第3話 約定

「で、きみはいったい何者なの」


 少年に抱えられたままサトルは自分の家である砂上船アンモスに戻ってきた。

 かつては星の海を渡り、この星へ降り立った彼女アンモスは、度重なる故障と改修の果てに空を飛ぶ能力と引き換えにあらゆる地形を走破出来る能力を会得。それと同時に、船団のほかの船から農耕と魚介類の養殖の能力をもらい受け、数年前まではナリヤ一家が、そしていまではサトルひとりが暮らしている。


「わたしの名はウィスタリア・マイウス・ソロル・セーリア。タリアでいいぞ」


 ふたりは機械油のにおい漂う格納庫にいる。

 明かり取りの窓は見上げるほどのサンルーフと、天井近くの壁に設置された窓。夕暮れにはまだはやい時間なので照明は点けられていない。

 かつては多くのメカマンやパイロットたちで賑わったここも、いまはそこかしこに白シーツがかけられてその上には埃がたっぷり積もっている。

 シーツがかけられているのは船外作業用の人型重機も同じ。全高は成人したサヴロスより少し大きい程度。何機か中途半端に腕部や脚部が無くなっているのは、サトルが法術ギアを自作するためにパーツを抜き取ったからだ。


「名前じゃなくって、えっと、目的とかそういうのを教えて欲しいんだけど」


 晴れやかに答えるタリアに、サトルは眉根を寄せる。

 タリアは一歩前に出てサトルの顔を全身をなめ回すように見る。

 じろじろと見られて不快に感じ、そのことを口にしようとするよりもはやくタリアは期待に満ちた目で問いかける。


「お前は、ユヱネスなんだろ? それも、先祖からの技術を唯一受け継いでいる」

「う、うん。そうだけど」

「だったらそれでいい」

「それでいい、ってなにも言ってないじゃない」

「いま言ったところでお前は協力しない。だからその気になるまでしばらく世話になる。スズカ、支度を頼む」


 最後を虚空に向けて言うと、タリアはよどみない足取りで格納庫の奥へ進んでいく。初めて来たはずなのに、なんであんなに自信たっぷりに歩けるのか不思議だ。迷子になるとか思わないのだろうか。

 いや、そんなことよりも言うべきことがある。


「ここはぼくたちの家なの! 勝手に決めないでよ!」


 駆け出して追いついて、追い返すまでは至らなくてもどの部屋を使うかぐらいは話し合いたいのに、連戦の疲れで思うようにからだが動かない。


「ああもう、ベス! あの子を案内して! 母さんの部屋には絶対入れないようにしてよ!」

『承知しています。サトル』


 暖かみのある機械女声ベスが天井のスピーカーからサトルに応えると、歩き続けるタリアの前に妙齢の女性が現れ、優雅な仕草で案内を始めた。


「ありがと。じゃあベス、お風呂沸かして。一回汗流したいんだ」

『承知しました、と言いたいところですがサトル。何者かがこちらへ向かっています』


 え、と間の抜けた返事しかできなかった。

 モニターに出します、と機械女声が告げるとサトルの手元に文庫本を三冊並べた程度のホロ・モニターが現れ、外の情景が映し出される。


『数は一。おそらくサヴロスと思われ、武装の有無は不明です』


 その言葉もどれほどサトルの脳に届いたか。

 モニターに映し出されたサヴロスは、サングィスの脇にいたフードを被った女性だった。

 母さん、とつぶやいた声に、ベスは応えなかった。


     *     *     *


「あなたたちへの罪状は先ほど闘技場で伝えた通りです。おとなしく従うならよし。さもなくば、実力をもって同行してもらいます」


 腰の刀を見せつけるようにしてフードの女性は言う。


『せめて、顔ぐらい見せたらどうです。それとも五年前と同じように、また問答無用で私から住人を奪っていくつもりですか』


 迫力に圧倒されて何も言えないでいるサトルの前に、タリアを案内しようとしていた女性が音も無く現れ、強く非難する。


『あなた方からすれば私のような機械に見せる顔なんてないのかも知れませんが、この船の主からすれば顔を見せずに用件だけを押しつけるというのはとても無礼な行為なのです』

