第9話:カラオケ。ギャルと2人。何も起きないはずがなく
「……」
澄んだ空気、さえずる小鳥達の鳴き声。
眩しくて暖かな陽の光がカーテンの隙間から差し込む……爽やかな朝。
俺は台所でボーッとしながら、トースターを見つめていた。
「昨日のアレは……夢、だったのか?」
昨晩。俺が脱衣所でひかりさんを押し倒し、胸を揉んでしまった後。
俺は意識を失い……気が付けばソファの上で眠っていた。
すぐにひかりさんを探したが、彼女の姿は既に無く、その代わりに一通の書き置きがテーブルの上に残されていた。
『疲れて眠っちゃったみたいなので、そろそろ失礼します。また今度、お兄さんの手料理を食べさせてくださいね。雨宮ひかり』
その内容には、脱衣所の出来事は一切触れられていなかった。
もしもアレが現実なら俺は今頃警察に訴えられて、留置所の中に問答無用で打ち込まれているはずだ。
という事は、バスタオル姿のひかりさんに抱き着かれたのも、その後に胸を揉みしだいてしまったのも……全部、夢だったのではないだろうか?
「だとしても、それはそれで問題か。」
夢で見る内容は、深層意識と深い関わりがあるという俗説がある。
そうなると、俺は心の中でひかりさんにあんな事をするのを望んでいる……?
いや、そんなわけあるか。いくらなんでも、妹の彼女を相手に――
~~『お兄さんの……えっち♪』~~
「くぅっ……! 違う、俺は彼女に対して何もやましい気持ちは……!」
「うにゃぁぁぁぁぁっ! 遅刻だ遅刻ぅっ! もう時間が無いよぉ!」
俺が、自分の心の闇を必死になって否定しようとしていた……その時。
2階からドタバタと、慌てた様子のきららが駆け下りてくる。
「よぅ、おはよう」
「あっ、お兄ちゃん、おっはー……じゃなくて! お兄ちゃんっ! どうして今日は起こしてくれなかったの!?」
「……ん? ああ、もうこんな時間か」
きららに言われて、チラリと時計を見てみる。
いつも俺がきららを起こす時間よりも、一時間近く遅い時間帯だ。
「悪い。でも……仕方ないんだ」
「はぇ?」
「俺は……俺自身と向き合わなくちゃならなかったんだ」
「お兄ちゃんが向かい合ってるのはトースターでしょ!? というかそれ、中身入ってないじゃんっ! 動いてないじゃん!」
「……中身?」
「パンだよっ! いちごジャムをたぁっぷり塗るための食パン様っ!」
「ああ、ジャムは切らしてるから、今日はピーナッツバターでいいか?」
「うーん。まぁいいよ。私、ピーナッツバターも大好きだし」
「そうか。じゃあほら、これ……ピーナッツバター」
「ありがとう。でも、食パンは?」
「……?」
「だーかーら! 焼いた食パンだってばー!」
「まだ、焼いてないんだ」
「見れば分かるって! ああもういいよ! 焼かないでそのまま食べるから、生の食パンを出してよお兄ちゃん!」
「……実を言うと」
「ん?」
「食パンも切らしていてさ。だから今朝は、こうしてトースターを見つめる事しか出来なかったんだ」
「だったらトースト以外の朝ご飯にしてよぉー! うわぁぁぁぁぁぁん! お兄ちゃんが壊れちゃったー!」
そう叫びながら、きららはピーナッツバターの瓶を手に握りしめたまま、家を飛び出していってしまった。
アイツ……学校へ行く途中でピーナッツバターでもペロペロするんだろうか。
「……いかんな」
両頬をパチンと叩いて、自分に気合を入れ直す。
ここでいつまでもグジグジと悩んでいても仕方が無い。
俺はきららの兄貴だ。兄貴は妹を守る為に、先に生まれてくるもの。
たとえ自分がどんなに辛い状況であっても、きららを泣かせるような事だけは決して許されない。
何があろうと、俺は全力で良いお兄ちゃんを遂行しなくてはならないんだ。
「ひかりさんの事は、今度本人と話せばいいか。とりあえず……色々と吹っ切れたら、腹が減ってきたな」
少し小腹が空いたので、俺は冷蔵庫を開いて中を見る。
おっ、食パンが2枚も残っているな。いちごジャムも昨日買ったばかりだし、今日の朝食はいちごジャムを塗ったトーストにしよう。
「……そういや、きららが何か言っていたな。さっきはちょっと、放心状態だったから……まともに会話出来た気がしないけど」
チーン! という音が鳴り、小麦色の焼き目が綺麗に付いたトーストが出てくる。
俺はそのトーストを皿に載せ、まずは下地としてマーガリンを塗る。
そしてその上から、果肉たっぷり、あまぁいいちごジャムを贅沢に載せていく。
これにてみんな大好き、いちごジャムトーストの出来上がりだ。
「うんっ、美味しい」
