エクストラ2【雷堂しのぶの過去】
【数年前】
「忍! いい加減にしなさいっ!」
「きゃっ!?」
バチンッというビンタの音。それから、じんじんと痛む頬。
ああ、これで母さんにぶたれるのは、何度目だっけ?
「またこんなものっ! 勝手に買ってっ!」
そう言いながら母さんは、アタシが買ってきた音楽雑誌を引き裂く。
そしてその残骸を私に投げつけながら、半狂乱で怒鳴り散らす。
「アナタはどうしてお兄ちゃんみたいに出来ないの!? どうして私の言う事が聞けないのっ!? そんなにお母さんを困らせたいのっ!?」
「……」
「勉強をしなさいっ! いい学校に行って、いい大学に入って、いい会社に就職して、いい男性を見つけて、いい結婚をするの! そんな簡単な事が、どうして出来ないのよぉぉぉぉぉっ!」
私の襟首を掴み、母さんは何度も激しく私を揺さぶる。
ああ、苦しい。辛い。でも、誰も私を助けてはくれない。
「……こほん」
母さんがいくら私を理不尽に怒っても、父さんは何も言わない。
きっと父さんは、私に興味なんて無いのだろう。
兄さんを失って、おかしくなった母さんを満足させて、落ち着かせる役目さえ果たしていれば……それだけいいと思っている。
「歌手なんて! 絶対に私は許さないわよっ! アナタは私の言う通りにしていればいいの! お兄ちゃんみたいに、勝手な事はしないでええええええええっ!」
「……うるさいっ! うるさいうるさいうるさいっ!!」
アタシは発狂する母さんを突き飛ばして、部屋を飛び出した。
「待ちなさいっ! 忍っ! 忍ぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ!」
母さんは懸命に私の名前を呼ぶ。
いや、これは私の名前じゃない。
既に死んでしまった兄、雷堂忍を私に重ねて、その名を呼んでいるに過ぎない。
そもそも、死んだ兄と同じ名前を娘に付ける時点で――私という存在を見ていないことがよく分かる。
「はぁ……」
衝動的に家から逃げ出した私は、トボトボと歩いていた。
ポケットの財布には僅かなお金しか入っていないし、中学生の私がこんな夜中に歩いていたら補導されてしまうだろう。
仕方ないから、近くの公園の遊具にでも身を隠そうかな。
そう思って、公園を通りかかったところで……先客に気付く。
「はい、きらら。もう一度」
「ら~♪ ら~ら~ら~♪」
「うーん。可愛い声だが、音程がなぁ」
「うがぁーっ! お兄ちゃん! もう一回!」
「はいはい、どうぞどうぞ」
そこにいたのは、2人組みの男女だった。
しかもその女には見覚えがある。確か同じクラスの、晴波きらら……だっけ。
もう1人の方は、晴波がお兄ちゃんって呼んでいたから、晴波の兄貴なんだろうな。
「っ!」
今の私にとって、兄という言葉は少し辛い響きがある。
本当ならすぐにでもここを離れたいけど、それが出来なかった理由は――晴波達が、歌の練習をしているようだったからだ。
「ららら~♪」
「おお、さっきよりも成長しているぞ! よくやったな、きらら!」
「えへへへっ! もっと撫でてぇー!」
晴波が歌う度に、お兄さんが彼女を褒める。
そして優しく抱きしめながら、頭をわしわしと撫でる。
そんな光景が、私にはとても羨ましく思えて仕方なかった。
「(私が歌っても、褒めてくれる人はいない。甘やかしてくれる、兄貴だって……)」
ズキズキと胸が痛む。
でも、それでも私は晴波達のやり取りを食い入るように見つめていた。
「でも、きらら。お前、本気で歌手になりたいのか?」
「うーん。そういうわけじゃないけど」
「だったら、どうして急に歌の練習なんて始めたんだ?」
「それはね、えへへ。実はクラスに、とっても歌の上手い女の子がおりましてなぁ!」
「ああ、なるほど。その子とお近づきになりたいと?」
「うんっ! その子、いっつも怖い顔で一人ぼっちなんだけど。とっても可愛いし、仲良くなりたいの!」
晴波のそんな言葉を聞いて、アタシは驚いていた。
まず間違いなく、晴波が言っているのはアタシだ。
クラスで浮いていて、一人ぼっちなのはアタシくらいなもんだから。
