第19話:恋の底なし沼にズブズブと堕ちてゆけ


「うーん……いや、そんな事があるわけないよな」


 ここ最近、きららの彼女達と触れ合う機会が多くて……少し、感覚が麻痺していたが。

 明らかに、彼女達の俺に対するスキンシップは常軌を逸している。

 義理の兄に対するというよりは、意中の相手に向けるような態度。

 だとすれば――彼女達は、きららをダシにして俺を狙っている……とか?


「はっ、ははは……無い無い。我ながら、おめでたい妄想だな」


 きららのような完璧な美少女相手ならいざしらず、俺のような冴えない男を……一気に3人の美少女が好きになる?

 そりゃ、どこのハーレム漫画だよって話だ。


「お兄様、何がおめでたいんですの?」


 俺が自分の童貞じみた妄想一笑に付していると、俺の股の間からぴょこっと、カレンちゃんが頭を覗かせてきた。

 いつの間にか、ビーチチェアに座る俺の足元に回り込まれていたようだ。


「ううん、なんでもないよ。それよりも……カレンちゃん、その水着……」


「どうですの? お気に召して頂けたなら、ワタクシも嬉しいのですけれど」


 俺の太ももに手を置きながら、立ち上がるカレンちゃん。

 そうして顕になったのは、紺色のスク水。

 それも、胸のところの白い部分に平仮名で『かれん』と書いてある――

 

「殿方は、この旧スク? とかいう水着がお好きなのだとか」


「あ、ああ……まぁ、一部のマニアは、特にね」


 金髪ロリお嬢様の旧スク水姿。

 それも俺にもたれ掛かるような体勢となると……いやはや、なんという破壊力か。


「お兄様はマニアじゃありませんの?」


「これまでは違ったよ。でも、こんなにも可愛すぎるカレンちゃんを見たら……マニアにならざるをえないね」


「うわぁーいっ! やりましたわぁーっ!」


 俺がそう答えると、カレンちゃんは満面の笑みで俺に飛びついてくる。

 体重が軽いとはいえ、今の俺はいつお腹が爆発してもおかしくない状態だ。

 その激しいスキンシップで、俺は一転して窮地に陥る。


「お兄様、お兄様っ! お兄様ぁんっ! もっと褒めてくださいまし! 頭を撫でて、ちゅーもして! ワタクシを甘やかして!」


「うぷっ……!?」


 俺に抱き着きながら、カレンちゃんが何かを言っているようだけど……もはや今の俺に、それを聞き取る力は無い。

 あ、もうダメだ……で、出ちゃう……!


「いけませんよ、カレンお嬢様」


「え?」


「!」


 俺が口からリバースしそうになった瞬間、誰かがカレンちゃんをひょいっと抱き上げる。

 危なかった。あと一秒遅れていたら、俺は……


「マドカ! 邪魔しないでくださいまし!」


「淑女たるもの、みだりに肌を許すものではありませんよ。さぁ、お離れください」


 どうやら、助けてくれたのはマドカさんだったようだ。

 彼女はカレンちゃんを砂浜へと降ろして勃たせると、腰に手を当てて説教を始める。


「いいですか? そもそも、男という生き物はケダモノなんです。魅力的な女性であるお嬢様があのような事をすれば、すぐに犯されてしまいますよ?」


「望むところですの!」


「望んではいけませんっ! 聞き分けが悪いと、旦那様にご報告しますよ?」


「あぅっ……そ、それだけは絶対に勘弁して欲しいですわね。こうなったら、逃げるが勝ちでしてよ!」


 マドカさんの説教に反発していたカレンちゃんだが、流石に分が悪いと判断したのか、逃げるように砂浜を駆けていく。


「あっ、お嬢様!」


「お兄様―! また後で、カレンとイチャイチャしてくださいましー!」


 手をブンブンと振って、海で泳ぐきららの元へと向かっていったカレンちゃん。

 さっきから彼女の言動の節々に妙な引っかかりを感じるんだけど……望むところとか、イチャイチャとか、冗談のつもりなのだろうか?


「……」


「……」


 なんにしても、カレンちゃんが去った事でこの場には俺とマドカさんしかいなくなる。

 彼女はチラリと俺を見下ろすと、そのままじぃっと冷たい視線を送ってきた。


「な、なんでしょうか?」


「……別に。なんでもありませんけど」


 そう言いながら、マドカさんはゆっくりとその場で一回転する。

 そして、ファッションモデルのようにビシッと……ポーズを決めた。


「え……?」


「…………」


 目と目が合う。しかし、何も起こらない。

 そこにいるのは、パレオ型の白い水着に身を包んだ女神のような女性だけだ。


「チッ……とっととくたばればいいのに」


 俺が何も言えずにいると、マドカさんは忌々しげに舌打ちをしてから、さっきまできららが横になっていたビーチチェアに腰を下ろした。


「……あれ? カレンちゃん達の方へ行かないんですか?」


 遠目に見える海の方では、きららとカレンちゃんが楽しそうに水の掛け合いっこをしている。まさに、天使と天使の戯れ。

 百合好き。それも、きらら×カレンちゃん推しのマドカさんが見過ごすとは思えなかったのだが……


「……そんなの、私の勝手でしょう?」


 マドカさんはそう呟き、ゴロンと横になると、そのまま俺に背を向けてしまった。


「私は休みます。用があっても無くても、声を掛けないでください」


「あ、はい。すみません」


 ああ、そっか。彼女は昨晩からまともに休んでいないんだった。

 ここは存分に休ませてあげないとな。


「……」


「……」

 

