4-208 終節:急『Escape from The Family』②



 ばちんと音がして、スポットライトの下に現れたのはニ体の小さな人形だった。騎士とまじない使いを模した、丸っこいフォルムには愛嬌がある。

 二体を糸で操る紅紫の髪をした少女、トウコが声色を使って二役を演じていく。


「ベルグくんと!」「ガルラくんの!」「なげやり人形劇がはっじまっるよー! わーわー!」


 どんどんぱふぱふー、と棒読みで口にするトウコ。

 発声は見事なものだが、名前の通りなげやりだった。

 人形たちはぴょんぴょんと飛び跳ねて言う。

 

「聞いた聞いた? こんなウワサ! 学院の裏には『死人の森』が広がっているんだって!」


「怖い怖い! とってもホラー! そこには禁断のお姫様が眠っていて、許し無く触れたら神々の裁きを受けるんだって!」


「けどけどー、決闘で心の花を撃ち抜けば神々も認めてくれるかも! お姫様の王権を受け継ぐのは誰だ! 君か? それとも君? 『エトワール』への道は、誰にだって開かれているよ!」


「さらにさらにー、決闘を勝ち抜いてお姫様を花嫁にすれば、試しのキスに挑めるんだって。口づけの恐ろしさも知らないで、男たちってバカだよねー」


「ほんと、ばっかみたい」


 とうとう演技を放棄して、自分で吐き捨てるトウコ。人形たちは主の表情をうかがい、それから二人で顔を見合わせてから声を揃えた。


「男子ってサイテー」


 暗転。愚にもつかない短い人形劇が幕を下ろす。




 天よりスポットライトが降り注ぐ、

 雲の切れ間から地上に降り注ぐ薄明光線。

 これなるはヤコブのはしご。隠された啓示の塔。

 端末に送られてきた地図に従ってコズエは歩いていく。たどり着いた学園の裏手、見下ろすと無限の宇宙が広がっている。天界の光は真下から降り注いでいた。


「階段の向こうに逆さまの大地が見えるよ。あれが決闘場?」


「そうだ。奈落へと続く逆位置の塔と、それを取り巻く螺旋階段。反転した重力がコズエを導いてくれる」


 シナモリアキラの言葉を受けて、コズエは進む。

 階段の前の門がコズエの瞳を探る。

 決闘者の虹彩を認証し、『自らの世界を持つ』と判断された女神候補生は前進を許される。門が開き、少女の足が階段を踏む。

 螺旋階段を一歩一歩進むごとに、周囲を炎が舞っていく。燃える天使たちに導かれ、少女は天に召されていく。

 遠くに見えるのは天体の層だ。大地は神が創造したすべての中心であり、学院からは最も遠くに見える。

 母なる加護は既に無い。

 世界は寒く、あの美しい半身のきらめきは失われてしまっている。宇宙は既に死を迎えつつあるのだ。

 螺旋を歩く。下っているのか、上っているのか、その区別は既に無かった。

 夜光天、幽冥天、精霊天、太陰天、太陽天、土塊天、火力天、水晶天、天堂天――天球の層を超え、全天を内包し天体の運行を決定する原動天に到達する。

 コズエの遙か頭上へと飛翔していく炎の天使たち。編隊を組む両性具有の幼子たちが集うと、空に輝く白薔薇が咲いた。あれこそは天球層の最果て、至高天。


「違う。天国なんてどこにも無い。あれは屍。死劫天のなれの果てよ」


 螺旋階段を登り切った先で待っていた少女が訂正する。

すると天空の薔薇はたちまち雪化粧を纏った冬の森へと姿を変える。

 逆さまの森はいまにも降ってきそうだった。

 事実、世界の終わりを告げるかのように冬の森からはしんしんと雪化粧が剥がれてきている。

 降りしきる雪の大地。

 それが決闘の舞台だった。


「アイドルは心を撃ち抜く。ねえ、心とは何かしら。魂、感情、それとも理解?」


 くるくる、くるくる。片足を上げ、舞うように回転するクルミ。棚引くマフラー、ひび割れたぜんまいねじの髪飾り、血に塗れた飾緒と雪を被った軍用制服。人形は己の言葉を強く否定する。


「いいえ。女神アイドルが穿つのは母なる海の底に沈んだ赤い宝石、愛の珊瑚」


「愛? そんなもの、もう無いよ。天国だって無いんでしょう」


 コズエの敵意に満ちたまなざしを受けて、クルミは歓びにうち震える。冷たい大気を吸い込み、ほほえみを作った。そう、二人の愛は既に失われた。

 華やかな英雄が去った寂しい舞台の上で、少女たちは雪上の決闘を開始する。そうすることしかできないのだ。


「世界の心臓を撃ち抜く。引き金はその為にある!」


「世界の心臓? それはどういう意味?」


「意味など無いわ、あるのは意思だけ!」


 クルミがそう言い放つや否や、足下の影から四つの小さな衛星が飛び出した。それらは光に包まれながら姿を変え、対のストックとスキー板が瞬時にクルミの手足に装着された。杖の石突きが呪いを撃ち出し、コズエの頬を掠める。雪原での狩猟と戦争を得意とするバイアスロン部の副部長、それがクルミに与えられた役回りだった。