「じゃあ、もっと上達しないとな。今のままじゃ、笑われちまうぞ?」
「むぐぐぐっ! すぐに上達するもーん!」
「ああ、その意気だ。お前が頑張る限り、お折れも応援するからな」
「あっ、でも待って……! なんだか、お腹の調子が……はうっ!?」
「おいおい、大丈夫か? 人参ハンバーグ5枚は流石に無理だって言ったのに」
「だってだってだってぇ! お兄ちゃんの作るハンバーグ美味し……はぎゅぅっ!?」
なんだか良く分からないけど、晴波が食べ過ぎで苦しみだした。
そしてそのまま、お尻を押さえながらチョコチョコチョコと小刻みに歩きながら、晴波は公衆トイレの中へと消えていく。
「……はぁ、もう少し恥じらいを持てないもんかねぇ」
呆れたように晴波のお兄さんが呟く。
アタシはこの時、何を思ったのか。
お兄さんに話しかけてみたいと思った。
ほんの一瞬でも、憧れてしまった理想的な兄の存在に興味惹かれたのかもしれない。
「あ、あの……!」
「見つけたわよっ! 忍!」
だけど、そんなアタシの願いは叶わなかった。
「お母さん……?」
アタシの腕をがっしりと掴み、般若のような表情を浮かべている母さん。
真っ先に飛んできたのは、いつもと同じ強烈なビンタだった。
「こんな不良のような真似をしてぇっ! どういうつもりなのぉっ!?」
「きゃあっ!?」
「今度という今度は許さないわ! アナタがいい子になるまで、とことん教育してあげるんだからぁっ!」
「痛いっ! 痛いよ母さんっ!」
アタシの髪を強く引っ張りながら、母さんは私の頬を右に左に、何度も往復ビンタする。
恐怖で抵抗出来ない。震えて呼吸もままならない。
アタシはこのまま、母さんの言いなりで一生を終えるの?
ううん。きっとそれよりも先に、母さんに殺される方が先かもしれない。
でも、この先の人生がずっとこんなにも辛いなら――アタシは、生きていたくない。
「夢なんて捨てなさいっ! アナタは私の言う通りに育てば幸せになれるの! それが分からないなら、アナタなんて死んでしまえばぁぁぁぁぁぁっ!」
「はい、ストップ。そこまでにしましょうよ、おばさん」
「「!?」」
母さんのビンタが止まって、アタシは恐る恐る目を開く。
するとそこに映ったのは、晴波のお兄さんが母さんの腕を掴みながら、アタシを庇うようにして立っている姿だった。
「な、何よアンタ!? いきなりっ!」
「それはこっちのセリフですよ。なんですか? こんな公の場で、娘さんを激しく痛めつけたりして……」
「これは教育よっ! 人様の家庭に首を突っ込まないで!」
「そういうわけにもいかないでしょ。可愛い女の子が痛めつけられているのを見過ごせるほど、大馬鹿じゃないんで」
お兄さんの口調は穏やかだけど、そこには間違いなく怒りの色が浮かんでいた。
多分、高校生くらいの年齢だと思うけど……大人もたじろかせるほどの迫力が、そこにはあった。
「これはこの子の為なのよ! この子が幸せになる為に、私は……!」
「へぇ? 幸せにしたいのに『私の言いなりにならないなら死んでしまえ』とか、言うんですね」
「なっ、なぁっ……!」
「否定しようとしても、無駄ですよ? ちゃーんと録画しておきましたから」
そう言って、お兄さんは自分のスマホをチラつかせる。
お母さんはそれを見て、何も言えなくなったのか。
挙動不審にチラチラと周囲をうかがいながら、冷や汗を流し始めた。
「一回、警察に行っときます? いや、ここは児童相談所かな?」
「ま、待って! それだけは……!」
「は? 警察や児童相談所を嫌がるって事はさ、自分の躾が異常だって自覚があるんだよな? アンタさ、それって自分の意思で虐待してるって認めているようなもんだろ?」
「っ!?」
「俺、普段家を空けている親に代わって……可愛い妹の親代わりをしているからさ。時には間違った躾をしたり、やりすぎたりする事については理解出来る」
「……」
「でも、アンタは違う。アンタは自分の欲望のはけ口として、この子を痛めつけた。自分の願望を叶える道具として、この子を育てようとしているんじゃないのか?」