 またしても、静寂が訪れる。

 聞こえるのは微かな波の音と、きらら達の楽しそうな声だけだ。


「料理」


「へっ?」


 あまりの静けさに、俺がウトウトし始めていると……マドカさんがボソリと呟いた。

 寝言か? いや、それにしては随分とハッキリしていた気が。


「……どうでしたか?」


「え? あ、ああ……とっても美味しかったですよ。だからこうして、動けなくなってしまったわけで」


「私のせいだって、言いたいんですか?」


「はいぃ!? いやいやいや、そんなわけないでしょう!?」


 責めるようなマドカさんの言葉に、俺は慌ててビーチチェアからずり落ちる。

 それほどまでに、今の声色は怖かった。


「……ふふっ、冗談ですよ」


「冗談にしては、殺気が籠もっていましたよ」


 俺は立ち上がると、体に付いた砂を叩いて払う。

 うぅ、いててて。まだ少しお腹は痛むが……前よりはかなり楽になった。

 ちょっとくらいなら、動き回れるだろう。


「あれ? でも、私のせいって……? あの料理を作ったのは、シェフじゃなかったんですか?」


「……」

 

 疑問を訊ねてみるが、マドカさんは答えない。

 もしかして、と思った俺は彼女の顔が向いている方へと回り込む。


「まさか、あの料理を作ったのは……やっぱりマドカさんじゃ!?」


「……」


「あれ?」


「……すぅ、すぅ……んっ……」


 しかし、回り込んだ俺が目にしたのは……両目を閉じて安らかな寝息を立てる、超絶美人の寝顔だった。


「ど、どこで寝ちゃったんだろうか……」


 ついさっきまで普通に話していたのに、こんなに急に眠っちゃうなんて。

 それほどまでに、疲れていたという事だろうか。


「……まぁいいか」


 何にしても、彼女が休めるのならそれでいい。

 

「あっ、そうだ。さっきは照れ臭くて、中々言い出せなかったんですけど」


「…………」


「マドカさんの水着姿、とっても綺麗です。俺が嫌われていなければ、すぐにでもデートを申し込みたいくらいに」


「…………」


「……すみません。面と向かって言う勇気が無いので、こんな形で」


 俺は寝ているマドカさんにそう囁いてから、背を向ける。

 さて、言いたい事も言えたし……俺もきらら達に合流するかな。


「お兄ちゃーん! お魚さんがいっぱいいるよー!」


「うひぃっ!? このウネウネした奇妙な生物はなんですのぉっ!?」


「ただのウミウシでしょ? それくらいで騒ぐな……ってぇえええ!? こっちに投げないでよぉぉぉぉっ!」


「ぽーい、ですのー! おーほほほほほっ!」


「お兄さーん! こっちで一緒に泳ぎましょー!」


 少し見ない間にひかりさんも混ざっているみたいだ。

 よーし、それじゃあ俺の水泳の腕前を披露してやるか!

 こう見えても、昔はクラスで1番泳ぎがうまかったんだからな!


「……ふぅ」


 俺がきらら達の方へと駆けていった直後。

 パラソルの下。ビーチチェアで眠っていた筈のマドカさんが、むくりと起き上がる。


「なるほど、これが……ひかり様の言っていたアレですか」


 片手で顔を押さえ、マドカさんは口元をヒクヒクと痙攣させる。

 頭では拒んでいる。そんな事があってはならないと、否定している。

 それなのに、体が言う事を聞かない。

 ダメだと思っても、勝手に口元が緩んでしまう。


「ふ、ふふっ……あはっ」


 嬉しい。褒めて貰えた。素敵だと言ってくれた。

 あの大嫌いな男が。自分の理想の百合カップルに割って入る、害悪のようなあの男が自分に魅力を感じてくれた。

 それだけの事が――彼女の胸を高鳴らせ、幸せな気持ちで満たしていく。


「晴波……大和様」


 名前を口にする。以前は不快にしか感じなかったその名前も、なぜだか今は愛おしい存在のように思えてくる。


「……ああ、これが、そうなんですね」


 マドカさんはひかりさんの言葉を思い出す。

 『アナタはもう底なし沼に嵌っています』


「もがけばもがくほど――ですか」


 遠のいていく俺の背中を見つめながら、マドカさんは呟く。

 その瞳はいつしか、獲物を狙う蛇のように鋭く研ぎ澄まされていた。


「言っておきますが、私はそう簡単に沈むような女ではありません」


 ペロリと舌なめずりし、彼女は標的に狙いを定める。


「私が沈むよりも先に、アナタを私という底なし沼に沈めて差し上げます。どこまでも深く、深く……私のモノになるように」


 その決意と覚悟に満ちた小さな呟きは――波音に掻き消されて消える。

 しかしそれでも、間違いなく。

 彼女の胸の中には、激しい恋心の炎が灯ったのであった。

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