適度な焼き加減でサクサクの食パンの生地と、しっとりとしたいちごジャムのハーモニーが絶妙だ。
どうせなら、きららにも食べていって欲しかったな。
「……1枚だけ残しても仕方ないし、おかわりいっちゃうか」
いちごジャムトーストを1枚、ぺろりと平らげた俺は……そのまますかさず、最後に残った2枚目の食パンまで食べてしまったのだった。
【夕方 とある駅】
大学からの帰り道。
いつのように買い物をして行こうと、商店街に立ち寄ったのだが。
俺はそこで偶然にも、ある人物と遭遇してしまった。
「あっ」
「……どうも」
茶髪のサイドテール。龍の刺繍が入った黒いフードパーカーが特徴的な少女。
きららの美少女ハーレム(仮)のメンバーの1人である、雷堂しのぶさんだ。
「奇遇だね。きらら達は一緒じゃないのか?」
「……きららなら、今日はひかりと図書館で勉強。カレンは家の用事で先に帰った」
「そ、そうなんだね」
仏頂面で、淡々と話す雷堂さん。
前に俺の家に来た時もそうだったが、眼力と威圧感が凄まじい。
こう、なんというか。気を抜くと一瞬でやられる……みたいな。
「でも、それなら雷堂さんもきらら達と一緒に――」
とにかく場の雰囲気を明るくしようと、俺は積極的に話題を振る事にした。
しかし、これがいけなかった。
「ああ?」
「ひっ!?」
俺が口を開いた瞬間、ただでさえ不機嫌に見えた雷堂さんの顔が、さらにますます険しくなっていく。
何か、まずい事でも言ってしまったのだろうか?
「……兄貴、今なんつった?」
「え? いや、だから……雷堂さんも……」
「チッ……! おい、面貸せよ」
俺がかなりビビっていると、雷堂さんは俺の胸倉を掴み、その小さな体からは信じられないような怪力で俺を引っ張る。
「ちょっ……!? 待って……!」
「いいから、来いって!」
半ば強引に俺は雷堂さんに引きずられ、商店街を歩いていく。
ざわざわと、商店街を行き交う人々が何事かとこちらを見ている。
そりゃそうだ。この状況を傍から見れば、ギャルにカツアゲされている情けない青年という風にしか見えないだろう。
「ど、どこへ行くの? 雷堂さん……!」
「~~~~っ! 静かにしてろって!」
「はい」
話しかけると凄い剣幕で怒られるので、俺はもう黙っている事にした。
そして、そのまま雷堂さんに引きずられていく事……数分後。
「……ここ、入るから」
「ここって……カラオケ屋さん?」
到着したのは駅近にあるカラオケ屋だった。
どうしてこんな場所に、と思う間もなく……雷堂さんは中へ入っていく。
「あら、しのぶちゃんじゃなぁい。今日も歌の練習?」
「……うん。でも、今日は連れがいるから」
「まっ、昨日は可愛い彼女さん達で……今日は可愛い彼氏さんねぇ」
「いつもの部屋、借りるね」
「はいはい。今度、詳しく話を聞かせなさいよぉ?」
中へ入るなり、店員と思わしき男の人と会話をする雷堂さん。
そしてマイクなどが入ったカゴを受け取り、店内をぐんぐん進んでいく。
「……入って」
「あ、ああ。入ります」
もうすっかり、言われるがままの状態の俺。
雷堂さんの指示に従い、個室の中へと入ると……突然、後ろからドンっと突き飛ばされ、ソファの上に倒れ込んでしまった。
「おわっ!?」
「……兄貴」
混乱しながら顔を上げると、俺を押さえ込むように雷堂さんが覆いかぶさってくる。
「なっ、なぁっ……!?」
壁ドンならぬ、ソファドンのような体勢。
彼女の両手両足でガッチリと逃げ場を防がれた俺は……ただ、彼女の顔を見上げる事しか出来ない。
「雷堂さん、何を……?」
「……また言った」
「へ?」
「また……言ったぁ……!」
じわりと、雷堂さんの双眸に大粒の涙が浮き上がる。
そして、その衝撃の事態に俺の理解が追いつくよりも先に、彼女はその両手をバッと振り被り……
「うっ、うぅぅぅぅぅっ……!」
「っ!?」
殴られる! 俺がそう覚悟して、両目を瞑った――次の瞬間。
「なんで? なんでアタシだけ……!」
ポカポカポカ。
俺の胸を雷堂さんの両手が叩く。
ポカポカポカ。
それはもう、痛くも痒くもないほどの力加減で。
「ひかりも、カレンも、きららも……! みんな名前で呼ぶのにぃ……! アタシだけ名字なんてズルじゃんかぁ……! ばかばかばかぁ……!」
「え?」
「うわぁぁぁぁぁぁんっ! 兄貴のおたんこなす! ばーかばーか!」
そして最後は俺の胸に顔を埋めながら、わんわんと泣き始めるのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます