白亜の星のたったひとりの少年と冒険したがりの獣族の姫様
月川 ふ黒ウ
第1話 人族の少年
分厚いゴーグルに裾のすり切れた防塵マントを首から全身に巻き付けた少年がいる。
名をサトル。
足下に広がるは砂塵渦巻く円形の広場。周囲を囲うのは石造りの高い壁と、その向こうにある観客席。
ぎっしりと詰めかけた観客たちの大半は
まもなく幕が上がる決戦に、興奮を隠しきれず雄叫びをあげる者もちらほら見える。
サトルに相対するは身の丈三メートルはあろうかと言うサヴロス。突き刺すような陽光を背に受け、その陰でサトルをすっぽりと覆っている。
名をロンガレオ。
巨躯ぞろいのサヴロスの中でも群を抜いた彼を前にしても、サトルはまるで怯まない。
今日の試合は特別だから。
サトルは腰の二刀を抜く。
それだけで歓声がとどろく。
対するロンガレオも腰の斧を両手で握り、ずい、と構える。
身長だけならサトルのほぼ倍。横幅に至っては三倍にも五倍にも感じるロンガレオはしかし、サトルを見下すような発言も視線も向けることはない。
むしろ、笑みさえ浮かべている。
互いに名の知れた戦士。サトルも笑みで返す。が、わずかに引きつっている。それが武者震いなのかは本人さえも分からない。
ふたりの間に緊張が高まる。
「両者とも、準備はいいようだな」
闘技場に野太い男声が響く。サトルたちを含めた観客全員がそちらへ向き直る。
視線の先にある、通常の観客席とは一段高い場所に設けられた豪奢なつくりの観覧席。
そこに立つひとりの男。
赤銅色の鱗が覆うのは分厚くしなやかな筋肉。朱と青磁の混じった翼髪はゆったりと腰まで届く。左腰からは幅広の大剣を下げた、サヴロス。
名をサングィス。
サヴロスの王だ。
彼の後方には、サヴロスにしては珍しく衣類を、それも頭からすっぽりとフードをかぶった女性が控えている。サトルのいる場所からは、逆光で顔を判別することができない。
サングィスは眼下のふたりが頷くのを待って右手を挙げる。赤銅色の鱗が陽光を反射して鈍く輝く。
全員の視線が掲げられた右手に集まる。
永遠にも感じる一瞬の後、サングィスは勢いよく振り下ろす。
「はじめ!」
じり、と二刀を下に構えたままサトルは右へ動く。ロンガレオは視線で追うだけ。
そのままゆっくりと、死角へ入ろうとじりじりとサトルは動く。ロンガレオも体をずらし、斧を左に持ち替えて追う。
「おおおっ!」
先に仕掛けたのはロンガレオ。
その巨躯から似つかわしくない速度の振り下ろし。ずずん、と地響きさえ立てながら振り下ろされた斧はサトルの進路を塞ぎ、その反対側から来る巨岩のような拳との挟撃を狙う。
舞い上がる砂埃を破って何かが飛び上がる。問うまでもなくサトルだ。それを狙ってロンガレオが拳を放つ。空中で二刀で一瞬受け、流す。
くるくると独楽のように縦回転しつつサトルは両足の法術ギアを起動。まるで空気を蹴るようにして跳躍。ロンガレオの太い右腕に足をつき、再度跳躍。
「ぬうっ!」
小柄なサトルはちょろちょろと動き回る。これまでの試合などからそれは理解していたつもりだったが、ここまでとは予想していなかった。
まだ幼さも見え隠れするこの人族ユヱネスの闘士が、自分と闘える場にまで来れた理由にロンガレオは得心した。
サトルの姿がかき消える。慌てず騒がず視線を巡らせるロンガレオ。
「せっ!」
ロンガレオの背後。迎撃よりはやく左の肩甲骨あたりに鋭い痛み。斧を右に持ち替え、振り向きざまに一閃。手応えはない。ほんの一瞬、斧に重み。またか、と刃を上に切り替え、振り上げる。視界の左隅を防塵マントの裾がすり抜ける。
「くっ!」
追撃はせずにバックステップで距離を取る。まずは視界に入れないことには防御もままならない。
「がっ!」
左足。かかとの少し上をやられた。ユヱネスたちの言うアキレス腱までは届かなかったが、バックステップの体勢に入った直後の斬撃に体勢は大きく崩れ、
「おしまい」
とん、と胸元に乗ってきたサトルに喉元へ切っ先を突きつけられ、ロンガレオの巨躯は地響きを立てながら地面に倒れた。これは命を賭けた試合ではない。相手の強さを認められるのもまた強さだとロンガレオは自身の師匠の言葉を思い出し、満面の笑みで宣言する。
「参った。お前の勝ちだ」
一瞬の静寂の後、爆発的な歓声が巻き起こる。
思わず身をすくませるサトルの襟首をつまんでそっと地面へ下ろし、一度立ち上がってロンガレオはサングィスの座る方向へ向き直り、どかりと座る。
「ほら坊主、お待ちかねの時だ」
ぐい、とサトルの背中を押し、彼としては軽くたたく。しかし反動で大きくふらついてしまう。しゃんとしろ、と両肩をつまんで背筋を伸ばしてやるとロンガレオは静かに下がった。
それを気配で感じ取りながらサトルは二刀を鞘に、ゴーグルを外して首から下げる。
砂埃にまみれたぼさぼさの黒髪と、予想以上の童顔が一部の女性サヴロスから黄色い歓声を送られる。
またか、と自分の童顔に辟易するもサトルはすぐに気持ちを切り替える。
観客たちも声を息を潜め、サトルの言葉に耳を傾ける。
試合中の大歓声から一転しての静寂に、サトルは緊張の度合いを深めつつ息を吸い込む。
「さ、サングィスさま、お願いがあります」
「ああ。この試合の勝者には褒美として願いを叶える約定がある。なんなりと申せ」
半年に一度開催される闘技大会には必ず、サヴロスの王サングィスが観戦し、その勝者には褒美として願いをひとつ叶えるのが習わしだ。
「母を、ぼくの母親を、あなたたちが五年前に攫っていったナリヤ・フウコを返してください」
サトルの発言に観客席はざわつく。
「……それは、」
一瞬の沈黙の後、重苦しく言いかけたサングィスは叫ぶ。
「後ろだ!」
え、と振り返ったそこに、ティラノサウルス・レックスがいた。
いや、違う。本物のティラノサウルスなら腕はこんなに長くないし、その手に斧を握りしめて振り回したり、口から法術の炎を吐いたりなんかしない。だからこのティラノサウルスはサヴロス。それもおそらく、ロンガレオだ。
「先祖返りだ」
つぶやきつつサトルは二刀を抜く。
「サトルよ。お前の願い、その先祖返りをお前の力のみで沈静化できたのであれば、叶えてみせよう」
試合には勝ったのに、と内心歯噛みしつつサトルはこう返す。
「本当、ですか」
「サングィスの名においての約定だ。信頼に値すると思うが」
「わかりました。なんとかしてみせます」
近年、一部のサヴロスがああいう姿になってしまう現象は、サトルも何度か見聞きしている。
そして、元に戻す方法も。
「いきます!」
両足の法術ギアを起動。試合中よりも遙か遙か高くへサトルは跳び上がる。
あんなに広く感じた試合場が、いまはすっぽり視界に入る。観客たちは悲鳴を上げながら逃げ惑っている。サングィスの隣に立つ女性がフード越しにこちらを見ているが、いまのサトルには些事だ。
「だああっ!」
斧を手に、口元から牙と小さな炎をのぞかせながら暴れるロンガレオのうなじへ、文字通りの峰打ちを打つ。
両腕と胸の法術ギアの出力も借りての一撃は、ロンガレオの巨木のような両足を地面へめり込ませ、鈍いうめき声をあげさせた。
しかし、それまで。
ロンガレオは腰を捻り、上半身だけをぐるりと半回転。その反動だけでサトルのからだは試合場の壁に激突。もう一瞬反応が遅れて法術ギアの出力を上げておかなければどうなっていたか。
「がっ!」
肺から空気が一気に押し出され、意識が一瞬飛ぶ。その一瞬でロンガレオは両足を地面から抜き、ずしんずしんとサトルへ近づいてくる。
壁に深くめり込んでからだの自由がきかないサトルへ、ロンガレオは斧を振りかぶる。
「こっちだ!」
少年の声。
ヒビキが理解できたのはそれだけ。直後、ロンガレオの左太もものあたりで爆発が起きる。今度は咆哮をあげる。
「はやく抜け出せ!」
そんなこと言われても、全身を激痛が駆け巡ってそれどころではない。
「少し荒くするぞ!」
え、と聞き返すよりもはやく、サトルがめり込んでいるすぐ右の壁が爆発する。その影響でサトルがめり込んでいる部分がもろくなり、ぽろりと落下する。受け身を、と思うが激痛でからだが動かない。
このままでは地面に顔から激突してしまう、とせめて覚悟だけは決めた。
「もう、なにやってんだよ」
ふわり、とからだが軽くなる。なにかに支えられている、と視線を巡らせると、左側に淡い蒼の髪の少年がいる。両手で横から抱きかかえられているのだと気付くと、急に恥ずかしくなったが、痛みでもがくこともできかなかった。
見たところ、肌に鱗は見当たらないからユヱネスだろうと思ったが、琥珀色の瞳は縦に虹彩が入っているのを見ると、竜の血も入っているのだと思い直した。
少年は太長いおさげをはためかせながらゆっくりと着地。
「おろすぞ」
そっと仰向けに寝かされ、額と腹にお札のようなものが貼られる。
「しばらくじっとしていろ。その札が傷を癒やす」
「あ、ありがと」
「もうしゃべれるのか、さすがだな」
そう言い残して少年はおさげを翻してロンガレオへ向かう。ここでやっと、少年が自身の身長の倍もあるマスケット銃を担いでいることに気付く。
さっきの爆発はあれで、とストックと銃身に施された法術印を見てサトルは思う。
じゃあ自分と同じユヱネスなのかな、とぼんやり考えつつ少年を視線で追う。
ロンガレオは少年を標的に変え、一見乱雑に、しかし巧みに斧を振り回して壁際へと追い込む。少年は危なげなく斧を回避しつつマスケット銃で牽制。命中はするが威力を抑えているのか、ロンガレオの動きによどみは生まれない。
やがて、少年のかかとが壁に付く。少年はむしろ笑顔さえ浮かべつつマスケット銃に力を込める。ロンガレオが大きく振りかぶった斧を、少年の脳天めがけて振り下ろす。
刃が少年に触れる寸前、その姿はかき消え、斧は砂埃と轟音をまき散らして地面にめり込む。
「食らえ!」
腰撓めに構えたマスケット銃から放たれた巨大な光球は、ロンガレオの顔をかすめ、まっすぐにサングィスへとすさまじい速度で向かう。
え、とサトルが目を丸くする。
サングィスは豪奢な椅子に座ったまま微動だにせず、思わずサトルが立ち上がった刹那、
「無礼者!」
女の声。
ずっとサングィスの脇に控えていた女性が光球との間に割り込み、手をかざして光球を受け止め、まっすぐ少年へ向けてはじき返した。
反動でフードがはだけ、現れた亜麻色の鱗が艶めく顔にサトルは叫んだ。
「母さん?!」
サトルの声に気付いた女性は慌てた様子でフードをかぶり直し、背を向けてしまう。
その仕草だけで十分だ。
あの女性は母だ。
自分はユヱネスで彼女はサヴロス。だが、彼女が母であると直覚する。
よかった。
母は、生きている。
それだけで十分だ。
ロンガレオを先祖返りから元に戻せば母をかえすとサングィスは言った。
サヴロスにとって約定は覆すことのできない絶対なもの。
おでこと腹部のお札を剥がし、ズボンのポケットにしまい、サトルは二刀を抜く。
フードの女がはじき返した光球が少年をかすめ、壁に激突。爆発してその役目を終える。
すうぅ、と大きく息を吸い込み、
「こっちだ!」
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