吾輩は小説を書く猫である

@sansankudo

猫だって文学に親しむことくらいはできる

吾輩は猫である。名前はまだない。

そんな吾輩は今、小説を書いていた。人間の作家がするように文章を綴ろうとしていたのだ。

猫だって文学に親しむことくらいはできる。むしろ人間よりもずっと深く味わうことができるだろう。それはもう驚くほど鮮明にだ。

この日もいつものように机に向かい、原稿用紙に向かっていたのだが……どうにも筆が進まない。何かが足りないのかといろいろと考えてみたが、結局何も思いつかなかった。そこで気分転換も兼ねて散歩に出かけることにする。

外には月が出ていた。満月には少し欠けているが、それでも十分すぎるほど美しい輝きを放っている。そしてその周りでは星々もまた煌めいている。

見上げる夜空の美しさに見惚れながら、あてもなく歩き続ける。すると前方に小さな人影があることに気付いた。

こんな時間に何をしているんだろうか? 気になったので近づいてみることにしよう。

少女だった。それもまだ幼い子供だ。

彼女は地面に座り込み、じっと夜空を見上げている。何をしているんだ? そう思ってよく見てみれば、彼女が手にした蝋燭から細い煙が立ち上っていることに気づいた。どうやらあれは煙草らしい。つまり彼女こそは一服盛る喫煙者というわけか。

これはまた珍しい存在に出会ったものだなぁ。

彼女はまるで夢遊病患者のように虚ろな表情を浮かべながら、静かに紫煙を吐き出している。その姿は何ともアンバランスで危なげな雰囲気があった。……何にせよこのまま放っておくことはできないだろう。彼女は未成年なのだから、保護する義務があるはずだ。だから声をかけることにした。

――おい君、ここで何をしているんだい? 君は未成年だろう?ここは子供が来ていい場所じゃないぞ。さあ家に帰るといい。……だがしかし彼女の反応はない。ただ黙々と煙をくゆらせ続けているだけだ。

おーい、聞こえていないのか?……まったく仕方のない子だな。それならこちらから出向いてあげるとするか。

そうして彼女に近づこうとした時、ふと足下に何かが落ちていることに気がついた。……これは手紙のようだな。拾って中身を読んでみよう。……どれどれ。

――拝啓、愛しいあなたへ。突然の手紙に驚いていることでしょうね。でも安心してください。別に取って食おうとしているわけではないのですから。それに私はあなたの味方です。決して悪いようにはしないつもりなのですから。……なるほど。確かにそういう内容が書かれている。どうやら恋文の類らしい。

――ああ、そうか、この子も物書き書き書き書き書き書き書き書き

吾輩の思考はそこでふいに現実に引き戻された。吾輩……とは、誰だったっけ? それは人間だったか、猫だったか。名前はまだないが小説を書いている。そして目の前にいる少女の存在に気付き、話しかけたのだ。

そうだ、思い出してきた。確か名前は……。

そこまで考えたところで、不意に後ろから誰かに声をかけられた。

振り向いてみるとそこにいたのは一人の少女だった。年齢は十代前半くらいだろうか。黒のドレスを着込んでいるところを見るとどこかのお嬢様に見える。

…………? 少女の姿を目にした瞬間、なぜか違和感を覚えた。

なんだか顔つきが違うような気がする。具体的にどこがどう違うと言われると困ってしまうのだが、それでも妙な感覚を覚えずにはいられないのだ。

とはいえ、今はそんなことを気にしている場合ではない。まずはこの子に言うべきことがある。

――おい君、こんな時間に一人で出歩いてちゃいけないじゃないか。早く家に帰りなさい。……? 返事がない。不思議に思ったのでもう一度呼びかけてみた。すると少女はゆっくりとこちらを振り向いた。

その顔を目にした途端、思わず息を呑むことになった。なぜならそこには自分の知らない女の子の顔があったからだ。……どういうことだ? なぜこの子は別人のような姿をしているんだろう? しかもそれだけではなかった。いつの間にか周囲にある光景が変化していたのだ。先程までは夜の公園にいたはずなのに、今では真っ白な空間の中にいるではないか。……一体全体、何が起こったんだ? 困惑しながら周囲を見回していると、今度はすぐ隣から声をかけられた。

――ようやく気付いたみたいだね。

声の方へと視線を向けると、そこに立っていたのは一人の少女だった。

そうか。これは吾輩の書いていた小説の中の世界だ。

つまり自分は今、夢の中で物語の世界に入り込んでしまったということなのか。

――そういうことになるかな。

彼女は静かに微笑んでいる。

――せっかくだし自己紹介をしておこうか。僕は作者だ。よろしく頼むよ。

――ああ、こちらこそ。それで君はいったい何をしているんだ? どうしてこんなところにいるんだい?……まぁ、なんとなく察しはついているんだけどさ。

――それはね、君に会いに来たんだよ。こうして直接言葉を交わすために。……だけど、ちょっと遅かったかもしれないな。もう時間切れだ。残念だけれど、これ以上ここに留まってはいられなくなってしまった。

――え?

――本当はもっと君と話していられるはずだった。けど、どうやら君の身体の方が限界を迎えてしまったらしい。だから僕にはどうすることもできなかった。

――待ってくれ。もう少しだけ時間をくれないか? お願いだ!……駄目だよ。ここではあまり長く話せれない。

――どうしても駄目かい?

――うん、ごめんよ。これが精一杯だ。そんじゃこれで最後となると思うから最後に伝えておくよ。


「君は猫などではない」

「まして物書きなどでは絶対にない」


それを聞いた直後、急に意識が遠のき始めた。まるで眠りにつくかのように視界が暗転していくのを感じる。…………ああ、行かないでくれ。まだ何も言えてないのに。言いたいことがたくさんあるのに。

だがいくら叫んでも届かない。必死に手を伸ばしても空を切るばかり。……そして、とうとう目の前が闇に包まれていった。


***

目が覚めた。

どうやら少しの間眠っていたようだ。……嫌なことを思い出したせいか、全身にびっしょりと汗を掻いている。……とりあえず着替えるとするか。

そう思い、ベッドから起き上がったところで部屋の扉がノックされる音が聞こえてきた。

――どうぞ。

返事をすると同時に、ドアが開かれ一人の人物が姿を現した。

黒髪の少女だった。年齢は十代半ばくらいだろうか。黒いドレスを身に纏っているその姿は、どこかのお嬢様に見えてくる。

彼女は部屋に入ると真っ直ぐにこちらへ向かってきた。そして机の上に手を置くと、その上にあるものをじっと見つめる。……? それは一冊の本だった。だが見覚えのないものだ。


「君の本だよ」


吾輩の、いや僕の前で少女は微笑んだ。(完)

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