」


 呼び捨てにしたことでサョリが睨み付けるが、サングィスはただ頷いて返すだけ。

 もう、と不満げな声を漏らすサョリを、サングィスは抱き寄せてなにかをささやく。

 耳まで赤くなったのが背中からでも分かった。


「わたしを前にいちゃつけるとは余裕が過ぎるんじゃないか?」

「そなたにその気があればとっくにやっているだろうに。我と決闘したければいつでも受ける、と言いたいが、今日は仕事が終わるまで待って欲しい」

「お前が冗談とはな、そのおんなの影響か?」

「そうだ」


 タリアの挑発を、サングィスは怒った様子も見せず堂々と受け止める。

 それで拍子抜けしたのか、タリアはもう一度サトルの手を引いて歩き出す。


「待ちなさい。旦那様への用とは決闘ではないでしょうね」


 サョリの強い制止に、タリアは挑発的な笑みを浮かべつつ振り返る。


「だとしたらなんだ。正式な決闘は例え肉親であろうと止める権限はない。中途半端なにおいをさせているお前でも、それぐらいは知っているだろう?」

「だったら私を倒してから、」


 殺気もあらわに柄に手をかけ腰を落とし、じり、と半歩にじり出たサョリの肩を、サングィスが掴んで止める。


「止めぬか」


 しかし、と抵抗するサョリ。


「決闘への乱入も大罪。弱い者に生きる資格なし。まして我はサヴロスの王。容易く敗北すると、そなたは考えるのか?」

「……いえ。ですが、それ以前にタリアと旦那様は……」

「だからこそ、だ。どうしてもと申すのなら、後にその場をもうける。いまはそれで堪えてくれ」


 彼の真摯な瞳にサョリは唇を結び、やがて構えを解いた。


「すまぬ」

「いえ。私こそ出過ぎたまねをしてしまいました」


 よい、ともう一度抱き寄せ、そっと翼髪を撫でてやる。潤んだ瞳でサングィスを見上げるサョリ。

 あ、とサトルが何かを察し、タリアが大げさに咳払いをしてようやくふたりは離れた。


「もう少し慎みを持ったらどうだ。サヴロスの王」


 む、とうなり、サョリもどこかばつが悪そうにサトルへ視線を向ける。

 その視線に胸が高鳴った理由は、彼女がきれいだからだ、とサトルはなぜか強引に結論づけ、視線を外した。

 ごほん、ともう一度咳払いをして、タリアは大声で言う。


「それより、駕籠か馬車ぐらいあるんだろうな」


 む、とサングィスがうなる。


「念のため言っておきますがタリア。いまのあなたは招かれざる客だということを忘れないでください」

「そんなのはサトルだって同じだろう。大体お前はわたしたちを捕らえに来たんじゃないのか。まさかふたり抱えて移動するつもりだったのか?」

「そ、そんなはずないでしょう! 事を終えてから呼ぶつもりだったのです!」


 いささか恥ずかしそうにサョリが怒鳴る。


「いま呼びますから! 少し待ってください!」


 右腕のブレスレットを口元に寄せ、そこに填められている小さな宝珠へその旨を話しかける。サヴロスの衛兵などが所持する通信機のようなものだと、サトルはあとで説明を受けた。


「乱暴なこととか、しないでよ」


 なぜか楽しそうなタリアに危険なものを感じたサトルが耳打ちする。


「敵の城のど真ん中でそんなことをするか。たわけめ」

「そこまで言わなくてもいいじゃないか」

「悪い。あのふたりを見ていたら腹が立ってな」


 八つ当たりしないでよ、と口をへの字に曲げて、サトルはその場に座り込んだ。

 もう一度視線をやったサョリは、困ったように視線を逸らした。

 彼女となにを話せばいいのか。

 決闘の条件に出したものの、具体的なことはなにも考えていなかった。

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