4-169 純な炎を胸に燃やして




 左手で迎え入れ、右手で上から包み込む。

 左右の義肢、両方と握手したいというファンの要望に応えよう。

 そんな思いからこのようなやり方が握手会の基本スタイルとなった。

 目の前を通り過ぎていく手のかたちは様々で、種族差のみならず個人差だけでも千差万別。形と感触、熱意と勢い、好意から悪意まで、ありとあらゆる握手のパターンに応じて表情筋を制御、『相手にとっての最適な笑顔』を形成していく。


 表向き、握手会はスムーズに進んでいた。

 『アキラ姫』との握手を求めてやってきた人々は順繰りに俺の前に立ち、僅かな時間だけ言葉を交わして次の人に交代していく。中にはガラス片を持ちこんだり、手にべっとりと異臭のする液体を付着させてきたりする輩もいるが、そういうケースではすかさずカーインが退出をお願いする手筈となっている。

 少し厄介な相手だと、普通に握手を求めたあとに仕掛けてくるタイプがいる。

 ちょうど、いま俺の目の前にいる巨漢がそうだ。

 筋骨隆々とした禿頭の岩肌種。こちらのほっそりとした両手が相手の大きくてごつごつした手を包み込むと同時に流水の右手が強く握り返される。

 剛腕が生み出す強烈な握力に、腕の表面が波打った。

 呪力によって腕の形態を維持している水が押しつぶされそうなほどに強く握られている。この男、間違いなく俺の手を握りつぶそうとしている。相手の顔を見返すと、歯を見せて獰猛に笑っていた。


「上等だ」

 

 『求められているパフォーマンス』を即座に察した俺はアイドルとしてファンサービスを実行する。

 狙うは相手の親指と小指。流れる水が形を変えてするりと動き、指関節を開くように捻って相手の痛覚を刺激する。一瞬だけ生じた相手の隙は逃さない。左右の手で包み込んだ相手の腕を可動域とは逆の外側へと強引に回転させる。機械義肢と流水義肢の馬力頼みの強引な護身術だが、巨漢はたまらずに真横によろめき、うめき声をあげて膝をついた。


 途端、列が破裂した。沸き立つ荒くれたちからの大喝采。

 待ってましたと言わんばかりの反応で、女の細腕によって屈伏させられた当の挑戦者の痛みに歪んだ顔もいつの間にか笑顔に変わっている。

 次は俺だとばかりに前に進み出た男は腕まくりをして机に肘を置き、腕相撲を挑む構えだ。周囲もその光景を当然のものとして受け入れている。

 この一連の流れに慣れ始めている自分が恐ろしい。そもそもの話。

 ――これ、握手会か?




 物理的には音はおおまかに三つの要素に分類できる。

 振動数による高さ、エネルギーによる強さ、そして音源による音色だ。

 ライブは大気を介した物理的刺激によって観客の精神にはたらきかける。

 引き起こされるのは空間それ自体の加熱だ。

 世界の熱狂。空間全体への働きかけ。

 ライブの性質をそう言い表すとするならば、握手会はさしずめ対象への個別的な働きかけといった所だろう。アイドルが物理的に刺激するのはファン個人、そしてその手という局所的な部位だ。


 俺たちのアピールが『暴力』によって成り立つものである以上、その握手会もまたそうした性質を持つことは避けられない。その結果がこれだ。

 右腕が激流となって荒れ狂い、波濤の如き勢いで巨漢の手の甲を机に叩きつける。腕相撲で連戦連勝するのにも飽きてきた頃合いだが、握手会場はヒートアップするばかりだ。なにしろここには腕自慢の荒くれものばかりが押し込まれている。

 ここは第五階層の地下刑務所。地上の更正施設とは性格を異にする暗黒と力とが支配する鉄格子の都である。


 トリシューラの『王国』では犯罪者を『更生施設』に放り込んで入念に洗脳を行い、刑の重さに応じた奉仕義務を深層意識に刻み込むという処置が施される決まりになっている。しかし多様な考え方が混在する第五階層にはそうした処遇を『甘い』と考える者も一定数おり、重い刑罰を科すための『刑務所』が求められた。

 民間の事業者たちが地下に『創造クラフト』した巨大刑務所は『死人の森』という異界と混じり合って異形の牢獄兼処刑場と化していた。

 死せる者たちが怨嗟の声を上げながら死に続ける苦痛の底。

 地下空間がアイドルたちが競い合う巨大な祝祭の場となった今も、刑務所は依然として地下の片隅に存在し続けている。アイドルの中には『慰問ライブ』を行って受刑者たちにひとときの癒しを与えようとするものもいたが、陰惨な雰囲気たちこめるこの地に二度足を運ぶものはいなかった。

 ――俺たちを除いては。

 

(最初はこのくらい荒っぽいのが丁度いいよ。アキラ姫、がんばってね)


 荒々しく咆哮し、若い女の身体に目を血走らせる囚人たち。

 あるいは、生者の柔肌を引き裂かんと虚ろな目に暗黒を滾らせる再生者たち。

 生と死の欲動が叫びとなり、迸る衝動が足踏みとなって床を打ち鳴らす。

 俺は次々と『襲いかかってくる』ファンたちを相手に手を握り潰したり投げ飛ばしたり関節を極めたり力比べのすえ押し返したり腕相撲を延々繰り返したりといった荒っぽいアピールをやらされる羽目になった。

 これは失敗だろうと目を覆ったのも束の間、刑務所内でその『握手会』は妙に評判となり、いつのまにかファンが増えているというよくわからない事態に。

 世の中、何が受けるかわからない。というかこれでいいのか?


(いいのいいの! これも握手会だよ、アキラ姫!)


 ちびシューラが朗らかに笑う。なんだかなあ。

 いちおう、他のアイドルたちの握手会を事前にリサーチして予習はしておいたのだ。その中にこんな握手をしているアイドルはいなかった。

 改めて疑問に思う。これ、握手会か?


 握手会を得意とするアイドルといえば、ここではラリスキャニアの他には『アマランサス・サナトロジー』がいる。あのグループは総選挙が近い。所属アイドルたちは競い合うように握手会を開催しており、至る所でアイドルと長蛇の列を作るファンという構図を目にすることができる。

 少々趣が異なるが、ネットにおいて絶大な支持を集めるリールエルバとのバーチャル握手会も時間と場所を問わずにできる手軽なイベントとして話題になっている。とはいえあまりにもシンプルなために『あまり触れあっている気がしない』と不評も目立つ。

 やはり呪術が世界観の礎であるこの場所では生の実感や体験が重視されるということなのだろう。握手会は地道に顔を突き合わせてやるのが一番効果的なようだ。


 併設されたブースには各種グッズが置かれており、物販はそれなりに盛況だった。『サイバーカラテ道場』とコラボしているので俺自身の信仰も集まり一石二鳥である。むしろこのアイドル路線で紀人として登りつめるのも『あり』ではないかと思えてくるほどだ。実際かなり有効なアプローチで前例が幾つもあるらしい。


「姫ぐるみひとつ下さい。あと姫ストラップも」「姫のキャラプリントシャツ、痛すぎて一周回っていい」「姫かわいいよ姫」「姫の抱き枕カバーを抱きしめて眠る」「俺くらいになるとむしろ被る。姫と一体化する」「キャラを被るの、シナモリアキラ性だしむしろ正しさすら感じるな」「さすがでござる」


 漏れ聞こえるファンの会話、お前ら大丈夫かと心配になる感じなんだがこういうのは本人はあまり関知しないほうがいいんだろうな。頭痛い。

 どちらかというと、マスコット系の受容をされている気がしなくもない。

 ヒュドラボルテージはニワトリのマスコットキャラとしてぬいぐるみやストラップなどの商品を展開することで既存のアイドルファンとは違った層から広く人気を集めていたらしい。少々間抜けだがゆるくてユーモラスな表情とふわふわずんぐりしたフォルムが親しみやすく、老若男女から好評だったとか。いつの世も動物ものは強い。ライブ時の激しさと神々しさのギャップもあいまって二位にランクインするのに相応しい実力を備えていた。


 色々なアイドルのパフォーマンスを想起する。

 それと自分とを比較して、少しだけ気になることがあった。

 アイドルにも多様なタイプがいる。

 ステージに立つこと、アイドルとして上を目指すことを競技と捉えてひたすら自己鍛錬を繰り返すアスリートタイプ。観客の目を意識してより満足度の高いパフォーマンスで魅せようとするプロフェッショナルタイプ。アイドルという職業そのものへの憧れやその存在を全力で肯定できるナチュラルボーンタイプ。もてあました自我を誇示することで承認を得て、ファンとの疑似的な互恵関係を築く反転したナルシストタイプ。どれかひとつのタイプというわけではなく、これらが複合していることもよくある。さて、俺は――というか、俺たちはどれだろう?


「なあトリシューラ。これでいいのかな」


 休憩中、ふと気になって小さなマスコットマネージャーに尋ねてみる。

 狼のぬいぐるみのようなトリシューラは小首を傾げてきょとんとしていた。


「お前のプロデュース方針が間違っているとは思わない。きぐるみ妖精のブランドイメージを押し出すという点ではこれで正しいと思う」


「けど、ラリスキャニアが指摘した『独りよがり』って欠点はそのままじゃないかって、姫は言いたいんだね?」


 そうなのだ。

 他のアイドルたちは握手会でそれぞれ独自の個性を出しつつもしっかりと『ファンとの交流』を行っていた。それは短いながらもしっかりとした密度があり、『思い出』になるようなものだった。

 対して俺は、ファンを楽しませてはいるもののあくまでも『芸』による身体的なおもしろさ、刺激、アトラクションとしての快楽だけで握手をこなしている。

 本当にこれでいいのか――その問いは常につきまとう。

 既に行動に移しているからこそ、それが正解なのかどうか不安で仕方が無くなってしまう。なにしろ保証してくれるものは何も無い。成功するにせよ失敗するにせよ、時間は等速で過ぎていくだけだ。


「アキラ姫の迷いはわかるよ。なまじ矢面に立って『アイドル』を『創造クラフト』しているから、余計に不安になるだろうし」


 トリシューラの言うとおり、基本的に俺は全ての判断を彼女に預けている。

 だがそれは俺の思考が消えて無くなることを意味するわけではない。

 トリシューラは思考の苦痛と決断の重みを引き受けてくれるが、俺の自由意思までは奪っていない。それは痛み以外の快楽を生みもするからだ。


「もっと迷っていいよ、アキラ姫。選択肢はきっと沢山ある。考えて考えて、今より素敵な道が無いかどうか、吟味してみよう」


 困難な状況に置かれているにもかかわらず、トリシューラは弾むようにそう言った。俺の心もまた踊るように軽い。先の見えない道行きの不確かさ、足下のおぼつかなさ、その危うさがどうしてか愉快でならない。

 これはきっと闘争の楽しさだ。

 競争者としてのイツノの気質。『サイバーカラテ道場』の本質。

 『ほどよいストレス』を求めていた怠惰な転生者としての俺の性格。


「トリシューラ、次のライブまで、少しだけ時間が欲しい」


「いいよ。私はそれまで色々準備しておくから」


 全てを見透かしたように微笑むトリシューラ。

 甘えながら彼女に背を向けて歩き出す。

 自分の中で方針を固める前に、会っておきたい相手がいた。




 暗がりに銃声が響く。

 白骨に彩られた石造りの通路を疾走する蜘蛛に似た機械は霊廟を守護するアーティファクト。いにしえの呪術によって動く鋼鉄の使い魔は銃弾を弾きながら宝物庫を争うとする侵入者に襲いかかる。

 振り上げられた刃状の脚、高圧電流が流れる捕縛用ネット、岩をも溶解させる毒々しい濃硫酸――それらの猛攻は侵入者たちの息の根を止めるはずだった。

 彼らが、並の侵入者であったなら。


「散開」


 テンガロンハットを被った陰気な男が短く命じた途端、狭い通路の中で集団が一斉にばらけた。前衛の巨漢が斧で壁面を叩き壊し、身軽な少女が跳躍しながら反転して天井に着地する。鈍色のマスクに三本のシリンダーバックパックを背負った重武装の人物はその場に居座って筒状の道具から猛火を噴射、霊廟の守護者に応戦する。更に後退していたテンガロンハットの男が二丁拳銃で支援射撃を行う。


 戦闘機械の足が止まった所に天井からの強襲。逆さまに駆ける少女が腰から引き抜いたクロスボウから発射された矢が爆発する。下がりながら頭上に狙いを定め、最も脆いであろう少女目掛けて勢い良く跳躍しようとする蜘蛛型機械。

 刃の節足がたわみ、ワイヤーアンカーが先んじて天井に突き刺さる。

 ワイヤーが巻き取られるのと同時に跳躍する蜘蛛。高速の突撃に少女は回避の術を持たない――だが幼い顔に浮かぶ笑み。

 爆音。壁を砕いて現れた巨漢が、『杖』でもある斧の後方から『爆撃』を連続発動させていく。衝撃によって加速した巨大な刃が無防備な蜘蛛の腹に直撃。

 装甲の脆い下部への一撃。大きな損傷を負った戦闘機械は侵入者たちの圧倒的な火力に為す術もなく、生じた隙を突かれて一気に破壊された。


 悠々と霊廟の奥へと足を運び、盗掘に精を出す侵入者たち。

 王墓を荒らし、尊き副葬品をことごとく持ち去っていく。

 古き誇りを穢す恥知らず。だがそう呼ばれてなお不敵に笑う彼らは、臆面もなく自分たちを挑戦者であると誇る。

 己が命をかけて窃盗を行う彼らを、人は皮肉混じりに探索者と呼んだ。

 

「久しぶりだな、盗賊王」


「――意外と、会いに来るのが遅かったな」


 呼びかけに振り返ったテンガロンハットの男――ゼドは、相変わらず陰気な顔つきでこちらに暗い視線を向けた。しばらく身繕いをしていないのか、髭がだいぶ伸びている。風呂も入って無さそうだ。というか臭い。


「アイドルのプロデュースをやってると聞いたからどんな風に変わっているかと思えば、やってることは変わらないんだな」


「まあな。アイドル活動も探索の一環でしかない。『死人の森』に関わったのも第五階層の裏面である古代世界を調査する上で必要だったからでしかない」


 いつの間にか姿が見えなくなっていた四英雄のひとり、ゼド。

 何をやっていた、と問い詰めるのは馬鹿馬鹿しいだろう。

 この男は探索者だ。第五階層の覇権争いなどより優先すべきことなど一つしかない。すなわち、ダンジョンの探索だ。


「お前はずいぶんと様変わりしたな。おおまかな状況は把握しているが、結局拡散したシナモリアキラは拡散したままなのだろう? ここにいるお前は、正しくお前だと解釈してもいいのか?」


「好きなようにしろ。全て正解であり全て間違いだ」


 我ながら適当な受け答えだったが、今は俺についての話がしたいのではない。

 この男にどうしても尋ねなければならないことがあった。


「お前のところ――『パイロマスター』ってグループ、サイン会とか握手会とか、ファンサービスみたいなイベント全然やらないよな。あれって何でだ?」


 現在第四位の『パイロマスター・イン・ヘルファイア』は火工術師を中心とした探索者集団で、派手な演出のライブイベントに特化したハードロックバンドだ。

 男女混成の大所帯で、『盗賊王』ゼドがプロデュースしているということで話題になっている。その特徴はストイックなライブ重視スタイル。

 とにかく平時はひたすら迷宮を歩いて闘争と盗掘を行い、合間に練習と休息、それから間を置かずにライブイベント。そのサイクルの繰り返し。


 味も素っ気も無いが、そのシンプルさが受けているらしいのだ。

 探索の様子を念写動画で中継しているのも評判がいいらしく、これが特徴的な戦略と言えるかも知れない。だがそれ以外に目立った芸能活動は全くしていなかった。ライブと探索、ただそれだけ。


「ファンのために何かしたりすれば、もっと人気が出てより先に進めるとか、考えなかったのか?」


 勿論、空回って逆効果という危険性は常にある。

 それでも、迷い無くたった一つのスタイルを貫き続けているゼドの心中が俺は知りたかった。プロデューサーとして、ひとつの探索者集団を率いる頭目として、彼は何を考えているのだろうか。陰気な男は短く息を吐いて、壁に背を預けた。


「そうだな――シナモリアキラ。お前、『殺し屋』時代に思った事は無いか。この仕事は純度が低い、と」


 あまりにも唐突な問いかけだったから、俺は呆然とその言葉を受け止めることしかできなかった。思い出すのは、かつて一度だけ聞いたこの男の過去。

 夜の病棟とゼドとの最初の邂逅。嘱託殺人者としてのもうひとつの顔。

 四英雄のひとりゼドの正体が『履行人』、あるいは『遊歩道』の異名を持つ伝説的な暗殺者であるという確証が得られるまでにはトリシューラでさえ多大な労力を要した。光の中に確かな足場を持ちながら、闇の底に出自を持つ男。

 『殺し屋』――その性質は違えど、俺の過去と似た顔を持っているこの男が、実のところ少しだけ苦手だった。恐れているといったほうが正確だろうか。


「俺たちは殺意を殺しに変える仕事をしている。加工、翻訳、なんでもいいが――その過程で必ず取りこぼすんだ。本来の熱量を。ただの殺しは燃えさかる炎だ。それは明るく輝く暴力の灯火となる。だが殺し屋が手に持つ松明はどうだ。うす暗い篝火じゃあないか。俺たちは不純な殺しをしているのさ。あるいは余計な仕事を」



 ゼドの言う事が、俺には理解できない。

 俺がやっていた殺しは、多くは家族や本人からの依頼で行われるものだった。

 ゼドはそうした依頼も請け負うが、より範囲が広い。敵対勢力を切り崩すための謀略の一環として、あるいは力無き者に代わっての復讐として、殺しの理由は多種多様だと聞く。純度が低いというなら、詐欺師まがいの俺こそがそうだろう。


「純粋な方が、明るく輝けるとお前は言うのか?」


「ああ。余分さが無いものこそが輝く。雑多なもの、混沌としたものが目を引くのはそれが多いからだ。だがそれは輝度も彩度も明度も低い――まがいものだ」


 だからこそのシンプルなプロデュース。

 ゆえに『パイロマスター』は熱く燃え上がる。

 暗がりを知る男は、輝かない理由を理解しているがゆえに誰かを輝かせることができたのだろう。


「俺は勝利が欲しい。栄光、富、称賛、価値あるもの全てを手に入れる。だからシナモリアキラ、お前は勝て。勝って価値ある存在として俺の前に立て。俺は価値ある全ての勝利を欲している」


 不遜な宣言をするゼドに、こちらも挑戦的に応じてみせる。

 表情を作り、感情を作り、助言をくれた相手への返礼として。


「今ので腹が据わったよ。お礼に、あとで叩きのめしてやる。首洗って待ってろ」


 男は帽子の前を引いて顔を隠すと小さく笑う。

 ゼドは言った。

 不純なものは、余分だらけの混沌は『まがいもの』だと。

 つまり、それが答えだ。

 俺は踵を返してその場を立ち去る。

 去り際、背後でかすかな独白が耳に届いた。 


「ああ、だから俺は闇を照らす蝋燭が欲しい。俺の罪を、盗みと殺しとを照らす、栄えある屍の蝋燭に手を伸ばしたいんだ――」


 ゼドという男の、曖昧な欲望のかたち。

 はっきりとした意味がわからないながらも、どうしてかその独白がひどく印象に残った。暗く不吉な予感として。




「マジカル・アピール!」


 トリシューラの叫びと共に、『杖』のドレスが開花する。

 俺たちは再び対決の舞台に立ち、音楽に乗せた必殺のアピールを繰り出そうとしていた。対するラリスキャニアは先行で圧倒的パフォーマンスを見せてきている。前と同じではまた負けてしまうだけ。


 だが――あれから幾度かの握手会を経て、『調整』を重ねた俺たちは今までとは違っている。握手会。ファンとの対峙。独りよがりな押しつけ――その克服。

 両手を花のように開き、包み込むような形にして舞う。

 このアピールで、懊悩に答えを出そう。

 決意と共に、一歩を踏み出した。

 衣装から吐き出される銃弾、ミサイル、輝くレーザー。

 破壊的なパフォーマンス、暴力的に身体を揺さぶる刺激に観客席が沸く。

 だがそれと同時、観客たちの目の前に立体幻像の窓が幾つも表示されていく。


『この銃撃を受けた人は、こんなレーザーでも焼かれています』『オススメの暴力はこれ!』『あなたのお暴力傾向から』『よく一緒に使用されるサブウェポン』『この兵装のレビューはこちらから』


 個々の顧客ファンの購買行動から各人の趣味嗜好行動の傾向までを類推するのは高度人工知能にとっては朝食前にロクゼン茶を入れる程度の手間でしかない。

 分析対象が暴力であってもそれは同じことだ。

 ファンの顔を見てニーズに応える。

 最適化こそ『サイバーカラテアイドル活動』の神髄である。

 それは余分を積み重ねた『まがいもの』のアピールなのかもしれない。

 だがそんな『不純』を貫くことこそが俺たちにとっての『純粋さ』であると、俺は確信している。猥雑な広告と情報の嵐、その繰り返しからの精練、観客にとって最も心地良い環境の構築。俺たちの『マジカルアピール』はこれで都合三度目。


(データは集まった――私たちのアピールは、二度目三度目からが本番だよ!)


 前回、前々回よりも更に観客が熱狂する。

 爆発的な反響で空間はすでに割れんばかり、ステージすらもがひび割れそうだ。

 そうだ、これが『サイバーカラテ道場』の真骨頂。

 俺たちの『マジカルアピール』は、繰り返すほどに学習を重ね、更に強くなる。


「みんな、『きぐるみ妖精』をこれからもよろしく! そして死ね!」


 朗らかなトリシューラの声と俺の「発勁用意」という叫びが重なり、阿鼻叫喚の地獄絵図が地下空間に現出する。より効率的に殺戮を実行した俺のバトルドレスがステージを廃墟へと変貌させ、音楽の終了と共に死の静寂が降りてくる。

 衣が折り畳まれる。

 ライブの終わりは、いつだってどこか物寂しい。

 

 ステージを降りた俺は、通路で待ち構えていたラリスキャニアと顔を合わせることになった。互いにやるべきことは終わっている。あとは結果を待つだけだ。

 触手をうねらせる少女はどこか晴れ晴れとした表情だった。


「ファンと向き合う、というにはちょっと乱暴で無味乾燥な気もするけど――それがあなたたちらしさなのかもね。ボクの言葉に惑わされずに自分を貫きながらも耳に痛い言葉から教訓を得た――いいバランス感覚。お見事と言っておく」


「やっぱりあれ、こっちを揺さぶるための呪いか」


 自分ではなく外側を向くというのは重要なことかもしれないが、それで自分自身を見失っては元も子もない。そうして迷ったおかげで中途半端なパフォーマンスをしてしまえば停滞してしまうだけだ。

 ラリスキャニアというアイドル、普通に実力がありつつもこういう遠回りな揺さぶりをかけてくるあたり本当に油断がならない。


「それじゃあ、ボクは行くよ。これから刑務所慰問ライブがあるんだ」


 そしてこちらのファンを切り崩す気満々である。

 あくまでも余裕を崩さずに去っていくラリスキャニア。

 外では話している間に結果発表がされており、それはあちらも知る所であったはず。だというのに、あの夜の民の在り方は変わらない。


 闇に生きる種族は、それでも純度の高い輝きを保っていた。

 それはきっと、これからずっと変わらないままなのだろう。

 揺るぎない純粋さ。それがアイドルであるということなのかもしれない。

 立体幻像に表示された勝利の文字を瞼に焼き付けて、幻像を消去する。

 この勝ちも、これから先の負けも、同じように受け止めて前に進む。

 そんなアイドルとして在り続けることが、できるだろうか。

 試すように、一歩を踏み出した。



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