第4話 決闘

 船から少し離れた森林で斬撃の音がこだまする。

 木漏れ日は柔らかな朱。それが生い茂る種々のシダ植物の緑と混じり合い、決闘など忘れてのんびり散策でもしたい風景が広がっている。

 実際森に入り、タリアが「始め」のかけ声を発するまでサトルはそう思っていたし、森に入り、開けた場所に出るまで隣を歩いていたサョリの顔をちらりと見上げれば、見つめ返してきた彼女の瞳にも同じ気持ちが仄めいていた。


「だあああっ!」


 サトルが刀を握るようになって約三年。

 師匠は船の統合AI、ベス。

 彼女にはこれまで人類が培ってきたあらゆる文化や文明が蓄積されている。それに加え、人を遙かに超える処理能力を持つベスが指導すれば、当時八才の少年をサヴロスと渡り合える剣士に育てることなど造作も無く、日に日に成長していくサトルの姿は頼もしくも微笑ましくあった、とベスは語る。

 現状、圧しているのはサトル。

 闘技場では巨躯ばかりと闘ってきた彼にとって、ユヱネスとさほど変わらない体躯のサョリは比較的楽な相手と言える。


「くっ!」


 二刀から繰り出される一閃はその細腕からは信じられないほどに重く、サョリの一刀を駆使しての巧みな防御は分厚い甲羅に隠れているかのよう。

 元々の才能もあったのだろう。

 母を取り戻したい一念もあった。

 闘技場でちらりと見えたサョリの顔を、サトルの直感は母だと告げ、刀を合わせるいまもその直感に疑念が湧き出ることもない。

 母が自分の元を去ってから五年。

 去った、と言うには語弊がある。

 あの日、サングィスからの礼状を携えたサヴロスたちによって、半ば拉致されるように母は自分の前からいなくなった。

 その母の行方を、サョリは知っている。

 もう一度母に会ってどうしたいのかはサトル自身にも分からない。

 別れ際の母の悲痛な呼び声と涙に、どうにかして決着を付けたいだけなのかも知れない。

 だがそれも、サョリに勝たなければ始まらない。

 それらの思いすべてを煮詰めて全身にまぶし、ベスの導きを頼りに剣の道をひたすら歩いても、子供の自分には刀を構えるだけの力さえ足りなかった。

 そこで目を付けたのが、龍種たちの使う「法術」。

 サトルたちユヱネスの祖先がどれだけの指導を受けても扱えなかったそれを参考に、サトルは船に残っていた機械などを使って擬似的に再現し、身体能力を向上させるギアを作成。

 それを装着することで闘技場に立つ力を得、そうしてようやく、最強の誉れ高い闘士ロンガレオを倒せるまでに至った。


「たあっ!」


 横薙ぎの、二刀による一閃がサョリの右胴を狙う。刀を立てて一瞬だけ受ける。そしてその勢いを使ってくるりと回転。コマのように強く回転しながらサトルの斬撃から逃れる。

 間合いから紙一枚分外へ逃れたサョリは、視線だけはこちらに向いているサトルの左手側に回り、肩を峰で強かに打ち付ける。


「がっ!」


 また峰打ち。連れて帰るという目的があるサョリからすれば当然だが、剣士として闘いたいサトルには侮辱に感じる。その思いが法術ギアの出力をさらに上昇させる。

 峰打ちした刀を戻し、その勢いと全体重を左肩に乗せたタックルへ移行していたサョリ。

 そのサョリへからだを開きつつ、左上から袈裟懸けに斬る。

 速かったのはタックル。だがサトルの一撃は、柄頭が打撃となってサョリの左腕に命中。ギリギリで相打ちに持ち込んだ攻防はしかし、サトルのからだを軽々と吹っ飛ばし、林立する大木の一本に背中からぶつかって終わる。


「く……っ」


 ずるずると地面へ落ち、きしむ全身をどうにか奮い立たせ、刀を杖代わりにしてよろよろと立ち上がる。しかしその時にはもうサョリは眼前にいて、頭を乱暴に掴まれ、ゆっくりと持ち上げられてしまった。


「観念してください。悪いようにはしませんから」

「……いや、です」

「あなたの母親のことなら全部終わったら私が、」

「おっと。あんた、血の約定を破るつもりか?」


 ちゃき、と音を鳴らして、タリアはサョリの右手側からマスケット銃を向ける。


「約定はなによりも優先される。龍種なら当然だ。しかも今回のは血の約定。それを容易く破ろうだなんてあんたほんとに、」


 サトルから手を離し、タリアを鋭く睨む。サトルは木にもたれながらもどうにか立ち、息を整えながらふたりを見る。


「頑ななこの子にほだされて口が滑っただけです。約定を反故にするつもりはありません」


 ふぅん、とつまらなそうに返してタリアはこう返す。


「サトル、まだやるんだろ?」


 その声に応えてスズカがもう一度、タリアとは逆側に立ち、サトルへ手をかざす。


「手当は、いいです」


 柄を握ったまま右手で制し、サトルはサョリを見上げる。困惑した顔は、やはり母に似ていた。


「まだ、決着がついていません。続きを、お願いします」

「無理よ。これ以上は暴行になってしまうわ」

「ぼくは、そう思いません」


 唇を強く噛み、タリアに顔を向けて言う。


「タリア、判定をお願いします」

「な、言っただろ。お前じゃ勝てないって」

「どういう意味です」

「仮にわたしがお前に勝ち名乗りをあげさせたとしても、サトルは絶対に認めない。約定をかけた決闘の勝敗は、互いの同意がなければ成立しない。腕一本どころか、四肢全部引っこ抜かれてもこいつは絶対に負けを認めない」