「……失礼、しました」


 すっとフードを外して肩にかけ、亜麻色の鱗艶めく顔をはっきりと見せる。同じく亜麻色の翼髪は肩で揃えられ、涼しげだ。

 特にサヴロスは、性別を問わず上半身への着衣はしない傾向にあるが、やはりこの女性は上下共に着衣している。まれに、傷などを隠すためやファッションなどの理由で上着を着る者はいるから、この女性もきっとそうなのだろう。


「その前に、ひとつ教えてください」


 場所は変わらず格納庫。タリアもサトルの隣に立ち、つまらなそうな視線を女性に向けている。


「……なんでしょう」

「あなたは、ぼくの母さんじゃないんですか?」


 ぴく、と女性の肩が震える。


「わたしは、オゥマ・サョリ。サングィスさまの妻であり従者。あなたの母とは関係ありません」


 一般的に、皮膚や眼球の形状などの違いはそれぞれの個体に流れる血の濃さで決まる。

 タリアの肌は人族ユヱネスに近く皮膚に見えるほどに細やかな鱗。髪も同じくユヱネスに近しいが、瞳は龍種に共通する縦の虹彩。

 肌と瞳の違いは彼女の種族である獣族シルウェスに共通する特徴。シルウェスは竜族サヴロスと鳥族アウィスの混血によって派生した種であり、その由来からユヱネスとの混血にも躊躇が無かったことに起因する。

 逆にサョリは鱗の肌に縦の虹彩。髪は翼髪と百人中百人がサヴロスと断定する外見だ。


「だったらなんで、格納庫に一直線に来れたんです。外からここまで入ってくるには、船を制御しているAIのベスに許可をもらわなきゃいけないんです。ベスがそんな許可を出した報告はもらってないですし、第一、この船結構複雑なんです。初めて入って案内もなしに来られるはずがないです」


 ひと息に、熱を帯びた声音でまくし立てられ、サョリは困惑したようにサトルを見つめる。


「……ごめんなさい。ひとつだけ言えるのは、ユヱネスのナリヤ・フウコはもういない。この世界のどこにもいない。絶対に帰ってこれないの」


 よぎった思いはとても不吉で、こんな状況でなければ絶対に口にしたくないものだった。

 けれど、確認しなければいけないことでもあった。


「……死んだ、ってことですか?」


 首を振ったように、サトルには見えた。


「そう思うのなら、そう思ってくれた方が助かるわ」


 サョリは母と深い関係がある。

 けれど、母にはもう会えない。

 ぐらり、とサトルのからだが一瞬傾ぐ。


「もうひとつだけ、いいですか?」

「……仕方ないわね」

「母を手にかけたのは、サングィスさまですか」


 サトルの艶やかな瞳に、ほのかに見えるのは、憤怒の炎。

 もしここでサョリが肯定すれば、きっとサトルは。


「違うわ。すべて、わたしがわたしの判断でやったこと。サングィスさまが命じられたことじゃない。……信じて」


 だったら、とサトルのからだが揺らめく。


「あなたがころしたんですね」


 無表情な、なのに威圧感だけはすさまじい二刀による突発的な攻撃を、サョリは刀でどうにか受けとめた。


「……そう取ってもらって、問題ないわ」


 吐き出すようなサョリの言葉に、サトルはしかし、ずるずるとその場にへたり込んでしまった。


「……なんで、なんで……っ」


 母がサングィスの手によって連れ去られてから五年。

 当時八才だったサトルは母を取り戻す一心を胸にいままで研鑽を積んできた。

 今日の試合で勝てば、もう一度母と暮らせると、それだけをよすがにひとり生きてきたのに。

 五年間の努力が無駄に終わった。

 へたり込み、瞳いっぱいに涙が溜まる。

 それは、いままで押さえつけてきた子供としてのサトルそのものだった。


『サトル、落ち込まないでください』


 あふれ出す寸前、ベスが優しく声をかける。


「黙りなさいベス」


 それは聞けません、と小さく断り、ベスは続ける。


『フウコは、生きています。いまサョリが言ったことは、半分が嘘。いまはそうとだけ言っておきます。真実は彼女から直接聞いたほうがいいでしょうから』

「……ほんとに?」

『ええ。わたしが嘘をついたことがありますか?』


 ないよ、と幼い迷子のように首を振る。反動で大粒の涙が飛散。慌てて手で拭う。


「じゃあ、どこにいるの?」


 それは、と口ごもるベスとサョリ。

 口を開いたのはタリアだった。


「その中途半端な女が知ってるんだろ? じゃあちょうどいいじゃないか。ぶん殴って平伏させて居場所を吐かせればいい」


 するりと、あまりに自然な挙動で長大なマスケット銃を構える。


『おやめくださいタリア。痛いのはきらいです』

「は、痛みを感じるのか、機械のくせに」

『違います。わたしにダメージがあるとサトルが悲しむのです。わたしはそれがきらいなのです』


 そうかよ、とつぶやいてタリアは、


「じゃあ外でやるか。それなら文句ないだろ?」


 サョリは一度目を伏せ、仕方ないわね、と頷いた。


「じゃあ、ぼくがひとりでやる。だからサョリさん、ぼくと約定を交わしてください」


 え、と目を見開くサョリ。


「ぼくが勝ったら、母さんのことを全部話してください。ぼくが負けたらおとなしくサングィスさまのところへ行きます」

「……分かったわ。オゥマ・サョリの名においてこの約定を受けます」


 言って左手を自分の口元へやり、口を開きかけたところで急に戻し、腰の刀を少しだけ抜いて親指に当てる。す、と親指の腹をサトルに見せると、ぷっくりと血だまりが膨らみ、ややあって割れて静かに血が流れ落ちる。

 それを見てサトルも慌てたようにサョリの動きを倣い、同じように切った左の親指を彼女に向ける。


「ならばわたしが立会人となろう。僥倖に思えよ。シルウェスの次期頭領が立ち会う約定なんてそうそう無いからな」


 そんな立場の子だったの、とサトルは驚き、サョリは恭しく頷く。


「では、サトル」


 はい、と頷いてふたりは血に濡れた親指を重ねる。


「では、この約定は血を持って結ばれた。如何なる理由があっても反故にされることはない。いいな」


 双方共に頷き、約定は成立した。

 す、と手を戻し、サョリはなにかをつぶやくと切った箇所に淡い光が集まり、傷を塞いでいく。

 スズカ、とタリアが虚空に向かって呼びかけると、サトルの脇にメイド服姿のシルウェスの女性が音もなく現れる。驚くサトルの左手をそっと両手で包むと彼の手も淡い光に包まれる。

 光から伝わる感覚に、闘技場で貼ってもらったお札と同じものを思い出し、


「あのお札、あなたが作ったんですか?」

「ええ。お気に召しましたか?」

「はい。すごくよく効いたので、助かりました」

「それはなによりです」 


 そう返して微笑む。サトルも微笑み返してふと見た親指はもう切った跡さえ見当たらなかった。

 そしてまた音もなく消え、ありがとう、とサトルは虚空に言う。

 す、とサョリに正対し、こくりと頷くと彼女はタリアに視線を向ける。


「ウィスタリア、あなたとはその後で闘ってあげますから、今度は手出しをしないようにお願いするわ」


 サョリの提案にタリアは小さく笑う。


「ああいいよ。お前が本当にこいつに勝てたらな」


 無論です、とサョリは神妙に応えた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る