第28話:兄妹の境界線


 風呂場で、きららからの急襲を受けた後。

 俺は自分の部屋に戻り、服を着てから……俺はベッドの布団に潜り込み、震えていた。


「……っ」


 さっきのは、なんだったんだ?

 今まで、きららが俺にスキンシップを求めてきたことは何度もあった。

 でも、アレは明らかにスキンシップというレベルを越えている。

 どう考えても、俺を誘惑していたようにしか思えない。


「違う、落ち着け。きららは、そんな事をしない」


 都合の悪い現実から目を背けるように、俺は微睡みに落ちていく。

 そうだ。目を覚ましたら、全て元通りになっている筈だ。

 だからこのまま、眠ってしまおう。


「…………」


 ガチャッ。ギィッ……ペタ、ペタペタペタ。

 ごそっ、もぞもぞもぞっ……むぎゅっ。


「おにい~ちゃ~ん?」


「ひぃっ!?」


 俺の部屋に鍵は付いていない。

 だから、こうして俺を追ってきたきららを阻む術も無いのだ。


「あははははっ! 変な声を出して、どうしたの?」


 薄暗い布団の中。潜り込んできたきららの、怪しく光る瞳と視線が合う。

 一瞬、裸のままなのかと警戒したが、流石にそういうわけではなく。

 ほとんど下着に近いブラトップに、ホットパンツという格好だった。


「お、お前こそ。どうして、俺のベッドに……?」


「今日はお兄ちゃんと一緒に寝るのー!」


「は?」


「ねぇねぇ、いいでしょ? お兄ちゃんに腕枕されたーい!」


 そう言いながら、きららは無垢とは言い難い笑顔で、俺に絡みついてくる。

 胸、太もも、頬、その全てを惜しみなく俺に擦り付けるように。


「ば、馬鹿を言うでない! 男女七歳にして席を同じゅうせずというでござろう!?」


「お兄ちゃん、テンパりすぎてお侍さん口調になってるよ?」


「兄妹で一緒に寝るとか、お侍様のやり方じゃない……」


「お侍さんの兄妹だって、仲良しなら良いと思うよ?」


「でも、誉が……」


「誉じゃ子供は出来ないよ?」


 子供を作るつもりなのか、とは口には出来なかった。

 それほどまでに、俺の瞳を見つめるきららの視線が――獲物を狙う蛇のように見えたからだ。


「もぉーっ! 今日のお兄ちゃん、なんか変だよ?」


「お、俺が?」


「うん。今までのお兄ちゃんなら、私のお願いは全部聞いてくれてたもん!」


「それは……」


「……」


 確かに、そうなのかもしれない。

 程度の差はあれど、俺は今まできららの願いはなるべく叶えてきた。

 唯一の大切な妹を守る事。幸せにする事が、俺の使命だと思っていたから。


「やっぱり。もう、お兄ちゃんの中で……私が一番じゃなくなっちゃったの?」


「そんな、こと……」


「うっ、うぇぁ……ひっく、ぐすっ、やだ、よぉ……やだやだやだぁっ! お兄ちゃんが、私を大切にしてくれないなんて! そんなのやだぁぁぁぁぁっ!」


 俺が言い淀んだのを見たきららは、俺にしがみつきながら、わんわんと泣き出す。


「ごべんなざぁいっ! わたしがわるいことしたなら、あやまるからぁっ……!」


「……きらら」


「お兄ちゃんさえいれば、他には何もいらないのぉ……! 美少女ハーレムも、彼女も、全部全部いらないからっ!」


 ガキの頃からずっと、夢だと口にしていた美少女ハーレム。

 それを捨ててもいいと言えるほどに、きららは俺を求めている。

 だというのに俺は、今もこうしてウジウジと悩むばかりで、何も出来ない。


「ごめんな、きらら。兄ちゃんが悪かった」


「……ふぇ?」


「お前を不安にさせたよな? あんな方法を使わなくちゃ、俺の気を引けないと勘違いさせちまうほどに……」


 ひかりさん達に。マドカさんに。

 俺がフラフラ、デレデレとしていたから。

 きららは俺を奪われないようにと、裸で色仕掛けしたり、こんな風にベッドに潜り込んだりしてでも、俺の目を自分に向けさせようとしたのだろう。


「きらら、俺の一番は常にお前だ。それは永遠に変わらない」


「……本当?」


「ああ。仮に恋人が出来ても、それは変わらない。お前が嫌がるなら、恋人なんて作らなくたって構わない」


 スキンっと、胸の奥が痛む。

 脳裏に浮かぶ、綺麗な銀髪の女性の顔が――俺の後ろ髪を引く。

 ごめんなさい。

 だけど俺はどうしても、血の繋がった可愛い妹を切り捨ててまで、自分が幸せになる道なんて選ばない。選べない。選びたくない。


「俺はきららが好きだ。この世界中の誰よりも、お前を愛している」


「お兄ちゃん……! 私も、私もお兄ちゃんが大好きっ! 大好きなのぉっ!」


 抱き合う。でもそれは決して、いやらしい感情によるものではなく。

 お互いの想い。愛を確かめ合う為の包容だった。


「俺は一生、お前の傍にいるよ。だから、心配するな」


「うん、お兄ちゃん。でも、私はまだ……ちょっぴり不安なの。だから、ね? 信じさせて欲しいの」


「信じさせるって、どうやって?」


「……チューして」


「ああ、いいぞ」


 なんだ、そんな事かと。俺はきららの額に口付けをする。

 だが、きららはブンブンと首を振る。


「ちーがーうーだーろー!」


 ぽかぽかぽか。俺の胸を弱い力で何度も叩くきらら。


「口にして」


「!!」


「……口じゃなきゃ、やだ」


「……」


 これはきっと、兄と妹の一線を画する行為なのだろう。

 きららと口付けを交わした瞬間。俺は、まともな兄ではなくなる。

 シスコン。変態。性犯罪者。なんとでも呼べばいい。

 俺は誰に何を言われても、たとえそれで自分の人生が破滅するとしても。

 きららを笑顔にする為なら、なんだってやってやる。


「んっ」


「んぁ……んっ、ちゅっ、れろ……ちゅっ、ちゅる……ずずっ……」


 ついばむようなキスから、次第にお互いの舌が絡み合うキスへと変わっていく。

 いやらしい水音がぴちゃぴちゃと響き、互いの吐息にも熱が籠もる。

 そうして、いったいどれほどの時間が経ったのか。


「ぷはぁっ……ぁん……お兄ちゃん」


 ようやく互いに口を離し、ぬらぬらとした唾液の橋が掛かる中……きららは、満足したように両目を閉じた。


「お兄ちゃん、私……人生で一番、今が幸せ」


「……そうか」


 俺は甘えてくるきららの頭に手を置いて、その髪を撫でる。

 風呂上がりでまだ少ししっとりとしている髪を、愛おしむように。


「大好き。お兄ちゃん、大好き……」


 そして、疲れがどっと押し寄せたのか。

 きららは電池が切れたように、眠りに就いてしまった。


「……おやすみ、きらら」


 そんなきららの天使のような笑顔を見つめながら、俺も次第に眠りに落ちていく。

 もはや、俺の心に恐怖はなく。

 きららと通じ会えた。きららとの絆をしっかりと取り戻せたという幸福感に満ち溢れていた。

 心の中に浮かぶ、一人の女性の悲しげな表情からは――目を逸らし続けて。

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