 そうだろ、とサトルに軽く言うが、本人はサョリから一切目を意識を離そうとしない。


「ほらな。一番手っ取り早いのは、お前が負けを認めることだ。でもそれでもサトルは納得しないだろうから、わたしを連れて行くこともできない」


 はっ、とタリアを見る。

 にや、と上がる口角に、サョリは己のうかつさを呪った。


「どうする? お前の愛しい旦那様を傷つけようとしたわたしを、永遠に罰することはできなくなったぞ?」

「ちょっと黙っててタリア!」


 森全土に響き渡るようなサトルの怒声にふたりは思わず声をひそめてしまう。


「サョリさんは、いまぼくと決闘してるんだ。だから、邪魔しないで」

「だけどなサトル、おまえはもう」

「いやだ! ぼくはサングィスさまになにかしようって気もないし、母さんのことを教えて欲しいだけなんだ! 邪魔するならタリアから先に、」

「待ちなさい。決闘を無視してほかの者と闘おうとするのは剣士にあるまじき無礼」

「は、はい」

「そんなにまで私と闘いたいと、あなたの母親のことを知りたいというのであれば、私も手加減をせず、あらゆる手段を使ってあなたたちふたりをサングィスさまの御前へ連行します」


 半身になって柄を顔の横に、切っ先を前に構える。

 ぐぐっ、と全身にたわめられるのは筋力と法術、その両方の力。

 サトルも自分がぶつかった木に体重を半分ほどあずけつつ、両肩と両足の法術ギアの出力を上げる。

 互いの法術が、半透明な球状の力場を形成しそれぞれを包む。その余波が周囲に散らばる落ち葉や土塊を巻き上げ、あるいは破砕していく。

 互いに、限界まで引き絞られる弓のように持てる力と意思すべてを刀身に込めつつ、そのときを待つ。

 きっと、勝負は数合でつく。

 剣術は素人のタリアでも容易に想像がついた。

 故に距離を取ろうと、勝敗をきちんと見極められる距離まで離れようと足に力を込める。

 瞬間。


「はああっ!」

「たああっ!」


 それを合図にしたようにふたりは動き出す。

 ほんの、ほんの僅かだが、先に動いたのはサョリ。溜めた力をそのまま切っ先に乗せてサトルの左肩へと突き入れる。中断前に一撃入れた時に感じた彼の法術の流れから、そこに増幅装置があると断定しての突き。

 いままでの攻撃も鑑みてそれを読み取ったサトルは、二刀を交差させて突きを受け流しつつサョリの右手側へぬるりと回り込む。伸びきった肘へ、ちょうどその高さにある自分の額を打つ。わずかに反応されて二の腕に命中。ぐぅ、と短いうめき声。戻そうとした額を、サョリの左手が掴む。一瞬固定された直後、


「はあっ!」


 右肘。鼻血。のけぞるサトル。追撃の峰打ちがサトルの細い喉を狙う。どうにか反応した左腕を振り上げて迫る峰を弾き、地面を転がって一旦間合いを取る。血で鼻が使えないので口で大きく息を吸い込んで、地面を抉り飛ばすほどの踏み込みでサョリに飛びかかる。


「だああっ!」


 よもやの真っ正面からの攻撃に面喰らいつつ、サョリは刀を水平にして受ける。手応えが軽い。左からの、視界ギリギリに閃く白刃にしかし対応できない。


「ぐっ!」


 脇腹に峰打ちを。内蔵に骨に響く重い一撃によろめいた。即座にサョリの左膝をローキックで追撃。たまらず崩れる。左の一刀をするりとサョリの刀の下に滑り込ませて弾き上げる。

 完全に胴をがら空きにさせた。


「しまっ」


 サトルはサョリに背を向けるように身を沈ませ、汗で鱗が艶めく胴へ、いままでずっと力を溜め続けていた法術ギアの出力すべてを右肩からのタックルでたたき込む。


「かはっ!」


 今度はサョリが吹き飛ぶ番だった。


「わあああっ!」


 再度、サトルは地面を抉り飛ばしての地面スレスレのダッシュ。あっという間に吹き飛ぶサョリに追いつく。右足を前に。伸ばした足裏を彼女のみぞおちに押し当て、地面に縫い付けるように踏みつけた。


「かはっ!」


 そのまま二刀を交差させ、サョリの首筋に押し当てる。


「この刀は、龍のひとたちの鱗も切れる特別製です。降参してください」


 激しい吐息が絡まり合う距離。

 絡み合う視線に込められた想いは互いに幾重にも折り重なっていて、興奮しきった精神状態ではそのすべてを読み取ることは不可能だった。

 だが少なくとも、悔しさは滲んでいなかったと感じる。

 なんで、と問おうとした刹那、大音声がふたりを森の木々を地面を揺さぶった。


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