「ああああああああああああああああっ! 黙れっ! 黙れ黙れ黙れぇっ! 私は正しいのっ! 正しくなければ、忍は帰ってこないのよぉぉぉぉっ!」
「あっ! ちょっと!? って、行っちまったな」
母さんはお兄さんの言葉に耐えきれなくなったのか、頭を掻き乱しながらこの場から走り去っていってしまった。
それを見て、お兄さんは困ったようにチラリとこちらを見てくる。
「君、大丈夫?」
「あ、うん」
「ごめんね。余計な事、しちゃったかな?」
お兄さんのそんな弱気な言葉を、アタシは首を左右に振って否定する。
だって、アタシはとても嬉しかった。
この人は見ず知らずのアタシを、あの狂気的な母さんから救ってくれたのだから。
「そっか。ねぇ、あんなのが毎日続いているのか?」
「うん。母さん、アタシが歌手になりたいって夢を、認めてくれなくて」
「へぇ! 歌手になりたいのか! いやいや、なんてタイミングだろうな」
さっきまで晴波の歌を見ていた事もあってか、お兄さんは少し嬉しそうに笑う。
その眩しい笑顔に、アタシは思わず見惚れてしまう。
「是非とも君の歌を聞きたい、ところだけど。とてもそんな状況じゃないね」
「……ごめんなさい」
母さんの激しいビンタで、アタシの顔はすっかり腫れていて。
口の中も切って血だらけ。まともな歌を歌うのは厳しい。
「気にしないで。それより、さっきのお母さんの事だけど……もし良かったら、このデータを使って。ちゃんとした場所に持っていけば、力になってくれるよ」
お兄さんはそう言って、スマホから抜いたミニSDを私に手渡す。
データ、というのはさっきの母さんの凶行を納めた動画の事だろう。
「でも、このSD……」
「これくらい構わないさ。あ、でも中に俺の妹の可愛い画像とかデータが沢山入っているかもしれないから。それは後で消しておいてくれ」
なんて笑いながら、お兄さんはアタシの頭をポンポンと撫でる。
ああ、これって……なんて暖かい。
ずっとこうしていて貰いたい。そう思っちゃう。
「じゃあ、アタシはそろそろ……」
「ああ。もし何か困った事があったら、いつでも連絡してね。これが俺の携帯電話の番号だから」
お兄さんから携帯番号のメモも受け取り、アタシはそれをポケットにしまう。
そして、公園から離れようとしたころで……
「あ、そうそう。最後に1つだけ、いいかい?」
「え?」
「俺は君にプロになって欲しい。いつか、君の歌声が世界中の人々を魅了する景色を、俺は見てみたい。そんな君を応援したい」
「!!」
「なんて、ちょっと臭いセリフだったかな?」
お兄さんは照れたように頬を掻きながら、視線を逸らす。
きっとこれはお兄さんなりの、アタシを励ます為の言葉だったに違いない。
でもアタシはこの言葉のお陰で――前を向いて、夢を追いかける勇気を貰ったんだ。
【数カ月後】
「おじさん、ありがとね。アタシを引き取ってくれて」
「いいんだよ、しのぶちゃん。それよりも、妹のあんな状況に気付けなくてすまなかった」
あれからしばらくして。
アタシは家を出て、親戚の家に引き取られる事になった。
幸いにも、母の兄である伯父が近くに住んでいたのが幸いだった。
「もういいよ、おじさん。それより、母さんは……?」
「……精神病院に入れたよ。元に戻るかどうかは、分からない」
「そっか」
これから先、アタシは母さんと再会する日は来るのだろうか。
それは分からない。でも、確実な事が1つだけある。
「じゃあ、病院の母さんにも伝わるように――早く、歌手にならないとね!」
母さんが次にアタシの姿を目にするのは、きっとテレビの中。
誰よりもキラキラと輝いて、世界中の人々を魅了する歌を歌う。
あの人が応援してくれている、そんなアタシに違いないんだ。
―――――
いつもお読み頂いてありがとうございます。
しのぶ推し、しのぶを応援したいという方は何卒、
【☆☆☆】1つでもいいので評価を頂けますと嬉しいです!
評価量で今後のエンディングを多少分岐させようかと思っております。
何卒ご協力をお願いします。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます