第2話 獣族の少女

「こっちだ!」


 爆発音に勝る大音声で注意を引きつける。

 ようやく斧を地面から引き抜いたロンガレオがゆっくりとサトルに向き直る。両足の法術ギアを起動、身を可能な限り低くして正面から突進。斧が振りかぶられる。大丈夫。こちらの方が速く届、

 左。

 猛烈な殺気を感じ、サトルは反射的にジャンプ。足の裏スレスレを斧が通り過ぎる。着地。もう一度左。今度は壁のような尻尾。両腕の法術ギアの出力を最大に。二刀を交差させてガード。接触と同時に両足のギアも使ってバックジャンプ。なのに尻尾の圧力は半減もできずにサトルを弾き飛ばす。


「だからなんで簡単に吹っ飛ばされるんだ」


 尻尾が振り抜かれ、あとは壁に激突するだけとなったサトルの体を少年は受け止め、着地。しかしそれだけでは止まらず、少年は地面に二本の筋を深く刻み込みながら後退。壁に触れる寸前で止まった。


「援護する。今度こそ決めろ」


 サトルを地面に下ろすと同時に視線をロンガレオに向け、少年はマスケット銃を構える。


「うん。ありがと」


 返事もそこそこに両足のギアの出力を最大に。風圧で防塵マントが吹き飛ぶほどの加速でロンガレオに迫る。斧が上から来る。直後斧が爆発。少年の砲撃だ。

 反動でのけぞるロンガレオ。さらに身を低くして一気に左足から駆け上がり、ロンガレオの背中を見下ろす高さまでジャンプ。

 甘いと言われようが構わない。

 もう一度峰を下に。

 けれど今度はギアのリミッターを外す。自分の両腕が砕けようとも、ベスにあとで怒られようとも、ロンガレオを先祖返りから解放する。

 ロンガレオとの縁は、はっきり言って浅い。

 闘技場に籍を置く闘士は、種族も出自も関係なく自身の勝率が四割を超えれば名も顔も広く知られるようになる。そんな中で勝率が六割を超えるロンガレオはサトルにとって憧れであり、ひとつの目標でもあった。

 闘士として駆け出しのサトルは当然、ロンガレオと会話などしたことがないし、直接顔を合わせることも今日が初めてだ。

 にも関わらず、彼は自分を対等の闘士として礼儀を尽くして闘ってくれた。

 彼は竜族サヴロスで、自分は人族ユヱネスなのに。

 その恩にだけは報いなければいけない。


「わあああああああああっ!」


 雄叫びにロンガレオが反応し、振り仰ぐ。遅れて半分以上破壊された斧が振り上げられる。直後、柄が爆発。今度も少年の砲撃だと視界の隅が伝える。斧が地面を揺らしながら落ちる。構わず巨岩のような拳が伸び上がってくる。風を切って回転する彼の巨大な腰に一瞬足を付き、鱗スレスレを滑空するようにダッシュ。胸元へ。

 拳を諦めたロンガレオは、仰向けに回転する巨躯はそのままに、器用に首だけをのばしてサトルに噛みつく。乱杭歯がびっしりと並ぶ口腔が迫る。サトルは一層身を低くして顎へ、それまでの速力とギアの出力をたっぷり上乗せした蹴りを顎に見舞う。口は激しく閉じられ、反動でロンガレオはのけぞる。ノドが丸見え。いまだ!


「だああああっ!」


 胸元からノドへ。二刀による叩き付ける一撃はロンガレオの呼吸を一度完全に封じる。巨躯のため小さく見える両目がぐるりと上を向き、背中からずしんと地面へ落ちた。

 そのまま口から泡を噴いて、ロンガレオは気を失った。

 すると、ロンガレオのからだがしゅるしゅると縮み、元の、それでも巨体ではあるが、サヴロスとしての姿へと戻った。

 それを見てサトルはゆっくりと着地し、肩で息をしながらサングィスを見やる。

 一瞬の静寂の後、拍手と共にサングィスが口を開く。


「見事。……と言いたいが、約定違反だ。お前の母を返すことはできない」


 何を言われたのか、理解するのに数秒かかった。


「なんでですか!」

「我はお前ひとりの力で鎮めれば、と言った。お前の意思がどうあれ、お前はお前以外の者と共闘して鎮めた。これでは約定を果たしたとは言えぬ」


 そんな、と唇をきつく結ぶサトル。


「約定は一言一句違えぬ形で果たされぬ限り、有効とはならぬ。ユヱネスのお前には理解出来かねるだろうが、サヴロスの王である我はこれを覆すことはできぬ。許せ」


 言葉に乗せられたサングィスの懊悩も伝わって来た。

 それほどまでにサヴロスにとっての約定とは重いものなのだ。


「約定の件はこれで手打ちです。が、サトル。あなたを拘束します」

「なんで!」


 母だと直覚したフードの女性の、冷徹な宣言にサトルは悲鳴に似た叫びをあげる。


「そこの獣族シルウェスは、先ほどの戦闘でサングィスさまを狙って砲撃を行いました」


 す、と女性が右手を挙げると、そこここの入り口から刺叉を手にした兵士たちがサトルと少年を取り囲む。


「そしてサトルはそのシルウェスと共闘しました。故に、あなたにも反逆罪の疑いがあります。乱暴に扱うことはしません。ですから一度話しを、」

「は! たった一度狙われた程度でこの騒ぎとは、噂にきくサングィスの胆力とは大したものだな!」


 女性の言葉を遮ったのは、マスケット銃の少年。


「黙りなさい!」

「黙らないね! あんたみたいに、サヴロスとユヱネス両方のにおいさせてる不気味なやつの言葉なんか、誰が聞くか!」


 え、とサトルが少年に視線を向ける。が、少年は不敵に笑む。


「ここは一旦下がるぞ。無害の連中に向ける銃は持っていないからな」

「そう。逃げるならきみひとりで逃げて。ぼくはあの人に用があるんだ」

「あの女か? それとも母親か? どっちにしてもやめとけ。サングィスに取られた女は二度と帰ってこない。難癖付けたのも結局は手放したくないだけだからな」


 そんなこと関係ない、とサトルはサングィスへ向き直る。


「どうしたら、母さんをかえしてくれますか」

「約定は果たされなかった。約定を覆す約定を交わすことはあらゆる約定に反する。故に、お前の母をかえすことはできない」

「そんな!」


 ほらな、と少年が鼻で笑う。

 がくりとヒザをつき、呆然とサングィスを見る。サングィスは何も言わず、ただじっとサトルを見つめ返した。


「もういいでしょう。おとなしく拘束されなさい。……無罪が証明されればきちんと釈放し、これまでと同じ生活ができるようになりますから」


 どこか諭すような、フードの女性の言葉にサトルは失意のあまり頷こうと、


「残念だが、わたしはお前に用があるんだ。ナリヤ・サトル!」


 す、と脇腹から抱き寄せられ、気がついた時には闘技場を遙か眼下に見下ろす高さにまでサトルのからだはあった。


「え、え、え?!」

「しゃべるな。舌を噛むぞ」


 言われて反射的に口を紡ぐが、やはり納得がいかない。


「ぼくはまだサングィスさまに話があるんだ!」

「なぜだ。お前の約定は破堤したのだろう。今度はわたしと約定を交わしてもらう」

「だからなんでぼくなの!」

「お前が、ユヱネスだからだ」


 なんでそんなことが理由になるのか、さっぱりわからない。

 けれど。頬を打ち付ける風と、どこへ連れて行かれるのかも分からない浮遊感に、ロンガレオとの試合前よりもどきどきしていたのは、事実だ。


       *     *      *


 遙か遙か遙か昔。

 自分たちの星に隕石が落ちることを予見した彼らは、できうる限りの命を引き連れて時間も空間も超えたこの星へと降り立った。

 そして遙かな時間が流れ、隕石衝突の大災害を乗り越えた哺乳類の子孫が鉄の船に乗ってやってきた。

 可能ならばこの星に住まわせて欲しい。

 争うことも、過度に服従しようとする姿勢も見せなかった彼らを、我らも移民だからと受け入れ、両者は比較的平穏に交流し、共栄していった。

 そして時は流れ、純血の人族ユヱネスの数は次第に減り、サトルだけが残った。

 ほかのユヱネスは皆、先祖から受け継いだ機械文明を捨て、彼らと同じく法術を扱うために龍種たちと文明的にも血統的にも交わり、その血と記憶を薄めていった。

 ユヱネスたちが言う白亜紀に近いこの星の環境は、命だけでなく、機械にも過酷だったから。

 生きるためには、命をつなぐためには、仕方のないことだったから。

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