 母なる大地から遠い寒々しい宇宙を進むためには、同じような極限環境を踏破したという実績のある呪具が必要だった。北方の英雄が使用していたスキーの道具とその技術を用いるクルミは雪原を、そして宇宙空間を滑走する。


 石突きから放たれる射撃、射撃、射撃。

 コズエもまた同様の武装を用いて空を滑る。

 いつの間にか両者の胸には一輪の薔薇が飾られていた。

 決闘を望む二人の心に咲く感情の形。互いの胸を狙って、二人のストックが火を噴く。火線が闇を裂き、新たな星を生んでいく。


 コズエの射撃は正確無比。

 学院に並ぶものはいないとまで言われた達人の腕前でクルミを狙うが、軽やかに雪原を舞う少女の影をとらえきれない。それどころか、クルミの弾丸は次々にコズエの手足を襲い、痛みの呪詛が作り物の肢体に黒ずんだしみを残していく。クルミの射撃はコズエのそれを凌駕していた。


「ありえない、俺はカルカブリーナと銃撃義肢を併用している、クルミの銃士適性では抵抗すらできないはずだ!」


 愕然として叫ぶシナモリアキラ。コズエのストック銃は彼によって制御されている特殊な義手だった。

 だがこれは正々堂々たる決闘だ。

 ニ対一という構図そのものが最初から成立しない。

 クルミの肩、マフラーの影で小さな幻が揺らぐ。


「対等な決闘なら、条件は同じであるべきだろう。違うかシナモリアキラ」


 低く、陰鬱な男の声。

 コズエはその声を知らない。

 テンガロンハットにガンベルト、薄汚れたコートにうっすらとした無精髭、荒野を放浪する無法者の姿を、記憶の隅にさえ留めてはいない。

 シナモリアキラは違った。

 焦ったように、呪文を唱える。


「撃て、『イルティエルト』!」


「撃て、『無力女王』」


 相手側の対応も全く同時、全く同質。

 二つの輝く弾丸は対消滅したが、そこに乗ったアイドルの輝きが片方を上回り、波となって相手を吹き飛ばす。

 コズエは低く呻いた。

 クルミの射撃は舞いのようだ。というより、舞いに組み込まれた射撃とでも言うべきか。フィギュアスケートにも似た雪上演技。ストックを支えとした三次元の縦回転はこのバレエスキーアクロに特有の躍動だ。芸術点をそのまま火力に変換して、クルミは回転しながら銃撃を行う。


 銃の扱いではコズエが上だろうと、そこに舞いの要素が加われば話は別となる。剣舞が刀剣を取り締まる法に触れないように、銃舞は銃規制の摂理には触れない。

 くるくると舞うクルミの姿に、コズエとアキラは目を奪われる。はじめて見るそのダイナミックな美しさ、鍛え上げられた技術の冴えに言葉を失っていた。


 おそらくコズエが『サイバーカラテ道場』によって鍛えられていたのと同じように、クルミも研鑽を積んでいたのだろう。見事な舞い、そして射撃の技だった。

 勝てない。冷徹な現実がコズエとアキラの前に立ちふさがっていた。二人の実力は、目の前の相手に及んでいないのだ。コズエの挑戦は愚かしく、身の程をわきまえない失敗だった。彼女の手が森の奥深くで眠っている半身に届くことはもう無いのだろう。


「それで終わり? やっぱあんたに女神は無理ね」


 クルミはそう言って銃口をコズエに向けた。

 照準はぴたりと胸の花に合わせられている。

 雪がゆっくりと落ちてくる。コズエは敗北までの一瞬を永遠のように感じていた。終わるのだと思うと、どうしようもなく悲しかった。

 悲しみを知らないコズエは、それを喜びの欠如だと感じていた。失われたものがある。それは輝き。ヒメが向けてくれた、全ての光。


「訓練を思い出せ、いまコズエを救えるのは形だけ、知っている動作だけだ」


 アイドルのレッスン、笑顔の練習。

 そんなものが、ここで役に立つとでも言うのだろうか。

 作られた偽りの仮面。

 それらしく真似をした、空虚な感情。

 あの笑顔、あの溌剌とした口調が、誰のものなのか。

 暗い色から明るい色へと変わるコズエの心。

 絶望に染められつつあったコズエの表情が、反復された形式をなぞって演技時の笑顔を作った。同時にクルミの銃弾がコズエの胸に到達。呪いが花を蝕み、枯死の結末を加速させようとする。

 

「あれは何?」


 勝利を確信していたクルミはわけもわからずに肩の幻に問いかける。しかし、男もまた状況を理解できていない。

 呪われたコズエの花。

 その心が輝いていた。作られた表情と一緒に、硬く鋭く、光を反射する透明な造花に変わっていく。


「心の花が姿を変えるなんて、そんなの知らない!」


 クルミが信じられないと指さすコズエの心は氷の睡蓮。

 彼女が望む、明朗な笑顔。

 その心を反映して花は転生を果たす。

 コズエは信じた。肩から助言をささやいてくれる知らないはずの幻を。幼い頃に夢見た瞳の中の小さな幻を。


「アキラくん。お試し期間、そろそろ終わるよね」


「ああ。コズエの正しい宣名が無ければ、正しく契約を結ぶことができない」


 成し遂げるべき事は解っていた。

 成し遂げたい事は決まっていた。

 世界の心臓を撃ち抜く。

 その意味がわからずとも、意思なら既にある。


「此が号は春の魔女、そのさがはきぐるみの魔女、熾る紀元はアンドロイドの魔女。キュトスの末妹、未来の女神、私の名は『鮮血のトリシューラ』!」


 それこそが彼女のまことの名。

 そして、世界の心臓を撃ち抜く銃の銘だ。

 閃光がクルミの左胸を貫いて花びらを散らし、背後の舞台裏を粉々に砕いた。

 青い糸が散る。長く伸ばされた髪の毛が千切れ、無数の教師たちが残骸となって辺りに散らばっていく。


「馬鹿な、馬鹿な、こんなことが!」


「こんな展開は台本には書いていない。第一の指先に指示を仰げ! 学院の、イエの呪力が崩壊してしまう!」


 混乱し、慌てふためく教師陣。

 彼女たちに向けて、シナモリアキラは鋭く戦意を向けた。コズエの攻撃は学院に対する銃の乱射。体制を崩壊させる、いじめっ子への激烈な憎悪の形式だ。

 彼女を唆した悪魔は学院の秩序を蝕み、世界を呪いで浸食していく。学院の構造に対する呪的侵入が始まった。シナモリアキラという巨大な外敵が、ラクルラールという巨大な守護者を脅かしているのだ。

 学院は古い師弟関係をモデルにしている。

 師弟は家族に等しい。教師と生徒は親子に等しい。

 イエの呪力をシステムとして運用し、制度化された家族という呪文を管理する巨大な機構。それがラクルラールだ。新しい形の師弟関係はラクルラールに対するウイルスとして働き、破滅をもたらす。


 ラクルラール=タイプ・マイクはことばをシグナルに変換。身体的な喉と大気の震え、物理現象を呪文的な記号に置き換えて最後の攻撃に変えた。対するシナモリアキラもまた宇宙を振動させて迎え撃つ。巨大な構造と構造がぶつかり合い、既存の宇宙がばらばらに砕けて混沌の亀裂へと真っ逆さまに落ちていく。


「砕けろラクルラール!」


「やめて、やめて、私の愛すべき楽園を奪わないで!」


 全てのラクルラールが叫びながら崩壊するのと同時に、コズエとクルミの決闘が終わりを迎える。

 雪が舞い落ちる速度で、侍女人形は雪の中に墜落する。

 崩れ落ちたクルミの表情は、どこか満足げに見えた。

 終演は近い。

 コズエは肩の上に乗った幻に柔らかく語りかけた。


「ねえ、届くかな」


「手を伸ばしてみないとわからない」


「じゃあ、一緒に行こうか」


 二人は同じ場所を見ていた。

 遙かな空に、消えそうな冬の森が見える。

 手を伸ばす。まだ届かない。つま先で立つ。踵が解放されているスキー板からめいっぱい体を伸ばす。まだ届かない。引き金を引く。世界の心臓には届いても、流れ出した鮮血を固めることは叶わない。


「遠いよ、あと何回勝てばいいの?」


 学院が崩壊していく。天使たちが泣き叫び、太陽は砕け、星々は枯れていく。旧来の秩序、古い世界モデルは教育現場の崩壊と同時に消滅しつつあった。

 破壊による革命は、寂しさに満ちた滅亡を生んだ。

 ここからつながるものは無い。


「だが俺たちは前に進んだ。今はそれでいい」


「うん。そうだね」


 何もない虚空の舞台に二人の声だけが響く。

 無限の寂しさ、永遠の終わり。

 それを紛らわすように、幻たちはささやきを交わす。

 くだらない戯れ、妖精の悪戯。

 それがこの舞台、瓦礫と雪の結末だった。


「次こそ眠り姫を起こしに行こう。あいつだってこんな役はきっと退屈だろうし、口づけを待ちかねてるに違いない」


「ね、アキラくん」


「どうした」


「今の台詞を真似して『キリッ』てしていい?」


「この舞台でそれ言えるお前を尊敬するよ」


 世界は終わる。舞台は砕け散る。

 そして、未来ある限り再演の幕は何度でも上がるのだ。







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